姓は「矢代」で固定
第二話 はじめてのお仕事
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**( 数刻前 )**
斎藤side
すっかり暗くなった京の町を、灯りも灯さずに走る山崎を追う。
俺が山南さんに任じられたのは、最後まで残った浪士二人、ないし三人を、敵方に覚られないよう捕縛すること。この会合に集ったのが、その同志ら全員とは限らないため、情報限として数人捕まえたいとのことである。
総長に呼ばれてその説明を受けていた時から、山崎があまりに落ち着かなげな様子であったため、出掛けにその理由を問うた。
すると、山崎はどうやら戻るのが思ったより遅くなったらしく、残してきた矢代を心配しているようだった。
先日原田のところに異動になったばかりの矢代が、ここ数日部屋にも居ないと思っていたら、監察の仕事をしていると、初めて耳にして心底驚いた。
どう考えても向いていない。何かの間違いではないかと、今でも思っている。
何ゆえそのような采配がされたのか、とても気にはなったが、とりあえず山崎が急いでいたから、それは後で確認することにした。
そして二人は息が上がらない程度に、ただ走っている。
宿屋が目の前に見えた時、その戸から町人風の男が三人出てきた。男達は一瞬後ろを見て、何やら小声で囁き合った後、何事もなかったように小走りで散り散りに去る。
もしや彼らが最後の一人の可能性もあるのではと、斎藤が内一人を追うことを山崎に伝えようとした瞬間、
パンッ
そう遠くなく、聞こえた破裂音。
バッと山崎が強ばった顔で俺を振り返ったが、俺も宿を睨みつけながら、眉を顰めて「入るぞ」と言うことしかできなかった。
斉藤が柄に手をかけて、山崎も暗器を手に忍ばせる。宿の戸は開いていた。
しかし思ったより、宿内は騒がしくはない。店の者が「どないしたんや」「さっきの音はなんやの」と、不思議そうな顔で出てくるくらいである。
…話し声……矢代の声ではないな…
二階から聞こえた男の声。鼻につくような独特の話し方をする。
斎藤は背後を警戒しながら、山崎に続く。正面にあった階段を半分ほど昇ったところで、山崎の脚が急に不自然に止まった。
俺がその背にぶつかりそうになって、上に何か見えるのかと思った瞬間、
「ななし!!」
山崎は持っていた暗器を鋭く投げた。それが空気を裂いて行く音。
「おっと…!」
パンッ
階上から聞こえた男の声、そして銃声。
斎藤は刀を抜いて、山崎と階段を一気にかけ上がる。
廊下の奥に立つ男の手に、見慣れぬ銀色の物が見えた。小銃か……知った物より小さい。
「おい、おまっ!?」
「手前の部屋に!」
その男が先ほどの声の主と知るが、俺は山崎に言われた通り、手前の襖を開け放つ。だが、そこには誰もいない。続きの間も押し入るが、そこももぬけの殻だった。
――っしまった、やはりあれは長州浪士だったか…!
先程の走り去った男達を思い出すが、もう後の祭り。
隣の部屋で再び声がする。銃の男と山崎だろう。
斎藤は苦い顔をしながら、その男を捕らえるべく、室内で踵を返して「篠塚!」と山崎の偽名を呼んだ。
すると、予想以上に慌てた必死の声が返って来る。
「ななしが窓から下へ! 男も!!」
窓から!?
一瞬、窓へと走りそうになるが、すぐに首を巡らせて、目の前の階段をかけ下りた。建物の構造を思い出す。
同じ方向の窓から出たならば…
抜刀したまま板垣の角を折れると、遠くに走る矢代と思しき背が見えた。
連なる店の軒先の灯りに照らされた彼は、右脇腹を手で押さえながら、武者走りを続けている。
負傷しているのか…! 男はどこだ!?
段々と遠ざかる、引きずったような摺り足の音を聞いて、周囲を警戒しながらその背を追う。
「ななし! 度胸に免じて見逃してやるよ!」
すると突如、静かな夜闇に通った声。それが聞こえた方向を見上げると、近くの屋根上に、先ほど廊下で一瞬目にした男らしき、不審な影があった。
――っしまった…!
