姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
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***
二の腕あたりを弥月は自分の手拭いで圧迫して。芹沢は懐から出した手拭いを患部に巻いた。
「―-りがとうございます…」
小さく発せられた礼に、彼は眉一つ動かさなかった。
怒ってる…?
弟子の不甲斐なさに怒ってるのか、それとも呆れ果てたのか。
私のために膝をついて手当を始めたときには驚き、密かに感激もしたが、苦言の一つでもないとこちらも調子が出ない。
弥月は口をつぐんで、黙々と手当をされていた。
そのうちに芹沢は手拭いの端を結ぶと、スッと立ち上がった。
弥月がもう一度お礼を言おうと顔を上へ向けると、存外近くで真上から見下ろされている圧迫感に閉口する。芹沢自身で影になって、彼の表情が何も見えなかったのには、どことなく不安感を誘われた。
芹沢さんが口を開くのを感じて身構える。
「斬れんのならば、ここには要らん」
弥月は目を見張る。
頭上に落とされた言葉に、言い返せるだけのものはない。間違いなくあの時、自分は刀を落とさずに、立っていることに必死だった。
彼が私を見ているから、顔を下げることができずに、ゆらゆらと視線だけをさ迷わさせた。
「去るなら今だ」
去るなら…
言葉だけを頭に残して、思考が停止した。
彼の言っていることは正しいと分かるのに、何故か「そうではない」と思っている自分がいた。
「お前は目立ち過ぎる。名前を変え、姿を変え、できるだけ遠くへ行け。あいつ等が貴様の正体を知らぬのなら、まだそれは容易くできるはずだ」
どうしてそれを彼が言うのか。
いつでも彼は逃げることを良しとしなかったのに。
「…な、んで…」
「…お前は己への義理を果たそうとしているな」
「……」
少し躊躇った後、小さくコクンと一つ頷く。
互いの秘密を守ることと、こうして刀を交えることで、彼に恩義ができたと思っている。
「ここで……この世界で生き残る術(すべ)を教えて頂いていると、思っています」
芹沢さんが最期に伝えようとしているその一部を、自分も受け取りたいと思っていた。
それが今の自分にとっての『義』
弥月は誠実な姿勢をみせたつもりだった。
だが、芹沢から返って来た言葉は、優しさの欠片も感じ取れるものではなかった。
「お前がここに留まらんと言うのなら、己はこれ以上教えることはない」
芹沢の威嚇するような鋭い目に、弥月の息が止まる。
いずれはここを抜け出そうとしていること、敵方に付く可能性があることへの牽制だろうか。否とは言えずに、ただグッと口を引き結んだ。
「己が死ねば、ここに留まる理由が無いのならば、今すぐここを去れ」
私は身の危険があるならば、いつでもここを去ろうと思っていた。敵を斬れないならば、ここでは必要とされない。
だから、それは今なのか
「…逃げて…良いのでしょうか…」
違う。こんなことが訊きたいんじゃない
「それはお前が決めることだ。己とお前の見えているものは違う。見方を変えれば世界の善悪は変わる」
「……」
「若いくせに凝り固まっているな。いや…若いせい、か…」
そう言って芹沢は眦を下げて遠くを見た。彼が思いを馳せるのは過去か未来か。
一歩下がってから弥月を背にした彼は、いつものように静かに門へと歩いていく。
だが、摺り足が砂利を踏み鳴らす音は止んだ。
「犬死にはするな」
死にたくなければ、今逃げろ、と
そうして彼が去った後、弥月はようやく『何故、彼がそんなことを言ったのか』という疑問にたどり着く。
その答えが出るまで、弥月はそこに一時は座り込んだままでいた。
***
山崎side
山崎は無意識にギリりと奥歯を噛んだ。
死にたいのか…!?
