姓は「矢代」で固定
第十話 池田屋事件
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***
暗闇の中、一直線に奥へと駆け抜けた。途中、血溜まりや人体らしきものを踏んだが、一瞬も足を止めなかった。
「弥月!?」
「近藤さんは!?」
新八さんの声にチラリとだけ目をやる。まだ五体満足で、しっかりと剣を握って立っているのを見ただけで、少しホッとした。
「奥の部屋だ!」
「ありがと!…近藤さん!」
近藤と対峙していた男の一人を袈裟に斬り、驚いた男達の間を滑りこむように、近藤の背側に付く。
「弥月君、表は!」
「表は浅野君が! 山南さんより伝令です。会津から連絡なく、土方隊の到着を待ってほしいと…!」
「!!…そうか。だが、もう後には引けん!」
「はい!」
「ここは俺一人で構わん! 上を、総司達を…!」
「それは…っ!」
局長を置いて、彼らを助けに行けというのか
「できません!」
「命令だ、行け! この近藤勇、この程度では傷一つ付けられん!!」
「できません、局長!」
う゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁ!
裏庭から、一際大きな誰かの断末魔が聞こえた……誰の声かなど考えたくなかった。
「―――ッ!!」
「行けっ、弥月!! 総司らを死なせるな!」
「-――っはい!」
返事と同時に一人を斬り、そこを通り抜けて、行く手を塞ぐ浪士二人を斬り伏せる。
立ち止まっているよりも、この暗闇を進むことの、なんと恐ろしいことか。一瞬気を抜いただけで、敵の刃の位置を見誤る。元は人間だったと思しき弾力のあるものを踏みつけて、血溜まりに草鞋が滑りそうになる。
泣きたいほどの恐怖に駆られ、泣いて視界をぼやかすことが恐ろしかった。
大丈夫、近藤さんは死なない、まだ新選組は何も成してない、新選組はまだ終わらない! 大丈夫、まだだ…まだ、彼らを終わらせない!
階上にどんな敵がいるというのか、得体の知れないものへの恐怖に苛まれながらも、急な階段を駆け上がる。
上がった先で、襖(ふすま)を押し出したように、誰かが倒れていると思えば。
「――っ、沖田さん!?」
人の気配に警戒しながら近付けば、ダンダラ模様の羽織を着ている彼だった。中から投げ飛ばされたというのか、廊下の壁に打ち付けたらしい、体躯を追って踞(うずくま)っている。
「沖田さん!」
駆け寄ると同時に、室内に視線を走らせる。薄暗い部屋に男が一人、入り口から離れて立っていた。刀を手にしてはいるが、斬りかかってくる様子はない。
「しっかりしてください! 沖田さん!!」
敵を睨んで刀を向けて牽制しつつ、沖田の肩を叩く。呻き声をあがり、意識はギリギリあるようだった。息もしているし、手首の脈もある。
手さぐりにザッと体中を触らせてもらうが、激しい出血しているような個所は見当たらない。
…突き飛ばされた、蹴られた、投げられた……どうやって彼を…?
