姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
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***
トッ
「す、みません…」
誰かにぶつかった。
あぁ、沖田さんか…
浅黄色の羽織の下に、臙脂色の上衣と深緑色の袴でそれを認識する。ぺこりと頭を下げてから、弥月はふらふらと力なく自室へと戻っていった。
「…なにあれ」
沖田は思わず独り言ちる。
そんなに落ち込むほど、彼と新見さんは仲が良かっただろうか。芹沢さんとならまだ分かるが。
いや…
…新見さんの死とは、直接関係ないとしたら?
呆然と歩いていて、正面にいた僕に全く気が付かずぶつかった矢代君は、この世の終わりみたいな顔をしていた。
だけど、先ほど読経の最中、ユウ坊を連れ出すのに八木夫妻に笑いかけていたのは誰もが見ていた。不謹慎さと、面倒見の良さに平隊士の意見が割れていたが、まあそれは僕の知ったことじゃない。
…どうしようかな
「総司、もう出るぞ」
「…うん」
部屋に戻った弥月が気になったが、沖田は埋葬へと向かう参列の中へと紛れて行った。
***
部屋に引き込もって、考えを練り直す。だが、一度導きだされた仮説を覆す要素が見当たらなかった。
最近、平隊士の中で目立つ『反芹沢派』
それを明からさまに示した『烝さん』
自害と称して『土方さん』に殺された新見さん
それに安堵した『試衛館組』の面々
『新見さん』から続く、『予定』される出来事
被害者は『八木さん』
揉めていたのは
「芹沢さん…」
彼が近いうちに殺される。
理由は?
馬が合わないから
やり方が違うから
横暴だから
会津の評判を落とすから
……
彼らの目指す新選組には、もう邪魔だから
「なんで…」
部屋の隅で小さくなって、刀を胸にかき抱いた。
『関係ない』と割りきるには関わり過ぎた。それでも自分は関係ないと言うしかないのか。
「…病気、なのに…」
彼らはきっと芹沢さんが朽ちるのを待ってはくれない。その日が遠くないことを知らないから。
だからと言って、彼らにそれを言うのは……歴史云々の問題ではない。
芹沢さんの私への信頼を裏切ることになる。勘の良い彼のことだ。土方さん達の態度が変わればすぐに察する。
そして彼に残るのは、『情けをかけられた』という屈辱。
「ここに……止(とど)めておくしかないのか…」
目をきつく瞑って、グッと奥歯を噛み締める。
もし烝さんの警告がなかったなら、私は気がつかなかっただろう。
これは恐らく、正しい歴史の一部
そして私がそれを止めるために動こうとも、歴史は……彼らの選択は変わらないだろう。
だけど…
…
もし…
……もし、私が公にすることが『正しい』ことなのだとしたら?
ガタッガラッ
「!」
「なんだ、いるじゃない。土方さんが当たりかー…つまらないなぁ」
なんの断りもなく開けられた戸の向こうには、先ほどぶつかった彼がいた。
「絶対、脱走してると思ったのになあ。…って言うかさ、君、葬儀に参列しないとかいい度胸してるよね」
「…終わりましたか」
「さっきね」
沖田の返答に、弥月は相槌をうつ。
「僕だって嫌々出たって言うのにさ、君、何様のつもり? そんな隅っこで何してたのさ」
部屋の片隅にうずくまったまま、遠くから見下ろされる。
狭い室内で他所を見ることも出来ずに、弥月は床に視線を落とす。何も答えられなかった。
否、応えたくなかった。
それを怪訝な顔で見た沖田は、弥月の腕の中に刀があることに気付く。
「…なに。もしかして逃げたら殺されるの目の当たりにしてビビッてたの?」
その揶揄するような言葉も、今の弥月にとっては意味がない。
『逃げたら』殺されるのではないカラクリが、自分のすぐ後ろに迫っていることを思い出したから。
「大丈夫だよ、君の時は間違いなく僕が介錯してあげるからさ。僕、上手だよ」
沖田は口の端を上げて、さも嬉しそうな声で言う。
沖田さんはいつか本気で殺すことを想定して言っていた。彼は私を仲間だと認めていない。
弥月は土方の言葉を思い出した。
『捕虜の分際で山崎を囲うんじゃねぇ!』
日を追うごとに警戒が薄れていたのは、幹部ではなく私の方だった。
ここにいることに違和感が無くなっていた。
本当は、今、目の前で私を挑発する、沖田さんの態度が一番正しい。
私が命をかけて新選組にいるわけではない……仲間ではないと知っている彼が、私のことを一番よく分かっていた。
「あぁ、あんまり煩いようだと、自害する前に後ろから斬っちゃうかもしれないなぁ。
近藤さんに怒られちゃうから、言い遺すことは短めにしておいてね」
クスクスと沖田は笑った。
きっと彼らは芹沢さん一派を掃討するつもりだ。そうじゃなかったら、烝さんの警告が成り立たない。
「沖田さんは…」
沖田は笑うのを止めた。呟くように発せられた弥月の言葉へ、見下ろす視線とともに、注意を向けていた。
「もし、親しい仲間が病気になったなら……その人が新選組を抜けるとしても……殺しますか」
「……なにそれ、意味わかんないんだけど」
「…そう、ですね…」
弥月も、なぜ彼にこんなことを訊くのか分からない。
『いつでも答えを与えられると思うな』と芹沢が言った意味を理解した。
私は自分で考えて、選ぶことができずにいる
また思考の中へ落ちそうになったところで、沖田さんの声に引き上げられた。
「僕は近藤さんの不利益になるなら、仲間だろうと何だろうと、誰でも殺すよ」
その言葉には迷いがなかった。沖田さんが選ぶのはいつだって近藤さんのためだけだと自信があるから。
だけど、それは彼の願いでしかないのではないだろうか
他人の命を軽く思っているから、その身や大切な人の死が迫っていないから
「…もし、患うのが自分だとしても…」
ハッとして、喉を上下させる。
弥月は自分が見落としたことに気がついた。
知っていたことを忘れていた。
彼がいつしか病気に罹って、それでもなお新選組に居続けようとすることを。居続けられないことを。
今、そう語る彼が、未来でその選択をする苦難を
弥月の隠しきれない動揺を、沖田は不快感も露わに見ていた。
「…ほんと縁起でもない。僕は近藤さんの足手纏いにはならないよ。君と違って『覚悟』があるからね」
それはどんなときにも揺るがないと言うのか
自分さえも殺せるというのか
……
違う
そうありたいと、そうあろうと、彼は自分を信じている
「…なに、その顔」
「いえ……大切な事に迷いがない沖田さんが羨ましくて」
「……馬鹿にしてる?」
ゆるゆると首を横にふる。彼を見上げて眉尻を下げた。
「まっすぐで…良いと思います」
彼の顔をきちんと見たのは、いつぶりだろうか。
自分のために生きるのは容易い。
大切な人のために動くことも出来る。
だけど、自分を棄ててまで、誰かのためだけに生きるのはどれほど難しいことか
自分の中に一本の筋を通すのはどれほど難しいことか
そうありたいと、私も思う
「…その顔、気持ち悪いんだけど。」
今はその言葉さえ堪(こた)えなかった。きっと本当に酷い顔をしているから。
沖田は反論しない弥月に興味を失ったのか、それ以上は何も言わずに、踵を返して部屋に戻っていく。
その背に少しだけ頭を下げてから、弥月は顔を上げた。
義を貫け
さすれば道を間違えるとも、恐るるに足らず