姓は「矢代」で固定
第十話 池田屋事件
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***
―――暑気あたりの人は、できるだけ衣服を脱がせて、体温がまだ高いようなら濡れた布を全身に張って熱を逃がす。濃くなって足りない血液を頭に送るために、足先を上げると良い。身体の水分が抜けすぎて、カラカラで汗をかけない状態になっているから、たくさん水と塩を摂らせる。汗をかくのにエネルギー…力を使うから、栄養として砂糖も食べさせる―――
―――食あたりの人は、下痢や嘔吐で、身体の中の水分とミネラル…栄養が失われているから、これも水、塩と砂糖を十分に摂らせる。下痢と嘔吐は、バイキンを出すためのものだから、薬で無理に止める必要はない―――
―――どちらも重ければ症状は数日続くし、中熱は怠さが尾を引くこともあるけれど、補水に気を付けていれば回復が違う。寝てても起こして、一日桶一杯は飲ませて。飲めないなら少しずつ、塩分、糖分が濃いものと一杯の水を―――
千鶴は元々持っていた知識と、弥月の言ったことを照らし合わせて、要るものと要らないものを考えて治療にあたる。山崎さんのものだという、漢方の備蓄も出してもらった。
患者の中には、炊事で見知った人や、優しく話しかけてくれたことのある人もいた。それに、ひどく疲れた顔をしていた弥月の力になりたかったから、千鶴はその役を進んで引き受けた。
けれど、これは自分のためだ
「今から大きな討ち入りがあるから、屯所の中は人数が減る。だから、あなたにとって逃げる好機だと私は思う」
久方ぶりに私の部屋に現れた弥月さんは、黒い装束に身を包んで、険しい表情をしていた。そして藪から棒に、そう言った。
「どうするかは千鶴ちゃんが決めたら良いし、もちろん、その決定を私に言う必要はない。私は自分の仕事があるから手伝えないし、場合によっては、貴女を捕えなきゃいけない」
「…なぜ、私にそれを…?」
「…助言と、忠告。私は貴女の屯所内での待遇を改善するために画策したり、逃げるのをこっそり見逃したりすることができるけど、いつでもそうできるかと問われたら違う。
私は私が大切だし、みんなと貴女を天秤にかけることもある。それは私だけじゃなくて、他人はいつでもそうし得るから……最後に信じられるのは自分の知恵だけと思ってて」
逃げても構わない……それは助言。今まで逃げるなと言った彼が、するなら今日だと教えてくれた。
後は全て忠告だと、自分の知恵を使って、自分で判断しろと言った。
「…自分のすることは、自分の責任ということですね」
「…うん」
「逃げた後は、京の街にはいられませんよね」
「…悪いけど、京に残って千鶴ちゃんが綱道さんを探すなら、監察はどんなに貴女が隠れようとも、きっと見落とさない。次の好機でも同じ。私としては江戸に帰ってほしい」
なぜ彼がそんな辛そうな顔をするのだろう。弥月さんが私を助ける義務なんて最初からないのに。
けれど、きっと彼にそう思わせてるのは、私が頼りないからだ
「…私は運悪く、事件に遭遇し、半年ここに軟禁されている状態で……とても不便で、私は悪い事なんてしてないのに、なぜこんな目に合うのかと理不尽さに腹が立ったこともあります」
謂れのない罪で殺されることが恐くて、不安で、夢に見て、何度も泣いた。
でも、
京にきた理由を訊いてくれた、土方さん
ご飯を一緒に食べようと言ってくれた、平助君
いつも女の子として気にかけてくれる、原田さん
屯所の外へ出る方法を考えてくれた、沖田さん
私の気概を認めてくれた、斎藤さん
私が立ち上がるならば、前を向くならば、力を貸してくれる人がいる。
私を背負って助けるんじゃなくて、力を貸してくれる人がいる。
「けど、今は違います。父様を探すという、元々京にきた目的を果たせています。そして、父様を見つけることが想像していたより、難しいということを知りました。もし、ここから出て、宛もなく、後ろ盾もなく探していたら、すぐに旅費は尽き、成果を出せないまま江戸に帰らなければならないと思います。
だから、私はここで生活をしながら父様を探す……ここには一人では集めきれない、私が聞くことができない幕府の色々な情報が入って来ます。私はそれが欲しい」
もう逃げたいなんて思ってない。
父様が見つかって、みんなに挨拶をして、大手を振って出ていくことが私の目標。
「だから、私は私のためにここに居ます」
これが私の意志
元々同じように囚われていたという弥月さんに、なぜ隊士になったのかと質問したら、『身寄りもお金もなくて。出て行っても、生活する基盤がなかった』と話された。
平助君がそんな弥月さんに『嘘つけ、剣術馬鹿のくせに』と言って、お互い笑い合っていたから、きっとそれだけじゃないんだと思ったけれど…
…少なくとも、弥月さんは地に足をつけて、選ぶときは一歩先を見据えて歩いていた。
助けてもらうのを待つのは終わろう。私も自分で走れる人になりたい
弥月は放心したように千鶴の話に聞き入っていたが、しばらくして破顔し、眦(まなじり)下げてを笑う。
「物凄くカッコイイけど……なんだかなぁ…」
「人手不足なんですよね。できることがあれば、どうぞ使って下さい」
「困ったなぁ。ここにも男前がいるよ」
弥月さんのそれには「失礼ですね」と笑って応え、隊士さん達の現状を聞きながら勝手場へと向かう。
そうして、夕刻よりバタバタと騒がしい屯所内で、弥月から今から起こる出来事を聞き知った千鶴は、キリリと表情を引き締めて、たっぷりと水を張った桶を持って走った。
