姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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文久三年十一月七日
ところで、私の仕事は団子茶屋の正面にある、うどん屋を見張るための潜入捜査である。何故そんな回りくどい捜査をしてるのかは、至って簡単な理由だ。うどん屋に潜伏できる屋根裏が無いから、周りを固めるしかないのだ。
勿論、捜査は私だけではなく、昼の張り込みは烝さんと魁さん。夜は三人で交代で行っている。だが、私の仕事は彼らとは違う役割を、併せ持っていた。
「ほんなら、そこ居るから、何かあったら呼んでおくれやす」
「おおきに、お疲れ様。ゆっくりして来ぃね」
ななしは襷を外して、もう一人の売り子に声を掛けてから、自分の店を出た。
顔が隠れる程度の高さの暖簾を押し分けて、ひょっこりとうどん屋の中に顔を出す。盛況後の店内は人も居らず、水を使う音だけがして、静かで落ち着いていた。
「お福はん」
「あら、ななしちゃん。今日はもう上がりなん?」
「ううん、お昼食べ損ねたから、今からおうどん食べたいんやけど、ええ?」
「あらあら、それは大変。はいはい、ちょっと待っててね」
素直に返事をして、厨房に近い席に着く。
私の仕事は、主に直接的な聞き込み。
恰幅の良いうどん屋の女将は、見た目ほどには口が軽くない。親父さんも職人気質な人で、外からではなかなか店の内情が浮かばないのだ。
私からはどう見たって、悪人には見えない二人には申し訳ないが、あくまでも私は新選組の人間で、長州の隠れ蓑と睨んで、ここを探っている。もし、本当に二人が長州浪士匿っているなら、この後二人は……と、考えずにはいられないが、それでも今はこれが私の仕事だ。
ななしはグッと膝に置いた拳を握る。
完遂すると決めてきた。責任あるのを知っていて引き受けたからには、泣き言は言わない。
「はい、お待ちどうさま」
ゴトッと深めの器が音を立てて置かれ、そこから漂う湯気と、ふわりと漂う出汁の香りが鼻腔をくすぐった。もう何度も食べた、美味しいおうどん。
「いただきます」
つるつるとうどんを啜りながら、仕事を夫に任せて正面に座ったお福と、無駄話をするのも私の仕事。たとえそれが、私に好い人が居ないのか云々の話になったとしても。全ては肝心な情報収集のために。
ななしは話が切れたところで、箸で上を差しながら、何気ない口調で訊く。
「ねぇ、お福はん。上、誰か居てはるん?」
「え…? 居らへんけど…」
「そうなん? なんやさっき音したから、まだお客さん居てはったんかなと思ってん」
「…さっき片づけ行ったけど、誰も居てへんかったから、鼠はんか何かとちゃう?」
「そっか、あんま大っきない音やったから、そうかもしれへん。…もしかして、まだお客はん居てるん、忘れてるんちゃうか思ったから、違うなら良かったわ」
ななしが二カッと笑うと、お福は「いややわ、そんなん忘れへんよ」と笑った。
この店は二階が座敷になっている。長居する客は好んで二階を使うのだ。……そこが、隠れ蓑という確証が欲しい。
「美味しかった、ご馳走様!」
「おおきに、お粗末様どした」
それからは其々再び仕事に戻ると言って、席を立ち上がる。
その時、ななしは見逃さなかった。彼女が立ち上がった時に、もう一度天井を見上げたことを。
それを後は、烝さんに引き継いだ。
***
まだ日は高い頃。
店の表で、常連の客と話をしていた彼女の、素っ頓狂な声が聞こえた。ななしは机を磨く手を止めて、そちらを振り返る。
「ふぁい、空いてます! こちらへ!!」
彼女はこの店で働き始めて長いらしく、客の扱いに慣れているのか、大抵のことには動揺しない。それが何事かと、奥の親父まで顔を覗かせた。
すると、ななしは店に入ってきた男を見て、思わず感嘆の声を漏らす。
「わぁ…」
