姓は「矢代」で固定
第十二章 歪な情誼
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文久元年九月上旬
千姫が『殆ど里に居る』と言ったのは、八瀬と連携している全国の里や、千姫が直接派遣している忍から、今年の農作物の収穫高だとか、津々浦々の情勢など色々な情報が、千姫の下に入って来るようだ。その整理・分析をし、歴史や文献を紐解きながら、これからの社会の動向を予測したり、対策を練ったりと忙しく……里長というのは、たいへん頭を使う職業なのだと知った。
「姫さまぁ……こんな古文書とか無理です、字が読めもしません。これが孔子なんか、風土記なんか、お手紙なんかすらも分かりませーん…」
「うーん…こっち方面は特に期待はしてなかったんだけど、そう言われちゃうと、なんだか残念な気持ちになるわねぇ…」
千姫は眉をハの下げて、小首を傾げながら弥月へ微笑んだ。
日がな一日ゴロゴロとしているのも申し訳なくて、何かお手伝いできることはないかと、あと、傍仕えするか決めるためのお試しとして、千姫に付き始めているのだが。
山南さんの小姓をしてた時は、書物は現代語に近い医学書が主で、例え読めなくても写してさえいれば良かったけれど。千姫が書庫から出してきたものを試しに広げて見れば、すぐに自分が何の役にも立たないことを理解した。
字がうねうね~って感じィ…
立派な巻物に堂々と書かれた文字を、アラビア語ではなく漢字だと認識できる程度だった。
「じゃあ、今日は外歩いてみる? まだ出たことなかったわよね」
「! 行きたい!」
パアッと顔を輝かせる弥月に、千姫はクスクスと笑って、開いていた書状を片づけた。
「一応案内はするけど、里のことについては口外禁止だからね。立地、人数、組織…知り得たこと全部よ。たとえ将軍や帝に問われようともね」
「了解です。厳守します」
じっと私を見た里長の彼女へ、コクンと頷いて見せる。
「八瀬の里周囲は塀を立てて、許可なく出入りはできないようにしてあるの。弥月ちゃんも里から出なければ、自由にしてくれて構わないわ」
屋敷から一歩出て見えた景色に、弥月は思っていた以上に、きちんとした集落があることを知る。
藁ぶき屋根が点在し、田んぼに稲が成り、畑に野菜が生えている。木に縄をかけて洗濯物を干し、他にも魚だとか柿だとか、色々吊ってある。軒先に小間物を並べているお店らしき家もある。
玄関先でキョロキョロしていた所から歩きだそうとすると、近くで桶を抱えていた子どもと目が合った。
「あ!姫さま、こんにちは!」
「こんにちは、ちゃんとお手伝いして偉いわね」
私たちがつられる様にそちらに近づくと、あちらこちらの家屋から人が顔を出した。そしてその全員が千姫に頭を下げて挨拶をしてから、じっと私を見る。
…えへっ?
大人たちの様子を窺うような、やや排他的な視線に緊張するが。
恒例の、お得意の笑うべき瞬間だと察知して、ピシッと背を正して爽やかな笑顔を作ると。
「ねえねえ、姫様! そっちの人間みたいなのが神子さま!?」
「こらっ! 神子様を指さしちゃ駄目!!」
「お母さん、あれ。すごい髪の毛」
「変な色してるよ~」
「ちょっ、変じゃないわよ! 失礼でしょう!?」
子どもは正直だ
弥月が苦笑いしていると、千姫がパンパンと手を叩いて、「はい、皆ちゅうもーく」と視線を集める。
「はいっ、弥月ちゃんから一言!」
「え!? 紹介してくれるわけじゃないの!?」
この空気の中、すごい無茶振りだと思ってツッコむ。
けれど、彼女は請け負ってくれる訳ではなさそうで…どうぞ、なんて手を差し出してくれちゃって。
「ええ…っと、矢代弥月です。怪我したので、千姫のとこにお世話になってます……あと、屋敷の皆さんにもお世話になってます。ごはん美味しいです。で、えっと……」
え、新選組ですとか言って良いの? ってか、今あの人達、神子様とか言ってたんだけど…
…え、どのあたり自己紹介すればいいの? 好きな食べ物は干し柿です…
注目を集めたまま混乱していると、妙齢の男が一人、スッと前へ進み出でて、私へ向かって深々と頭を垂れた。
「弥月様、千姫様よりお伺いしております。未来から来られた神子様でいらっしゃると……お目にかかれて光栄で御座います」
お目に…っ!?
