姓は「矢代」で固定
第三話 救われるもの
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文久三年十月十五日
たぶん解熱した。勘だけど。
排膿はまだあって、それなりに傷はエグい状態だし、チクチクズキズキ痛む。でも、烝さんが思っていたよりは回復が良いらしい。日頃の行いに違いない。
神心というらしい、大層な名前の漢方をサラサラと口に入れる、これは貧血薬。それから「ズズズ…」と音を立てながら、甘草やら桂皮やらを溶かした、やたら不味い薬湯を啜った。
これなら勝手場の不味い茶の方がましだが、痛み止めだそうだ。このワガママ娘のために、烝さんが改めて薬学書を紐解いて、わざわざ用意してくれたのである。
「ズズズ……ありがたや、ありがたや」
「…そう思ってるなら、そういう顔をしてくれ」
弥月は湯呑みを啜りながら、上目使いに渋い顔のまま彼を見た。仕方ないじゃん、苦い。
「会議が終わったら誰かが呼びに来るそうだから、副長の所へ行くように」
「はーい」
ということは、四半時後くらいだろうか。
空になった湯呑みを受け取って、処置の道具を片づけて出ていく彼を、そのまま寝床で見送った。
弥月が高熱で倒れた日から、今日で五日目だったが、結局、今まで土方からの呼び出しはなかった。
一方で、山崎は向こう三ッ月の減俸が決まっている。弥月としては、自分の過失だからと抗議をする気だったのだが、彼に「軽い処分だから」と宥められた。
烝さんは私の状態について、土方さんに少し大袈裟に話したのではないかと思う。じゃなければ、土方さんが五日も休暇をくれるなんて変だ。あの人使い荒い鬼が。私が土方さんの体調を心配するわ。
…それとも………忘れてたかな
そんな気もする。最初一、二日は優しさだったのかもしれないが、残り三日は忘れられていた気がする。
ボスンと仰向けに、布団の上に倒れる。
ついに逃げずにここに居てしまった。我が事ながら、危機感が足りていない気がする……それもこれも、彼らが優しすぎるせいだ。なんだこの居心地の良さ。
「…死にそうな目に合ってるのになぁ」
そんなことになったのはここに居るせいなのに、それでも彼らが助けてくれるから。
……
……
「うあぁ!止めやめ、朝から湿っぽいのヤめ!!」
山南さん曰く、とりあえず今回の件で打ち首はほぼ無いと考えて良い。烝さんで三ッ月減俸だから、タダ働きとかの嫌な臭いがするが、今無理を押して脱走するよりは、処断を聞く方が断然マシだろう。
「はぁ……お呼びがかかるまで、作業してますか」
体調は本当に良くなっている。
そんな状態で、痛みにうんうん唸ってるだけなんて、性に合わない。転んでも只では起きない派。自販機の下の10円玉探す。
ピ・ロ~ン♪
「…うう、お久しぶりです、MYスマホ様」
久しぶりに聞いた無機質な電子音に、懐かしさがこみ上げる。なんかもう、こいつが懐かしの友達みたいな気がしてきた。あれだ、蹴っても投げてもボールは友達。
タイムスリップした初日は80%充電だったこれも、その日に遊ばれ続けて、すぐに残量がわずかになった。そこで重大な失態を犯したことに気付いた私は、即座に平助の手からそれを奪い取って、電源を落とした。
それを今、取り出した理由
「…思い出したんですよ、慶応で戊申戦争ですよね」
イチゴケーキ、15第将軍徳川慶喜、その年号は慶応。そして明治維新の前は戊申戦争。
今まで何度首を捻っても、ド忘れてしてしまって出てこなかった戦の名称は、先日突然に閃いた。この脳みそ、そろそろ筋肉になってきたかと思っていた。
色々考えたが、いつ落ちるかわからない残り少ない電池を使ってでも、絶対に知っておかなきゃいけないのは、これだと思う。
こんなとき、オフラインで使えるようにしていた国語辞典様様だ。
ノートを横に広げて、カチッとボールペンを鳴らした。
『慶応:1865,4,7~1868,9,8 元治の後、明治の前。孝明・明治天皇の代』