「雑魚がまた一匹増えたか」
「…雑魚とは、また見くびられたもんだ」
部屋の男が、鼻で一笑して口を開いたので、注意をそちらへ戻す。
沖田をこの状態にするのだから相当の手練れだろう。一騎討ちで自分が勝てるとは思わないが、応援が来るまでの足止めくらいしなければ、持ち場を放り出して来た意味がない。
刀を両手で構え直し、男の正面に立つ。
そして気付いた。
「あなた…」
思わず目を見開くも、すぐに眉根を寄せる。
夜闇に浮かぶその淡い色の髪を忘れるはずもない。二度、彼とは会ったことがある。
男はこちらを見てもいなかったらしく、私の声が途切れたのに気付いて振り向いた。
「ほう、今度は貴様か。奇怪な人間」
そうだ。うどん屋で張りこみをしている最中に、私と相席になって、私のことを自意識過剰やら短気やら貧相やら貧弱やら犬やら猫やら…好き放題言った後、さらには人間か否かまで問うた、失礼極まる男。
私は言われた悪口は忘れない派だが……今は、それはどうでもいい。
「やっぱり長州の仲間なんじゃないですか」
「…あのような義も理もない輩と一緒にするな」
吐き捨てるように男は言う。それは本当に忌々し気に見えた。
「前もそう言って、出くわしましたよね」
「俺は普段は大所高所からものを見ているが、精察すべき事柄をは、この目で確かめに来ているまで」
「長州以外の諜報員ですか」
「貴様、この俺を貴様のような三下と一緒にするな」
私も三下などとは言われたくないが……今は、それはどうでもいい。
「これは貴方がやったんですか?」
弥月は顔をクイと斜めに引いて、沖田のことを示す。
「その男も貴様と同じような事を言ったが、話の通じん狂人だったから倒したまで」
「…それはそれは、とんだご迷惑を」
なんとなく想像がついて、とりあえず非礼は詫びておく。
「ですが、私も仲間を害されたとあっては、貴方がどこの手の者か聞くまでは、私の敵でもありますからね。さあ、答えてもらいますよ」
「ハァ……先程から質問ばかりで、煩わしいな」
私が刀を向け、意気込んだと云うのに、男は無造作に得物を持った手を下したまま。嘗(な)められているというよりも、興味なさ気な様子が不気味で仕方ない。
先制の斬り込みは得意のはずが、斬り込んだ瞬間に、一撃で殺されるような気がしてならない。その一歩が踏み出せない。
―――っ、怖じ気づくな!
重心を落として、大きく踏み出す。右腕を上げ、突きを走らせる。
ガキンッ
…!? うそっ!
受け止められるのは予想していた。だが、片手で防ぎきれる程、私の剣圧は温くないはずだ。
それなのに、男はつまらない物でも見るかのように蔑んだ顔をして、そのまま片手で圧し返す。
「――っ!?」
こいつ!?
すぐさまその場を飛び退くが。避けきれず、かすった相手の剣先の跡に熱が走り、左頬から生温かいものが流れ出るのを感じ、痛みに表情を歪めた。
ゴクリと半ば無意識に唾を飲む。
落ち着け…落ち着け、気を乱したら一瞬で負ける
細く長く息を吐き、大きく吸って早鐘を打つ鼓動を静めた。グッと刀を握り直すと、この手によく馴染んだそれは、切っ先まで身体の一部のように使える自信がある。
その時、部屋の中だというのに、ヒュッと一筋の風が髪を揺らした。
――っ!?
突然にゾワゾワと身体の中を、何かがかけ巡るような気持ちの悪さ。
それは男の殺気ではないと感じ、事の正体を突き止めようと辺りを探るも、何も変わった様子はなく…その得体は知れないまま。
…
…ん?
……さっきまで、アレあった?
そして、男に視線を戻して気づいたことには、彼の額にある二対の何か……何かとは何、と聞かれるならば、一寸ばかりの突起物というか、骨っぽい固そうな白い角……そう、白い角だ。
もしや、私、寝不足で疲れ目とか……白いゴミ?
さっきの風で飛んできたゴミが頭に付いてて、それが角みたいに見えてるのではないかと疑うが。どう目を凝らして見ても、前頭部の髪の毛を掻き分けて生えてるようにしか見えないのだ。いくら月明りとはいえ、視力も2.0、2.0だから割りと自信はある。
「それ、さっきまでありました?」
両手が刀で塞がっていたので、彼の頭へ顎をしゃくって、素直に訊いてみる。
「……貴様は」
!?
突然に男が歩み寄り、こちらへ手を伸ばすのに瞠目し、弥月は一歩下がって刀を構え直す。
「寄るな!」
「邪魔だ」
キンッ
打ち払うように刀身同士を当てられて。
男は戦う気など微塵も無い風なのに、片手でも押しきる力の強さに血の気が引いた。
「――っあ゛ぁ!!」
「!?」
力の限りで、避けられた刀を振り戻す。男は目の前に刃先が返ってきたため、すぐに身を引いた。
弥月はすぐさま追撃するように突きを打つ。
……え?