そうでないと分かっているから、こんなにも歯痒い。
土方副長に黙認されているとはいえ、夜半に気になって壬生寺を訪れてみると、予想以上に芳しくない光景がそこにはあった。
以前、「刀は触ったこともなかった」と話した矢代君が、抜き身を手に、剣豪である男の袈裟掛けを、寸での所でかわしていた。
それだけでも気が気では無かったのに、終いには逆袈裟を受け止められず。腕から血を流し、恐れからか、全身を小刻みに震わせていた。
けれど、止めに入るのは憚られた。
忠告を聞かなかった彼を、この場で止めることに意味が無いように感じた。忠告を無視されたことに、少なからず腹立たしさがあった。
「刀を仕舞え、弥月」
…名前…
落ちた刀が音を鳴らす。芹沢はそれを拾って、彼の鞘へとゆっくり納めた。
そして、手を引いて拝段へと座らせる。
そのあとの会話は、俺にはほとんど聞こえなかった。あの男に気配を覚られないためには、十分に距離をとるしかなかった。
芹沢は手当を終えて、弥月に背を向けた。
「犬死にはするな」
二人が別れた後、山崎は八木邸に戻る芹沢の跡をつける。
どことなく彼の動きがおかしいような気がしていた。
…気のせいか?
山崎は違和感を見逃すまいと、音もなく付いて歩いた。しかし、対象は八木邸の庭に入ったところで、ピタリと歩みを止めた。
「土方の蝙蝠か」
それは自分に話しかけているのだと、山崎はすぐに理解する。
――っ、近づき過ぎた…!
咄嗟に去るべきか、留まるべきか迷う。しかし、対象が次の動きをとるまで待機することに決める。確信もなく言っている可能性は捨てきれない。
「フッ…白を切るか、まぁ良い。貴様はあの男を斬る気はないようだからな」
山崎はその言葉に目を細める。
『あの男』とは矢代君のことだろうか
少なくとも、芹沢局長は俺だと確信していた。
「あの男は、己に何も話しておらん」
…?
『何も』とは何をか。
矢代君が話すのを禁止されているのは、『未来から来た』ということのはず。
芹沢局長がそれを敢えてそれを俺に言う必要性は?
『何か』を知ったから『何も』と言えるのではないか。
意味が分からず、まだそこに居る男の言葉を黙って待った。
「…貴様がそこにいるのは、土方の指示ではないな」
!?
図星だった。
芹沢局長の暗殺については、もう役割は指示されており、後は日取りが決まるのを待つばかりで。それまでは監視等は必要ないと言われている。むしろ、土方副長は監視をつけることによって、標的が警戒することを警戒していた。
この男は、何をどこまで気づいているのか
嫌な汗が伝う。自分のせいで、計画が破綻するのではないか、と。
「己が動く理由は、貴様と大差ない」
「…」
芹沢局長が動く理由……俺が動く理由?
新選組の……いや、矢代君のために?
俺は最初は助けてやりたいと思った。疑いがあったとはいえ、こちらの都合で閉じ込められて、更には家に帰れないのがあまりに不憫で。
けれど、いつの間にか、彼はここに馴染みすぎていた。目の前にあるものを、あるがまま受け入れてしまっていた。
だから忠告した。警戒心を忘れた彼に、身の危険が迫っていることを。
けれど、今、矢代君は忠告を無視して、刀を取った。
震えが止まらなくても、決して刀から手を離さなかった。対峙した男に、その切っ先を向けていた。
それが示す意味は?
「あの男も賭ける価値がある」
「か」
ハッと口を噤む。思わず「賭ける?」と問い返しそうになった。
フッと男が鼻で笑った気がした。
「勘ならば惜しいな。上っ面に騙されているだけか」
芹沢はそう言って、止めていた歩みを進めた。
彼の背が見えなくなった後、俺は地に降り立った。自室へと戻りながら、芹沢局長の言葉一つ一つを反芻する。
…矢代君の上っ面?
騙されるような要素といえば、物理的にならば異人のような金髪か、未来から来たという話だろう。
内面的なものならば……あの底抜けに明るいというか、人懐っこいというかな性格か。
だが、泣きも怒りもするし、嫌味だって言うし、人使いだって粗い。自己主張のために、わざと空気を読んでいない時がある。だけど、最後は周りを見る。
そんな人間臭い彼だからこそ、できるなら無事帰してやりたいと思っていた。
「騙されている…?」
敵ということか?