聞きなれない言葉にたじろいて、返す言葉も見つからない。
「えええええっと……あの、その、お世話になってます。すいません、そんな全然偉い人じゃないのであの…」
「とんでも御座いません。貴女様ほどまでに力の強い方は、ここ数百年おりませんでした。ここは街に比べて不便な地とは思いますが、どうぞゆっくりと御静養されて下さい」
「…あ、ありがとうございます」
ナニコレ、怖い
それからも、老若男女が次々と、私の顔を見ては驚き、笑顔を作り、そして跪(ひざまず)いた。
「弥月様は、仏様のような神々しいお姿をしていらっしゃるのですね」
だとか、
「お怪我をされていたと聞きましたが、お加減は如何ですか? 滋養に良いものを後でお屋敷までお持ちしますね」
だとか、
「はあぁ、ありがたや~」
だとか言って、拝み始める者までいる。
代わる代わる挨拶をしたがる人波が切れた隙に、弥月は千姫の袖を掴んで、コソコソと彼女に耳打ちする。
「ちょっと、千姫さん。私の事、里の人にどういう風に紹介したんです?」
「え? 『未来から来た神子様が大怪我をしていたから、今うちで預かってる』って言ったのよ。だから皆、優しいでしょう?」
「そりゃあ、罵倒されるよりは助かりますけど……なんで拝まれるの…」
「能力が強いってことは、血が濃いってことなのよ。お…里ではそれが身分を決める重要なことなんだから、まあ皆の反応は仕方ないと思ってて。
血筋の良さがはっきり見えるから、公家とかのそれよりも重要性が分かりやすいのよね」
「…ただの負傷兵ってことにしといて貰えれば…」
「それは私の家に居てもらうためよ。素性が知れない者を傍に置いておくなんて、みんな納得しないもの」
「…姫様でしたもんね、千姫様」
最初から砕けて話しかけられていて忘れがちだけれど、彼女は尊い身分の御方らしい。
千姫に言わせれば、私自身はそれ以上だという話だが、正直そんなこと言われても、「一般人ですから」って感じだ。
「姫さま、あそぼ~」
不意に女児がトテトテと走って来て、千姫の袖を引っ張った。そして彼女は女児の手をとって、「ええ、いいわよ」と笑う。
「神子さまも一緒にあそぼー!」
「こらこら、そんな引っ張ったら脱げるから」
私の袴を引っ張ったのは男児だった。小枝みたいな腕して怪力な少年だ。
「ねえ、遊ぼう?」
「神子さま、あそぼー」
わらわらと周囲に群がり始めた子どもたちを、親たちが悲鳴を上げて止めようとするが、千姫は手をヒラヒラと振ってそれを止めた。
「どうするの、神子様?」
「…金ちゃんと呼んでおくれ」
「あははっ、なにそれ! みんなーッ、神子様のことは『金ちゃん』って、呼んであげて!」
「きんちゃーん!」
「金ちゃん、あそぼ―」
「よし来た、任せろ!」
弥月は群がる男児を二人ほど小脇に抱えて、体調が優れないことなんかは忘れて、子どもたちと共に走り出す。「私はここにいるからね~」なんて千姫の声が遠くに聞こえた。
そして、広々とした所に子どもを降ろし、「さて」としゃがむ。
「何する? かくれんぼ、鬼ごっこ?」
「人間ごっこがいい!」
「は…?」
人間ごっこ?
「それ、どんな遊び?」
「人間が追いかけてくるから、みんな走って逃げるの。捕まったら人間になって、鬼を追いかけるの!」
「最初は金ちゃんが人間ね!」
「…」
無邪気に笑う子どもは、その遊びを変だとは思っていないのだろう。
「…それ、鬼ごっこじゃないの?」
「違うよ、人間ごっこだよ!」
「…人間が鬼を追いかけるの?」
「そうだよ!」
「最後に捕まった鬼が、次は人間だからね!」
「じゃあ、金ちゃんは十数えてね!」
まだ私の質問は終わっていなかったのだが、こちらの承諾も聞かないまま、ワアアと蜘蛛の子を散らしたように駆けだしていく子供たちに、肩を落とす。
人間ごっこ、ね…?
「…い――っち、に――い」
違和感はあったが、所詮子どもの遊びだ。「変な遊び」と思うだけにして、目を瞑って大きな声で数を数えた。