姓は「矢代」で固定
第四話 歩ける道 歩きたい道
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***
沖田side
結局、あの呉服屋からは、怪しい人も物も出てこなかった。
一通り、建物の中やら、帳簿やらを検めたが、何も不審な所は無く、腑抜けた顔をした店の主人だという男を前に、僕はどうしようかと腕組みをしていた。明らかに何も知らなさそうなのだ、この店主。
しかも、そこに妻である女がやって来て、ぶぶ漬けを勧めたてきた時は、いっそのこと食べて帰ろうか悩むくらい、立つ瀬がなかった。
「はぁ…とんだ無駄足。」
幸い巡察に追い付くことができたし、隊の方も何事も起こらなかったようだ。これで土方さんに大目玉をくらわなくて済む。
だがモヤモヤしたものが残って気持ちが悪い。
なぜなら、自分は視力は悪くない。この店に入っていったあの男は、矢代弥月だったということだけには、確信を持っていた。
…この機に叩きのめして、洗いざらい吐かせて、ついでに今までのことを土下座して謝らせるのも悪くないかな
泣いて許しを請う彼を想像して、知らず内に笑みが零れる。弱いくせに、鼻っ柱だけは強い彼は、どうにも目障りだ。
巡察後、古着屋を訪れた沖田は、頭陀(ずた)袋を肩にかけながら、二条の団子茶屋を目指す。
結局迷うこともなく、夏と同じ色の着物を買った自分は、こだわりが有るのか無いのか。まあ、今の着物は近藤さんに選んで貰った物だし、気に入っているから良しとしよう。
「「ようおこし」」
茶屋に着くと、売り子が二人いたが、勧められるまでもなく、外の腰かけを通り過ぎて、できるだけ奥の席に座る。
「みたらし二つと……後で、草餅八つ包んでもらえるかな」
「はい、おおきに」
注文を聞いてから少しして、お茶と共にみたらし団子が出される。
幾分江戸のもの物より小さい、串に刺さった五連の団子。とろみでテカテカと光沢のあるそれを、真っ直ぐに口の中に入れる。やさしい甘さが口に広がり、もっちりと弾力のある団子を咀嚼する。
…やっぱり美味しいな、ここの……
どこか懐かしい味がする。甘すぎない甘辛い醤油垂れに、餅のほんのりと焦げた風味。
この店は以前、用事のついでに何となく入っただけで、少しばかり屯所からは離れていたが、もう一度足を運びたくなる味だと記憶していた。きっと草餅も美味しいに違いないと、タメ坊達のために少し多めに頼んだが、実は自分が楽しみだったりもする。
一時の幸せ。
そのまま、ボウッとやや放心状態で、ゆっくりと味わっていたのだが、店の外の腰掛に座った男達の声がやたらと大きいのが耳について、安らぎを寸断される。
「姉ちゃん、酒無いんか、酒ぇ」
「あ…生憎、うちは団子屋やってから…」
「客が言うとんねんぞ、買ってこんかいや」
「そんな…」
…うわー…典型的…
突如、店の入口で始められた、小柄で気の弱そうなこの店の売り子の娘と、柄の悪い男二人組の問答。
これが巡察中なら止めるが、悪いけど僕はそんなに親切じゃない。店の内外から遠巻きに様子を見ている野次馬同様、何とはなしに成り行きを見守る。
「そうや兄貴、酒ならオレっちが買うてくるから、この姉ちゃんに酌させたらええんとちゃうか」
「おお、ええこと言うやないけ。せやな、ちいと買うて来ぃ」
娘の手首が掴まれた時に漸く、奥から出てきたもう一人の売り子が、彼らに近づこうとする背が見えた。しかし、どう見てもその女も及び腰といった様子で、恐らく武器にするつもりであろう両手に掴んだ箒は、胸に抱かれていた。
ハッキリ言って、追い払おうなんて無茶にしか思えない。
その時、僕は、ふと思いついた。
この人達ボッコボコにしたら、とりあえず今の胸のモヤモヤも、少しは晴れるんじゃない? と。
子分の方は既にこちらに背を向けていた。
沖田はとりあえず口の中のものを胃に納めてから、スッと音もなく立ち上がる。そして、近づこうとしていた女の肩を押し退けて、その手にあった箒を奪い取った。それから気配を消して彼らに近づき、兄貴と呼ばれる男の頭めがけて、箒の柄を上から下へ全力で振り下ろす。
バゴッ
「ぐぅっ!!」
「う゛がっ!?」
……は?
