姓は「矢代」で固定
第一話 大切なものの守り方
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文久三年九月二十六日
朝四つ。
黒い髪ゴムで後ろに縛った金髪は、ここらではもうすっかり見慣れたもので。
ときどき新参隊士が「さ、触ってもいいっすか!?」と聞いてくるので、彼が苦笑いしながら頭を差し出すくらいのものだ。
今日は非番だったので、屯所の横の畑で株を引いたり、さつまいもの芋蔓を引きまわしたりして、一人で収穫祭を心の底から楽しんでいた。
すると平隊士が二人連れで押し合いへし合いやって来て。お互いを小突き合ってるから、何事かと思った。イチャつくなら他所でやれと指摘すれば、その件で。
最初は恐々触って、そのうち撫で付け始めて、もう良いだろうと思うこともしばしば。
「あれさー…最近髪手入れしてないからさー…
艶無くなってるのに、なんか手触り良さそうとか期待させて本当申し訳ない」
「はは!ええんとちゃいます? あちらはんが勝手に触ってみたいだけなんやから!」
弥月が顔回りの毛をつまんで、その先っぽを見ながら溢した愚痴を、楠は笑って返した。
ちょっと調子に乗って収穫しすぎたから、持って帰るのに四苦八苦していたところを、彼は笑いながら助けてくれたのだ。
楠さんがさつま芋、私が株と小松菜をそれぞれかごに盛って持ち上げる。
「そない気になりはるんやったら、荒木田はんに訊いてみたら宜しい思いますえ」
「あぁ、あのええ感じの着物きてはる人?」
「そうそう、なんや少うし値が張る言うてはったから……そういうのん詳しいんとちゃうかな思います」
ふーむ、成る程。美容系か…
帰った時に髪ボロボロだったら、兄ちゃんガッカリするかな……そうだよね、折角伸ばせるよう手入れしてくれてたのに…
…そもそも自分で手入れできない女ってどうさ。男の子のフリはしてるけども……男になりたいわけではないんだし…
「ん、じゃあ後で相談してみます。流石にボサボサは人として不味いような…ってあそこにいるのはタメ坊。
おーい、タメ坊!ストッ……ちょい待ちー!!」
振り向いたタメ坊に手を振る。手を振り返してくれた。
「どないしたん?」と首を傾げる楠の籠から、二三のさつま芋を拾い上げた。
「お裾分けです! 土方さんがしても良いって!」
「へぇ、そやからこないにぎょうさんやったんやな」
「…そゆことです! そゆことにしときます!」
弥月はニカッと笑って、タメ坊の元へ駆ける。
そのままあちらの勝手場持って入るのかと思いきや、タメ坊が「持てる!」と言い出したようで、弥月は迷った様子で籠ごと渡して、こちらが要る分だけ自分の腕に納めていた。
楠は前川邸の門の前からそれを見ていた。
スレとらへん、ええ子やなぁ…
ほっこり温かくなるような光景。
弥月の容姿に最初は誰もがビビッていたが、彼が思ったよりも『普通』だから、もう誰もここに彼が居ることに違和感はない。
寧ろ、緊張と恐怖と不安と焦りで、ともすれば気が振れそうな日々に、彼が普通の日常を思い出させてくれる。
「楠…」
「はい?」
ビュッ
「――っあ゛あぁぁぁ!!」
「え!?」
弥月は振り向いて、驚愕する。
そこでこちらを見ていたはずの楠が、背中から血飛沫を飛ばして、膝を着き、前のめりに倒れていく。
地に落ちた籠からは、中身が転げ出した。
その彼の後ろには、刃に赤を濡らした原田さんが居て。
倒れ行く組下の男の背を、やるせないような、諦めたような表情で見ている。
素朴な色合いの景色の中、鮮やかな赤色が舞い染める非日常は、時間がゆっくりとして見えた。
美しい 命の色
原田さんがこちらに気付いて、一瞬彼の琥珀色の目を向けられたが、その視線はすぐに逸らされた。
「ひっ…」
……!!