『戊辰戦争:1868(慶応4年) 戊申の年に始まり、維新政府と旧幕府軍の間に十六か月余にわたって行われた内戦。正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、4月に江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主義派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に10月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点函館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治国家確立への途が開かれた』
さっと目を通して、走り書きを始める。もちろん全てを書き写しはしない。
もし見られても大丈夫なように…
慶応は…よし。戊辰、1868(慶4)、鳥羽伏見、4江戸城、10会
ピロロン
「え」
残念そうな音が鳴った。
「ぇあ゛あ゛ああぁぁぁあ!!? え、ちょっ、ちょい待ちぃな!! うあぁ馬鹿あぁぁ、五稜郭何月だよおぉぉお約束かよおおおぉぉぉ!!?」
ガラッ
「うるさい」
ボスッ
「――ふっ! 甘いな、沖田さん! そう私が何度もやられると思うなかれ!!」
戸を勝手に開ける人など限られている。瞬時に背後の嫌な気配を感じて、咄嗟に横へ転がれば、布団に落ちてきたのは硯(すずり)。すぐに拾って投げ返した。
沖田はそれを受け止めると、不快感も顕わに私を見下ろしていたが、何も言わずに自室へ戻っていく。
「…あ! 沖田さん、会議終わったってことですよね!!」
「馬鹿なの、当然じゃない」
その後に、平助が「今すぐ来いってよ」と声を掛けに来てくれた。てっきり沖田さんが、呼び出し係を命じられた腹いせに、硯投げたのかと思ったのに……危うく、ぶつけられ損になるところだった。
今後、沖田さんの気配だけは、絶対に間違えないと誓う。
トトト… スパンッ
「呼びましたー?」
「馬鹿野郎!そのまま開ける奴があるか!!」
「…だって『今すぐ来い』って言われたんですもん」
睨まれた。まあ当然だけど
弥月は少しばかりドキドキした心臓に気付かれないよう、何食わぬ顔で笑う。これでいつも通りの"矢代弥月"のはず、と。
それを知ってか知らずか、 土方さんは手元の物へと視線を戻した。切りの良いところまで待てということか。
何も指示されないので、弥月は障子を閉めて、彼の後ろに座る。
「…山南さんが来るまで大人しく待て」
「はい」
やっぱり親切丁寧なんですよね、この人。ツンデレですか
基本いい人なんだよなぁ…と思いながら、黙々と事務処理的な仕事を続ける土方の後ろで待つ。
そうすると、何もすることが無いわけで。ぼんやりと土方さんの後ろに居て、ふと気になったことには……彼が、壁に向かって物書いていること。すごく背中が無防備な感じがする。
前はこんな配置じゃなかったんだけど…
「こっちに背中向けてて、気持ち悪くないですか?」
「あ゛ぁ?」
「なんでもないっす」
やっべ……すっごい機嫌悪い
不自然にならないよう普段通りを装ったが、もはや普段通りだと怒らせてしまうのは必須。
これ以上彼の頭に血を昇らせるのは不味いかもしれない。「つい」で首を飛ばされてしまうか、彼のそのこめかみに浮いた血管が切れるかし…………ん? 私、いつも怒られてるくない?
最近、土方さんと会って、怒られなかった日があっただろうか。
これは私が悪いのか、土方さんのカルシウム不足か……牛乳か魚…そういやここ乳製品って無いよねー……チーズ食べたいとか贅沢は言わないけど、なんかこう…クドイの食べたくなってきた
すき焼き屋はあるとか言ってたけど、やたら高いらしいし…牛乳ないのかな? 牛乳あったら、ホモ……ホモがなんちゃらかんちゃららしいけど、搾ったままの牛乳って振ったらバターになるよね、確か。
あ、いや、でもバターあったところで料理とかできないし…焼き菓子なんか作り方覚えてないし…バター料理……
「…あ!」
ポンッと手を打つ。
ほうれん草のバター炒めくらいなら、私もできるくない? バターして、塩しておーしまい! うんうん、レバーの代わりにほうれん草摂れて、一石二鳥じゃん、超天才
「…てめえ、何で自分が呼び出されたか分かってねぇのか」
わずかに振り向いた土方さんが、いつもより幾分低い声でそう言った。ちょっと何の話かと思った。危ない。
「やだなあ、分かってますよ。そろそろ沢庵できごろですよ。楽しみですね」