身体が軽い。踏み切ると、翔ぶように身体が浮いた。
キィンギンッ
二撃、三撃と突きを避けられた後、男からの斬撃を、無理やり鍔迫り合いに持ち込んだ。二人の交った刃がギリギリと音をたてて鳴く。
「…両手、使ったね」
気づいてニヤリと笑ってやる。
上目で見上げると、男はあからさまに嫌そうな顔をしたが、弥月の勝気を否定するかのように、男は以とも容易く押しきる。
「――っと…」
しかし、鍔迫合いで勝てないことも予想できていた弥月は、重心を後ろへ落として、踵で畳を蹴った。
一蹴りで十分な距離を後退できたことに、やはり違和感を抱く。
…というか、どう考えてもおかしい
大股一歩下がるつもりで蹴ったのに、体がふわりと浮いて、三歩分は後退した。
満月の日だって、ここまで軽くは動けない。
「…あれ?」
私がまたほんの一瞬だけ他所に気をやっている間に、男の額から角っぽいアレは無くなっていた。
微妙に髪の色も違ったような気がするけれど……元々白っぽい髪としか判別できないほどには部屋が暗いから、月明かりの加減だろうか。
「…やはり分からんな。貴様、人間か?」
そう言う男は、私がまじまじと男の額を見ていること以上に、私の事を…頭の先からつま先までを、訝しむような表情で眺めていることに気付いた。
人間…?
そして、前の時も同じ質問をされた。その時に、私は「人間」と迷いなく答えたのに、彼が今またそれを問う意図は何なのだろう。
「…それ、どういう意味ですか?」
もしかして、言葉そのままの意味ではないのだろうかと思い、問い返す。
すると、男は片眉をわずかに跳ねたが、すぐに表情を消し、顎を上げて見下ろすようにして言った。
「訊いているのは俺だが、まあ良い。貴様、少なくとも、普通の人間ではなかろう」
「だいたい人間です」
「…それなりに自覚はあるようだな。無知なりに多少の分別はあるらしい」
こんな見た目だとか、爪とか毛とかが延びないとか、満月の日だけ過集中だとか、なぜか過去にいるとか…
…色々と規格外の人間だとは思うけれど、人間だと思う。
それに、何故それを知らない人にこんなにもチクチク…ブスブスと、刺されるような嫌な言い方で言われなければならないのか。
この世界に来てから、髪色のせいで好奇の視線を浴びることはよくあるが、金髪赤眼のそっちだって珍しいだろう。なぜ自分の事を棚に上げる。どこの国出身か自己紹介しろ。
そう思うと、段々と腹が立ってきて「髪、おそろいね」と揶揄ってやろうかと考える。絶対そういう“他人とおそろい”とか嫌いそうだから。
「無知な犬は、勘がよく働くといったところか」
…っていうか、なんっか、このイヤミ~な感じというか、イラッとくる感じに覚えが…
その時、スッと私と男の間に入り、視界を遮る影があった。
…そうだ、あんただ
「なんだ、戦えぬ雑魚が」
「僕はまだ戦える…っ!」
……
「…あっ、沖田さん!」
一瞬だけ呆けていたが、気づいて制止の声を出す。
飛びだした沖田さんは、次々と突きを繰り出すが、全て寸での所で交わされている。
いや…、遊んでる
敵は余裕というより、すでにつまらなさそうな様子をしているというのに。沖田さんは痛みに歪んだ表情をしながら、肩で息をしていて…沖田さんが倒れるのも時間の問題ということは窺い知れた。
もうちょっと、頑張って…!