抱えていた野菜を落とし、タメ坊の頭を自身で包み込む。
弥月は彼らを背に、ギュッと目を強く瞑った。
楠さん…! なんで彼が…
「目瞑んなさい!」
そのままタメ坊を抱えあげて、ダッと八木邸の門へと走っていった。
今腕の中で震える子どもがそばに居たことに、すぐに気付けなかったことに後悔しながら。
***
原田side
土方さんたちから命が下って、俺はその足で楠を捜した。
あいつは良い奴だ。
長州の間者だなんて間違いであってほしいと思うが、それはもう立証済みで、俺も命令されて引き受けてしまった。時間が経てば殺りづらくなる。
声をかけたのは、せめてもの情け。
もし俺が殺気を放ったのに気付いて抵抗できたのならば、あいつはいつも俺らを警戒してたということで。偽りの信頼に、情なんて捨てられるはずだった。
だけど、その無防備な背中。
俺の呼びかけに振り向いた彼の顔は、ひどく穏やかな表情をしていた。
その原因はおそらくアレだ、と
視線の先にあったのは、楠と同じように野菜かごを持ったタメ坊と、両腕に野菜を抱えた弥月だと気付く。
目が合って、思わず逸らした。
決して悪いことをしているつもりはなかった。けれど、弥月の歪んだ顔と、責めるような眼を向けられて居たたまれなかった。
それでも、物分かりの良い彼は何も言わないのだろうと、どこかで思いながら。
タメ坊を抱きこんで、弥月が八木邸に入っていったのを、俺は目の端に移しながら、間者を蔵へと引きずって行った。
長州の間者として粛清されたのは三人。
ただ建前としては『芹沢一派暗殺の首謀者』と、予定通りすぐに全員へ通達された。
原田は蔵から出てくると、できる限りの息を吐きだし、外の空気を肺の奥底まで届くよう深く吸う。二三度それをしてやっと一心地がついた。
この中にいる時は、縛り上げる方の俺まで生きた心地がしない。
喧嘩でお互いが殴り合うならまだしも、一方的に打たれたり、炙られたりする光景は、人道を外れているとさえ思える。
そして、最後には必ず出されるあの薬。
どうしてあんな物の研究を、幕命だからって俺達たちがしなきゃならねえんだ…
汚れたのは手だけだったが、全身に感じる不快感を洗い流したくて、井戸へと向かった。
井戸から見える位置の濡れ縁に、弥月が座っていた。
俺が井戸に近づくと、彼はチラリとこちらへ顔を向けたが、特に何か言うでもなく手元へと視線を戻す。何をしているのか、手の中で細かい作業をしているようだ。
なんとなく声をかけ辛かった。
着物を脱いでサラシを解き、褌一枚になる。
すっかり寒空と言える時季だが、それほどには気ならない。
井戸の滑車がキィキィと回る音をたてた。桶を引き上げて手を洗い、それから肩から全身へ水を被る。
冷たい
もう一杯分、今度は顔から被る。
目を瞑った時に見えたのは、苦痛に歪んだ楠の顔。痛みからか、屈辱からか泣いて懇願した。
殺せ、と
外気に冷やされる身体は熱を失って。縛った髪から流れる滴が、背を滑るのにゾクッとした。
男の理性が失われていく様が、脳裏から離れない。
ポタポタと顎から滴る水に、なんの意味もない。
けれど、少し、気が楽になった。
もう一杯被った後、出しておいた手ぬぐいで身体をぬぐう。
そうして袴の紐を結び終えた時に、思いがけず声がかかった。
「…流石に子どもの前ではやめていただけると、ありがたいんですが」
淡々とした口調。だが、そこには押し込めた怒りのような感情があるのは明らかで。
…魂消た。てっきり、全く触れてこねぇんだと…
「…悪かった、俺の落ち度だ」
素直に謝る。あそこにタメ坊がいることは想定してなかった。
「…子どもには大人の都合なんて関係ないですから。あの年頃は良いことも悪いことも吸収しますのであしからず。
取り成すにも限度があるので、タメ坊との接触には気を付けてください」
そう言うと、弥月は横に置いていた雑具をまとめてスッと去っていく。
原田は弥月がそれだけを言うためにここに居たことに気付く。そしてそれほどに怒っていることに気が付いて、溜息を吐いた。
そうか、あいつ芹沢さんの事知ってるんだったか…