…いや、それならば、芹沢局長があのような扱いをするはずがない
「…」
理解者のつもりだった矢代君のことが分からなくなったようで。俺はモヤモヤとした思いを抱えざるをえなかった。
二の腕あたりを弥月は自分の手拭いで圧迫して。芹沢は懐から出した手拭いを患部に巻いた。
「―-りがとうございます…」
小さく発せられた礼に、彼は眉一つ動かさなかった。
怒ってる…?
弟子の不甲斐なさに怒ってるのか、それとも呆れ果てたのか。
私のために膝をついて手当を始めたときには驚き、密かに感激もしたが、苦言の一つでもないとこちらも調子が出ない。
弥月は口をつぐんで、黙々と手当をされていた。
そのうちに芹沢は手拭いの端を結ぶと、スッと立ち上がった。
弥月がもう一度お礼を言おうと顔を上へ向けると、存外近くで真上から見下ろされている圧迫感に閉口する。芹沢自身で影になって、彼の表情が何も見えなかったのには、どことなく不安感を誘われた。
芹沢さんが口を開くのを感じて身構える。
「斬れんのならば、ここには要らん」
弥月は目を見張る。
頭上に落とされた言葉に、言い返せるだけのものはない。間違いなくあの時、自分は刀を落とさずに、立っていることに必死だった。
彼が私を見ているから、顔を下げることができずに、ゆらゆらと視線だけをさ迷わさせた。
「去るなら今だ」
去るなら…
言葉だけを頭に残して、思考が停止した。
彼の言っていることは正しいと分かるのに、何故か「そうではない」と思っている自分がいた。
「お前は目立ち過ぎる。名前を変え、姿を変え、できるだけ遠くへ行け。あいつ等が貴様の正体を知らぬのなら、まだそれは容易くできるはずだ」
どうしてそれを彼が言うのか。
いつでも彼は逃げることを良しとしなかったのに。
「…な、んで…」
「…お前は己への義理を果たそうとしているな」
「……」
少し躊躇った後、小さくコクンと一つ頷く。
互いの秘密を守ることと、こうして刀を交えることで、彼に恩義ができたと思っている。
「ここで……この世界で生き残る術(すべ)を教えて頂いていると、思っています」
芹沢さんが最期に伝えようとしているその一部を、自分も受け取りたいと思っていた。
それが今の自分にとっての『義』
弥月は誠実な姿勢をみせたつもりだった。
だが、芹沢から返って来た言葉は、優しさの欠片も感じ取れるものではなかった。
「お前がここに留まらんと言うのなら、己はこれ以上教えることはない」
芹沢の威嚇するような鋭い目に、弥月の息が止まる。
いずれはここを抜け出そうとしていること、敵方に付く可能性があることへの牽制だろうか。否とは言えずに、ただグッと口を引き結んだ。
「己が死ねば、ここに留まる理由が無いのならば、今すぐここを去れ」
私は身の危険があるならば、いつでもここを去ろうと思っていた。敵を斬れないならば、ここでは必要とされない。
だから、それは今なのか
「…逃げて…良いのでしょうか…」
違う。こんなことが訊きたいんじゃない
「それはお前が決めることだ。己とお前の見えているものは違う。見方を変えれば世界の善悪は変わる」
「……」
「若いくせに凝り固まっているな。いや…若いせい、か…」
そう言って芹沢は眦を下げて遠くを見た。彼が思いを馳せるのは過去か未来か。
一歩下がってから弥月を背にした彼は、いつものように静かに門へと歩いていく。
だが、摺り足が砂利を踏み鳴らす音は止んだ。
「犬死にはするな」
死にたくなければ、今逃げろ、と
そうして彼が去った後、弥月はようやく『何故、彼がそんなことを言ったのか』という疑問にたどり着く。
その答えが出るまで、弥月はそこに一時は座り込んだままでいた。
***
山崎side
山崎は無意識にギリりと奥歯を噛んだ。
死にたいのか…!?
