姓は「矢代」で固定
第三話 救われるもの
混沌夢主用・名前のみ変更可能
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文久三年十月二十一日
しとしとと降る雨。一昨日からパラパラと雨の日が続いている。
酸性雨じゃないんだろうな…
とか、賢そうなことも考えつつ、
「秋の長雨」
って言うと、やっぱアレだよね。
手に持つ、丸められた書状が、湿気を吸ってくたびれていた。
***
土方side
「ひっじかったさーん!」
…出た
障子に写る影。前は無断で開け放っていたが、「応」と言うまで入らないように躾をした。
実際は「面倒事に巻き込まれたくなかったらそうしろ」と言っただけだが。狡猾というか何と言うか、彼は自分がこれから来ることすらも、大声で知らせるようになった。
これまで幾度か見てきた、仰々しいほどの謝罪の仕方を鑑みるに、礼儀知らずのふりをしているといったところか。
――ったく……自分に不利になる事ばっかしやがるから、本心で何考えてるか分かりやしねぇ…
土方がそんなことを考えている少しの間、影は大人しく正座して待っていたのだが、なかなか居るはずの中から返事がないためか、「ひじかたさーん」ともう一度声をかけてきた。
「な」
「どうしたんですか。昼間っから、いけない本でも読んでました?
大丈夫ですよ、偏見無いですから! 兄は『これは男の栄養。無かったら死ぬ』って言ってましたし!」
…前々から思ってたんだが、いったいどんな兄…
「それに新八さんが懐に常備してるから、土方さんがそうでも全然不思議じゃないし、寧ろ平隊士さん大喜びで」
「大声で好き勝手言ってんじゃねぇ!!」
スパンッと土方が粗々しく障子を開けると、矢代はその音に少し驚いたようだったが、すぐに「いるじゃないですか」と、ニコリと笑った。
この男、現在山南さんの小姓というか、雑用係として使われている。山南さんは何も言わねえが、恐らく腹の傷を気遣ってやってるのだろう。
小姓を始めた日から、稽古にも積極的に参加しているようだから、もう次の所に出しても構わないと俺は思うが。
「何か用か」
「秋の長雨ですよ。アレしたくなりません?」
「……アレ?」
「『花の色は うつりにけりな いたづらに』」
「…『わが身世にふる ながめせしまに』」
「おお! 流石、ほうぎゴッ」
俺が手に掴んでいた紙くずを、至近距離で投げつけると、矢代は見事に顔で受け止めた。だが、彼は顔を顰めることもなく、「暴力はんたーい」と言いつつも、大して気にしていないようだ。
せめて怒るか、不機嫌になるか、反省するかの顔になれば、こっちも相手のしがいがあるものの。言い募る気も起らず、なんとも毒気を抜かれてしまう。
「歌留多がしてえなら、八木さんとこの餓鬼とでもしてろ」
「できませんて、あいうえおカルタでもなきゃ!」
「…百人一首も知らねぇのか?」
「じゅげむなら言えますよ! じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいざりすいきょのすいぎょうま」
「そうか。そりゃ噺家にでもなれ」
襟首を掴んで、軒先にポイと棄てた。
ピシャリ
「待ったまった!! 土方さん! 私、 お仕事! 山南さんからの預かりもの!!」
「…先に言え」
今度は彼を部屋に招き入れる。
本当に機密事項のものは山南さん自身が持ってくるが、大して重要でないならば、彼が書状を運ぶことがある。
まぁ…それも、もし途中で開けたら分かるようにしてあるけどな。
稀に偽の書状も混ぜて、山南さんは矢代を試しているようだが。開いた痕跡も無ければ、騙されることもない。
警戒してるだけか?
