第一話 大切なものの守り方

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偽名


文久三年九月二十三日



 八木邸で、文机の前に座って正座すること四半時。


「けふこえて、はい」

「けー、ふー、こ、えー、て!」

「うまいうまい。あさきゆめみし、はい」

「兄ちゃんボクもー」

「タメ坊、『て』が逆さまや。よう見て書きぃ」

「あー、さ、き、ゆー」

「金ちゃん、ちゃうちゃう!『ゆ』はここ繋がな!」

「ゆー、ゆー、ゆー」

「うん、そうそう。あ、『し』はもっとこうシュッとした方がええ!」

「しー、しー、しー」

「兄ちゃん!できたえ!」


 先生はタメ坊。ユウ坊と二人で横に並び、紙が墨で真っ黒になるまで筆を進ませる。
 全く読めないミミズののたくった平仮名を、ついに練習し始めた。
 
 監禁されていた時に、一度山南さんに漢文のようなものの読み方を教わった。それから色々書物など手に取ってはみたが、読めない字の多さに諦めたというより、考えることに飽きてしまった。そのうちに部屋に籠もっている必要もなくなっため、長らく手にしていなかった。

 だが最近、その『分からない字』の殆どが平仮名だと知って、ついぞ危機感に見舞われたのだ。

 だれに教えてもらおうかと考え、思いついたのは寺子屋で。



「土方さん、寺子屋に通わせてください。文字が読めない。」


 と申し入れたところ、


「仮名のひとつふたつなら、誰か捉まえて教えてもらえ」


 と言われてしまい、色々と考えた結果タメ坊に頼んだわけなのだが。



  甘かった……一つ二つどころか、四十七字でも済まなかった…



 ひとつの平仮名の書き方が二種類以上ある。あの現国のデモシカ先生、『あが安』、『かが加』とか言ってたのは嘘かこのやろう。『り』なんかに至ってはとりあえず三種類覚えたばかりだ。
 他にもまだあるらしいが、書き過ぎて崩し字ならぬ、ゲシュタルトが崩壊する。本当にここは日本か。


「ありがとうございましたー、お邪魔しましたー」


 炭と筆、硯と紙とを風呂敷にまとめて、八木家の夕餉前には退散する。


 そうして、自室に戻って片づけをしていた時、


「おーい、弥月! 居んのかー?」

「ん、平助? 良いよ、どうぞー」


 戸を開けてそこにいたのは、平助と左之さん。「なんだ、普通にいるじゃん」と頷きあう二人を、どうしたのかと思って見ていると。


 「いやな…」と左之が前置きして話し出す。


「珍しく三日続けて稽古の後に文武館いねえから、調子悪いのかって話してたんだよ」

「あぁ、なるほど。…いえ、すこぶる元気なんですけど、ちょっと八木邸の方にね」

「なんだよ、遊んでたのか?」

「違うって。タメ坊に平仮名教えてもらってた」


 その言葉に、不思議そうに左之は首を傾げる。


弥月、本読めるんじゃなかったか?」

「え、読めねぇんじゃなかったっけ? 総司が読めねえって…」


 軟禁生活を送っていた頃、数冊本は貸してもらっていた。
 漢文なのか、正方形の枠におさまりそうな綺麗な字が並んでいる本は良かったが、走るように字が書かれたものは全く理解不能で。

 沖田さんに渡された句集は大まかには読めたが、読んでも面白くなかった。今にして思えば読み間違いが多すぎて、意味が分からなかったのだと思う。

 弥月が漢字も平仮名もときどき読めないことを伝えると、二人はそれは勉強した方がいいと頷いた。


「なるほどな。で、これが手習いの経過か」

「オレも見てぇ」

「あぁぁ!ちょっと待って、下手だから!!」


 制止の声を聞かず、そこにあった使いさしの紙を手に取る二人。


「なんか…」

「…なぁ」

「分かってます!分かってますから!! 上手かったら『意外に上手いじゃん』って言いますもんね!!えぇ、下手なんです!そうなんです!!」


 字の上手下手の区別は自分にはできないが、どうしても知ってる字は明朝体っぽくなるし、たぶん自分は下手の部類なんだと思う。筆も使い慣れない。
 最近は字と言うより、もはや記号を書いている気分だ。


