姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
混沌夢主用・名前のみ変更可能
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「覇ッ!」
ガンッ
木刀同士が硬い音を立てた。
振りを小さく
そして、引く
ゴッ、シャァァ…
彼の木刀の上を、私のそれが滑る。もう一度同じ突きを流れる動作で繰り出した。
***
芹沢さんが何を考えているかなんて分からない。だけど、何かを自分に遺そうとしてくれていることだけは分かった。
新見さんの葬式があったその晩、壬生寺にいつものように呼ばれて行く。
数日ぶりに会ったわけだが、私が無言で得物を振りかぶると、彼はいつものようにそれを受け止めた。
「お願いします」の一言も言わないのは、初日以来初めてだった。
右鎖骨を突かれて、腕に痺れが走った。反射的に右指は木刀から離れたが、左手で次の突きを牽制しながら後退する。
弥月は右腕をブンブンと振ったり、握ったり開いたりする。芹沢から視線は逸らさない。構え直すと鎖骨が痛んだが、顔を歪めるに止めた。
対峙したまま、時間が流れた。
敢えて休止という形は置かないが、これが休憩とお互い認識していた。
「自分の刀を使ったことがあるか」
無想していた弥月はフッと意識を戻すと、問いを理解して、少し慌てた。
「…い、え…」
真剣については、斎藤さんと『まず抜くところから』絶賛稽古中である。
芹沢さんには呆れられるだろうから、自分から「使ったことがない」等と言っていない。けれど、彼の勘の良さと情報網をあなどるなかれと思いだす。
やばい、これは怒られるやーつー…
使う機会がなかったことを言い訳にしようかとしたのだが、弥月が続けるよりも先に、芹沢は顎を上げた。
「持て」
持て、って…今、使うってこと?
「何を呆けている。早くしろ」
「…使うんですか?」
「それ以外に何がある」
「…本気ですか?切れるんですよ?」
「己が貴様に斬られる訳がなかろう。死にたくなければ取ってこい」
「いや、私は自分の心配を…」
芹沢に放り出された木刀がカランと音を立てた。
彼は獲物を見つけた獣のような目でこちらを見ながら、腰のものに触れた。
有無は言わさぬと、目が語っている
「…私闘は切腹ですよ?」
「あやつらに俺を従わせることはできん。同じことを言わせるな」
「わ、かりました」
この時、『逃げる』という選択肢を思いつきもしなかったのは、彼に従うことに慣れてしまったから他ならないのだろう。
抜き身を構える。
私は正眼、相対する彼は片手に握っているだけ。これが力の差。
「いつでも来い。加減したら自分が死ぬぞ」
「分かってますよ」
技術も経験も、彼が勝っている。
手加減を全くしないとは思っていないが、斬られないとも思ってない。一瞬でも気の緩みを見せたら、この男は腕だろうが脚だろうが容赦なく斬り落としかねない。
弥月は唇をなめずる。
隙がないのはいつものこと
先程までは打たれることを覚悟して飛び込み、最初の一打だけに集中して回避して、後はただ身体が反応するに任せた。
だが、今は。
脚が地に張り付いて、最初の一歩が踏み出せない。
「臆したか」
その言葉に、奥歯を強く噛む。
いざとなれば刀を人に向けて振れると、必要に駆られれば斬れると思っていた。
だけど、身体が言うことを聞かない。束を握った掌にきちんと力が入っているのかも分からない。刃を向けあって、慄然としている自分がいた。
「―――っ」
大丈夫、だいじょうぶ
相手は芹沢さん。斬られることはあっても、私が斬ることはない……はず
大丈夫
大丈夫
ザザッ
大丈
「えっ」
避け…
「――っ!!」
咄嗟に身体を右へ倒した。そして後ろへと転げるように下がる。