「言付けがあれば承りますが?」
彼はそう言う間にも立ち上がって、部屋の角に積んであった座布団を一枚掴んでいる。
「下がっていい…いや、下がれ」
「はーい」
座布団は重ね戻された。
…危ねぇ、またここで寛がれる所だった
言葉の裏の意を汲む気がないのか、「下がれ」は命令形でないと、当然のように無駄にくっちゃべる。
今日はまだ書状片手にだからマシな方で、昨日なんかは茶を片手に長居する気満々だった。あの厚かましさは、どこぞの聞き分けの悪い男も顔負けだろう。
「失礼しました~」
スッと静かに障子が閉じられる。粗っぽい開け方と、どっちが態とやっていることなのか。
「山南さんもいったいどんな指示出してんだ…」
***
山南side
「ただいま戻りましたー!」
自室で薬事書を読んでいると、外から元気な声が聞こえてきた。入るように促すと、思った通りの明るい笑顔をした彼女が居る。
「おかえりなさい。今日は早かったですね」
「帰れって言われちゃったもんで。それにちょっと忙しそうでしたし。でも、ちゃんと『一叫び』はされて来ましたよ!」
「よくできました。彼はここしばらく籠りがちですからね。定期的に発散させてあげないと」
「でもこの作戦、逆に苛々溜まりません?」
不思議そうに首を傾げる、弥月君。
彼女が私の部屋に出入りするようになってから、まだ日は浅いけれど、なかなかによく働く。指示を把握するとこちらの意を汲んで、よりよい方法を考えようとしてくれる。
私としては、このまま小姓として置いておきたいのですが、ね
「この作戦が藤堂君とかならそうなるでしょうが、貴方なら大丈夫ですよ」
弥月君はきょとんとして「なにゆえ?」と言ったが、私はクスクスと笑った。
「貴方が狡賢く、不可解な人間だからですよ」
「……それ褒めてます?」
「えぇ、大いに」
山南が頷いて肯定すると、弥月はしばらく不満気な顔をしていたのだが、溜息を吐きながら肩を竦めて、まあ良いかという表情をした。
喰えないのはお互い様ですからね
使い勝手の良い彼女を小姓にしたいのは山々である。
だが、私が変若水に最も近い存在だから、土方君はそれを了承しないだろうし、彼女もそれを望まないだろう。私も要らぬことをして、彼女が危険な目に合うのは忍びない。
それに手元に囲うよりも、ある程度自由にしておいた方が、面白いものをみせてくれるに違いない。
「さて、こちらもお陰様で片付きましたので、稽古の方に戻ってもらって大丈夫ですよ」
「山南さんは? 今日は一緒に稽古しないんですか?」
ここのところ、弥月君と一緒に部屋にいることが多く、度々道場に連れだっていた。噂は聞いていたが、彼女と竹刀を交えたのは一昨日が初めてで、まだ伸びしろの有りそうな彼女に期待している。
「お誘いは嬉しいのですが、すみません。研究の方も滞ってまして、それも片付けてしまいたいもので…」
研究が片付く見通しなどついていないのだが、報告書を上げなければならないのは事実だ。
山南が眉尻を下げて、申し訳なさそうに断ると、「大変そうですね…」と気遣う言葉が返って来た。
「趣味ですから。実益も兼ねてますしね」
彼女には「薬の研究をしている」と伝えてある。最初は何の薬か僅かに興味を示したものの、東洋医学や薬学といったものには、彼女は明るくないそうで、彼女はたいして興味がないようであった。
それは彼女にとっても、私達にとっても幸いだったのだろう。
それじゃあと腰を上げた弥月だったが、「あ」と何か思いだしたようで、座ったままの山南を振り返る。
「そういえば、山南さんはあの試合参加しないんですか?」
「…試合、とは?」
「勝ち抜き戦のやつです。さっき私も『参加しないか?』って訊かれたから、一応参加表明はしといたんですけど、実際今の状況で勝てるか…って感じで」
ため息を吐いた弥月君。
いつも逃げ腰で、何事にも関心無さげな風を装っているが。刀を振る事に関しては、負けず嫌いを隠しはしない。
「報奨金出すって言うし、減俸された身だと賞金は欲しいところかなー…って」
…報奨金、ですか
「それは誰から聞いた話ですか?」
「新八さんからですけど?」
「そうですか。貴女が参加するというなら、私も考えておきましょう。ですが、報奨金の話は頂けませんね」
「…え?」
「『金策するべからず』ですよ。土方君の耳に触れたら、皆さんまとめて切腹でしょうねぇ」
無言のまま、徐々に顔色の悪くなっていく彼女を見上げて、山南はフフッと眼鏡を押し上げながら笑った。
「――っ公式試合じゃなかったの!?」
「そうですね。私としてはどうしてそう思われたのかを、貴女に問いたいところですが」
「え…だって、えっ…」
「正直に仰いなさい」
半笑いで狼狽える弥月に、山南は一旦立ち上がって歩み寄り、肩を押してその場に座らせる。そして自分も、彼女と膝を突き合わせるほどに近くで座った。
「…参加メンバーが…」
「はい、参加していたのは誰でしたか?」
「……新八さん…」
「それは先ほど聞きました。他にも居たのでしょう? それなりの役職を持っている、平隊士以外の方々が」
激しく目を泳がせる弥月君。わずかずつ顎が上がって、どこでまで真実を露呈させるべきか、考えてるのが丸分かりだった。
嘘を吐くのが上手な時もあるかと思えば、これだ。
予想外の事態にも、冷静に判断してもらいたい所ですが…
「…あ…安藤さん…」
「と?」
「…と………平助」
「と?」
彼女の手がかすかに震えていたのを、可笑しく思ってしまった。
心の中では、さぞ痛ましい程に、激しい謝罪が行われていることでしょうね
仲間思いの彼女を、私はやはり好ましく思っているのだった。