姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
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文久三年九月十四日
新見さんが死んだ。
いや、正確には殺されたのだろう
切腹したという説明だった。たしかに、屯所外で切腹したなら自害と考えるのが妥当だ。
だけど、昨日の土方さんはそんな生温い雰囲気ではなかったし、申し訳ないが、新見さんは自害とかそんな魂(たま)にも見えなかった。
「十両以上の窃盗は死罪だっけか」
あの朝カチャカチャと鳴る音を聞き、 烝さんに必死の形相でその子細を聞かれた。やはりあれは盗んだ物だったのだろうか。
「それとも脱走の方か…」
局中法度の何項目かにそんな決まりがあった。
今日の幹部達のどこか安心したような顔を見るに、新見さんの持つ情報に価値があったのではないかとも思う。
んー…
新見さんを探していたのは自己満足のためだから、終わってしまえば関係ない。もともと全く関わりのない人だった。
「…ま、死んだ人のこと言ってもしゃーないしねー…」
彼が脱走した日のことは自分にはお咎め無しで。深入りもせずに済んだことは喜ぶべきことだろう。
「切腹ねぇ… 」と考えながら歩く。
お腹刺すんだから痛いよね。すぐに首ちゃんと飛ばして欲しいなぁ…
そういえば生首って、切った後も30秒くらいなら、名前を呼んだら目が開くって聞いたことがある。
いつか試してみたいような、そんな機会要らないような。
きっと望めば……たとえ、望まなくても機会はある
誰かが脱走して捕まれば、その場で自害でもしない限り、見せしめに屯所内で殺すに決まってる。
「ま、私じゃないし」
勿論、逃げるのは私かもしれないが、捕まって堪(たま)るもんか。
あと、できれば仲良い隊士さんじゃなければいいなと思う。
そういえば芹沢さん、大丈夫かなあ…
新見さんは、芹沢さんの右腕だったと聞く。
たとえ謀(たばか)られようとも、親しかった人が何処かで生きているのと、死んでしまったのでは感じることが違うだろう。
それとも、そんな人間的な感情すらも、武士道とやらの前には滑稽なのだろうか。
「元気、かな…」
夜半に芹沢が訪れた日、あれから四日。分からないことは分からないまま。
義務感で一度だけ、夕方に八木邸を伺ったときは不在だった。そのときは、顔を合わせなくて済んだことに少なからず安堵した。
ガタガタと戸板を鳴らしながら納戸の戸を開ける。これから通夜が始まるまで斎藤組は巡察だ。
畳んでおいた羽織を着る。
最初は動くのに邪魔だと思ったこれも、大分に着なれたと思う。そもそも私の羽織は、みんなの自分の身体にあわせた誂(あつら)えよりも短いから楽なのだ。
ん、感動の試着シーン?
あるわけないじゃん……これ、左之さんのお古なのに。それなりにボロっちいんだよ?
「どういうことかと言うとですね、ある日左」
「矢代、まだいたのか」
私が誰にともなく解説をし始めようとしたところに、開けっ放しの戸から姿を見せたのは我らが組長、斎藤さん。
「あ、はい、すいません。もう行けます」
慌てて袖をたすき掛けにする。袖が長くて邪魔なのだ。
基本的に、この時代の人は時間感覚がおおらかである。
時計がないから「昼八つに集合」と決めたら、「昼八つの鐘がなり初めたら集まる」のが普通なのだ。日本中がうちなータイム。
だが斎藤さんはそんなことはなく、鐘がなる時には必ず門前にいる。
さらには、組長より後に来ることはない平隊士さんたちには、弥月は頭が上がらない。やはり今日も皆さんお揃いだった。
「行くぞ」
「「御意」」
「はい!」
夕刻。
やはり切腹は名誉の死として扱われるらしく、通夜が粛々と行われていく。
白い着物を来た八木一家と弔問客に対し、普段着の上に羽織といった、いつもと変わらない格好の自分達に、なんだか違和感が否めない。
介錯した傷があるからと、棺の蓋は開けられることがなかった。
お別れの仕方としては寂しい気もするが、まあ生首(腐敗しかけ)なんて、あんまり見たいもんじゃないから良かった気もする。
葬式の手筈等は幹部が担っているようで、手を合わせた後の弥月は特にすることがない。
「芹沢さん知りません?」
時々見かける下男の方に声をかける。
「あぁ、今新見さんと一緒にいるけど…少し一人にしてやってほしい」
人が死ぬのは悲しいこと。