あそこからでは狙撃される。さっきの今でどのようにして、あそこへ移動したのか。
「見つかったのはてめぇのせいじゃねえから、精々頑張んな」
朗々と語ったその男は、朧月夜の空の下、緩く巻いた長い髪をたなびかせながら、楽しげに「またな!」と言う。それから矢代に背を向けると、屋根から屋根へ跳ぶように去っていった。
!!? 人間か…!?
その跳躍を俺は唖然として見ていたが、消えた夜闇にハッと我に返って、弥月をの元へ走った。
彼はすぐ先で地面に座り込んで、男の消えた方向を見つめていた。
「矢代!」
「…さいと、さん…」
魂の抜けたたような彼の声。
俺のすぐ後ろで「矢代君!」と呼ぶ、山崎の声も聞こえる。
膝をついてその顔を見ると、ひどく疲れた表情をしていた。その目に宿す恐怖の色は遠のいたものの、ボウッとした表情に大丈夫かと心配になる。
見ると、庇うように手で押さえられた右腹部は、暗がりで状況が分からない。だがすぐに、小銃をもった男の姿が脳裏をよぎり、眉根を寄せる。
「撃たれたのか!?」
患部を押さえていた矢代の手を掴むと、それが自分の手からぬるりと滑り落ちた。
――っまずい!
「脱げ!」
服の上からでもこの出血量。掠ったのではない、確実に当たっている。
襟を割り開くべく掴んだが、矢代は俺の手を強く掴み、自分から放そうとした。抵抗したときに身体を捻って、苦痛に「う゛っ」と呻き声を漏らす。
斎藤はそれに更に顔を顰めたが、矢代は続けて悲鳴のような声をあげた。
「自分でします!」
「なにを!」
彼が肌を見せるのを嫌うのは知ってはいたが、そのようなことを言っている場合ではない。
「自分で手当します」と叫んで振り払われた手を、斎藤は再び伸ばす。しかし、斎藤から離れるように、彼は身体を逸らしながら立ち上がる。
「矢代!!」
俺の咎める声は辺りに広がった。彼を掴み損ねた俺の手が、袖をかすって宙を掴む。
矢代が後退するように脚を踏み出した。しかし、成るべくしてグラリと揺れたその体に、俺は目を見開き、両腕を伸ばして腰を上げる。
「矢代弥月!」
だが先に矢代の手首を引き、身体を支えたのは山崎だった。
彼がそのまま倒れなかったことにホッとしながら、俺は空っぽの手を引いて立ち上がる。
「死にたくないんだろう!? 止血させなさい!!」
…山崎が怒っている
見たことのない姿に、思わず彼の顔を見たが、やはりその効果は絶大であった。
さっきまで必死に逃げようとしていた矢代が、一瞬で大人しくなり、それから項垂れて、「…すみません」と零した。
彼が抵抗を諦めたことに、俺と山崎は胸を撫で下ろす。
日頃、どんなに矢代が頑健でも、これは屯所に帰るまで放っておける状態ではない。
「すみません、斉藤さん。席を、はずしてください…」
僅かな間の後、「な…」と俺は思わず溢した。
だが、それに困惑したのは俺だけでは無く、山崎も同じ様子で居たので、なぜか少し安心する。
何ゆえここまで嫌がる…
見せる人を最小限にしたいのは分からなくもない。そして、山崎の方が医療的な介入には適切と判断したのだろうとも。
彼は「山崎さん…」と、呼んだ山崎の袖を掴む。
「…場所を、宿で…」
あまりの頑なさに、再び山崎と顔を見合わせた。
だが、これ以上問答をして、時間が掛かるのも得策ではないし、恐らく言うとおりにしなければ、また抵抗されて傷が悪化するだろう。
俺は一つ頷いて、山崎を促す。山崎も眉根を寄せてはいたが、小さく頷いた。
「分かった、歩けるか?」
「…えっと、肩貸してもらえたら嬉しいです…」
一応、自分の状態について分かっているのか…いないのか。矢代はそう言って山崎の肩を借り、腰を支えられるようにして、ゆっくりと宿へと戻って行った。
山崎が『宿の後処理は自分達でします』と言うので、俺は報告のために先に屯所へ戻った。そして矢代が負傷し、山崎が処置に当たっているため、帰還が遅れることを総長に説明する。
「俺の到着時には、宿内の浪士は一人のみでした。俺達と入れ違いに、三人の浪士と思しき男が出ていく所を見ましたが、状況を鑑みるに、残った男が他の浪士を逃がしたのではないかと思われます。
男は窓から出て行った後、屋根伝いに逃げたため、取り逃がしました」
「…状況は分かりました……ですが、屋根伝いですか」
「…飛ぶように、と表すとも過言ではないかと」
山南は目を細めて、つと眼鏡を押し上げた。
「それは羅刹ではありませんでしたか」
「…いえ、視覚的な特徴は何も。浅黒い肌の、濃い色の髪をした男でした。理性的な発言も見られています。
小銃を一丁所持し、それにより矢代は負傷しています」
「そうですか」
山南さんは何かを考える様子でいたが、退室を命じられないため、俺はそこに座っていた。
あの男は何者だろうか、どのような鍛錬をつめば、あのように跳躍できるのか、と考えながら。
「…ですが、このようには考えられませんか。私達にそう見せるために、わざと一人残したのではないか、と」
…?