山崎と斎藤の報告から、弥月があの日の夜更けに壬生寺に赴いていたことは周知となっていた。
確信はないが、弥月は芹沢を暗殺する計画を知っていたのではないかと。
そのことに、土方がまた眉間のしわを深くしていたり、山南が笑みを深くしていたりしたが、弥月は芹沢の葬式にきちんと参加していた。
それ以降も弥月は特に何を言うわけではなく、隊務も変わらずこなしていると聞く。
よく動き、よく話し、よく笑う。
それは変わらず続いていた。
「唯一の吐き出しですね」
「…島田」
突如、屋敷の陰から現れた彼に少し驚く。
さすが新八のお墨付きとでも言おうか、なりはデカくとも監察をこなすだけのことはある。
彼は神妙な面持ちで言った。
「先ほど裏口の片づけに行ってきたのですが、殆ど終わった後でした」
「…なに?」
「途中から手伝った隊士の話によると、弥月君が血を屑紙である程度吸い取って、それから水を撒き、それも布で一度吸取ってから砂を撒いたらしいです。
板塀やら門にもすぐに水を撒いたようで、現場はわずかに地面に暗い色が残る程度でした」
「…あいつが片付けたのか」
誰が片づけるということまで気が回っていなかった。いつも監察がしているのだろうとは知っていたが。
思い返せば、あの時あそこには大量の野菜が転がっていて。弥月はそれを拾いに行って、片づけ始めたのだろう。
「作業中、彼は一言も喋らなかったそうです」
「……そうか」
嫌な役、やらせちまったな…
「…すまねぇな、島田らにも。いつも汚ねぇ所ばっかり…」
原田が俯きがちにそう言うと、島田はいつもの柔和な微笑みを向けた。
「…いえ、大したことではありません。自分にとっては大きな仕事を貰えていると思ってますので」
その優しすぎる声音に、俺はどうやら逆に気を遣わせてしまったことに気付き、嘘の笑顔とともに「そうか」と返すことしかできなかった。
その気まずさを感じさせずに言葉を紡いだのは島田で、
「山崎さんがあまりに心配するので、俺も気になってたのですが……少しずつなら言えることもあるようですね」
「…弥月か?」
「はい。『作業中、一言も喋らなかった』とさっきは言いましたが、『先ほど原田さんと話すまでずっと』というのが正しいですね。何を言おうか考えて考えて、出てきた結論があれだったんだと思います。
なんともまぁ、彼らしい内容というか、彼らしくない口振りというかでしたが」
「…まだ二十もいかない奴に、説教されちまったな」
ハハ…と俺は声だけで自嘲気味の笑いを溢す。弥月のいうことは最もだった。
「あれは原田さんが信頼されてるから、あの様に言えたんだと自分は思いました」
「…?」
「嫌なことから目を逸らして、のらりくらりと起こっている事を黙視していても、隊務はこなせます。
…寧ろ、理不尽なことに対する怒りなんかは、きっとそうした方がここでは生きやすいでしょう」
少し困った表情で彼は言う。
きっと俺らには届かない平隊士の不平不満なんかも、島田はよく知っているだろうことを察する。
「しかし、いつもはそうする彼が、今感じたままに原田さんにそれをぶつけた…
…言葉は選んだかもしれませんが、貴方が自分と同じ考えを持てる人だと思ったから、怒りを表現できたのではないでしょうか」
「…単に、俺の無計画さに腹が立っただけに思えたけどな……あいつ、子ども好きみたいだしよ」
「それでも……貴方なら受け止めてくれると感じたんだと思いますよ」
島田はにこりと笑った。
俺はある程度、弥月とは距離を置いていたつもりだ。
もちろん、何気なくは関わってきた。
平隊士とおなじように稽古をつけるだとか、平助を見かねて文字を教えるだとか、偶然居合わせて壁を外す手伝いもした。けれど、関心を向けたことはなかった。
弥月は関わった回数ではなく、その時の俺を信頼してくれているということだろうか
「…おまえら監察は本当によく人のこと見てるからな……島田にそういわれると、そんな気がして来るよ」
原田はそう言って、淡く笑う。
そして「ありがとな」と島田の肩を叩いて、自室へと戻っていった。