姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
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文久三年九月十六日
土方side
「今日は先約がある」
「先約?」
「お前たちには関係のないことだ。どうしても今日宴会をしたいと言うのであれば、犬でも連れて行け」
今日が決行の日。芹沢さんを揚屋に連れていき酔わせた後、就寝後に少数精鋭で夜襲をかける。
下衆い方法だが、確実に殺るためには手段を選んではいられない。
その誘いを朝の内に八木邸まで来て申し入れたのだが、察知してか見事に断られた。
聞き返す隙もねぇ
内心舌打ちしながら、「なら、また後日」と踵を返す。
最近、上からの圧力も限界といったところで、これ以上問題が起こらないうちにカタをつけたい。つまり、早いに越したことはない。
今日は絶好の暗殺日和だった。雨雲で空は暗く、視界不良。
この雨が続くと良いが…
誘いの失敗を報告しに、近藤さんの部屋へと足早に向かう。山南さんや数名の幹部がともに、そこで待機している。
くそっ…次の機会がいつくるか…!
近藤の部屋までの最後の一角を曲がる。
ドンッ
「ぶぁっ!」
不覚にも苛々し過ぎて、同じく反対側から角を曲がった人の気配に気が付かなかった。自分より小さい相手に「ぶつかる」と思ったときには時すでに遅し。ぶつかった衝撃で、壁に強かに身体をぶつける。
「あ゛ぁ!? 避けやがれ、このボケぇ!!」
瞬間的に口から出た。
「……すいません」
対して、小さく発せられた謝罪。
ぶつかって尻もちをついていた相手は矢代だった。転んだ時に手をついたのだろう、手首を捻って動かしながら俺を見上げた。
「そんな怒んなくてもいいじゃないですか…お互い様なんですから」
「俺は考え事してたんだ。てめぇも、足音消すのだけはいっちょ前になりやがって……そろそろ人の気配くらい読めるようになりやがれ」
「……私も考え事してたんですし。すーみませーんでーした!」
俺の機嫌が悪いのを覚ったのか、矢代はさっさと立ち上がって、そのまま通りすぎようとしたのだが。
俺は慌てて彼の手首を掴む。
「待て、お前どっから来た」
矢代は明からさまに煩わしそうな顔をした。そして、ちらりと手首を見てから答える。
「…山南さんの部屋ですけど。なんか近藤さんのとこで会議中みたいだったから、後にしようと思って」
山南さんと近藤さんの部屋は向かいだ。
「てめぇ…何か聞きやがったか」
「何も。私の気配に気づいてたみたいですから、誰も喋ってませんでしたよ」
「…嘘じゃねぇだろうな」
「…それは戻って訊いたらいいんじゃないですか。『矢代がそこにいたが、何も聞かれてねぇだろうな』って」
「…」
「手、放してもらえません?」
土方が眉間に皺を刻みながらも手の力を弛めると、するりと指が抜けていった。
「絶讚、三猿運動実施中ですから、殺されるようなヘマはしませんよ。
じゃあ、また半時くらいしたら来ますから」
弥月ほ踵を返して、今度は雨音に負けないくらいの足音をたてて歩いていく。
俺は揺れる長い金髪を見ながら、眉間の皺をさらに深くした。
***
弥月side
半時後、山南さんの部屋を訪室すると、土方さんが伝えておいてくれたのか、部屋の主に「お待ちしていました」と笑顔で出迎えられた。
「すみません、お忙しい時間帯なのは分かってたんですけど…」
「お気になさらず。こちらこそ何も聞かずに追い返してしまって、すみませんでした。急ぎの用事だったのでしょう?」
弥月は座布団をすすめられて腰を落ち着ける。
こうして山南さんと向かい合うのは久しぶりだ。
特に呼ばれないから訪室することもなかったし、一度用事で訪ねた時も留守にしていたから。
「急ぎ…って程でもないんですけど…あの、この前の『局中法度』のことなんですけど…」
そこで言葉を切った弥月は、次の言葉を選んでいたのだが。ちょうど良い具合のものが思いつかなくて、顔色を窺うように口を開いた。
「…私にも有効ですか?」
きょとん、というのが適当だろう。山南は眼鏡の向こうで、切れ長の目をパチパチとする。
平隊士のみならず、幹部達もやいやいと文句や何やらを言っているのは、通知以来あちらこちらで見られていた。
しかし、『自分にも関係があるのか』などと、間が抜けたようなことを言う者は初めてだった。
「…関係ないと思ったのですか?」
山南は思わず聞き返す。
平隊士に発表した時、その場に矢代君はいたし、顔をしかめて神妙な面持ちで聞いていた。
まさか関係ないとは思わないはずなのだ。
「関係ないとは思ってないんですけど。ただ『局を脱するを許さず』って、そりゃ困るなぁと思って」
「脱走する予定でも立ったのですか?」
「今のところ無いですけど……だっていざ帰れる時に『帰ります』って言って、『じゃあ切腹』ってなるなら、私黙って帰らなきゃいけないじゃないですか。
それはちょっとお世話になってる身としてはどうかと思ったので。例外とか適応されないのかなーって」
いまいち…どころか"いまじゅう"くらい、あの『局中法度』というのがよく分からない。
『士道』が分からないのは私が悪いとしても。
『金策』って博打のこと?給金内での投資もだめ?
『訴訟』って、そもそも何さ。離婚のときの家裁みたいな?大岡越前みたいな所は行ったらダメってこと?
『私闘』って『死闘』じゃないの?おかずの取り合いも入るの?
