姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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文久三年十一月十二日
山崎side
島田君は茶屋で働く彼女を遠目に見て、俺が言うのと自分が見ている人物が同じであるか、何度も確認してから「驚きました」と溢した。他人の空似ではないかと、あんなに自然に化けられるものかと、本当にどこにでもいる年頃の娘のようだ、と。
…ただ、「立ち居振舞いがしっかりし過ぎていて、町人風のボロ着はあまり似合っていませんね」と苦笑していたが。
林に至っては、決まりの合図をして借家に入ってきた彼女を侵入者と勘違いして、危うく苦無を彼女の腹に刺しかけた。二人とも速さを誇るだけあって、その一瞬のやり取りに、俺は胆が冷えた。
…肝心の二人は「ごめんごめん」とお互い笑っていたが。
だが真実こそ女性だと知らない彼らが、贔屓目なしに彼女が女性に見えて、別人だと思うのだから、この潜入方法は成功と言える。
そもそも、彼を誰も女などと疑っては無かったのだから、当然といえば当然である。仮に、ななしが矢代弥月だと誰かが気付いたとしても、ただの完璧過ぎる女装だと思うに違いない。
そんな俺達の目が節穴か否かは、四人居るという彼女の兄にでも問いたいところだ。
コン、コンコンコン
山崎が監察で決めている調子で壁を叩くと、中で突っ張り棒が外される音がした。その後、中の人物はすぐに戸からは離れて、決まり通りに外から開ける来訪者を窺っている。
俺が戸を開けてお互いの姿が見えると、ふっと目元を緩める矢代君と目が合って、一気に彼女の纏う空気が和らぐのが分かった。
「お帰りなさい」
正直なところ、俺にだって今の矢代君は女性にしか見えない。…かと言って、『彼』だと思えば、性別を疑いもしていなかった『彼』に見えるのも事実だ。だけれども、目の前にいるのは彼女であるいう、何とも説明しがたい感覚だ。
自分しか事の証人は居ないというのに、先日まで、何度もやはり俺の見間違いではないかと疑わずにはいられなかった。
結局、躊躇いもなく女湯に入って行ったのが、なによりの証明だったとも言える。
「…どうかしましたか?」
不自然にじっと見てしまっていた。
軽く首を傾けた彼女が『それらしく』見えるのも、相応の格好をしているからなのだろう。女性だと知ってしまえば、ずっと有った得も言われぬ違和感に、全て納得がいったようにも思う。
「いや…ただいま」
最初はこの借家でそんな挨拶をするのも違和感があったのだが、嫌な気はしなかった。仲間の元に帰ってきたのだと、ほっと人心地着いた気持ちになる。
矢代は山崎の普段ない動きに何事かと心配になり、険しい表情をしていたのだが、彼が肩の力を抜くと、やっと微笑んで息を吐く。
「今、お茶淹れようと思ってたんですけど、余った草餅もらっちゃったんで、一緒に食べませんか」
居間に無造作に置いてある包みを指さしてから、ニコニコと勝手場に立った彼女は、既に火にかけていた鍋に甕から水を足す。
「ああ、少し腹も減ったからありがたい」
「……烝さん。今日こそは夕ごはん食べました?」
「いや…」
「食べてください。屋台でも何でもいいんですから」
ジロリと睨まれたが、それも度々あることなので、俺が少しだけ困った表情で笑えば、向こうも「もー!」と大袈裟に溜め息を吐くだけである。
草履を脱いでこちらに上がってきた彼女は、土産の包みを開けて、そこにある草餅を分ける。三個は島田君用に取っておくらしい。
「食べて来ないなら、明日からここでお米炊きます!」
「君もそこまで暇ではないだろう………というより、何個積むつもりだ」
目の前で草餅がわざわざ真っ直ぐに高く積まれていくのは、何の意味があるのだろう。現在四個。彼女の前には別に二個積んであるから、この四個は俺の分ということなのだろう。
「草餅一個150kcalと適当に想定して、烝さんの朝ごはんと昼ごはんを考えると、五個はお腹に入れてもらいますから」
そう言ってもう1つ重ねて、傾いた五重塔ができあがる。今にも崩れそうなのだが。
「…島田君なら喜んで食べるだろうが、俺にはこの数は無理だ」
胸焼けしそうだと思って三つ差し戻したのに、何故か逆に一つ上乗せされた。誰だ、この子にこんなに草餅持たせたのは。
