姓は「矢代」で固定
第十話 池田屋事件
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***
烝さんが屯所へ会津藩の様子を尋ねに行ってから、随分と時間が経っていた。
…いや、待ってるから長く感じるだけかな
私を含め、みんな鎖帷子や羽織を着こんで、暑くて苛々しているのは間違いない。
池田屋は『本日貸し切り』という割には、新選組が到着してからも、次々と客が入っていく様子があった。そしてついに、外で彼らを待っていた店主が中へ入ってから、そろそろ半時だろうか。
既に所司代たちとの待ち合わせである、戌の刻は過ぎている。
「くっそ…なにやってんだよ、会津藩は…っ」
「さすがに遅すぎる」
今にも飛び出さんとする平助や新八さんを見やって、弥月は声を出した。
「私、土方さん呼んできます」
私たちが確認しただけでも三十人近くが中にいるというのに、流石にこのまま討ち入るのは仲間として了承できずにそう言えば、「いや、待て」と近藤さんの制止がかかる。
「弥月君は池田屋の広さを知っているかね?」
「一階に二十畳程、二階に二十畳が二部屋ってところですね。この建物は奥に長いんですけど、入り口がここにあったら、すぐに階段があって、土間を過ぎた奥にも階段があります。上の部屋は廊下で繋がってますが、部屋同士は独立してます」
指で宙に図示して見せる。
「ここの部屋の間と、裏はどうなってる」
「ここは中庭上部が吹き抜けになってて、奥の部屋からは飛び降りれます。建物の奥は裏庭で、向こうの路に出られます」
「…長州藩邸側だね」
沖田の声に、弥月は「そうです」と頷く。
「裏庭で止めなきゃ、ぜってえ藩邸内に逃げられるじゃん。でも裏かぁ……オレ正面突破がイイなぁ…」
「僕だって正面がいいよ」
「おみゃあら若(わ)きゃあなぁ。矢代さは見習わにゃあ」
「そっちの命知らずと一緒にしないで下さい。この人数で周りを固めつつ、踏み込むなんて無謀過ぎます」
引き合いに指名されても困ると、安藤さんにそう言えば、“命知らず”は彼らだけではなかったようで、
「って、彼は言ってますが。どうします、近藤さん。待ってる間に逃がしちゃったら無様ですよ」
「クッ……やむを得ん。我々だけで踏み込むぞ」
その近藤の決断に、皆がニヤリと笑ってみせる。その言葉を待っていた、と。
…そうなるのね、どうしてもそうなっちゃうのね。皆せっかちすぎるから…
会合が終わったら終わったで、今度は出てきた奴等を捕まえれば良いのではと思うが、とりあえず彼らが“もう待てない”ことを理解した。
「俺と、総司、平助、永倉君で踏み込む。弥月君と浅野君、武田さんは正面を、残りは裏を固めてくれ。百数えたら踏み込む」
近藤の指示に各々が深く頷き、密やかに持ち場へと駆けていく。
弥月は正直ホッとしながら、沖田たちの後ろに立った。
自分は正面から逃げだしてきた奴を止める役だ。実際は近藤さん達が正面から踏み込む上、長州藩邸は裏口にあるため、こちらから逃げる者は少ないと予想される。
いくら腹を括ったとは言っても、味方にも損害が出るだろう乱戦に、先頭で突っ込んで行けるほど楽観的にはなれなかった。
岩城升屋の事件の時は、突発的事故に近い感覚だ。山南さんを助けるために勢いで飛び込んで、何も考える必要がなかった。ただ山南さんを護るために、目の前の敵を倒した。
けれど、今日はそうじゃない。ここで歴史に残る何かが起こる
私に配慮されたであろう役割に不満がない…それどころか、ありがたく思う自分は、隊士としては失格なのだろう。
「…情けないなぁ」
仕方のないことだと思っても、自嘲気味の笑いが零れる。
「…十八、十九、二十……四十で戸の前まで移動するぞ」
近藤の数を数える呟きが聞こえる。
決して真似したいわけではないが、近藤さんの指名で嬉々として飛び込めるだけの剣技と自信が欲しかった。
「ま、君は僕達の邪魔にならないように、その辺で蹲ってればいいよ」
それが自分に向けられたものだと気づいて顔を上げる。
沖田さんは私がすぐ後ろで独り言ちたのを聞いていたようで、揶揄するような調子で声をかけてきた彼をジッと見る。