「…あ、お二人。もし暇だったら今から五十音表作るの手伝ってもらえません?」


 今からそれを作るつもりだった。
 毎日八木家を通ってミミズを書きなぐるより、元の漢字と一緒に一覧表を覚えた方がいいことに気付いたのだ。

 そんな面倒くさい提案を、簡単に承諾してくれたのは平助で。


「別にいいけどさ。んなの、本あるんじゃねえの?」

「私用に作るの。私が使う文字と照らし合わせた一覧表を」

「なるほどな…しゃーねぇなあ。手伝ってやるよ!」

「おい、やめとけって平助!お前、字汚えじゃねえか!」

「え゛…」



  そうか。それは困るかも



 折角の申し出だが、そこを考えていなかった。
 そもそも考えてみれば、現先生であるタメ坊の字も、読みを覚えるのには構わないが、真似して良い字かどうかは自分には分からない。折角なら綺麗な文字を手本にしたいところだ。


「左之さんは?」

「…俺も、あんまり自信ねえ」

「左之さんもオレと似たようなもんだろ!」

「えー…」


 「悪いな」と言う左之に、弥月は口をへの字に曲げる。



「じゃあ、誰に頼んだらいいですか?」

「そうだな……字が綺麗といえば土方さんなんだが……」

「その次は……はじめ君か? 総司も上手いと思うけど。」


[ #da=1#]がその答えに「うーん」と顔を顰めると、原田も藤堂も不思議そうな顔をする。


「総司はともかく、斎藤は駄目か? おまえも頼みやすいだろ?」

「いいんですけどね……斎藤さんの隊に配属されてから、ずっと斎藤さんにお世話になりっぱなしで、居合の稽古までしてもらってるのに、これ以上は…」

「おまえ、変な所で気ぃつかうよなー」


 平助に呆れ顔で言われる。なんだ悪いか、これでも気張って生きてるんだぞ。


  …とりあえず汚い字でも読めるようにならなきゃだしね


「まあ、いいや。平助、とりあえず表作るから、いろは順にそこに書いてってよ」


 平助の「おぅ!」という返事に、弥月は感謝を述べつつ、久方ぶりに大学ノートを広げた。



 三人では納戸は狭いからと、彼らの部屋へ移動。


 左之さんと平助がああでもない、こうでもないと言いながら、紙に墨でお手本を書いてくれている。

 最初は彼らにシャーペンを渡したのだが、消しゴムをかけた時に、なぜかどう頑張ってもページを破ったりくちゃくちゃにするので、ノートへの清書は私が担当している。


 二人が真面目に付き合ってくれているのがすごく嬉しい。
 二人ともが納得して出来上がった文字を、私が真似してノートの『あいうえお表』に書き込む。


「いや、だから『マ』はこうだろって!」

「崩し過ぎだって!それだと『ヘ』にしか見えねぇじゃん!」

「『へ』はここが」

「平助、左之」

「お、斎藤」

「夕餉だ。…何をしている」

「なぁ、はじめ君!どっちの『マ』が上手い!?」

「こっちだよな、斎藤!!」

「これは『へ』だよな!?」

「………こちらだ」


 左之が「うっしゃ!」と拳を握り、平助が「えぇぇ!」と言ったのを、斎藤が不審な顔で見ているのに気付いて、弥月は言葉を付け足す。


「斎藤さん、二人には私専用の五十音表をつくるのを手伝ってもらってて…」


 すると、斎藤さんはじっと私の顔をみる。あ、これたぶん驚いてる。


「あんたは字が読めるのではなかったのか?」


 私が大抵の店の看板を読めるので、彼もそう思っていたらしい。たしかに読めたり読めなかったり、雰囲気で読んでいるときも多々あった。
 説明すると、斎藤さんは「良い心がけだ」と頷く。


 斎藤はスイッと弥月たちの手元を覗き込む。そして、わずかに目を細めた。


「…まだ終わらぬなら、先に夕餉だ」

「はーい」


 弥月の返事に続いて、二人も「続きは後でな」と立ち上がり、ぞろぞろと部屋から出て行く。
 その背中に、最後尾についた斎藤の小さな声がかかる。


「矢代…」

「はい?」


 それに三人ともが振り返ったのだが、斎藤さんは平助と左之さんに「先に行け」と指示をして。
 斎藤さんがいつも通り感情の分からない真顔で言う事には、


「もし添削が必要なら、俺の所へ持ってこい」

「へ…?」

「覚えるための見本ならば良いが……手本としては悪いとは言わんが、良いとも言えぬ」

「あ……はい。分かりました…」


 弥月がそう返事をすると、彼は一つ頷いて、勝手場へと向かって行った。



  ほんと、斎藤さんには足を向けては寝れないわ…

  沖田さんには足向けたいこのジレンマ……山嵐………板挟み!



 思いついて一人で笑いしながら、私が左之さん達の部屋を振り返って、


「…最後に一通り、斎藤さんに確認お願いしよ」


 と、独り言ちたのはあの二人には内緒だ。
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