「あなたの話から察するに、異様なほどの能力を持った男だったのでしょう?
その男ならば私達には捕まえられないと考え、さも矢代君が闘っているように見せかけるために、わざと残したのかもしれません」
「……矢代が協力して、長州浪士を逃がしたと?」
山南は斎藤の鋭い視線を受け止めて、口元を緩める。
「そうは見えませんか?と、お尋ねしているだけです」
…
……俺にはそうは見えなかった
深手を負いながらも、必死に走る姿。
座り込んで、敵がいた所を茫然と見上げる姿。
声をかけたときの、今にも泣きそうなのに、その目に俺を映して安堵した表情。
だが…
「…状況から考えれば、十分に有りうると考えます」
怪しい者は疑ってかかれと、山南さんは俺に云っている
矢代は感情が表に出る。
それは溢れ出る気持ちに従順で、あの大胆な行動を起こす力の源だ。
ただ、それはきちんと制御されている。表情で『嫌だ』と語るのに、身体は粛々と言われたとおりに指示をこなすことができる。
…つまり、それら全てが作られた演技だと?
「今回の任は、彼の間者疑惑を晴らすための役割もあったのですが……まさか、それに山崎君共々気付かないわけはないと思うのですけどね…
…また、ふりだしに戻ると言ったところでしょうか」
小さく「残念です」と言葉を付け加えた山南さんは、“間者疑惑”において中立だった立場を、黒へ濃くしたということか。確かに、今回の件は結果として、十分にそう捉えることができた。
結果は事実だ。
だが、今まで見てきた過程を無視するのか……この二月半の彼を。
誰が見てきた
「……ですが…俺には、そうは見えませんでした」
先程、苦悶の表情で、俺から距離を取ろうとした彼の姿が蘇る。俺らの指示を、あのように拒否したのは初めてではないだろうか。
妥協と諦めにいた矢代が、絶対に譲らないものがそこにあった。
近づいたかと思えば、一定の距離を感じる。知ろうとすれば、謎が増える。
だが、俺は、俺の眼を信じたい
俺達を欺いているわけではないと。共に修練を積む刃の軌跡に、俺達が居ることを望んでいるのではないと。
監禁されていた頃だけでなく、今でも時折朝方にわずかに聞こえる、押し殺した嗚咽は、いつだって苦しいもので……誰かの支えを必要としている。
才も技を備えているのに、嫌々刀を握るその姿はひどく不均衡だった。だから矢代は自分を支え導く者に、自然と意識が向いているように見えた。
なにより
彩鮮やかな彼の世界に、多少なりとも居る俺は、嘘であって欲しくない。
山南は斎藤の確固たる視線を受け止めながら、「そうですか」と淡々と述べる。
「全容は二人が戻るまでは分かりませんからね、君には無駄足となってしまいましたが……報告しかと聞きました。お疲れ様でした」
労いを伴った任務終了の言葉に、俺は不鮮明な蟠(わだかま)りを抱えながらも、一つ会釈をして退室する。
『全てのものは絶え間なく変わっていく』…彼はそう話した。
その太刀筋が変わっていくことがあるのだと、俺は知っていながらも、今はまだ静観することに決めていた。