とか、とか。
日本語を知らない自分が悪い気もするが、日本国憲法並みに曖昧だと思う。
眉を寄せて山南さんを見ると、彼も顎に手を当てて首を捻った。
「あの項は、主に組の情報が漏出するのを防ぐためのものですから……あなたの場合は、未来に帰るならば、死んでもらうというのも意味のないことなので…」
山南は考えながら「まぁ…良いんじゃないでしょうか」と言った。
「やっぱり融通効くんですね。」
「そうですね…あくまで、牽制の意味もありますから」
「間者さんですか?」
「間者さんもですが……ここももう大分烏合の集となりましたからね。組が組織として一つの方向性を持って進むには、規則がなければ統率がとれませんから」
弥月はそうですねと相槌を打ちながら、ふと先ほどのことを思い出した。
「そういえば、土方さん何か言ってました?」
「……何かとは?」
「矢代がうざいとか、矢代は怪しいとか、矢代には死んでもらえとか」
内容とは裏腹に、あっけらかんと問うた弥月。山南はクスリと笑いながら「さあねぇ」と言う。
「誰かさんが貴方に悪知恵を入れているのかと、心配なさってはいましたけど」
「悪知恵? 心配?」
「貴方の今の御師匠のことですよ。」
「あー………なるほど。みなさん知ってたんですね」
弥月は山崎の忠告から、夜間の稽古はバレてるだろうとは思っていたから納得する。
「無断ですみませんでした。」と謝ると、案外彼は気にしていないようで。
命の危機を迫られている身としては、なんだか拍子抜けだった。
「いえいえ。少し土方君の心労が増えたくらいですから、問題ありませんよ」
「…心労、ですか?」
「ええ、まあ。今、彼は少し知恵の足りない平隊士の統率に、下の事情なんてお構い無しな上司の御機嫌とりにと、とても多忙ですからね。
傍若無人な年中酔っ払いが夜中に何してるかなんて、本当は気になるところですが、なかなか構っていられないでしょう?」
それをにこやかに言われて、弥月は頬をひきつらせる。
最近顔を合わせていなかったからか、久しぶりの彼の毒舌に舌を巻いた。
「それはさておき、貴方こそ何か土方君に言われたんじゃないですか?」
「いえ?会議について、何か聞き耳立ててたのか疑われましたけど、聞いてないですし。
私を殺そうとかそういうことじゃないんですよね?」
「はい、それは違いますね」
「じゃあ、問題ないです。聞いてても何もする気はないです」
弥月がやる気なさげにパタパタと手を振ると、山南は困ったように眉尻を下げた。
「…貴方がそういう人だから心配なんですよ」
「…? さっきも土方さんが、私を心配したなんちゃらって言ってましたよね。
怒られるならまだしも、心配されることはしてない筈なんですけど」
怒られることならした……ってか、何をしてても一々怒られてる気がする。こないだは殺されるかと思った
「もしかして、怒られてるのに改善が無さすぎて、知能指数を心配されてます?」
「そうではなくて…」
そこで山南は口を閉じる。
ただ目の前でじっと待つ弥月に、何を言ってやれば良いかを考えた。
「私が今言えるのは……もっと自由にしたら良いですよ…という事くらい、ですかね」
「…? 私ほど自由な人はなかなかいないと思いますけど?」
山南さんは今度は曖昧に笑うだけだった。
弥月 は全く話が読めず、首を傾げながらも聞き流すことにして、礼を言ってから「お邪魔しました~」と出て行く。障子が音を立てないよう、丁寧に閉められた後は、特に目立った足音もない。
山南はスッと立ち上がり、障子をまた開けて、向こうに彼が残っていないことを確認する。
廊下を見ると、今まさに角を曲がろうとしていた弥月のぎこちない足取りを目にして、フッと吐息だけで、こみ上げてきた愉快な気持ちを露わにした。
「私はまだ敵でも味方でもないと思うんですけどね」
「…『まだ』ってなんだよ、山南さん」
声とともに正面の障子が開き、近藤の部屋で聞き耳をたてていた男が、その端正な顔を見せた。
山南は予想通りに睨みつけてくる紫の瞳へ、口元だけで作った笑みを向ける。
「まだ、ってことですよ」
「……引き込むも、敵にするも俺ら次第ってことか。やっぱりあんたは、あいつが間者だとは思ってねぇんだな」
「そうですね、達て言うならば、彼は自分の間者といったところでしょうか」
「…?」
「フフ…そこまで難しく考えなくとも、彼の思考はもっと単純だと思うんですけれどね。きっと……そう、あなたによく似ている」
「はあ!?」
素っ頓狂な声をあげた土方に、山南は今度はその涼しげな眼元を緩める。
しかし、意外にも次に口を開いたのは、土方の奥に居た近藤であった。
「あぁ、確かに似ているな! 彼の奥底を見るような強い眼!
最初は美人さんだから似ている気がするのかと思っていたが、なかなかどうして、計画性のあるところもよく似ている」
うんうんと頷く近藤は両腕を組み、嬉しそうに土方を見た。
「えぇ。従順な振りをして、いつか出し抜いてやろうと思っているような、知性豊かな眼がね」
さも楽しげに山南は眼鏡を押し上げて、土方を上目に見た。
近藤は矢代の隊士としての成果を評価している。
山南は矢代の一物抱えた部分に興味があるようだから、今すぐどうこうするつもりはない。
二人に挟まれながら、土方は思う。
この二人に勝てるはずがねぇ、と。
***