「明日も文武館まで付き合ってもらいますから、ちゃんとお腹に入れて下さい。烝さんがそれ以上細くなったら、私が烝さんを抱っこして屯所まで帰れる自信ありますよ。
それならそれで怪我した時には有難いですけどね……なんなら明日ついでに予行演習しときます?」
「……」
矢代君なら本当にしかねないから、とりあえず一つ掴んで口にいれると、一先ず彼女も満足したようで自信もそれを頬張る。
「む、美味しいですね。やっぱ今回の任務、超役得です」
「ああ、確かに美味いな」
矢代君はそれを齧りながら、お茶を淹れに再び席を立つ。それからまた、嬉しそうに二個目にありついていた。きっと島田君と茶を囲めば、いつまでも際限無く食べ続けるのではないだろうか。
彼女は食事……特に甘味を食べる時に、呆れるほどに幸せそうな顔をするのだが、本人は気付いていないのだろうなと、俺は笑いを噛み殺した。
そうして二人でお茶を啜っていたのだが、矢代はふと思い出したように「でも」と言葉を発した後、もう一度少し咀嚼してから話しだす。
「でも、やっぱり時間あるときはご飯炊いても良いですか。何だかんだで、まともな食事がうどん一食になることもあるじゃないですか。私、この世で三大嫌いなものは、空腹と寒いのだから半端なく辛い。
今の時期なら晩一回炊いたら、朝もお茶漬けとか食べれますし……まあ、もし烝さん達もそれ食べる勇気があるなら、米の芯が残っててもご愛嬌って言うか、文句は聞かないよって感じなんですけど……駄目ですかね?」
…最初の「でも」がどうして繋がったのか、彼女の思考回路を不思議に思ったのだが……まあいい
時々思うのだが、彼女は案外というか、意外というか他人の体調をよく気にする。……そう考えてみれば最初から、寝ろだの食べろだの、監禁されている身なのにしつこかった。
なんと言ったか……そう、「自分の真上で餓死されたら夢見が悪い」だったか…
まだ俺が監察を初めて間もない頃、こんな変な監視対象がいるものかと唖然としたのを思い出して、クスリと小さく笑う。
彼女がよく発するのは、他人のためというより、自分のためにするのだという言葉。それは俺達への反抗的な気持ちと、生活水準を落としたくないという、そのままの意味なのだろうとずっと思っていたのだが。
彼女はよく気のつく人間ではないかと、最近俺は思っている。
「…? 聞いてます、烝さん。私は三食ちゃんと食べたいから、ここでお米を炊きたいんです」
君一人だけなら、外できちんと食事をするのに?
俺はずっと跡を付けているのだから、それは間違いない。
…つまりは、俺達が食事を疎かにするから、どうにかしたいのだろう?
「いや……フッ…君のその気の遣い方は、照れ隠しなのかと考えていただけだ」
笑ってそう揶揄するように言ってやると、いつものように軽い調子ですぐに否定するかと思ったのだが。
目の前で、彼女の動作が完全に停止した。
瞠目、そして絶句。
「……矢代君?」
何か不味い事だっただろうか…?
予想外の反応に俺は大分驚きながらも、無言のままの彼女の名前を呼ぶと、その目が激しい瞬きと同時に、忙しなく泳ぎ出す。何より驚いたことには、段々とその顔が下がっていき、みるみるうちに彼女の頬が紅潮していくのだ。
山崎はものすごく不思議なものを見ている気分だった。
照れ隠しを指摘されて、これだけ動揺するいうことは、つまり本当に照れ隠しだったというわけで……しかもそれを指摘された事が、かなり恥ずかしいということ…だろうか。
俺は口に手を当てて、その様子を見守る。何か言いたいのか、返事がしたいのか…とりあえず言葉に詰まっているのは明らかだ。
あの矢代君が…
……
…君の基準が分からない…
誰かに相談したい、この人の脳内がどうなっているのか教えてほしい。
「…こんなに自分勝手な人そうそう居ないと思いますけどね」
ようやっとといった風に彼女が出した声は、上ずるのを抑えるためか口元に笑みを乗せながらも、抑揚のない話し方だった。
「いや……十分に気が利くというか、気の付く人間だと思うが」
悪気があったわけではないのだが、山崎は思わず言い重ねるように言ってしまった。
そうすると、彼女は今度は先ほどより微妙に引き攣った笑顔のまま固まってしまい……勿論、頬の赤らみだけは酷くなっていくような状態で。
そして今度こそ完全に下を向いたまま、ボソリと「ありがとうございます」と呟いた。お礼を言われるような場面でも無かったのだが、ひとまず応じておく。
山崎は心底、珍しい生き物を見ている気分だった。