姓は「矢代」で固定
第三話 救われるもの
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
文久三年十月六日
「う゛う゛うぅぅぅ…」
まずは水洗い。これが辛い、のたうち回るくらいに沁みる。
次にアロエのゼリー状の部分を傷口に塗る。その上から、ヨモギの葉を揉み熟した物を塗る。これは効くと信じている……そう、信じる者は救われる。信じなさい、信じなさい。
そして和紙を挟んで、清潔なサラシを巻いて固定。
「…終わりだ」
「ァ…ありがとうございました」
くたりと全身から力を抜く。右わき腹がズキズキジンジンと強く痛む。
この時代なりの治療法……殺菌効果がありそうなものとか、明らかに間違ってそうな方法でなければ使ってもらう。湿潤療法の知識はあるが、こんな大きい傷に使って良いものか分からないので、折衷案でいこうと思う。
具体的に『明らかに間違った治療法』が存在すると知ったのは、某筋肉男が「しょんべん掛けときゃ治る」とか、信じられないことを言ってくれたからだ。
傷の第一発見者があの人じゃなくて良かった。間違いなく発狂してた。
「灰もあるが……本当に、これだけでいいのか」
「はい。良いです」
灰については、鳥インフル騒ぎの時に『殺菌効果がある』と兄が言っていたので、効果は期待できるが、如何せん正しい使い方が不明。
「傷口に塗りこむ」などと言われては、まず灰の原料が何か疑わしい。アロエは洗って使うから、清潔だからまだまし。きっと、たぶん……信じなさい。
「痛くて眠れてないのだろう?」
「え…あぁ、えっと、まぁ…一応、寝てはいるんですけどね。熟睡とは言い難いかな…」
「やせ我慢せずに、鎮痛薬を使ったらどうだ。
君が欲しいといった漢方は今品切れで入荷に時間が掛かるそうだから、今は阿芙蓉(あふよう)と芥子(けし)しか用意できないが…」
「それは断固拒否します」
入眠できないのも去ることながら、いくら寝相の良い私でも、身じろきをするだけで激痛が走るので、おちおち寝ていられやしない。寝てる時に足が攣ったどころの騒ぎではない。
そんな状況でも、どうしても、いくら烝さんが「大丈夫」と言っても、首を縦には振らないと決めていた。阿片と大麻の鎮痛なんて後が怖い。ダメ、違法麻薬、絶対。
絶対に要らないと首を横に振る弥月の強情さに、山崎は半ば呆れつつ治療道具を片づける。
すると、ドタドタと複数の足音が聞こえてきて、
「おーい、弥月。起きてるかぁ?」
戸の向こうから声をかけたのは平助だった。
返事をすると、相変わらず立てつけの悪い音を立てながら、戸が開く。するとそこには思った通り、平助、新八さんと左之さんが連なっていた。
「あ。終わっちまったとこか」
「なんだよ、弥月。折角包帯変えるなら、見せてくれりゃあ良いじゃねえか」
「どうだ弥月、怪我の具合は」
「…具合は変わらず痛いんですけどね……一応、お三方が何をしに来たのかお伺いしときます」
「だからよお、初モノだろ? 新選組で銃創つくった奴は!」
「これは一偏拝んどかなきゃだよなぁ、左之さん!!」
「おう、傷は男の勲章だからな」
こいつら…
「…交換終わったところなんで、それはまたの機会に。はいはい、えーとか言わない。稽古とか巡察とか仕事してください、仕事」
ひらひらと手を振って追い払う。この前からこの調子だ。いい加減にしてほしい。
人が痛がっているのを楽しんでないか。後ろ傷でなければ、死ななきゃ何でも善いのか、特にそこの切腹傷。
…なんて、のんびりしてたのは受傷二日目までで。
文久三年十月七日
「…うっ……はぁ…」
暑い。
夕方までの傷の熱っぽさだけじゃなくて、全身熱い。
なにこれ、熱出てきたっぽいんですけど…
身体全体がだる重い。横になっているのに、しんどい、ツライ。
しかも、眠たいのに、痛みが増していて寝れない。昨日までは身じろきしてズキズキ程度だったのに、ちょっとした動きで刺すような激痛が走る。どうして痛みが酷くなっているのか。
これは…SOSするべき?
