姓は「矢代」で固定
第二章 京都編Ⅰ〈完〉
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
大きなテーブルに椅子が9つ。
色褪せた食卓。何を口に入れても美味しいとは思えない。
ただ咀嚼して嚥下するためだけに、各々が自席に着く。
2週間前までは老夫婦と、中年の夫婦、そして四人の子どもが賑やかに集ったそこに、会話らしい会話は無かった。
今は老人が一人と中年の夫婦、そして四人の息子が暗い表情で座る。
彼らは空席が気になって、食卓に全員が揃うまで誰一人も箸を手に取らない。
妹・弥月を捜し初めて14日目の夜。
暗い表情で食卓を囲む誰もが、溜まった疲労を隠せなかった。
明日からは学校へ、仕事へと、それぞれが日常のサイクルへと戻ろうとしているのに。誰もそれを話題にできない。
まるでここで諦めるような後ろめたい気持ちを、言葉にすることができなかった。
全員が椅子についたその時、老いた男は数日ぶりに声を出す。その声にいつもの威厳はなく、まるで非力な老人のよう。
「……見つからんのかもしれん」
「…爺ちゃん、何言うんだよ。まだ2週間だろう」
真っ先に言葉を返したのは次男・皐月(さつき)。怒鳴りたいのを何とか堪えてるという顔で、返答した。
それからバンッと大きな音で机が叩かれて。立ち上がったのは皐月と双子・榎月(かづき)。
「……たった2週間だ。爺さん、言って良いことと悪いことがあるぜ。それとも遂にボケたか?」
普段聞かれないような、彼の低く重い声。
椀の味噌汁が零れたのを、誰も咎めることはなかった。
彼らと同じ表情で歯噛みして、押し黙っているのは末弟・梓月(しづき)。言い募る気はないが、不快感も怒りも隠さずに、けれど泣きそうな眼を老人に向けていた。
一方、表情を曇らしたのは、長男・夏月(なつき)とその両親。彼らの顔に怒気は無い。
それに苛立った榎月は捲し立てるように言う。
「夏月! なんで怒んないんだよ!?
お前ももう弥月が帰って来ないとか、訳の分かんないこと思ってるのか!? 手がかりもなければ、遺体もねえからって見捨てるのかよ!!
警察みたいに弥月が帰って来ないのは家出だってのか!? あの弥月が!?」
「…そんなはずないだろ。あの子が家出するなんてありえない」
「じゃあ!なんでそんな諦めた顔してるんだよ!」
いつでも物分かりの良い長男に苛立って、皐月はついに溜め込んでいた声を荒げる。
「大体、お前ら最初っから意味が分からない!! 俺は婆ちゃんに線香立てに帰って来たってのに、帰ってみたら弥月がいないだ!? なんで早く言わないんだよ!!」
「――っ仕方ないだろう!? 帰って来れない奴、心配させてどうするんだ!! 探せない分、辛いだけじゃないか!
お前が帰って来るまでに見つかれば、それが一番良いと思ったんだ!!」
「――っそんなの勝手過ぎるだろ!!知ってたら、押して帰って来てた!!」
「飛行機でか!? ドイツいたお前が患者放り出して!? これでも精一杯早く帰ってきたんだろ、できないこと言うなよ!」
「――っこの!」
皐月は夏月の襟首に手をかけていた。もし彼が手の早い男なら、とっくに兄の頬を殴っていた。兄が悪くはないことを、頭で理解していても体がついてこなかった。
「……皐月、座りなさい。榎月も」
「父さん!」
「座りなさい。……親父、理由があるんだろう?」
懇願するように父は言う。そうでなくては困ると。
問われた祖父は、頷きも、否定もしなかった。
「…あの日の昼過ぎにはあったはずの、刀が一つ無くなった」
「…刀?」
皐月は不信な声で問い返す。
『あの日』が示すのは、祖母・月江が死に、弥月が行方知れずとなった日だとまで言う必要はなかった。
「刀ってあれか、道場に置いてたやつか?」
「あの模造刀?」
「それならさっきはあったぜ?」
歳下の3人が顔を見合わせる。同時に眉を寄せて首を傾げた。
「昨日、蔵の方を見に行ってましたけど、それですか?」
長兄がそう尋ねると、それに父親はハッと息を飲んだ。
「まさか蔵の…?」
「……そうだ」
祖父は「やはり誰も知らぬか」と独り言ちてから、頭を垂れて、細く長い溜息を吐いた。
父は信じられないといった表情で、唇だけで「なぜ…」と呟く。
その二人だけが合点がいったという空気を、子どもたちは急かす。
「勿体ぶんなよ、爺ちゃん。刀の一本が何なんだよ? それが弥月とどういう関係があんだよ?」と、梓月。
「もし弥月が誘拐なら、刀が無くなってても全然おかしくない」という榎月の言葉に、兄弟全員が同意の視線で、祖父を見る。
ただ、老人の息子夫婦だけは、心配そうな表情で父を見た。
