姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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文久三年十一月十日
山崎は未だ嘗てない、任務遂行の困難さに苦悩していた。
副長、大変恐縮なのですが、一つ申し上げたいことがあります
もし……もし副長がこの状況を知っていてさえ、「見張れ」と指示をするならば、俺は己の心を殺して、その命に従います。全ては新選組のために
監察に任じられたからには、急場においての判断は委ねられていると自覚しております。それは幹部の方々に信頼して頂けているからだと、自負しています
だからその期待に応えられるように、俺は自己研鑚を止めることはありません
…ですが、追加の指令も無しに、これ以上の任務続行は………俺には、このような困難極まる判断は、責任が重すぎるのではないかと思われます
どうしても……どうしても今回ばかりは指示を下さい
山崎は紅色と藍色に染められて、【ゆ】と書かれた二つの暖簾を前に、どうすることも出来ずに、ただ立ち尽くした。
***
弥月side
カポ―――ン…
「ふおぉぉぉ……ここが天国かあぁぁ…」
最高です、銭湯
今回の任務は、まさかの特典付きだった。団子屋の仕事が早い時間に終われば、次の見張りを交代するまでの半時は自由時間。これは女装している状態を、有効に使わない手はない。
脇腹の怪我もほぼ治ったことだしと、銭湯に通ってもう三回目である。
「はぁ…生き返った~」
下駄をカランと鳴らして、桶を片手にうきうきと暖簾を押し分けた。
この時代に来て、これほど心が晴れやかなのは初めてかもしれない。身体の汚れと共に、心まで洗われたようだ。
「ふふっ」
自然と笑いが込み上げる。
この恰好をして、面倒なことはとても増えた。髪の墨が落ちていないか、細かに確認する必要があるし、裾をからげて走ったりは出来ない。自分は目立ってはいけないのだと、常に周りからどう見えるか、考えて動かなければいけない。それらがすごく窮屈に感じるときがある。
私は自分を偽ることなんて嫌いで、私は生粋の面倒臭がりだ。…そんな私が一体どうしたことか、この状況を楽しんでいるなんて。
どうしてか、身体が軽かった。
生きててよかった
嬉しくて嬉しくて、次の一歩を跳ねるように踏み出した。
地にある自分の踏んだ影が長くなっていて、何かに誘われるように空を見上げると、遮る物の無い一面の大きな空。冬の夕焼けの空は白く遠く、淡い橙色と夜色が融け合っていて、いつまでも見て居たくなるほどに美しい。それは自分の心に、何かを訴えかけてくるような気がした。
そして、美しい景色の下に居られる幸せを感じると同時に、どうしようもなく切なくなった。
この空はどこまでも続いているのに、どこにも繋がっていない。心に開いたままの穴が、足りないと叫んでいることを知った。
弥月は潤う瞳に苦笑いしながら、フッと息を吐く。
「……さ、仕事だ!」
魁さんが私の交代を、首を長くして待っている。
***
沖田side
僕が湯屋に入ろうと暖簾を押し分けた時に、カランッと真後ろで豪快な下駄の音がして、誰かが転んだのかと、ちらりと目線だけを送る。すると、ちょうど僕が暖簾をくぐる時にすれ違った女が、後ろからでも分かる位に陽気に歩いていた。
次々と入ってくる女達よりも、頭一つくらい出ているせいで、嫌でも目に留まる女。そしてその臙脂色の着物を着た後ろ姿に、僕は見覚えが合った。
あぁ、茶屋の子か…
それを思い出すまでに少しの間、何とはなしに彼女の背を見ていると、ふとその歩みが止まって、彼女が空を見上げた。その動きに釣られて、沖田も空を見上げると、広い夕焼け空が広がっていた。
……綺麗
当たり前にいつもそこにあるのに、空を見上げたのはいつぶりだっただろうか。自然が作り出した見事な色彩に、沖田が感嘆の息を一つ溢してから顔を元に戻すと、既に女は再び歩き出していた。
ただ、先程までの跳ねるような歩みとは違う、茶屋で見た時のような静かな歩き方。道の端を俯きがちに行くのに、そこにあるのは凛とした背中。
「…変な子」
「お、総司も風呂か」
僕が見ていた方向と逆の方から、聞き知った声がして振り返る。こちらに向かって歩いてきたのは新八さんと、その後ろから左之さんの二人組だった。手には桶を持っていることからも、これから彼らも風呂に入るのだろう。
そう思っていると、永倉が振り返った沖田の顔をじっと見て、突然に顔を綻ばせる。
「なんだ、珍しく良い顔してんな」
「え…?」
良い顔?