「…七十八、七十九…」
「…何?」
沖田は近藤から目を離さず、けれど弥月の視線を感じて問うた。近藤が戸の前まで前進するのに後続しながら、沖田のそれに弥月は答える。
「いえ……やっぱり皆さんは凄いなぁって思って」
「…僕にはこれしかないからね」
「え?」
「…九十九、百! 主人はおるか!会津中将御預 新選組、詮議のため宿内を検める!!」
戸を蹴破り、近藤の掛け声とともに、彼らは建物内へと突入した。
奥の部屋から出てきた宿主らしき男は、浅葱色の羽織を視認して驚愕する。青い顔をして踵を返し、奥の部屋に戻る。
それからすぐに、それを追うように駆け込んだ近藤の勇ましい声が、入り口にまで届いた。
「御用改めである、手向かいすれば容赦なく斬り捨てる!!」
***
「ぐえ…っ!」
最初に出てきた浪士の腹を、ごめんなさいっと思いながら峰で強打する。
やはり正面玄関に出てくる人数は少ないため、自分と浅野さんの二人で賄(まかな)えている。戸から少し離れた所に武田さんもいるが、そこに敵が至ることなく仕留められていた。
中からは金属の打ち合う音や、人のような、獣のような悲鳴が絶えず聞こえるが、弥月は平静を保つために心を殺していた。
気が昂るのを止められない
良くも悪くも、中の様子が気になって仕方がない。仲間が中で奮戦しているのに、自分は安全なところに居て、これで飛び込むなという方が無理な話だ。
逃げても良い、逃げられても良いから、どうか早く…!
「くそっ…手が足りねぇ…! 誰かいねぇのか!!」
表に新八さんの焦った声が届く。武田さんが仲間の助けを求める声に反応し、歩を進めて、柄を握りしめるのが分かった。だが、『ここを通さない』という任務が、彼を縛り付けている。
「武田さん、行って下さい!」
「…!」
「ここは私達二人で大丈夫ですから!あっちに手を!!」
本当は……本当は、誰も死なないでほしいから
近藤さん
平助
新八さん
沖田さん
どうか、私の代わりに彼らを
武田は無言のまま大きく頷いて、獅子のような雄叫びとともに中へと駆け出す。彼の重厚な咆哮は逃げ惑う敵を怯ませ、相手が足を止めた隙に、その重い振りで敵を斬り倒していった。
浅野がまた戸から飛び出してきた一人の脚を斬り、悶えている間に右手首を切り落とし、暴れる男から鮮血が舞った。
男を縛り上げながら気付いたことには、まだこの鼻は機能していたらしい。また場の血の臭いが濃くなった。
「―――っん、弥月さん!!」
「!?」
その時、聞き覚えのある声に、弥月が「まさか」と振り返ると、走ってくる千鶴の姿が見えた。弥月は浅野に声をかけて、池田屋目前で転んだ彼女へ駆け寄る。
「どうして!?」
「さっ、山南さ、からの、伝令で…っ!」
「…!」
「――っ、会津藩からの連絡はまだなく、土方隊の合流を待ってほしいと!」
遅かった…!
その指示さえ早ければ、近藤さん達が踏みとどまったかもしれないのに。
「分かった! 山崎さん見てない?」
「途中、浪士に出くわして、その時別れてしまって」
「土方さんの方は誰か行ってる!?」
「元々、山崎さんがそちらへ行く予定で…っ!」
――っ、土方さんが到着するのにまだ時間がかかる…!
烝さんが三条を彼女とともに来たというならば、絶対にここを通らなければ、最短で四国屋へは行けない。きっと彼はまだ浪士と交戦中だ。
「ごめん、千鶴ちゃん! この笛を鳴らしながら祇園に行って! 絶対、監察の誰かが気付いてくれるから、土方さんに人数差に苦戦してるって伝えて!!」
首から下げていた笛を彼女へ差し出す。
千鶴ちゃんは汗だくで苦しそうな表情をしていたが、「はい!」と頷き、それを受け取って踵を返して駆けだした。
弥月はグッと拳を握る。
誰かに頼んでばかりで、私には何もできないのか…っ
新八さんの「誰か」という声が、何度も頭の中で反芻される。
戸の反対側にいる不安気な顔をした浅野さんに、厳しい表情で頷いた。
土方さん達が辿り着くまで、このまま耐えなければならないのだと。
―――誰か…っ!
「藤堂君!」
平助…っ!!