「……急(せ)くな、話は長くなる。箸を取りながら聴きなさい」
その言葉に皆は目の前に並んだ皿の存在を思い出し、祖父とそれを見比べて躊躇ったものの。食べるまでは言わんといった雰囲気の家主に、冷めてしまった食事を始める。
孫たちの様子を確認しながら、老人は自分は食事に手をつけず、一つ一つを思い出すように話し出した。
「あの日の昼過ぎ……儂はあの刀を蔵から出した。とりあえずと思うて、刀掛けに置いておったのだ。
ずっとそんなこと忘れておった。それが無くなっていることに気付いたのは一昨日。……誰も見ておらぬな」
黙ったまま一同は頷いた。
息子は悲しげな表情で口を開く。
「なぜ……お袋はあれが目に付くのを嫌がったじゃないですか……不吉なものだと……」
「……なぜかは分からん。あの日、刀に呼ばれたのだ…………出せ、と…」
意味が分からない、と顔をしかめる一同を男は見なかった。ただ話をし続けた。
「かつて月江は儂に言った。それは唯一の母の形見……実家から唯一持ってきたもので、『神聖な刀』であると。
……月江の実家について、話したことがあったか?」
聞いたような聞いていないような、といった面々の中で、答えたのは夏月だった。
「どこでしたか、修行中に行き着いた先で、神社の巫女か何かしていたと聞きましたが…」
「そう……出会った当時のあいつは雇われの巫女でな。詳しいことは教えてくれなんだが、実家も神社のようなものだったらしい。
だから『母の形見』が『神聖な物』であることを、儂は疑問に思いもしなかった。ただそれを大切にしておったことは確かでな。
だが、自分の娘が生まれたその日、月江は泣いて儂に頼んだ。その刀を手の届かないところへやってくれ、と……絶対に娘に触れさせてくれるな、と。
儂には意味が分からんかったが、今までは床の間に飾っておったそれを、蔵に仕舞わざるをえんかった。
…それから50年、この刀は日の目をみることが無かった。……一度お前には話したな」
問いかけられたのは、彼の息子で。
「えぇ、私は気に入ってたので……どうして妹ができたら仕舞わなくちゃいけないのかと、駄々を捏ねたことがありましたね。
……私はその後も、何度かそれを見るためにこっそりと箱を開けていましたが」
息子が懐かしそうに口元を緩めるのを、祖父は目を細めて見た。
「そうだったな…………最近は、儂はすっかり刀のことを忘れておった。
……それから弥月がうちへ来て、13年。一度も刀が蔵の奥から出されることはなかった」
祖父はそこで息を吐く。何故自分はそうしたのかと、眼には後悔の色しか浮かんでいなかった。
「……儂は本当に忘れておった。性質(たち)の悪い冗談だと……言い伝えか、迷信か何かだと50年間信じておった……
…『神隠し』などという夢物語」
「…か…」
双子の兄・榎月の絶句した声。
彼だけではなく、祖父以外の誰もが瞠目し、言葉の意味を自分の知識に当てはめて固まった。
「神隠し…?」
末弟・梓月が半笑いの様で問い返す。
「それってあれか? 千尋が風呂屋でバイトするやつか?」
「冗談だろ!」と彼は笑ったが、祖父は至って真面目な顔で「近からず、遠からずなのかもしれん」と言う。
「儂は一昨日から、月江の実家に関するものを探しておった。
…だが身一つで儂のところへ嫁入りしたあいつは、それより前の頃の物があまりに少なく、手がかりが無くてな。
だから……まだ連絡はしておらぬが……あちらの家ならば、何か知ってるやもしれん…と思っているところだ」
「…って、まさか…」
「…弥月の父親んとこか…?」
祖父は大きくゆっくりと頷いた。
「月江の反対で、正式には成り立たなかった婚姻だが……儂には理由ははっきりとは分からんかったが、あちらが旧家であることと関係があるようだった。
近々、弥月のことも連絡せねばならんと思っておったところだ。発破をかけてみようと思う」
誰もそんな理屈に納得などしていなかった。
そんな話信じる方がどうかしていると。
居なくなって、まだ14日。
あの日、彼女はいつも通り学校へ行って、一度帰ってきていたはずだ。
不自然に残された、弥月の運動靴。
最後に弥月の姿を見たのは近所の人で、いつものランニングの格好で挨拶をしながら走り去ったという。
関係があるのかどうか分からない、同日に飲酒運転のトラックに轢かれて亡くなった祖母。
神隠しなど現実におこりえるはずがない。
たとえ『あの子』が普通じゃなかったとしても。
けれど、
音沙汰も手掛かりも何もなく、もう14日。
縋る物もなく、『あの子』が生きていることを信じるのには限界があった。
END
1/1ページ