そうでないと分かっているから、こんなにも歯痒い。
土方副長に黙認されているとはいえ、夜半に気になって壬生寺を訪れてみると、予想以上に芳しくない光景がそこにはあった。
以前、「刀は触ったこともなかった」と話した矢代君が、抜き身を手に、剣豪である男の袈裟掛けを、寸での所でかわしていた。
それだけでも気が気では無かったのに、終いには逆袈裟を受け止められず。腕から血を流し、恐れからか、全身を小刻みに震わせていた。
けれど、止めに入るのは憚られた。
忠告を聞かなかった彼を、この場で止めることに意味が無いように感じた。忠告を無視されたことに、少なからず腹立たしさがあった。
「刀を仕舞え、弥月」
…名前…
落ちた刀が音を鳴らす。芹沢はそれを拾って、彼の鞘へとゆっくり納めた。
そして、手を引いて拝段へと座らせる。
そのあとの会話は、俺にはほとんど聞こえなかった。あの男に気配を覚られないためには、十分に距離をとるしかなかった。
芹沢は手当を終えて、弥月に背を向けた。
「犬死にはするな」
二人が別れた後、山崎は八木邸に戻る芹沢の跡をつける。
どことなく彼の動きがおかしいような気がしていた。
…気のせいか?
山崎は違和感を見逃すまいと、音もなく付いて歩いた。しかし、対象は八木邸の庭に入ったところで、ピタリと歩みを止めた。
「土方の蝙蝠か」
それは自分に話しかけているのだと、山崎はすぐに理解する。
――っ、近づき過ぎた…!
咄嗟に去るべきか、留まるべきか迷う。しかし、対象が次の動きをとるまで待機することに決める。確信もなく言っている可能性は捨てきれない。
「フッ…白を切るか、まぁ良い。貴様はあの男を斬る気はないようだからな」
山崎はその言葉に目を細める。
『あの男』とは矢代君のことだろうか
少なくとも、芹沢局長は俺だと確信していた。
「あの男は、己に何も話しておらん」
…?
『何も』とは何をか。
矢代君が話すのを禁止されているのは、『未来から来た』ということのはず。
芹沢局長がそれを敢えてそれを俺に言う必要性は?
『何か』を知ったから『何も』と言えるのではないか。
意味が分からず、まだそこに居る男の言葉を黙って待った。
「…貴様がそこにいるのは、土方の指示ではないな」
!?
図星だった。
芹沢局長の暗殺については、もう役割は指示されており、後は日取りが決まるのを待つばかりで。それまでは監視等は必要ないと言われている。むしろ、土方副長は監視をつけることによって、標的が警戒することを警戒していた。
この男は、何をどこまで気づいているのか
嫌な汗が伝う。自分のせいで、計画が破綻するのではないか、と。
「己が動く理由は、貴様と大差ない」
「…」
芹沢局長が動く理由……俺が動く理由?
新選組の……いや、矢代君のために?
俺は最初は助けてやりたいと思った。疑いがあったとはいえ、こちらの都合で閉じ込められて、更には家に帰れないのがあまりに不憫で。
けれど、いつの間にか、彼はここに馴染みすぎていた。目の前にあるものを、あるがまま受け入れてしまっていた。
だから忠告した。警戒心を忘れた彼に、身の危険が迫っていることを。
けれど、今、矢代君は忠告を無視して、刀を取った。
震えが止まらなくても、決して刀から手を離さなかった。対峙した男に、その切っ先を向けていた。
それが示す意味は?
「あの男も賭ける価値がある」
「か」
ハッと口を噤む。思わず「賭ける?」と問い返しそうになった。
フッと男が鼻で笑った気がした。
「勘ならば惜しいな。上っ面に騙されているだけか」
芹沢はそう言って、止めていた歩みを進めた。
彼の背が見えなくなった後、俺は地に降り立った。自室へと戻りながら、芹沢局長の言葉一つ一つを反芻する。
…矢代君の上っ面?
騙されるような要素といえば、物理的にならば異人のような金髪か、未来から来たという話だろう。
内面的なものならば……あの底抜けに明るいというか、人懐っこいというかな性格か。
だが、泣きも怒りもするし、嫌味だって言うし、人使いだって粗い。自己主張のために、わざと空気を読んでいない時がある。だけど、最後は周りを見る。
そんな人間臭い彼だからこそ、できるなら無事帰してやりたいと思っていた。
「騙されている…?」
敵ということか?
…いや、それならば、芹沢局長があのような扱いをするはずがない
「…」
理解者のつもりだった矢代君のことが分からなくなったようで。俺はモヤモヤとした思いを抱えざるをえなかった。