武田さんの声が聞こえて、間もなく、
「―――っ総司!?」
新八さんの上ずった声が聞こえた。
ダ メ
ゾワリと背を駆け上がった悪寒に、弾かれたように戸の陰から飛び出し、屋内へと駆け込む。
後ろで浅野さんが私を呼び止める声がしたが、止まってはいけないと、誰かが頭の中で叫んでいる気がした。
***
烝さんが屯所へ会津藩の様子を尋ねに行ってから、随分と時間が経っていた。
…いや、待ってるから長く感じるだけかな
私を含め、みんな鎖帷子や羽織を着こんで、暑くて苛々しているのは間違いない。
池田屋は『本日貸し切り』という割には、新選組が到着してからも、次々と客が入っていく様子があった。そしてついに、外で彼らを待っていた店主が中へ入ってから、そろそろ半時だろうか。
既に所司代たちとの待ち合わせである、戌の刻は過ぎている。
「くっそ…なにやってんだよ、会津藩は…っ」
「さすがに遅すぎる」
今にも飛び出さんとする平助や新八さんを見やって、弥月は声を出した。
「私、土方さん呼んできます」
私たちが確認しただけでも三十人近くが中にいるというのに、流石にこのまま討ち入るのは仲間として了承できずにそう言えば、「いや、待て」と近藤さんの制止がかかる。
「弥月君は池田屋の広さを知っているかね?」
「一階に二十畳程、二階に二十畳が二部屋ってところですね。この建物は奥に長いんですけど、入り口がここにあったら、すぐに階段があって、土間を過ぎた奥にも階段があります。上の部屋は廊下で繋がってますが、部屋同士は独立してます」
指で宙に図示して見せる。
「ここの部屋の間と、裏はどうなってる」
「ここは中庭上部が吹き抜けになってて、奥の部屋からは飛び降りれます。建物の奥は裏庭で、向こうの路に出られます」
「…長州藩邸側だね」
沖田の声に、弥月は「そうです」と頷く。
「裏庭で止めなきゃ、ぜってえ藩邸内に逃げられるじゃん。でも裏かぁ……オレ正面突破がイイなぁ…」
「僕だって正面がいいよ」
「おみゃあら若(わ)きゃあなぁ。矢代さは見習わにゃあ」
「そっちの命知らずと一緒にしないで下さい。この人数で周りを固めつつ、踏み込むなんて無謀過ぎます」
引き合いに指名されても困ると、安藤さんにそう言えば、“命知らず”は彼らだけではなかったようで、
「って、彼は言ってますが。どうします、近藤さん。待ってる間に逃がしちゃったら無様ですよ」
「クッ……やむを得ん。我々だけで踏み込むぞ」
その近藤の決断に、皆がニヤリと笑ってみせる。その言葉を待っていた、と。
…そうなるのね、どうしてもそうなっちゃうのね。皆せっかちすぎるから…
会合が終わったら終わったで、今度は出てきた奴等を捕まえれば良いのではと思うが、とりあえず彼らが“もう待てない”ことを理解した。
「俺と、総司、平助、永倉君で踏み込む。弥月君と浅野君、武田さんは正面を、残りは裏を固めてくれ。百数えたら踏み込む」
近藤の指示に各々が深く頷き、密やかに持ち場へと駆けていく。
弥月は正直ホッとしながら、沖田たちの後ろに立った。
自分は正面から逃げだしてきた奴を止める役だ。実際は近藤さん達が正面から踏み込む上、長州藩邸は裏口にあるため、こちらから逃げる者は少ないと予想される。
いくら腹を括ったとは言っても、味方にも損害が出るだろう乱戦に、先頭で突っ込んで行けるほど楽観的にはなれなかった。
岩城升屋の事件の時は、突発的事故に近い感覚だ。山南さんを助けるために勢いで飛び込んで、何も考える必要がなかった。ただ山南さんを護るために、目の前の敵を倒した。
けれど、今日はそうじゃない。ここで歴史に残る何かが起こる
私に配慮されたであろう役割に不満がない…それどころか、ありがたく思う自分は、隊士としては失格なのだろう。
「…情けないなぁ」
仕方のないことだと思っても、自嘲気味の笑いが零れる。
「…十八、十九、二十……四十で戸の前まで移動するぞ」
近藤の数を数える呟きが聞こえる。
決して真似したいわけではないが、近藤さんの指名で嬉々として飛び込めるだけの剣技と自信が欲しかった。
「ま、君は僕達の邪魔にならないように、その辺で蹲ってればいいよ」
それが自分に向けられたものだと気づいて顔を上げる。
沖田さんは私がすぐ後ろで独り言ちたのを聞いていたようで、揶揄するような調子で声をかけてきた彼をジッと見る。
「…七十八、七十九…」
「…何?」
沖田は近藤から目を離さず、けれど弥月の視線を感じて問うた。近藤が戸の前まで前進するのに後続しながら、沖田のそれに弥月は答える。
「いえ……やっぱり皆さんは凄いなぁって思って」
「…僕にはこれしかないからね」
「え?」
「…九十九、百! 主人はおるか!会津中将御預 新選組、詮議のため宿内を検める!!」
戸を蹴破り、近藤の掛け声とともに、彼らは建物内へと突入した。
奥の部屋から出てきた宿主らしき男は、浅葱色の羽織を視認して驚愕する。青い顔をして踵を返し、奥の部屋に戻る。
それからすぐに、それを追うように駆け込んだ近藤の勇ましい声が、入り口にまで届いた。
「御用改めである、手向かいすれば容赦なく斬り捨てる!!」
***
「ぐえ…っ!」
最初に出てきた浪士の腹を、ごめんなさいっと思いながら峰で強打する。
やはり正面玄関に出てくる人数は少ないため、自分と浅野さんの二人で賄(まかな)えている。戸から少し離れた所に武田さんもいるが、そこに敵が至ることなく仕留められていた。
中からは金属の打ち合う音や、人のような、獣のような悲鳴が絶えず聞こえるが、弥月は平静を保つために心を殺していた。
気が昂るのを止められない
良くも悪くも、中の様子が気になって仕方がない。仲間が中で奮戦しているのに、自分は安全なところに居て、これで飛び込むなという方が無理な話だ。
逃げても良い、逃げられても良いから、どうか早く…!