何故か、声は二つした。
一つは僕が脳天を叩いたせいで、グラリと前のめりに倒れていく兄貴分。もう一つは少し向うで、独りでに頭を抱えて、その場に膝をついた子分。
確かに自分は、子分の方からは目を離していたが、誰かが何かしたという様子はなかった。
意味が分からない
この二人連動してたの? というあり得ないことを考えつつ、僕が首を捻りながら、子分の方に近づく。すると子分は立ち上がりながら振り返って、僕をギッと睨みつけた。
「なにさらしと」
バキィッ
沖田が箒を薙ぐと、男はめり込んだ柄の形に頬を歪めながら、今度こそその場に倒れた。沖田はそれを見下ろして、立ち上がらないことを確認していると、自分の足元に落ちているものに気が付く。
…石?
道のど真ん中に落ちているには、少しばかり大きい石。普段ならこれに気付いた誰かが、何気なく道の端に捨てて終わりなのだろう。
沖田はそれを拾い上げてから、辺りに視線を巡らせる。
誰かが投げた
だが、ここは飲食店が並ぶ道で、それなりに野次馬はいて、未だにこちらの様子を見ている。これくらいのことならば、誰にでもできただろう。名乗り出ないことを、少し不審にも思いはしたが、実際問題大したことでは無い。
沖田は興味を失ったように、ポイと石を子分の上に捨てた。
…さて
勢いで両方共を気絶させたが、この後どうしようかと考える。本来ならば、事態の収拾をつけねばならないのだが、全くもって面倒くさい。
「あ、の…」
その時、声をかけてきたのは、先ほど絡まれていた茶屋の娘。お盆を胸に抱えながら、「助かりました」と、頭を下げる。
「……これ、その辺転がしとくか、何だったら町方に引き渡せばいいよ。はい、これお代」
いいや、帰ろう
気まぐれでしたことに、恩を感じられても面倒くさい。
僕は箒を返すと同時に、突き出した拳から、チャリチャリと落ちる小銭を受け取らせて、何事もなかったようにその場を去る。遠ざかる僕の背に、彼女は唖然とした様子で「おおきに」とだけ応えていた。
***
ななしside
店の中に戻ってきた彼女は、私を見てふんわりと笑った。
「あぁ、びっくりした。でも親切なお武家はんがいて、良かったなぁ」
「すんまへん…助けに行かれへんくて…」
「そんなん…! ななしが気にする必要あらへんのよ、あないな人達が怖いんは当たり前やもの!!
箒、追い払おうと思うて、持って来てくれはったんやろ? ありがとう、嬉しかった。怪我もあらへんのやし、そないな顔せんとって?」
「はい……怪我が無くて良かった…」
結局、男達は誰かが通報してくれた町方によって、すぐに縛られて行った。一件落着である。
気を取り直すように明るい声で接客を始めた彼女に、優しい声をかける客らもいて、店の中は落ち着きを取り戻そうとしていた。
「ななしはん、お櫛があっち向いてはるわ」
「え、あ、ほんま。……こうどすか?」
「うん、ええ感じよ」
いつもと変わらない様子で振る舞う気丈な彼女に、ななしも安心する。しゃんとした背筋の彼女は、人としてすごく強い。
見習わなきゃ
ななしは全身を見直して、他に崩れたところがないかを確認した。
慌てて武器になるものを取りに行った時に、頭を軽くぶつけたから、その時に櫛が歪んだのだろう。もっとお淑やかにしなければ。髷に関しては一旦くずれると自分では直せない…かといって、他人にはおいそれと触らすことも出来ないので、慎重に取り扱わねばならない。
そんな、生まれて初めて、黒髪少女に変身を遂げたななしこと、矢代弥月である。
先程は、本当にバレるのではないかと、心臓が口から飛び出そうになった。私よりもっと危機感に見舞われていたのは、通りの反対側の店から、同じく一部始終を見ていた丞さんだとは思うが。
沖田さんが私に気付かず、店に入って行ったところまでは良かった。客の相手は看板娘の彼女が担当だったから。自分は専らお茶と、お団子を運ぶ係で、あまり喋らなくとも営業は出来る。
だがしかし、例の客の登場。
もう頭が痛かった。私は任務中であり、正面の店を見張っている身としては、できるだけ目立たないに越したことは無い。本当にどうしようか心底悩んだが、やはり彼女が無体を強いられているのは見逃せなかった。
