姓は「矢代」で固定
第二話 はじめてのお仕事
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左前腕の包帯をクルクルと解き、手を開いたり閉じたりしてみる。前腕にギュッと力を入れたり、回旋させたりしても、引き攣らないことを確認する。
「よし」
亡き師に斬られたときの傷は、痕を遺して完治した。
原田隊での深夜巡察も三日目。今日こそ弥月に、夜半の死番が回ってきた。
「それじゃあ、行くか」
「よーし。きばってこー」
左之助と安藤の声で今日も出発。
弥月は薄らぼんやりと辺りを照らす提灯を片手に、「おー!」と気合を入れた。
***
嫌な気配、角を曲がる度にそれが大きくなってる気がする。初めての深夜の死番で緊張して、些細なことにも過敏になっているのかもしれない。
気の休まらない道中、わずかにすり足の音を立てながら歩く。
ビビッてるから刀に手が掛かってるわけじゃない、もしもの時の保険だ。生命保険。いつでも一緒さあひるんるん。
本日は曇り、月明かりはわずかにある程度。
「あ。ほら……矢代さ、あっちの柳の根本…」
「分かりましたって!」
と言いつつ、絶対そちらは見ない。後ろから安藤助勤が面白くなさそうに、「見てぇなあ」と肩を叩いて訴えるが、私は見ない。
決して怖いわけじゃないが、マジで居たら困る。見なかったことにできる自信がない。寧ろ、あんたが坊主じゃないか。頼むからどうにかしてくれ。
「ハァ…もう分かりましたから。そういう事は尾関さんにでも言ったら、良い反応もらえますから。
今日の私は必死なんです。よそを当たってください」
「えぇ―そないにどえりゃあ気張っとたら、てっぺん禿げるがや……やってぇ、尾関さ!」
「ふぁい? なんですか」
隊列の後ろに居る尾関の所に、わざわざ安藤が行って「あこ見て」と話しかけると、「ぅひぃっ」とただならぬ声が上がった。やだ、もう絶対見ない。
なんか憑いて…付いて来てたら怖いし、もう、今日はサクサク帰ろう。そうしよう。
「天誅!」
!?
驚いて提灯を取り落とす。
敵!?
そのまま腰の竹光を鞘ごと抜き、二歩下がって近づいてきた物を両手で打ち払った。すぐさまに二撃目が来るが、今度は切り結んで、力づくで押し上げるようにして、グッと敵の身体に身を寄せる。ギギギ...と凹凸(おうとつ)のある鞘が擦れて鳴いた。
視線を走らせて、刃の向こうにある男の全体像を捉える。その眼光鋭い目に、相手は本気であることを覚る。
敵の脇腹に狙いを定め、脚を振り上げようと、刀を握る手と軸足に力を入れた。
「―ーッ!」
しかし、突然、敵の脇から出てきた刀を、斜め後ろに跳び下がり、寸での所で交わす。押し合っていた敵の刀は抗力を失い、地に着くほど勢いよく降りてきて、弥月の袴の裾をかすった。
闇の中から「クソッ」と忌々しげに吐き捨てる声が聞こえた。
「矢代さん!」
「大丈夫です!」
敵は複数名。三…いや、四人。横にいた隊士も刃を交わしあっていた。そこに安藤の援護が入ったのを耳で聞く。
「こっちもか!」
「くそっ!挟まれた!!」
後ろの左之さん達の声と、複数の剣戟の音。どうやら後ろからも敵は現れたらしく、細い路地で、相手に取り囲まれるような態勢になった。
――っ見えない…!
暗い。
敵は距離をとったのか、足元の灯りに映らないような場所にいる。提灯を掲げたら映るのだろうが、刀を片手にそれも危険だった。
槍を持つ隊士が「援護します」と横に着く。それにコクンと頷いた。
「原田さ! 残り前三人!」
「後ろは五だ!」
弥月達は刀と槍をそれぞれ斜め前に構えながら、ジリ…ジリと足を踏み出す。
すぐそこに荷車があって、その陰から飛び出してきたのだと思われる。ただ、民家に潜んでいるという可能性も捨てきれないから、注意深く歩を進めた。
フッと人の動く気配。
キンッ
仲間の槍が、男の刃と交わる。そうすると槍の攻撃範囲が長い分、迂闊にそこには入って行けない。
二人の動きを目の端に映して、耳で追いながら、もう一人いるはずの気配を探る。
…そこに…居る?
息を潜めているのか、分からない。二人全く同じ所に隠れる可能性はあるか?