***
―――暑気あたりの人は、できるだけ衣服を脱がせて、体温がまだ高いようなら濡れた布を全身に張って熱を逃がす。濃くなって足りない血液を頭に送るために、足先を上げると良い。身体の水分が抜けすぎて、カラカラで汗をかけない状態になっているから、たくさん水と塩を摂らせる。汗をかくのにエネルギー…力を使うから、栄養として砂糖も食べさせる―――
―――食あたりの人は、下痢や嘔吐で、身体の中の水分とミネラル…栄養が失われているから、これも水、塩と砂糖を十分に摂らせる。下痢と嘔吐は、バイキンを出すためのものだから、薬で無理に止める必要はない―――
―――どちらも重ければ症状は数日続くし、中熱は怠さが尾を引くこともあるけれど、補水に気を付けていれば回復が違う。寝てても起こして、一日桶一杯は飲ませて。飲めないなら少しずつ、塩分、糖分が濃いものと一杯の水を―――
千鶴は元々持っていた知識と、弥月の言ったことを照らし合わせて、要るものと要らないものを考えて治療にあたる。山崎さんのものだという、漢方の備蓄も出してもらった。
患者の中には、炊事で見知った人や、優しく話しかけてくれたことのある人もいた。それに、ひどく疲れた顔をしていた弥月の力になりたかったから、千鶴はその役を進んで引き受けた。
けれど、これは自分のためだ
「今から大きな討ち入りがあるから、屯所の中は人数が減る。だから、あなたにとって逃げる好機だと私は思う」
久方ぶりに私の部屋に現れた弥月さんは、黒い装束に身を包んで、険しい表情をしていた。そして藪から棒に、そう言った。
「どうするかは千鶴ちゃんが決めたら良いし、もちろん、その決定を私に言う必要はない。私は自分の仕事があるから手伝えないし、場合によっては、貴女を捕えなきゃいけない」
「…なぜ、私にそれを…?」
「…助言と、忠告。私は貴女の屯所内での待遇を改善するために画策したり、逃げるのをこっそり見逃したりすることができるけど、いつでもそうできるかと問われたら違う。
私は私が大切だし、みんなと貴女を天秤にかけることもある。それは私だけじゃなくて、他人はいつでもそうし得るから……最後に信じられるのは自分の知恵だけと思ってて」
逃げても構わない……それは助言。今まで逃げるなと言った彼が、するなら今日だと教えてくれた。
後は全て忠告だと、自分の知恵を使って、自分で判断しろと言った。
「…自分のすることは、自分の責任ということですね」
「…うん」
「逃げた後は、京の街にはいられませんよね」
「…悪いけど、京に残って千鶴ちゃんが綱道さんを探すなら、監察はどんなに貴女が隠れようとも、きっと見落とさない。次の好機でも同じ。私としては江戸に帰ってほしい」
なぜ彼がそんな辛そうな顔をするのだろう。弥月さんが私を助ける義務なんて最初からないのに。
けれど、きっと彼にそう思わせてるのは、私が頼りないからだ
「…私は運悪く、事件に遭遇し、半年ここに軟禁されている状態で……とても不便で、私は悪い事なんてしてないのに、なぜこんな目に合うのかと理不尽さに腹が立ったこともあります」
謂れのない罪で殺されることが恐くて、不安で、夢に見て、何度も泣いた。
でも、
京にきた理由を訊いてくれた、土方さん
ご飯を一緒に食べようと言ってくれた、平助君
いつも女の子として気にかけてくれる、原田さん
屯所の外へ出る方法を考えてくれた、沖田さん
私の気概を認めてくれた、斎藤さん
私が立ち上がるならば、前を向くならば、力を貸してくれる人がいる。
私を背負って助けるんじゃなくて、力を貸してくれる人がいる。
「けど、今は違います。父様を探すという、元々京にきた目的を果たせています。そして、父様を見つけることが想像していたより、難しいということを知りました。もし、ここから出て、宛もなく、後ろ盾もなく探していたら、すぐに旅費は尽き、成果を出せないまま江戸に帰らなければならないと思います。
だから、私はここで生活をしながら父様を探す……ここには一人では集めきれない、私が聞くことができない幕府の色々な情報が入って来ます。私はそれが欲しい」
もう逃げたいなんて思ってない。
父様が見つかって、みんなに挨拶をして、大手を振って出ていくことが私の目標。
「だから、私は私のためにここに居ます」
これが私の意志
元々同じように囚われていたという弥月さんに、なぜ隊士になったのかと質問したら、『身寄りもお金もなくて。出て行っても、生活する基盤がなかった』と話された。
平助君がそんな弥月さんに『嘘つけ、剣術馬鹿のくせに』と言って、お互い笑い合っていたから、きっとそれだけじゃないんだと思ったけれど…
…少なくとも、弥月さんは地に足をつけて、選ぶときは一歩先を見据えて歩いていた。
助けてもらうのを待つのは終わろう。私も自分で走れる人になりたい
弥月は放心したように千鶴の話に聞き入っていたが、しばらくして破顔し、眦(まなじり)下げてを笑う。
「物凄くカッコイイけど……なんだかなぁ…」
「人手不足なんですよね。できることがあれば、どうぞ使って下さい」
「困ったなぁ。ここにも男前がいるよ」
弥月さんのそれには「失礼ですね」と笑って応え、隊士さん達の現状を聞きながら勝手場へと向かう。
そうして、夕刻よりバタバタと騒がしい屯所内で、弥月から今から起こる出来事を聞き知った千鶴は、キリリと表情を引き締めて、たっぷりと水を張った桶を持って走った。
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