「おっ、そう……じゃねぇ! ちっとは反省してやがれ!!」
「えー……なんで反省してないことに、なってるんですか。もはやそれ言いがかりー…」
「――っどこに反省しながら、笑顔で手を打つ奴がいる!!」
「あ…いや、つい」
やっばい、またやっちゃたよ。烝さんに怒られるわ
弥月はえへえへと緊張感の無い顔で笑った。
***
土方side
どこが敗因か……監察方の部屋に放り込んだことか。人の善い斎藤や山崎に、見張らせていたことか。そもそも、あの日こいつを拾ったことか。
今でも記憶に鮮明に残る、この金髪を見たときの衝撃。
噂に聞く、これが異人って奴かと思えば、その「天狗のようだ」と聞く特徴が全くなく、かなり間の抜けた面をしてやがった。
しかも「痛いってば、縛り過ぎだから!引っ張んな、自分で歩けるから!!」などと、随分と俗物的で流暢な日本語を話した。
独りでギャアギャアワーワー騒いでるだけかと思いきや…な
この男の他者を巻き込む力は凄まじい。
隊務に出して一ッ月半、放っておいても尻尾を出すと思っていたが、出たと思えば誰かが横から代わりに隠す。騙される者や、引き込まれる者が少ない内にハッキリさせたい。ただでさえ脱走者や間者が絶えないのだ。
責めの一手が欲しい
そう思い……まあ、監察の人数も足りていなかったこともあって……潜伏を命じたわけだが。このなんとも評価し辛い“限りなく黒に近い灰色”という結果。
今回の任務失敗は、矢代が態(わざ)としたとは断定しきれなかった。なぜなら彼に当たらせた“密会”が、予想外に規模の大きなものだったからだ。俺自身、そんな冒険に挑んだつもりはなかった。
…せめて逃がすだけにしてくれりゃいいものを…
今まで以上に微妙な結果を出したせいで、「いっそ絞めりゃ分かることだろ」と俺は言うのに、山南さんに「決め打つには早いのでは。鳴かぬなら鳴くまで待とう、ですよ」と言われてしまって、返す言葉もない。
何なんだ。どこまで態とやってるのか…
そう溜め息を吐きたくなって、当然だろう。
俺が出張から戻ると、傷が膿んで熱を出しているとのことだった。また倒れられては迷惑だと、謹慎ついでに一日休暇を与えてみた。勿論、次の日には呼び出そうと思っていた。
けれど、次の昼間に手が空いたので、自ら納戸に様子を見に行った。すると戸は開け放しのままで、矢代は中で寝ていたのだが……その顔が失血のせいかあまりに青白いのを見て、既視感を覚えた。
あれだけ「死にたくない」と連呼しているのにも関わらず
平和に生きていれば至って健康そうな人間なのに
彼はこの二カ月半で、二度も死人みたいな顔をしていた。
どうして彼にこの矛盾が生じているのか。
彼が自らは望まないだろう無茶なことを、俺達はやらせている
だが、俺は「隊士として扱う」と言い、こいつもそれを了承した。だから俺は、隊士が最もその能力を活かせる場所に配置すれば良い。それは新選組のため、引いては近藤さんのために。
それが俺の最も優先すべきこと。一人一人への情に流されていては、強い武士の集団など作れない。
その次の日も謹慎ってことにして……その、なんだ、昨日は忙しかったからな。矢代ごときに構ってる暇はなかったんだ……忘れてたとかじゃねぇ……
…まあそういう訳だから、処分の通達を今日にしたんだ。体調も良いって聞くしな、丁度いいじゃねえか
筆を滑らせながら、大丈夫、不審な所はない、と自分の行いを振り返る。上に立つってのは面倒なものだ。
「あ!」
突然、その声とともに、『思いついた』とばかりに手を打つ音。
土方はそれを僅かに首と目線だけ巡らして確認したが、彼の顔はどう見ても、任務失敗の件とは関係ないことを考えている、爽やかな笑顔だった。
こちとら、てめえの処分について考えていると言うのに、この張本人の呑気さ。本当に、敲(たた)きの一回や二回したって、俺にバチは当たらないんじゃないかと思う。
「あ、いや、つい」
へらへら笑うのは、彼なりの世生術か。…これと「似ている」などと言われる覚えはない。
この後、何言われるのか、想像もしてねえんだろうな。
山南さんの悪趣味は今に始まったことじゃねえから、『総長補佐』がどんな無体を強いられようと、俺のせいじゃない。
山南さんがこいつの怪しくない所を信じるというのなら、俺はその分、怪しい所を疑ってかかるだけだ。
***