新八さんの言う意味が分からず、一体自分はどんな顔をしているのかと思うが、鏡も無ければよく分からない。いつもと同じだと思うし、珍しくってどういう意味だろうかと思う。
だけれど、今どういう気持ちだったかを振り返ると、確かに心の風通しが良くなったのを、わずかながら感じていて。
綺麗な空にそんなに感動したのかと、自分の心はどれだけ淀んでいたのかと可笑しくなる。
「総司。お前、今そこ歩いてる女、見てただろ」
左之さんがそう言ったのに少し驚いて、彼に視線を向けると「当たりか?」と言われて、はっぱを掛けられたのだと気付いた。
…そんなつもりは無いんだけど
だが、見ていたのも事実ではあったし、取り繕うのも面倒だと思う。だから左之さんならば、「それが?」と言えば後は引いてくれるだろうと思ったのだが、僕がそれを言う前に、今ここには更に面倒を増やしてくれる人がいた。
「なに!? そんな振り返るほど、イイ女が居たのか!?」
「…あっちの道行った女だから、俺は見えなかったけどな」
原田は意味深な目で含み笑いをして、沖田の顔を見る。
沖田がその目の意味するところに気付かない訳は無く、半眼になってから、暖簾の向こうへと向き直る。草鞋を脱いで、番台へ入浴料を支払った。
後ろでクツクツと声を殺して笑う男と、「どんな女だったんだよ?」と興味津々で訊いてくる男を、今ばかりは本気で鬱陶しく思う。
酒の肴にされるのは御免だよ
「二人して、何勘違いしてるか知らないけど、でか女だよ」
「…は?」
「女相撲でも取りそうなでか女」
「はぁ、なんだよ醜女かよ」
新八さんの落胆した声…というよりも言葉に、僕はふと違和感を覚えた。
…そういえば顔見たことないな
思い返してみても、自分が見たのは後ろ姿ばかりで、記憶に彼女の顔がない。それに不思議と物足りなさを感じた。
しかしながら、あの異様に大きな背丈は、確かに新八さんの言う通り、それに見合った大きくて長い顔を連想させる。彼女が俯きがちに歩くのは、気性の控えめさからだと思っていたが、もしかして顔を見られたくないのだろうか。
「おいおい、新八、醜女とは限らないだろ。偏見は良くないぜ?」
「だって相撲取りそうな女なんだろ、醜女に決まってるじゃねえか」
原田はそれに「大体はそうかもしれねえが」と、顎に手を当てて考える。
「そもそも…女相撲で大事なのは“顔”の綺麗さだけじゃないだろ?」
「…まあ、確かに。女相撲自体が手に汗握ると言うか、色々興奮があるってかなぁ…」
「そうなんだよなー…女の掴み合いとか、俺は好きじゃないはずなんだけどな……女相撲独特の、あの全身汗まみれで必死の顔は、なんとも言い難い色気があるというか…」
「俺はやっぱり顔が綺麗な女より肉付きの良いこう……出るところが出てだなぁ、見えた瞬間、『おおっ!!』ってなる大きさが欲しいよな」
「おっ! 気が合うな、新八。だけど、やっぱりあの見えそうで見えない瞬間が、俺は一番の楽しみだと思うな」
「あぁ分かるぜ、左之! たまんねぇよな、あのじれったさ!」
やだやだ、他人、他人
段々と白熱しだした二人の会話を、聞こえないふりをして聞き流す。女湯と筒抜けなのに、そういうの気にしないわけ?
そもそも体積大きいんだから、風呂に一緒に入らないでほしい。むさ苦しい。
それから沖田は質問されようとも、名前を呼ばれようとも、湯から上がるまで彼等とは絶対に口を利かなかった。