姓は「矢代」で固定
第十二章 歪な情誼
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元治元年九月十五日
「いっち、にい…!」
『三千世界を見るためには、朝日に向かって虚空を三度振る』
これを実行することが、ここ数日の日課である。
結果から言うと、それで何か起こったことなど一度もなく、もう何も起こらないことに慣れて来てしまっている。最初はドキドキワクワクしながら、ゆっくりと一本一本を丁寧に振り下ろしたものだが、徐々に適当にブンブンと振るだけになった。
つまり、ただの素振り
そんなわけで、ガッカリとした気持ちにはなったが。全く希望がないわけではないので、特に意味のない掛け声とともに、ただの素振りを続けているわけなのだ。
「さ―――んっ!」
はい、今日も何も起こりませー…ん?
だが、今日は何かが違った。
え…? 今一瞬、なんかあったよね?
見間違いだろうか。一瞬だけだったが、今までに無い現象があった。
三の振りの跡に一本の筋が見えたのだ。残像みたいに、宙に筋が存在して見えた気がする。
「いち、にい、さんっ!」
もう一回してみる。
……?
「いっち、にい、さ―――んっ!」
微妙に言い方を変えて、更にもう一回。
それから無言で振ってみたり、振る方向を変えてみたり、やっぱり言い方を替えてみたり。座って休憩しながら何度か試したが、同じ現象が起こることはなかった。
そうして試行錯誤しながら刀を振っているうちに、日はすっかり姿を現してしまったが、弥月は納得しきれず首を捻る。
「ん゛んんんん?」
発動条件があるのだろうか。一日一回とか、太陽に対する角度とか。
気持ちに納まりがつかず、またブンブンと振ってみるが、今日はもう朝日っぽくないので、どうせ駄目だろうと項垂れる。
そして刀身をキチンッと鞘に収めて、一つ溜息を溢した。
「ハァ…取説ちゃんと残しといてよね…」
「弥月ちゃん、おはよう」
「…おはよーございまーす」
弥月がふてくされていたそこへ、古い建物特有の人が歩くときのキシキシとした音が鳴って。千姫が弥月のいる東側の庭へ顔を出す。
千姫も最初のころは三千世界を見るべく早朝一緒にいたが、最近はそうでもないから、ちょっと薄情だと思ったり思わなかったり。
「今朝、ちょっと興味深い話が舞い込んできて、弥月ちゃんにも聞かせてあげようと思って」
朝のお勤めの前に、雑談しに来たらしい。
すとんと横に座って、彼女が髪を結う姿も少し見慣れてきた。
「新徴組って知ってるかしら?」
「…んーと、聞いたことがある程度ですけど…江戸にある新選組とおんなじ様な組織だとは…」
山南さんと近藤さんから聞いたのだったと思う、新選組ができるまでの経緯の話。元『浪士組』の人たちで構成された、『壬生浪士組』とは袂を分かって、江戸へ帰った集団のこと。
今のあちらは庄内藩預かりの『尊王攘夷志士 新徴組』となっていて。あと、沖田さんの兄か弟かが所属しているとかで、色々因縁もあるが同志として手紙での交流はあるらしい。
「それがね、女の子がいるらしいの!」
「? その、新徴組に?」
「そうなの! あっちにも一人、こっちにも一人女の子がいるのよ。私、運命的だなぁって思って!」
「へぇ…」
それはすごい。どういうノリで過ごしているのだろうか。
自分で言うのもなんだけど、男所帯で男として暮らすの結構大変だと思うんだけど…
「…って、それ隊士なんですか? 飯炊き婆とかではなく?」
「二十歳くらいの女の子なんだってば! 男装の麗人で薙刀使いだそうよ」
「男の恰好してるってこと?」
「そこは公然の秘密みたいね。江戸はこっちよりは剣術家の女性に大らかとはいえ、それでも女性だと帯刀できないから」
「なるほどー…」
女性であることを仲間に隠していないなら、それほど生活に困らないのかもしれない。
隠し通そうとするから色々不便なのだと、千鶴ちゃんを見ていて気付いた。みんなが知っていれば、みんなが配慮してくれる。
…でもなぁ、いざ脱走するときの保険は残しておきたいんだよなぁ…
そう思いつつ、そんな日はこないような気がし始めているのだけれど。
「…どうしてそんなに興味なさげなのかしら」
「あぁ、ごめんごめん。そう言われても、反応に困ってですね」
たまに思うのだが、自分は他人に興味がない方なのだと思う。目の前にいる人になら関心も湧くけど、ミーハー的な興味は湧かない。
「それに、こっちは私を数えない方が正解かな…って、あ」
「え?」
「…ま、いっか。こっちも公然の秘密だから。その『新選組に女の子が一人』は、私を数えない方が正解かなと思って」
「どういうこと?」
「一応、内緒ね。公然の秘密だから」
小さく笑いながら話しだす。桃色の着物を着た、隊士ではない新選組の一員のことを。
「へえ! 男装の麗人が流行ってるのは知らなかったわ!」
千姫はコロコロと笑う。いや、必要に迫られてるだけなんですけどね。
「千鶴ちゃんは可愛いですけど、麗人って感じじゃないかもしれない」
「千鶴ちゃんって言うの? 『千鶴ちゃん』って呼んでる時点で隠す気ないじゃない」
「最初は虜囚扱いだったので、彼女を守りつつ誤解を解くまで山あり谷ありだったんですよ。今の彼女は立派な後方支援隊長ですけど」
「色々あるのね…本当に、あなた男の子として頑張ってるのね…」
「あ、そうだ。もし雪村綱道って人を聞くことあれば教えてもらえると嬉しいです」
「雪村綱道?」
「そう、千鶴ちゃんのお父さんなんですけど、行方不明で探して、彼女江戸から来てて。だからどっかで聞くことがあれば……って、あの…?」
千姫の眼がピクリと震えて、表情が硬くなったのに気付いた。
「雪村、千鶴ちゃん?」
「え、あ、うん…知り合いだった感じ?」
「いいえ。でも…」
千姫はしばらく思案顔でいて。それから、じっと私の顔を見た。
「…貴女もそうだけど、新選組にいて、女の子として困ったことはない?」
「え。まあ、困ったことばかりなりに、なんとか普通に暮らしてます、はい」
「…そう」
また思案顔。どういう方向性でマズいことを言ってしまったのだろうか。
いつも穏やかな千姫の表情が、まあまあ険しくて聞きにくい。
「…やっぱり、ここに引き抜きたいんだけど、いくら出せばいいかしら?」
「まさかの金の力!?」
「あら、お金は大事よ。最終、現物には敵わないけどね」
にやりと笑った彼女。
もうちょっと決定を待ってほしいと応えれば、「早くしてね」と冗談なのか本気なのか分からない口調で、千姫はニコリと可愛らしく笑んだ。