多少騒ぎが大きくなろうとも致し方ないと、箒で一発殴って気絶させよう決起したところで、まさかまさか彼が動き出すとは。
烝さんも、慈善活動には絶対に腰の重い彼が動くとは、微塵ほども思っていなかっただろう。
ななしは使い終わった茶碗を片付けなから、先程のことを振り返る。
…正直、けっこう見直した
本当に、まさか彼が助けに入るなんて思っていなかった。しかも自らの腰にある刀でなく、箒なんて可愛らしいもので伸すとは。
更にありがたい事には、所属や名前まで名乗らずに、騒ぎが大きくなる前に去ってくれて、本当に助かった。彼が新選組と知られれば、対象が見張られていることを警戒する可能性が、高い状況だった。
「…だがしかし、最後は沖田クオリティ」
「えー? ななしはん、何や言わはぅた?」
「ううーん、ひとりごとー」
最後は町方まで引きずっていくか、せめて店から放り出すかしてくれれば、イケメン度3倍だったのに。そんなところが“らしい”といえば、沖田さんらしい。
本当に素材殺しっていうか、ね
そう思うと、自分を飾らなさでは斎藤さんに負けず劣らずなのかもしれない。ちょっとどころではなく性格がひん曲がってるのは、愛嬌というには質(たち)が悪いが。
「ま、良いところが無いわけではないんだよね」
自分に素直だが主君には忠実、ただし近藤さん限定。
剣技に対しては純粋に貪欲、あの弱者を見下すのは良くないと思うが。
人のことをよく見てる、盗み聴きも得意なようだ。
いつも笑顔で明るい性格、腹の中は真っ黒だが。
間違いなくひょうきん属、人を罵ってからかうことを楽しむ節があるのは頂けない。
根は真っ直ぐ、根性が腐っているが。
……
……
「…あれ?良いところあった?」
「あこ、みたらし四つね。なに? ええ人の話?」
「違います。その真逆の人の話どす」
「そうなん? なんや、気になるわぁ。また後で聞かしてなぁ」
彼女は笑って、また客席の方へと戻る。その彼女の背を見ながら、何にも考えてなかったつもりで、なんとなく笑いが漏れた。
嫌いな彼の、意外な一面を見たような気がする。
沖田side
結局、あの呉服屋からは、怪しい人も物も出てこなかった。
一通り、建物の中やら、帳簿やらを検めたが、何も不審な所は無く、腑抜けた顔をした店の主人だという男を前に、僕はどうしようかと腕組みをしていた。明らかに何も知らなさそうなのだ、この店主。
しかも、そこに妻である女がやって来て、ぶぶ漬けを勧めたてきた時は、いっそのこと食べて帰ろうか悩むくらい、立つ瀬がなかった。
「はぁ…とんだ無駄足。」
幸い巡察に追い付くことができたし、隊の方も何事も起こらなかったようだ。これで土方さんに大目玉をくらわなくて済む。
だがモヤモヤしたものが残って気持ちが悪い。
なぜなら、自分は視力は悪くない。この店に入っていったあの男は、矢代弥月だったということだけには、確信を持っていた。
…この機に叩きのめして、洗いざらい吐かせて、ついでに今までのことを土下座して謝らせるのも悪くないかな
泣いて許しを請う彼を想像して、知らず内に笑みが零れる。弱いくせに、鼻っ柱だけは強い彼は、どうにも目障りだ。
巡察後、古着屋を訪れた沖田は、頭陀(ずた)袋を肩にかけながら、二条の団子茶屋を目指す。
結局迷うこともなく、夏と同じ色の着物を買った自分は、こだわりが有るのか無いのか。まあ、今の着物は近藤さんに選んで貰った物だし、気に入っているから良しとしよう。
「「ようおこし」」
茶屋に着くと、売り子が二人いたが、勧められるまでもなく、外の腰かけを通り過ぎて、できるだけ奥の席に座る。
「みたらし二つと……後で、草餅八つ包んでもらえるかな」
「はい、おおきに」
注文を聞いてから少しして、お茶と共にみたらし団子が出される。
幾分江戸のもの物より小さい、串に刺さった五連の団子。とろみでテカテカと光沢のあるそれを、真っ直ぐに口の中に入れる。やさしい甘さが口に広がり、もっちりと弾力のある団子を咀嚼する。
…やっぱり美味しいな、ここの……
どこか懐かしい味がする。甘すぎない甘辛い醤油垂れに、餅のほんのりと焦げた風味。