男は一片の濁りもない純金色の髪をしていて、肌も雪のように白い。程好く通った鼻梁を中心に、その造形は惚れ惚れするほどに調和している。その容姿に似合わせたように、金の格子柄の襟のついた、黒の羽織は高級感が漂い、着物はおくみと襟の市松模様が洒落ている。
久々に見たよ、本物の外国人。しかも絶対、金持ち
コレジャナイ感が漂う日本人なら、日々鏡に写るから見慣れているが、これは明らかに格が違う。自分と彼の色味はちょっと似ているが、明らかに別の人種。私は顔が平たい族。財布も平たい。
ん……でも、割と土方さんと良い勝負かも…
三日美人とはよく言ったもので、割と見慣れしまった感と、いつも崩れている感はあるが、土方さんも間違いなく相当な美形だ。稽古後の彼を見るのは、眼福という平隊士も少なくない。
「ん…?」
金髪の男が横を通り過ぎた後に、やっと気が付いたが、もう一人入って来ていた。てっきりこっちは日本人かと思いきや、よく見なくとも違った。寧ろこっちの方が、何処から来たのか気になる顔をしている。
「大っき…」
左之さんより背が高い、赤茶けた髪の男。がっちりとした体格は、魁さんに負けず劣らずといった所で、顔も鍛えぬかれた屈強さが滲み出る様だった。身形の良さも、幾度も繰り返し染めたであろう、深い黒色の羽織は群を抜いていた。
眉毛は剃ってるのかな…綺麗な富士額に、艶やかなおでこ…
…超カッコいい。イカしてる
あまりにまじまじと見過ぎたのか、富士額の男の方が私へ黙礼をしたので、慌てて会釈してから仕事に戻る。
少ししてから、台帳を持って注文をとった彼女がこちらへ来た。少し興奮気味の表情で、彼女が口に手を当ててこそこそと話すのを、ななしは急須にお茶葉を入れながら聞く。
「たまげたわぁ…でも、大きい人の方が言葉は大丈夫みたいやから、何とかなる思う。みたらし六つね」
それから、何事も起こらないように頑張ろうと、お互い頷いて鼓舞し合う。
ななしは暖簾の奥に引っ込むも、店の奥の席を陣取った彼らの会話は、裏からでも少しばかり聞こえた。
「――風間、当たりでは無い所に留まるのは…」
「分かっている、休憩だ」
日本語。日本名
どっちがどっちの声かは分からなかったが、少なくとも片方は『風間』さんらしい。
まさか日本人……いやいや、百歩譲ってもクォーター以上じゃないと、あの雰囲気は無くない? ペリーが吃驚して、真っ直ぐ帰るわ
草餅はまだ親父さんが焼いているところだったので、ななしはつなぎの茶だけが乗った盆を片手に、思わずジッと彼らを見る。
うん、和服は良く似合ってるけど、別の人種……だよね?
「……女、不躾とは思わぬか」
「ほ…あ、すいません」
特に何も考えずとも、「女」が私を指しているのに気付いて、謝罪が口から出た。それが、金髪の男から言われたのだと気付いたのは、随分後のことだったが。
コトコトと茶を机に置いて、今度はそそくさと仕事に戻る。
実は日本育ちなのかな……日本語喋れるだけで、すっごい親近感湧いた
ちょっと何処から来たのかとか、話してみたい。 やっぱりオランダ? それともアメリカ? ぎぶみーちょこれーと持ってませんか、あめちゃんでも良いよ
餅が焼けたと親父さんに呼ばれて、今度こそ、焼けたみたらし団子と茶を盆に乗せる。
…いや、落ち着け、私。そんなミーハー族じゃないはず
これがこの時代の若者ならば、飛び付いても可笑しくはない。気になって気になって……平助と新八さんなら、耳がダンボどころか、横に座って酒盛りし始めかねない。
…うん、別に珍しくない。幕末だもの。こんな事で失礼極まるような、日本人として恥ずかしい事はするべからず。必要なのはおもてなし
ななしは、うんと一つ頷く。
そんな決意も、もし遠くから見ている山崎が知ったら、あれだけジロジロ見た後でよくそんなことを言えると、呆れ返るくらいに既に見ていたのだが。
「お待っとうさんどす」
丁寧な動作で、「ごゆっくりどうぞ」と残して踵を返す。完璧。
それから客は店内と外に、それぞれ二人ずつ居るだけで、落ち着いていた。これくらいなら一人でも大丈夫だろうと、ななしがもう一人に休憩を促そうとしたところで、表で何かが動いたのに気付く。
