姓は「矢代」で固定
第十二章 歪な情誼
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弥月が自刃、失踪したという事実は、粛々と安藤の通夜を始める屯所内で、幹部および監察方だけに速やかに、そして密やかに伝えられた。
言葉を失わなかった者はいない。驚きに目を瞠り、誰もがその事実を疑い、歪んだ表情で凍りついた。
***
沖田side
僕は引っ手繰りを預けに奉行所へ寄った後、巡察を中断し、組下の隊士を連れて屯所へ戻って来ていた。
隊士たちが門をくぐる中、最後尾にいる僕が偶然見たのは、弥月君が東へ走っていく後ろ姿。さっきの今で、何故彼が屯所の外を走っているのか。
「あれ。今、出て行ったところだよね?」
何か知らないかと、何気なく門番をしていた隊士へ問うと、「安藤さんが亡くなりましたので…」と。
なるほどね…
左之さんが慌てて呼びに来たのには合点がいった。大方、彼女の医術の腕を頼みにしてきたのだろう。
で、それが効くことはなかった…か
壬生浪士組結成の初期の頃からいた安藤さんは、あれでも一度は御仏に仕える修行を積んだ人だからか、とても器の大きな人だった。繊細さに欠ける節はあったが、僕も彼のことは嫌いではなく、道を極める武芸者として尊敬もしていた。
彼の死を残念に思う一方で、ずっと心で蟠(わだかま)っていることが、やはりまた首をもたげる。
あのとき彼女が来なければ、そこにいたのは僕だったかもしれない
池田屋での一件の後、屯所の自室で目覚めてから、何度かそう思った。それくらいに、あの討ち入りは皆の生死が紙一重で、僕は歯が立たないほどの強敵と対峙した。
あれから何度も自分の負けを思い出した。
渾身の突きを刀身で受け止められ、動揺した隙に突き飛ばされた。敵の身を翻す速さに、僕は反応できなかった。
そして、意識が朦朧としているとき、彼女の声が聞こえた。
『沖田さん! しっかりして下さい!』
悔しかった
負けている姿など、絶対に見られたくなかった
剣戟の音をぼんやりと耳に入れている内に、意識がハッキリとしたのは、彼女らが話をしている最中のこと。
顔を上げると、目の前に揺れる、色の薄い長い髪。彼女の背に庇われているのだと知った時、どうしようもなく情けなくなって、痛む身体を押して、彼女の前へと出た。
あの不気味な男に勝てないことは分かっていた。けれど、『情けない』と自身を称した彼女も退いていない。僕が敵と切り結び、彼女が敵の背後へ回ろうとした刹那、彼女は僕を見て……敵の肩越しに目が合った。
そのときの、何かが開けるような感覚
他に何と表現して良いのか分からない……腑に落ちるような、何かが繋がったような感覚でもあった。
それから、彼女と話す機会は特になくて、今日…ん? 2ケ月くらいちゃんと喋ってないのか…
「…別に、ねぇ…」
平助の代わりに、彼が補充要員として隊にいたことに不満はなかった。敢えて言うなら、端(はな)から僕が不機嫌と思って、彼女に適当にあしらわれたことにはムカついたけれど。
…僕だって、助けてもらった礼くらい言えるよ
それが何の慰めになるわけでもないが、安藤さんが亡くなった今だからこそ、言うべきことなのだろうと僕は思って、彼女が消えた東へと足早に歩を進めた。
そして存外、彼女は近くにいた。
遠くからでも、後ろ姿でも誰かが分かる、浅葱色の羽織と金色の髪。彼女は堀川を目の前に、地面に膝を着いていた。
ただ、何をしているのかまでは分からない。彼女の周囲には何もないのだから。
彼女を見つけてからは、僕は歩みを緩めてゆっくりと近付く。すると徐々に彼女の肩越しに見える筋のようなものが、僕もよく見慣れたものだと知る。
…?
既視感。
知っていたのに、僕は、忘れていた
彼女の首から赤い色のものが噴き出し、それから気付く。
気付くのが遅いのだと気付く。
彼女が自ら死を選んだ瞬間を、僕は見ていたのだと
そして彼女が倒れゆく姿に、死んだ女の姿を重ね、立ち竦んだ。
生きる力に満ちてみえた弥月君の姿が、声が、幻のように僕の記憶を駆ける。
心の中で警報が鳴っているのに、あれが彼女のはずがないと否定し続けた。
言葉も声も、進む足さえ出なかった
動かなくなった肢体
止まることを知らず、広がりつづける赤い色
僕は自分の血の気が退いて行くのが分かった。
僕はもう彼女に何も届かないと知っていた。
それから、どれくらい後のことだろうか、はじめ君の姿が見えたのは。
「なにゆえこのような所で立ち止まって……顔色が悪い、大丈夫か?」
「…はじめ君」
いつから、彼がここにいるのか、僕は話しかけられていたのか。そんな疑問をどうでも良いと思えるくらいには、目の前で起こったことの重大さを認識はできていた。
ただ、何を、どこから話したら良いのかが分からない。
どうして、あんな事になったのか
どうして、僕は止めなかったのか
「…どうした、総司」
「…弥月君、死んだかもしれない」
「……なに?」
不審気に眉を顰め、真偽を問い返す斎藤に、沖田は視線をまた堀川の方へと戻し、そして指さした。
「あれ…」
遠目に見える、地面の赤色。
赤
「首を切って、倒れた」
途切れ途切れの沖田の言葉では、斎藤が要領を得るには至らなかったが、その色の液体が何を示唆するものなのか、すぐに察しがつくほどには、斎藤にとってもそれは身近なものだった。
斎藤は走り、その液溜まりの傍へ寄って、その量の多さに愕然とする。
「―――っ、矢代は!?」
「連れていかれて、どこかに…」
「敵が…!?」
「違う、弥月君は自分で首を切って…」
「!?」
「二人連れの女で、手当して抱えて行ったんだ」
はじめ君は僕の方へ戻って来ると、食いかかるようにして、肩を掴み詰め寄った。
「分からぬ、総司! 順を追って話せ!!」
順を追って話す時間の余裕があるのだろうか
そんな今更すぎることを疑問に思うくらいに、僕は動転しつづけていた。
僕が立ち尽くしていた時間のことを思うと、もう何もかもが遅すぎると気づいて、僕は自分を落ち着けるよう努力しながら、自分が見た一部始終についてはじめ君に話した。