沖田が立ち上がった今しかないと、勝機を逃すまいと刀を握り直した弥月は、二人が切り結んだ瞬間に、獣のように鋭く駆ける。敵の背後に回り、刀を降り下ろした。
ダンッ
しかし、男は沖田を剣で圧し飛ばして、弥月の斬撃から逃れた。沖田が壁を背に、再び崩れ落ちるのを見る。
「――っ!」
男はそこから弥月が振った刀を悠然と避けて、漫然と振り向きながら、何か言いかけて止める。そうしてまた考えるように、弥月を眺めた。
「沖田さん! 沖田さん、しっかりして!」
男が襲いかかって来ないことは、幸いと言うべきなのか。沖田さんのそばへ行き、肩を揺らす。
――っ、どうすればいい…!?
「…貴様、名は」
……
「…矢代、弥月」
答えると、男は何事か口の中で呟いた。
…?
「風間」
「!!」
ビクッと肩が震える。気付かぬ間にすぐ横に、別の男が立っていた。
この男も…!
こちらも以前、金髪の彼と一緒にいた、見知った男である。
そして彼らが並んで気付いたことには。
…こいつら気配が変だ。気配が無いとかじゃなくて、空気に混ざって溶けるような…
「天霧か、帰るぞ」
「…! 逃げるな、ちょっと待て!」
万に一つも勝てはしないが、誰かが加勢にくるまで引き留めなければ
風間はフッと鼻を鳴らしてから、弥月に背を向けて言う。
「俺は無用に同胞を殺す趣味はない」
「…?」
「貴様とは近いうちに、会い見(まみ)えよう」
その言葉に天霧が不可解な顔をするが、彼は誰にも何も追求せず、丁寧に「失礼します」とこちらに頭を下げてから、既に先に窓から出ていった風間を追う。
それを「逃げられた」と、呆然と見守っていたが、ここが二階であることに気付いて、枠に手をかけて身を乗り出し、下をのぞきこむ。
裏庭側の隊士に、刀を交えないように警告しようと思ったのだが、彼らの姿はもうそこになかった。
消えた…?
***
暗闇の中、一直線に奥へと駆け抜けた。途中、血溜まりや人体らしきものを踏んだが、一瞬も足を止めなかった。
「弥月!?」
「近藤さんは!?」
新八さんの声にチラリとだけ目をやる。まだ五体満足で、しっかりと剣を握って立っているのを見ただけで、少しホッとした。
「奥の部屋だ!」
「ありがと!…近藤さん!」
近藤と対峙していた男の一人を袈裟に斬り、驚いた男達の間を滑りこむように、近藤の背側に付く。
「弥月君、表は!」
「表は浅野君が! 山南さんより伝令です。会津から連絡なく、土方隊の到着を待ってほしいと…!」
「!!…そうか。だが、もう後には引けん!」
「はい!」
「ここは俺一人で構わん! 上を、総司達を…!」
「それは…っ!」
局長を置いて、彼らを助けに行けというのか
「できません!」
「命令だ、行け! この近藤勇、この程度では傷一つ付けられん!!」
「できません、局長!」
う゛あ゛あ゛あぁぁぁぁぁ!
裏庭から、一際大きな誰かの断末魔が聞こえた……誰の声かなど考えたくなかった。
「―――ッ!!」
「行けっ、弥月!! 総司らを死なせるな!」
「-――っはい!」
返事と同時に一人を斬り、そこを通り抜けて、行く手を塞ぐ浪士二人を斬り伏せる。
立ち止まっているよりも、この暗闇を進むことの、なんと恐ろしいことか。一瞬気を抜いただけで、敵の刃の位置を見誤る。元は人間だったと思しき弾力のあるものを踏みつけて、血溜まりに草鞋が滑りそうになる。
泣きたいほどの恐怖に駆られ、泣いて視界をぼやかすことが恐ろしかった。
大丈夫、近藤さんは死なない、まだ新選組は何も成してない、新選組はまだ終わらない! 大丈夫、まだだ…まだ、彼らを終わらせない!