烝さんが『なにかあれば呼んでくれ』と、戸を開けて行ってくれた。…まあ確かに監察部屋は遠くはないのだが、そこまで聞こえるくらい叫んだら、幹部全員起きるだろう。それとも彼はSOSならどこからでも聞こえる、アンパンマン的な何かなのか。
そういやどっちも体力回復系だし……じゃあそれを指揮するジャムおじさまは、ひじ……だめだ私、脳まで沸いてきたかな……
「…うん、なんとかして寝よ…」
そう口にはするものの、アドレナリンでも出まくっているのか。眠たいのに妙に目が冴えて、頭の中が静まらない。とりあえずは目を閉じて、暗闇に落ちる。
そうして暫く頑張っていると、自然とウトウトとはする訳で。なんとか半分は意識を手放しつつ、残った半分で痛くないように体勢を変える。
「…う゛っ…」
浅い眠りのせいか、悪い夢をみた。
苦しむたびに意識が戻って、現実の痛みに悶える。
薄目を開けるたびに夢だと気づいて安堵するのに、苦しい感覚だけが残っていて。再び目を閉じても、それが続かないことと知っているのに、ずっと苦しさだけが溜まっていく。
「う゛…んっ……」
全身が痛い。
焼けるように熱い。
「……ん゛…」
苦しい
「…ぐえっ!!」
「うるさい」
「ーーーッウ!――う、おっ…なっ、なななんですか!? 何なんですか!?」
一瞬、息が止まった。突然、腹の上に降りかかってきた、あまりに重たいそれに目を白黒させる。
夜着から手を出して確認すると、それの手触りは滑らかで、ものすごく硬い。
「うーうー煩いって言ってんの。今何刻だと思ってるのさ」
やっと状況が飲み込めてきた。沖田さんが私にこの謎のブツを投げてきたのだ。
なにこれ、石…すべすべ……漬物石!? 漬物石投げるか普通!?
浅すぎる眠りに酷く魘(うな)されていた自覚はあるから、実際問題、彼に迷惑だったことは認めよう。それは私が悪いとは思うが。
「それは、すみませんでした!
だけど、流石にこれ投げるのはどうかと思うんですけど! もう少しで傷に直撃だったんですけど!!」
もしそんなことになれば、どうなっていたのやら。直撃はしなかったものの、周りが潰された影響で、患部も悲鳴をあげている。
実は結構、かなり、痛い。声を張ると、さらに痛い。
だが、彼は私の怒りなどどこ吹く風で。
「それ、戻しといてね」
「はあ!?」
私がすぐに立ち上がらないのを良いことに、彼は自室では無いどこかへと去っていった。
はああぁぁああ!!?
瞼は重いのに目は覚めた。「なにあれ、最悪」と思わず呟き、眉間に皺が寄る。
そして私の膝の間に残った、でかい石。
「…これ、沢庵漬けてた石だし」
糠臭い。
むぁんと漂う臭いから、妙な疲労感に見舞われて、がっくりと項垂れる。
この前、源さんが干していた初物の大根を、漬物にするのを手伝った。沢庵にするらしく、土方さんの好物だそうだ。
私的には、地元民として聖護院大根の千枚漬けも捨てがたいが、沢庵も好きだ。手作りの沢庵を、すごく楽しみにしている。
「…戻して来なき」
どっこらせと腰を上げて、石を抱える。
まじで意味が分からない。嫌がらせのためになら厭(いと)わないって云う、沖田さんの労力の使い方。
「あ゛あ、腹に効くわ」
おこ、まじおこ、げきおこ
勝手場の隣の倉庫にそれを戻して、そのまま部屋に入ろうと思ったのだが、やっぱり手が糠臭い。嫌いじゃないが、臭い。
弥月は大きく溜息を吐きながら、井戸に向かった。
滑車を引き上げて、手を洗う。ついでに汗もかいていたので、顔も洗う。熱い身体に、冷たい水が心地よかった。
ポタポタと顎から落ちる水を袖で拭う。
「ふぅ……今何時なんだろ…」
頭が冷えた。まあ何時でも構わないか…と部屋に戻ろうと、ふっと顔を上げたのだが、
――っあ…やばい、かも…
グワンと世界が揺れた。刹那、音も色も何もかもが、自分の知覚から離脱する。
井戸の淵に手を付いて、ズルズルとそこにしゃがみ込んだ。
自分の状態が感覚的に分かって、息を溢すように、皮肉った風に唇だけで呟いた。
「…元気だけが…」
取り柄なんだけどな
残りを声にする気力がなかった。
貧血で高熱って、こんなにしんどかったっけ?
こめかみ辺りがドクドクと脈打って、ぼうっとした頭で考える。
そか、抗生剤とか無いんだわ…
どうにもしんどくて、腰を地面に着ける。汲んだ時に溢した水が着物に浸み込んできて、お尻が冷たい。そうすると、段々と全身が冷えて来るのを感じる。
…寒いけど…駄目だ、頭働かないし……眠い……
やはりこめかみ辺りが痛くなってきて、それに釣られて目を閉じると、突然に意識が途切れそうになった。
足首とか手首とかから冷えていくのが分かる。こんなところで寝ては駄目だと思うのに、どうにもこの弱い意思では身体は言うことを聞かない。
…一晩ここで寝たくらいじゃね…死にやしないか……
けれど、意識を手放そうにも、寒くてそれができない。
薄目を開けて、自分がどこに座り込んだかを改めて把握するが、この身を包める物などない。仕方なく弥月は、自らの熱を逃がさないように小さく縮こまって、重たい頭を井戸の淵に預け、ゆっくりと目を閉じた。
肩が冷えた井戸の淵に当たる。
…これで風邪ひいたら、怒られるかな……
ほぼ働かなくなった頭の片隅で、僅かにそう思いながら、弥月は意識を繋ぎとめておくことを諦めた。