ビュッと風を突く音が何度かして、仲間の一突きが、男の脇腹を貫いた。
「――ッ抜けないっ…!」
「!?」
奇(く)しくも、柄の部分まで男を貫通した槍が、抜けなくなったらしく、弥月は危険を察知する。
くぐもった悲鳴を上げながら、槍に刺されて下がった男に、弥月は腰を屈めながら足を踏み出して、下から上へ鳩尾を鞘尻で突き上げた。
入った
「ぐぅ……う゛お゛おおおぉぉ!!」
「なっ…!」
突き上げられた衝撃に、首を反らした男だったが、それでは気絶していなかった。槍が腹にささったままの彼は、喉を震わせて雄叫びを上げ、斜め下にいた弥月に太刀を振り下ろす。
ガンッ
「――っ!」
弥月は両腕で鞘を掲げて、真上から来たそれを受け止めた。
すると機を窺っていたのだろう、もう一人の男が飛び出したのを、弥月は男の脇から見た。この体勢では動けない。
しまっ…
ギンッ
「ここはあっしが!!」
敵の腹から抜けない槍を棄てて、刀を抜いた仲間の援護に、わずかに安堵の息を漏らすが、目の前の男の足が動いたのが眼に入る。
弥月は膝で屈むような姿勢になっていたため、腹を強く蹴り飛ばされた。
「グぅッ…」
「矢代さん!」
一瞬、横隔膜が揺れて息が止まったが、咄嗟に身体を引いたお蔭で、幾分痛みは軽かった。痛みの程度からこれくらいなら大丈夫だと、日ごろの鍛錬で知っている。
何とか立った姿勢を保ち続け、真っ直ぐに姿勢を正した。
…
……斬る
誰が気付いただろうか。
剣技も体力も判断力も、目の前の敵を上回っている弥月が、敵に気圧されていることに。
ゆらりと揺れた敵。その腹には槍が刺さったままであった。
薄暗い中で男と目が合って、ゾワリと何かが背を這い上がる。
こちらを向いた刃。ただ釣られるように、弥月もそちらへと鞘を向けた。
「抜け! 弥月!!」
どこか遠くに左之さんの声を聞いた。
「――っう゛おぉぉぉ!!」
「覇ッ!」
鞘で刃と打ち合おうとするものの、敵に刺さったままの槍が邪魔で、上手く間合いを詰めることができない。
それは相手も同じだったようで、男は大きく刀を振りかぶった。胴はガラ空きになったが、この状況でのそれに、弥月は動揺する。
投げっ…!?
「――カ野郎っ!」
シュンッと後ろから通り過ぎた物。
弥月は目を見張る。自分の斜め後ろから飛んできたものは、長い柄のついた、槍。
状況を理解するのは、弥月も敵もほぼ同時であった。
男は自分の前方から後方へと、首に刺さった棒にゆっくりと視線を彷徨わせる。
「――――あ゛あ゛ぁぁぁ!!!」
「!!」
それでも男が投げ放った刀を、弥月はなんとか弾き返した。刀は飛んで行ったが、すぐさま次の脇差が抜き放たれる。
男は動く度にあちこちで血を流しながら、弥月に太刀を浴びせた。
――っぶな…!
敵の喉にある槍の柄が、弥月の顔に当たりそうになって、咄嗟にそれを掴んだ時に、ズルッとそれは大きく動いた。そして、男の動きと共に、貫通していた刃が半分ほど抜ける。
それが肉を押し分ける触感に、思わずそれから手を離した。
弥月が槍を半分だけ抜いた状態で、固まったのを見たはずの男だったが、何を思ったか、男は自分から最後までそれを引き抜いた。
刃が男から完全に抜けきると、そこから吹き出すように血が止めどなく飛び散り、弥月の羽織袴を濡らした。それでもまだ男は動いていたが、間もなく、ヒュッと息を喘ぐようにして膝から崩れ落ちる。
腹に刺さったままの槍が邪魔をして、男は横向きに倒れた。ボタボタと大量の血は地面に広がっていく。すぐに足元には血溜まりができた。
ビクビクと身体を震わせながら、弥月の足元で僅かに喘いだ男。彼の力んだ拳が、パタリと地に落ちるのに、そう時間は掛からなかった。
嗅いだことのある、鉄さびの臭い
鼻につく程度から、徐々に身体に纏わりつくほど蔓延する臭いに、むかつきを覚える。
思わず空いていた左手で鼻を塞ぎ、ザリと音を立てながら一歩下がった。
「馬鹿野郎!!」
ガッと肩を掴まれて振り返ると、今度は襟首を掴まれて、引き上げられる。つま先立ちになって、目の前にある顔をぼんやりと見た。
「ああいう時は何が何でも抜け!!
お前の決め事かなんかは知らないけどな、いつもの甘い考えが通用しないのなんか、すぐ分かっただろうが!
できると思ったから死番任せてんだ! 他の隊士を危険に晒すな!!」
空気を震わせて伝わる振動に、ふっと我に返り、目の前の男に焦点が合う。左之さんの怒りに満ちた表情に、返す言葉が見つからず、ただ息が詰まった。
理解した言葉に……他の隊士…と振り返ると、先程もう一人の敵を任せた彼が、腕から血を流して、安藤さんに手当をされている。
倒れている敵は死んでいるらしい。手足を縛られ、猿轡を噛まされている者は三人だけだった。
弥月は視線を泳がせながら、左之助の襟元に視線を戻す。
弥月の右手には鞘がついたままの木刀。腰には抜かれなかった真剣。
もし、敵の人数がもっと多くて、誰の援護も無かったら、これで自分の命を守ることができただろうか。
どんな時でも自分で自分の身は守れるようにと、長年教えられたはずだ。家での流派稽古は、そのための実践的な稽古だった。
もし、私が刀を抜いていれば……もし、鞘でなく刃で、皆と同じように闘っていたのならば、彼は怪我をしなくて済んだはず。
もし、必要になれば抜けるようにと、斎藤さんに抜き方を教わった。気配を読んで、素早く鞘から抜いて、その剣先を彼に向けた回数は数えきれない。
だけど、抜けなかった
もしもの時は訪れたのに
自分も仲間も守れなかった
治ったはずの、左腕の傷痕がジクジクと痛む。
顔を歪めただけで何も言わない弥月から、左之助は手を離す。
「安藤さん、こいつと…尾関と三人で、捕まえた奴らを連れて帰ってくれねえか。残りは巡察を続ける」
安藤は了承して、「ほな、帰ろか」と二人に声をかけた。
弥月は是も否も反応できず、ただ指示された通りに、気絶した男を抱えるので精一杯だった。