階上にどんな敵がいるというのか、得体の知れないものへの恐怖に苛まれながらも、急な階段を駆け上がる。
上がった先で、襖(ふすま)を押し出したように、誰かが倒れていると思えば。
「――っ、沖田さん!?」
人の気配に警戒しながら近付けば、ダンダラ模様の羽織を着ている彼だった。中から投げ飛ばされたというのか、廊下の壁に打ち付けたらしい、体躯を追って踞(うずくま)っている。
「沖田さん!」
駆け寄ると同時に、室内に視線を走らせる。薄暗い部屋に男が一人、入り口から離れて立っていた。刀を手にしてはいるが、斬りかかってくる様子はない。
「しっかりしてください! 沖田さん!!」
敵を睨んで刀を向けて牽制しつつ、沖田の肩を叩く。呻き声をあがり、意識はギリギリあるようだった。息もしているし、手首の脈もある。
手さぐりにザッと体中を触らせてもらうが、激しい出血しているような個所は見当たらない。
…突き飛ばされた、蹴られた、投げられた……どうやって彼を…?
「雑魚がまた一匹増えたか」
「…雑魚とは、また見くびられたもんだ」
部屋の男が、鼻で一笑して口を開いたので、注意をそちらへ戻す。
沖田をこの状態にするのだから相当の手練れだろう。一騎討ちで自分が勝てるとは思わないが、応援が来るまでの足止めくらいしなければ、持ち場を放り出して来た意味がない。
刀を両手で構え直し、男の正面に立つ。
そして気付いた。
「あなた…」
思わず目を見開くも、すぐに眉根を寄せる。
夜闇に浮かぶその淡い色の髪を忘れるはずもない。二度、彼とは会ったことがある。
男はこちらを見てもいなかったらしく、私の声が途切れたのに気付いて振り向いた。
「ほう、今度は貴様か。奇怪な人間」
そうだ。うどん屋で張りこみをしている最中に、私と相席になって、私のことを自意識過剰やら短気やら貧相やら貧弱やら犬やら猫やら…好き放題言った後、さらには人間か否かまで問うた、失礼極まる男。
私は言われた悪口は忘れない派だが……今は、それはどうでもいい。
「やっぱり長州の仲間なんじゃないですか」
「…あのような義も理もない輩と一緒にするな」
吐き捨てるように男は言う。それは本当に忌々し気に見えた。
「前もそう言って、出くわしましたよね」
「俺は普段は大所高所からものを見ているが、精察すべき事柄をは、この目で確かめに来ているまで」
「長州以外の諜報員ですか」
「貴様、この俺を貴様のような三下と一緒にするな」
私も三下などとは言われたくないが……今は、それはどうでもいい。
「これは貴方がやったんですか?」
弥月は顔をクイと斜めに引いて、沖田のことを示す。
「その男も貴様と同じような事を言ったが、話の通じん狂人だったから倒したまで」
「…それはそれは、とんだご迷惑を」
なんとなく想像がついて、とりあえず非礼は詫びておく。
「ですが、私も仲間を害されたとあっては、貴方がどこの手の者か聞くまでは、私の敵でもありますからね。さあ、答えてもらいますよ」
「ハァ……先程から質問ばかりで、煩わしいな」
私が刀を向け、意気込んだと云うのに、男は無造作に得物を持った手を下したまま。嘗(な)められているというよりも、興味なさ気な様子が不気味で仕方ない。
先制の斬り込みは得意のはずが、斬り込んだ瞬間に、一撃で殺されるような気がしてならない。その一歩が踏み出せない。
―――っ、怖じ気づくな!
重心を落として、大きく踏み出す。右腕を上げ、突きを走らせる。
ガキンッ
…!? うそっ!
受け止められるのは予想していた。だが、片手で防ぎきれる程、私の剣圧は温くないはずだ。
それなのに、男はつまらない物でも見るかのように蔑んだ顔をして、そのまま片手で圧し返す。
「――っ!?」
こいつ!?