「くそっ…手が足りねぇ…! 誰かいねぇのか!!」
表に新八さんの焦った声が届く。武田さんが仲間の助けを求める声に反応し、歩を進めて、柄を握りしめるのが分かった。だが、『ここを通さない』という任務が、彼を縛り付けている。
「武田さん、行って下さい!」
「…!」
「ここは私達二人で大丈夫ですから!あっちに手を!!」
本当は……本当は、誰も死なないでほしいから
近藤さん
平助
新八さん
沖田さん
どうか、私の代わりに彼らを
武田は無言のまま大きく頷いて、獅子のような雄叫びとともに中へと駆け出す。彼の重厚な咆哮は逃げ惑う敵を怯ませ、相手が足を止めた隙に、その重い振りで敵を斬り倒していった。
浅野がまた戸から飛び出してきた一人の脚を斬り、悶えている間に右手首を切り落とし、暴れる男から鮮血が舞った。
男を縛り上げながら気付いたことには、まだこの鼻は機能していたらしい。また場の血の臭いが濃くなった。
「―――っん、弥月さん!!」
「!?」
その時、聞き覚えのある声に、弥月が「まさか」と振り返ると、走ってくる千鶴の姿が見えた。弥月は浅野に声をかけて、池田屋目前で転んだ彼女へ駆け寄る。
「どうして!?」
「さっ、山南さ、からの、伝令で…っ!」
「…!」
「――っ、会津藩からの連絡はまだなく、土方隊の合流を待ってほしいと!」
遅かった…!
その指示さえ早ければ、近藤さん達が踏みとどまったかもしれないのに。
「分かった! 山崎さん見てない?」
「途中、浪士に出くわして、その時別れてしまって」
「土方さんの方は誰か行ってる!?」
「元々、山崎さんがそちらへ行く予定で…っ!」
――っ、土方さんが到着するのにまだ時間がかかる…!
烝さんが三条を彼女とともに来たというならば、絶対にここを通らなければ、最短で四国屋へは行けない。きっと彼はまだ浪士と交戦中だ。
「ごめん、千鶴ちゃん! この笛を鳴らしながら祇園に行って! 絶対、監察の誰かが気付いてくれるから、土方さんに人数差に苦戦してるって伝えて!!」
首から下げていた笛を彼女へ差し出す。
千鶴ちゃんは汗だくで苦しそうな表情をしていたが、「はい!」と頷き、それを受け取って踵を返して駆けだした。
弥月はグッと拳を握る。
誰かに頼んでばかりで、私には何もできないのか…っ
新八さんの「誰か」という声が、何度も頭の中で反芻される。
戸の反対側にいる不安気な顔をした浅野さんに、厳しい表情で頷いた。
土方さん達が辿り着くまで、このまま耐えなければならないのだと。
―――誰か…っ!
「藤堂君!」
平助…っ!!
武田さんの声が聞こえて、間もなく、
「―――っ総司!?」
新八さんの上ずった声が聞こえた。
ダ メ
ゾワリと背を駆け上がった悪寒に、弾かれたように戸の陰から飛び出し、屋内へと駆け込む。
後ろで浅野さんが私を呼び止める声がしたが、止まってはいけないと、誰かが頭の中で叫んでいる気がした。
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