ましてや新見は同じ新撰組隊士であり、直接にも関わったことのある人間だ。
けれど、弥月は、この死をまるで他人事のように感じていた。
自分でも薄情な人間だと思う
そんな自分が死んだ新見さんを悼む芹沢さんに話しかけるのは憚られて、弥月は下男の言葉に従った。
あの日から芹沢さんには会えていなかった。
***
次の日、八木邸の裏庭にて。
抜き足
差し足
忍び足
体幹に対する足の出し方と重心の移動、そして呼吸の仕方。気負い過ぎては息が乱れる。なにより心が凪いでいることが大切。
身体の使い方を理解すれば、あとは練習。練習。練習あるのみ。
標的に一歩、また一歩と近づく。
まだ敵は気付いていない
彼に触れられる距離まで来た。
素早く、だけど袖が音をたてないように注意を払って、その背に腕を伸ばす。
「みーつっけた!!」
「わあっ!!」
後ろからユウ坊を羽交い絞めにする。
今日の遊びはかくれんぼです。葬式中に不謹慎とか言わないでください、知ってます。
「じゃあ次はユウ坊が鬼ね」
「うん! じゃあ数えるね。いーち、にーい」
「ちょっ…」
慌てて身を翻す。
タメ坊と違い、彼は百まで数えられるか怪しい。急いで隠れなければ。
まだ前川邸は葬式の最中だ。八木家の夫婦とタメ坊はそちらに出ている。
もちろん最初は自分も参列していたが、落ち着かな気な様子のユウ坊を連れて、こっそり二人で八木邸へと戻ってきていた。
「えっと…隠れるところ…」
子どもにも見つけられそうで、且つ、わざとらしくない所。しかも他人の家なので、開けて良いところは限られている。
スラッ
「ここしかないか」
ユウ坊たちみたいに身体が小さければ良かったのだが。大抵、自分は逃げ回っているか、押入れに隠れるから「いつもここ」と言われる。
今日は…布団に挟まってみよう!
パタパタと軽い足音が聞こえてきた。おいおい絶対五十も数えてないぞ。
慌てて布団の間に足から捩じ入り、そっと襖を閉めた。布団に挟まれると、外界の音を遮断してしまって、意外とユウ坊の足音が聞こえなくなった。
そして、自分の体温で暑くて少し後悔するが、開けられた時が勝負。いつもの場所だから、早い段階で確認しに来るはず。それまで暑いのは我慢だ。
息を潜める。
ガラッ
「あれぇ? いなぁい…」
ふっ…勝った
ほくそ笑む。
そのまま押入れの戸を開けっ放しで、駆けて行ったので、頭と腕だけ出してそっと閉めた。
暑いし、もう一回ユウ坊が開けたら見つかってあげよう。彼が不満げな顔で私を見つけるのを楽しみに、そのままの体勢で待つことにした。
だが。
待てど暮らせど彼は現れず、刻々と時間が過ぎていく。
あれー……諦めてお母さんの所帰っちゃったかな…
ちょっぴり疎外感。お姉ちゃん……お兄さん寂しい
「―――」
来た!
そう思ったが、恐らくユウ坊じゃないことはすぐに分かった。大人の声が聞こえて、息を殺す。
だって、焼きそばパンからはみ出た麺みたいな微妙な姿、ユウ坊達以外に見られたくない。しかも、鬼がいないのに気付かない人とかイタイ…
「――ことは、きっかけに過ぎなかったんだ。だからこのまま続くと思っていてほしい……八木さんには迷惑をお掛けするが…」
「…そう、どすか…」
源さんと…八木さん?
「なんや最近、前にも増して、こっち来てよう揉めてはるし…雲行き怪しいとは思うとったんどす…」
「…申し訳ない」
「なんで……わざわざ言うてくれはったんや? そないな事言われたら、儂は出ていけって言うに決まっとるやろう?」
「…勇さんが気にしていて……本当は知らない方がよいだろうと私は思うし、トシさんも山南君も反対だったんだが……今日、八木さんを見て、気付いてるだろうと思ったんだよ」
「…」
「黙って訊かずにいてくれるとは分かっていたんだが、こんな集団、嫌々請け負ったせいで、案の定血生臭い事に巻き込まれて………これでも申し訳ないとは思っとるんだ」
「…そう、か」
声は途切れたが、二人はまだそこにいた。
弥月は速まる心臓に呼吸が乱されぬよう、細く長く息をする。
「…ええわ、分かった。うちは何も知りまへん。何も聴かんかった」
「……申し訳ない」
それ以上、声はしなくなった。
人がいなくなって随分経った頃に、弥月は押入れから這い出す。
布団の間で暑さをこらえながら
一つの仮説に至って、足が震えた。
数少ない情報の欠片が、勘でしかなかった違和感を、確信めいたものへと変えた。
仲間殺しが始まる