すぐさまその場を飛び退くが。避けきれず、かすった相手の剣先の跡に熱が走り、左頬から生温かいものが流れ出るのを感じ、痛みに表情を歪めた。
ゴクリと半ば無意識に唾を飲む。
落ち着け…落ち着け、気を乱したら一瞬で負ける
細く長く息を吐き、大きく吸って早鐘を打つ鼓動を静めた。グッと刀を握り直すと、この手によく馴染んだそれは、切っ先まで身体の一部のように使える自信がある。
その時、部屋の中だというのに、ヒュッと一筋の風が髪を揺らした。
――っ!?
突然にゾワゾワと身体の中を、何かがかけ巡るような気持ちの悪さ。
それは男の殺気ではないと感じ、事の正体を突き止めようと辺りを探るも、何も変わった様子はなく…その得体は知れないまま。
…
…ん?
……さっきまで、アレあった?
そして、男に視線を戻して気づいたことには、彼の額にある二対の何か……何かとは何、と聞かれるならば、一寸ばかりの突起物というか、骨っぽい固そうな白い角……そう、白い角だ。
もしや、私、寝不足で疲れ目とか……白いゴミ?
さっきの風で飛んできたゴミが頭に付いてて、それが角みたいに見えてるのではないかと疑うが。どう目を凝らして見ても、前頭部の髪の毛を掻き分けて生えてるようにしか見えないのだ。いくら月明りとはいえ、視力も2.0、2.0だから割りと自信はある。
「それ、さっきまでありました?」
両手が刀で塞がっていたので、彼の頭へ顎をしゃくって、素直に訊いてみる。
「……貴様は」
!?
突然に男が歩み寄り、こちらへ手を伸ばすのに瞠目し、弥月は一歩下がって刀を構え直す。
「寄るな!」
「邪魔だ」
キンッ
打ち払うように刀身同士を当てられて。
男は戦う気など微塵も無い風なのに、片手でも押しきる力の強さに血の気が引いた。
「――っあ゛ぁ!!」
「!?」
力の限りで、避けられた刀を振り戻す。男は目の前に刃先が返ってきたため、すぐに身を引いた。
弥月はすぐさま追撃するように突きを打つ。
……え?
身体が軽い。踏み切ると、翔ぶように身体が浮いた。
キィンギンッ
二撃、三撃と突きを避けられた後、男からの斬撃を、無理やり鍔迫り合いに持ち込んだ。二人の交った刃がギリギリと音をたてて鳴く。
「…両手、使ったね」
気づいてニヤリと笑ってやる。
上目で見上げると、男はあからさまに嫌そうな顔をしたが、弥月の勝気を否定するかのように、男は以とも容易く押しきる。
「――っと…」
しかし、鍔迫合いで勝てないことも予想できていた弥月は、重心を後ろへ落として、踵で畳を蹴った。
一蹴りで十分な距離を後退できたことに、やはり違和感を抱く。
…というか、どう考えてもおかしい
大股一歩下がるつもりで蹴ったのに、体がふわりと浮いて、三歩分は後退した。
満月の日だって、ここまで軽くは動けない。
「…あれ?」
私がまたほんの一瞬だけ他所に気をやっている間に、男の額から角っぽいアレは無くなっていた。
微妙に髪の色も違ったような気がするけれど……元々白っぽい髪としか判別できないほどには部屋が暗いから、月明かりの加減だろうか。
「…やはり分からんな。貴様、人間か?」
そう言う男は、私がまじまじと男の額を見ていること以上に、私の事を…頭の先からつま先までを、訝しむような表情で眺めていることに気付いた。
人間…?