「こんにちは! お団子ください!」
元気な女の子の声が店内にも届いた。店先にいた接客担当の彼女がしゃがんで、お使いであろう話を聞いてから、その童を腰掛に座らせる。
それを目に映したななしは、先ほど煎れた時に余った、まだ温かいお茶を小さな椀に二つに分けて、こちらに来た彼女に渡す。
「みたらし八つやって。包んであげて」
「はーい」
「……ななしはん、これ?」
「一つはあの子に、一緒に座ってて」
そう言うと、彼女はきょとりとした顔をしたが、すぐに察したようで、「おおきになぁ」とクスクスと笑った。
静かな店内に、彼女達が甘いものは好きだとか話す声が届く。しかし、女児は誰の使いかまでは話さずにいて。十歳に満たないと思われるのに、随分としっかりしているようだった。
「お待っとうさん」
礼を言いながら包みを受け取った女児は、一度私から包みへ視線を放したが、ふと気付いたという風に、再度私を見上げた。
「……姉はん、最近うちと会うたことありまへんか?」
「…?」
そう言われてしゃがみ、目線の高さを彼女より低くして、じっと顔を見るも、知らない子だと思う。
綺麗に整えたおかっぱ頭で、品の良い着物を着た、九つくらいの少女。タメ坊の友達などでもなければ、私が子どもと話したのなんて数えるほどだ。
「ええっと、無いと思うんやけどなぁ……でも、長いこと京におるから、すれ違ったくらいはあるかも」
「…うーん?」
「こないに大きい女の人見たんなら、そうそう忘れへんのと違うかな? 」
「……かなぁ?」
彼女は唇を尖らして、しばらく納得できない様子だったが、思い当たらないらしく、椅子から降りて「ほんなら、帰るわ」と。
ななしは内心、思い出さなくて良かったと胸を撫で下ろす。
「落とさんよう、気いつけな」
「うん、おおきに」
その時、スッと店内から出てきて、私たちの横を通り過ぎたものがあった。
「代は置いておく」
「あ……またお越しやす!」
…やっぱり日本語できるんだ
そう言った金髪の男に、少しそんなことを思ってから、後ろを行く大男が会釈をするのに気付いて、こちらも慌てて会釈をする。
友達……というよりも、従者って感じかな
「…あ、分かった!」
その明るい声にパッと女児を振り向くと、彼女は得意気に笑った。
「姉はん、鬼っ子に似てはるんや! 知っとる? 金の髪した蛮人!」
……
「…うん、知っとるよ」
…恨むぞ、そこの外人。特に金髪
それから女児が似てると言うのを、笑って否定したら、また笑顔が似てると言われてしまって。表情までは変えなかったが、背中は冷や汗が流れていた。
売り子の彼女は、矢代弥月の顔までは知らないらしく、相手が新選組だけに、口を挟みづらいようで。
ちょっと、道行く町人がこっちを見たときは、本当にどうしようかと思った。ちょっとでも見づらいようにしゃがんで、「見ないでください、覚えないでください」と、心の中で全力で叫んだ。
ようやっと背中を向けてくれた女児に、しゃがんだまま手を振った。
溜息を吐かないように気を付けつつ、それでも思わず、肩を竦めながら立ち上がると、ふと背中に視線を感じた。
緊張感を取り戻し、「頼むから長州浪士じゃありませんように」と、笑顔を張り付けたまま振り向くと、そこに居たのは先ほどの外人二人。
ななしは少し意外に思って、目を瞬かせる。
彼らは何も言わないが、明らかに自分を見ているので、何か用事だろうかと首を軽く傾げたところで、金髪の男が身動いた。
「フッ…」
…
……今、顔見て、鼻で笑われたんですが。
何ですかね、本当の蛮人はコンナンジャナイって言いたかったんですかね。これ怒って良いところですかね。すみませんね、日本人で
何故、鼻で笑われたのか、全く意味が分からなかったが、あの見下したような赤い視線が、どう考えても小馬鹿にされたとしか思えなくて。
二度と来るなと、悪態を視線だけで彼らの背中に飛ばしてから、ななしは店内に戻って行った。