この店は以前、用事のついでに何となく入っただけで、少しばかり屯所からは離れていたが、もう一度足を運びたくなる味だと記憶していた。きっと草餅も美味しいに違いないと、タメ坊達のために少し多めに頼んだが、実は自分が楽しみだったりもする。
一時の幸せ。
そのまま、ボウッとやや放心状態で、ゆっくりと味わっていたのだが、店の外の腰掛に座った男達の声がやたらと大きいのが耳について、安らぎを寸断される。
「姉ちゃん、酒無いんか、酒ぇ」
「あ…生憎、うちは団子屋やってから…」
「客が言うとんねんぞ、買ってこんかいや」
「そんな…」
…うわー…典型的…
突如、店の入口で始められた、小柄で気の弱そうなこの店の売り子の娘と、柄の悪い男二人組の問答。
これが巡察中なら止めるが、悪いけど僕はそんなに親切じゃない。店の内外から遠巻きに様子を見ている野次馬同様、何とはなしに成り行きを見守る。
「そうや兄貴、酒ならオレっちが買うてくるから、この姉ちゃんに酌させたらええんとちゃうか」
「おお、ええこと言うやないけ。せやな、ちいと買うて来ぃ」
娘の手首が掴まれた時に漸く、奥から出てきたもう一人の売り子が、彼らに近づこうとする背が見えた。しかし、どう見てもその女も及び腰といった様子で、恐らく武器にするつもりであろう両手に掴んだ箒は、胸に抱かれていた。
ハッキリ言って、追い払おうなんて無茶にしか思えない。
その時、僕は、ふと思いついた。
この人達ボッコボコにしたら、とりあえず今の胸のモヤモヤも、少しは晴れるんじゃない? と。
子分の方は既にこちらに背を向けていた。
沖田はとりあえず口の中のものを胃に納めてから、スッと音もなく立ち上がる。そして、近づこうとしていた女の肩を押し退けて、その手にあった箒を奪い取った。それから気配を消して彼らに近づき、兄貴と呼ばれる男の頭めがけて、箒の柄を上から下へ全力で振り下ろす。
バゴッ
「ぐぅっ!!」
「う゛がっ!?」
……は?
何故か、声は二つした。
一つは僕が脳天を叩いたせいで、グラリと前のめりに倒れていく兄貴分。もう一つは少し向うで、独りでに頭を抱えて、その場に膝をついた子分。
確かに自分は、子分の方からは目を離していたが、誰かが何かしたという様子はなかった。
意味が分からない
この二人連動してたの? というあり得ないことを考えつつ、僕が首を捻りながら、子分の方に近づく。すると子分は立ち上がりながら振り返って、僕をギッと睨みつけた。
「なにさらしと」
バキィッ
沖田が箒を薙ぐと、男はめり込んだ柄の形に頬を歪めながら、今度こそその場に倒れた。沖田はそれを見下ろして、立ち上がらないことを確認していると、自分の足元に落ちているものに気が付く。
…石?
道のど真ん中に落ちているには、少しばかり大きい石。普段ならこれに気付いた誰かが、何気なく道の端に捨てて終わりなのだろう。
沖田はそれを拾い上げてから、辺りに視線を巡らせる。
誰かが投げた
だが、ここは飲食店が並ぶ道で、それなりに野次馬はいて、未だにこちらの様子を見ている。これくらいのことならば、誰にでもできただろう。名乗り出ないことを、少し不審にも思いはしたが、実際問題大したことでは無い。
沖田は興味を失ったように、ポイと石を子分の上に捨てた。
…さて
勢いで両方共を気絶させたが、この後どうしようかと考える。本来ならば、事態の収拾をつけねばならないのだが、全くもって面倒くさい。
「あ、の…」
その時、声をかけてきたのは、先ほど絡まれていた茶屋の娘。お盆を胸に抱えながら、「助かりました」と、頭を下げる。
「……これ、その辺転がしとくか、何だったら町方に引き渡せばいいよ。はい、これお代」
いいや、帰ろう
気まぐれでしたことに、恩を感じられても面倒くさい。
僕は箒を返すと同時に、突き出した拳から、チャリチャリと落ちる小銭を受け取らせて、何事もなかったようにその場を去る。遠ざかる僕の背に、彼女は唖然とした様子で「おおきに」とだけ応えていた。
***
ななしside
店の中に戻ってきた彼女は、私を見てふんわりと笑った。
「あぁ、びっくりした。でも親切なお武家はんがいて、良かったなぁ」
「すんまへん…助けに行かれへんくて…」
「そんなん…! ななしが気にする必要あらへんのよ、あないな人達が怖いんは当たり前やもの!!