そして、前の時も同じ質問をされた。その時に、私は「人間」と迷いなく答えたのに、彼が今またそれを問う意図は何なのだろう。
「…それ、どういう意味ですか?」
もしかして、言葉そのままの意味ではないのだろうかと思い、問い返す。
すると、男は片眉をわずかに跳ねたが、すぐに表情を消し、顎を上げて見下ろすようにして言った。
「訊いているのは俺だが、まあ良い。貴様、少なくとも、普通の人間ではなかろう」
「だいたい人間です」
「…それなりに自覚はあるようだな。無知なりに多少の分別はあるらしい」
こんな見た目だとか、爪とか毛とかが延びないとか、満月の日だけ過集中だとか、なぜか過去にいるとか…
…色々と規格外の人間だとは思うけれど、人間だと思う。
それに、何故それを知らない人にこんなにもチクチク…ブスブスと、刺されるような嫌な言い方で言われなければならないのか。
この世界に来てから、髪色のせいで好奇の視線を浴びることはよくあるが、金髪赤眼のそっちだって珍しいだろう。なぜ自分の事を棚に上げる。どこの国出身か自己紹介しろ。
そう思うと、段々と腹が立ってきて「髪、おそろいね」と揶揄ってやろうかと考える。絶対そういう“他人とおそろい”とか嫌いそうだから。
「無知な犬は、勘がよく働くといったところか」
…っていうか、なんっか、このイヤミ~な感じというか、イラッとくる感じに覚えが…
その時、スッと私と男の間に入り、視界を遮る影があった。
…そうだ、あんただ
「なんだ、戦えぬ雑魚が」
「僕はまだ戦える…っ!」
……
「…あっ、沖田さん!」
一瞬だけ呆けていたが、気づいて制止の声を出す。
飛びだした沖田さんは、次々と突きを繰り出すが、全て寸での所で交わされている。
いや…、遊んでる
敵は余裕というより、すでにつまらなさそうな様子をしているというのに。沖田さんは痛みに歪んだ表情をしながら、肩で息をしていて…沖田さんが倒れるのも時間の問題ということは窺い知れた。
もうちょっと、頑張って…!
沖田が立ち上がった今しかないと、勝機を逃すまいと刀を握り直した弥月は、二人が切り結んだ瞬間に、獣のように鋭く駆ける。敵の背後に回り、刀を降り下ろした。
ダンッ
しかし、男は沖田を剣で圧し飛ばして、弥月の斬撃から逃れた。沖田が壁を背に、再び崩れ落ちるのを見る。
「――っ!」
男はそこから弥月が振った刀を悠然と避けて、漫然と振り向きながら、何か言いかけて止める。そうしてまた考えるように、弥月を眺めた。
「沖田さん! 沖田さん、しっかりして!」
男が襲いかかって来ないことは、幸いと言うべきなのか。沖田さんのそばへ行き、肩を揺らす。
――っ、どうすればいい…!?
「…貴様、名は」
……
「…矢代、弥月」
答えると、男は何事か口の中で呟いた。
…?
「風間」
「!!」
ビクッと肩が震える。気付かぬ間にすぐ横に、別の男が立っていた。
この男も…!
こちらも以前、金髪の彼と一緒にいた、見知った男である。
そして彼らが並んで気付いたことには。
…こいつら気配が変だ。気配が無いとかじゃなくて、空気に混ざって溶けるような…
「天霧か、帰るぞ」
「…! 逃げるな、ちょっと待て!」
万に一つも勝てはしないが、誰かが加勢にくるまで引き留めなければ
風間はフッと鼻を鳴らしてから、弥月に背を向けて言う。
「俺は無用に同胞を殺す趣味はない」
「…?」
「貴様とは近いうちに、会い見(まみ)えよう」
その言葉に天霧が不可解な顔をするが、彼は誰にも何も追求せず、丁寧に「失礼します」とこちらに頭を下げてから、既に先に窓から出ていった風間を追う。
それを「逃げられた」と、呆然と見守っていたが、ここが二階であることに気付いて、枠に手をかけて身を乗り出し、下をのぞきこむ。
裏庭側の隊士に、刀を交えないように警告しようと思ったのだが、彼らの姿はもうそこになかった。
消えた…?
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