「相変わらず反射だけは良いな」
肩が小さく熱を発する。少し切れただけのようだ。
突き出された刀は何事もなかったように、スッと退かれる。
「そっちから来るなんて聞いてないですよ」
「刀を向けあったら、隙を見せるな」
ごもっとも
肩から腕へと生温い液体が流れるのを感じながら、刀を構え直す。痛みのお陰か、一度身体が動いたからか、足が動くようになった。
今しなければならないのは、彼に「参った」と言わせること。
殺さない
ただ勝負を決める
相手は油断している、そこが私の勝機
「ふぅ…」
口をすぼめて息を長く一つ吐き出す。肩に力が入りすぎていた。これじゃあ手の感覚も可笑しくなる。
ピョンと跳ねてみる。身体は軽い。
ほら、大丈夫
自然と口の端上がる。
芹沢さんの表情がわずかに変わった。あれはきっと嬉しい時の顔。
「お世話かけます。そろそろ行きますね」
彼はそれに返事をしなかったが、鋭い視線は「来い」と弥月を呼んでいた。
***
「振るな! まだ動きが大きい!」
キンッ
「動きを覚られるな!」
キィィィン…
これが『死闘』以外の何だと言うのだろう。
鼻先で煌めく白閃にこれ以上ない恐怖を覚えながら、弥月は時折敵に切っ先を向けるものの、それも敢えなく弾き返される。
刺さったら刺さったで困るのだろうが、そんなこと考えている余裕もないくらいに、危機感に見舞われていた。
もはや死なないように精一杯
「突きは要るだけ戻せ!」
芹沢の怒号が飛ぶ。
「斬った後は根こそぎ引け! 刀は叩く道具ではない !」
「セァ!!」
ギチ…ッ
「突きは悪くないが、振りがまだ荒いな」
「『動きが大きければ隙ができる』ですよね」
木刀の稽古でも繰り返し言われた言葉。頭では理解していても、実際に身体の癖を直すのには時間がかかる。
できる自分を想像して…
小さく俊敏な動きをする自分を思い描く。その動きに自分を照らし合わせるように想像しながら動く。
雛型は斎藤さん。
彼の動きは流れるように滑らかで美しい。無駄な動きが何一つ無い。
跳ぶときには足音を立てないように
突きは最小限に
振りは身体を開き過ぎない
もっと滑らかに手首を返す
渾身の一撃をはずしたときの次の手を、またその次の手を考えながら。
「遅い!」
キイイィィィンッ
刀を弾かれた後、下から上へ胴を切り上げられそうになる。咄嗟に刀身で防ごうと腕で下しろたのだが、
「―――っ!」
斬撃が刀身に当たらず、左前腕を斬られた。
手から刀が落ちそうになるのを、咄嗟に意地だけで保った。
血がたらたらと流れていく。
最初は何かが走っただけの感覚だったが、どんどんと強くなる痛み。
そのことに恐怖を覚えたのは、弥月の意識。
弥月は半ば無意識に、刀を握りなおして芹沢へ向けた。
腕を斬られたら、脚を斬れ
脚を斬られたら、腹を突け
腹を突かれたら、首を落とせ
それが彼の教え
切っ先の遠くにある敵の姿へ目を向ける。見るのではなく、そこにあるのだと認識した。
「……ハッ…」
どこか遠くの景色が揺れて見えた。
斬れる
斬られる
斬れる
斬れる
斬れる
カチン…
「刀を仕舞え」
「…ハッ……ハッ…」
弥月の目は泳いでいた。それを自覚もしていた。腕の痛みはズキズキと痛んだ。
しかし、心臓の拍動も、息も荒いまま。肘から足元へ滴り落ちる血にも、両の手足がガクガクと小刻みに震えているのにも、弥月自身は気付いていなかった。
進むことも退くこともできずに、思考のままならない頭で自分が立てていることだけを理解していた。
私はまだ立っている
斬れる
斬られる
敵もまだ立っている
斬られる
斬れる
斬れる
斬れる
「…刀を仕舞え、弥月」
その言葉がゆっくりと弥月の脳に届いたころ、ようやく彼女の手からそれが抜け落ちた。
カシャンと、刀と砂利がぶつかって音を立てた。
***