箒、追い払おうと思うて、持って来てくれはったんやろ? ありがとう、嬉しかった。怪我もあらへんのやし、そないな顔せんとって?」
「はい……怪我が無くて良かった…」
結局、男達は誰かが通報してくれた町方によって、すぐに縛られて行った。一件落着である。
気を取り直すように明るい声で接客を始めた彼女に、優しい声をかける客らもいて、店の中は落ち着きを取り戻そうとしていた。
「ななしはん、お櫛があっち向いてはるわ」
「え、あ、ほんま。……こうどすか?」
「うん、ええ感じよ」
いつもと変わらない様子で振る舞う気丈な彼女に、ななしも安心する。しゃんとした背筋の彼女は、人としてすごく強い。
見習わなきゃ
ななしは全身を見直して、他に崩れたところがないかを確認した。
慌てて武器になるものを取りに行った時に、頭を軽くぶつけたから、その時に櫛が歪んだのだろう。もっとお淑やかにしなければ。髷に関しては一旦くずれると自分では直せない…かといって、他人にはおいそれと触らすことも出来ないので、慎重に取り扱わねばならない。
そんな、生まれて初めて、黒髪少女に変身を遂げたななしこと、矢代弥月である。
先程は、本当にバレるのではないかと、心臓が口から飛び出そうになった。私よりもっと危機感に見舞われていたのは、通りの反対側の店から、同じく一部始終を見ていた丞さんだとは思うが。
沖田さんが私に気付かず、店に入って行ったところまでは良かった。客の相手は看板娘の彼女が担当だったから。自分は専らお茶と、お団子を運ぶ係で、あまり喋らなくとも営業は出来る。
だがしかし、例の客の登場。
もう頭が痛かった。私は任務中であり、正面の店を見張っている身としては、できるだけ目立たないに越したことは無い。本当にどうしようか心底悩んだが、やはり彼女が無体を強いられているのは見逃せなかった。
多少騒ぎが大きくなろうとも致し方ないと、箒で一発殴って気絶させよう決起したところで、まさかまさか彼が動き出すとは。
烝さんも、慈善活動には絶対に腰の重い彼が動くとは、微塵ほども思っていなかっただろう。
ななしは使い終わった茶碗を片付けなから、先程のことを振り返る。
…正直、けっこう見直した
本当に、まさか彼が助けに入るなんて思っていなかった。しかも自らの腰にある刀でなく、箒なんて可愛らしいもので伸すとは。
更にありがたい事には、所属や名前まで名乗らずに、騒ぎが大きくなる前に去ってくれて、本当に助かった。彼が新選組と知られれば、対象が見張られていることを警戒する可能性が、高い状況だった。
「…だがしかし、最後は沖田クオリティ」
「えー? ななしはん、何や言わはぅた?」
「ううーん、ひとりごとー」
最後は町方まで引きずっていくか、せめて店から放り出すかしてくれれば、イケメン度3倍だったのに。そんなところが“らしい”といえば、沖田さんらしい。
本当に素材殺しっていうか、ね
そう思うと、自分を飾らなさでは斎藤さんに負けず劣らずなのかもしれない。ちょっとどころではなく性格がひん曲がってるのは、愛嬌というには質(たち)が悪いが。
「ま、良いところが無いわけではないんだよね」
自分に素直だが主君には忠実、ただし近藤さん限定。
剣技に対しては純粋に貪欲、あの弱者を見下すのは良くないと思うが。
人のことをよく見てる、盗み聴きも得意なようだ。
いつも笑顔で明るい性格、腹の中は真っ黒だが。
間違いなくひょうきん属、人を罵ってからかうことを楽しむ節があるのは頂けない。
根は真っ直ぐ、根性が腐っているが。
……
……
「…あれ?良いところあった?」
「あこ、みたらし四つね。なに? ええ人の話?」
「違います。その真逆の人の話どす」
「そうなん? なんや、気になるわぁ。また後で聞かしてなぁ」
彼女は笑って、また客席の方へと戻る。その彼女の背を見ながら、何にも考えてなかったつもりで、なんとなく笑いが漏れた。
嫌いな彼の、意外な一面を見たような気がする。