姓は「矢代」で固定
第8話 だれのために
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文久三年九月十三日
気配を消す 気配を読む
この二つが自分にはできない。今までそんな能力は要らなかった。
だけど、それが命取りであることを知った。
それで命を繋げられる可能性が上がると知った。
「やること山積みじゃん。気配消して、読めるようにもなって、居合いして……でもまず先に体力つけなきゃ、走りこみ…いや腕力から?」
ホントに無いのかな、影分身の術…
…ダメ元で山崎さんに訊いてみよう
……
布団に顔をボスッと埋(うず)める。
――っあ゛あぁぁぁ…!!
突然の意味の無い叫び声…奇声とも言う。モヤモヤっとした時に有効である。
私が格言の一つとしてるのは『人生楽しんだもん勝ち』……それは間違いないのだが、もやもやもやもや。
「走っ…はできないから、やっぱ竹刀振るしかないか」
またもう少し道場で励んで来ようと思う。疲れ果てて泥のように眠れば、何も考えなくて済むから。
しなきゃいけない事がジタバタしてもどうにもならない気がする。
それでいて、やりたい事ができるならそちらに向かってしまう。
こんなことしてて良いのかという疑問と、成す術もなく日付が経つ不安を胸の内に押し込めながら、弥月は布団から抜け出たのだった。
***
土方side
乾ききって固まった、頬についた血を拭った。
踊らされている
そう思わずにはいられなかった。
新見さんとて、芹沢を慕って着いてきた剣客の一人。かつては忠義を尽くし、誠の武士を志す者の一人だった。
『あらたな時代は、この技術を手にした者に与えられる』
夢のような赤い薬は、夢を見させる。
容易く行われる命の取引が、思考を、心を蝕んでいく。
強者であることが、見える世界を変えていく。
いつか俺らもそうなるのだろうか
「土方さん…?どうしたんだこんな時間に…」
「芹沢さんはいるか?」
この下男には、俺らがどう見えているのだろうか
「いるけど…もう寝たみたいだから、用があるなら明日の方が良いと思うぜ?」
「そうか…なら、お前から伝えといてくれ」
芹沢さんにわざわざ説明する必要もないだろうと、心の中で言い訳をして逃げた。
そして偽りの名誉と、浮かばない手向けの言葉を口にする。
「新見さんは…切腹した」
***
シュンッ…ビュッ…
壬生寺の方から、刀を振る音が聞こえた。
別にそれ事態は異変ではない。おそらく誰かが素振りでもしているのだろう。
時々、芹沢と矢代が深夜に壬生寺の境内で稽古をしているのは、山崎からの報告に上がっていた。本当にただ稽古をしているだけの様だったので、そのままにしている。
稽古に熱心なあいつのことだから、芹沢がいない日も鍛練していて何ら不思議はない。
土方は何とはなしにそちらへと足を向ける。
大抵のことには空気を読まない彼が、この胸にわだかまる憂さを払拭してくれることを、無意識に望んでいたのかもしれない。
ヒュッビュッ…
門に背を預けて立って遠くの矢代を見ていると、少ししてから俺の存在に気づいた彼は、首を傾げてからこちらへとやってきた。
「珍しいですね、こっち出てくるなんて。どうかしました?」
「いや…」
言葉を濁した俺に、彼が怪訝そうな顔をするのは当然で。「何となく…な」と視線を反らせば、
「へえ……まあ、根詰めてしてても良い考えなんて浮かびませんし。息抜きは良いと思いますよ」
どうやらいつもの仕事の合間の休憩だと思ったらしく、ニカッと笑って彼はそう言った。
「どうです、折角なので一本しません? 御入り用なら木刀でも竹刀でも持ってきますよ。」
「…弱ぇくせに強気だな」
「…言うのは癪ですけど、私が弱いんじゃなくて、あなた達が強いだけですから。
それに、弱いから稽古つけてほしいんですよ。土方流とやるのも面白いですしね」
数える程だか文武館で竹刀を交えている。俺らの勝敗は八二といったところか。もちろん俺が八だ。
「…いや、今日はいい」
「そうですか?夕方からお出かけだったみたいですし、お疲れですか?」
「――っ、なんで出かけてたの…」
「…ちょっ……なんでそんな殺気立ってるんですか。
夕方、山崎さんと斎藤さん、それと沖田さんと出ていくの、誰かが見てたんですよ。土方さんがすっごい顔してたって、みんな言ってましたよ。こーんなだったって! こーんな…鬼瓦!!」
バシッと頭を叩(はた)く。
「いった!暴力反対!」
「誰が鬼瓦だ!!」
「もー!! 人が折角体はって変顔してるんですから笑ってくださいよ!
…まったく。芹沢さんと違って冗談通じないんだから…」
土方はそれを聞き捨てようと本気で思ったのだが、訊かずにはいられなかった。
こんな時、この細かい性格が恨めしい。
「…芹沢さんにも、したのか…」
「そうですよ、芹沢さんは微妙に笑ってくれたんですから!」
「……それは、嘲笑とか失笑とかじゃねぇのか」
半信半疑で問うと、矢代は「まぁそうでもなくないですけど」と訳のわからない返答をした。心当たりがあるのだろう。
「…木刀貸せ」
「おっ!…なら、土方さんが疲労で速攻布団に沈みたくなるまでやりましょーか!」
「てめぇが体力不足で、明日痛い目みるぞ」
土方が自分に放られたそれを掴むと、弥月は境内の下からもう一本出してきた。
「ご老体に使う気くらいは持ち合わせてますよー」
「俺はまだ二十九だ!」
ジリッジリッと間をつめる。
ザリッ
「覇ッ!!」
馬鹿正直にまっすぐに降り下ろされる木刀。肩の高さでそれを打ち払う。二度目の反対側からの打撃も同じように打ち返した。
今度は小ぎみ良く出される突きを、土方は身体を左右に反らして避けた。
以前立ち合った竹刀の時よりも精度が良いのは、木刀だからという理由だけではないだろう。少しずつ速くなる突きを、いつまでもかわすことはできない。
カアァァン…
刀身に当てて、大きく軌道を反らす。
突きの流れを読むことができたら、矢代の力はそう強くはないので、軌道を反らすのは容易い。
「チッ…」
矢代は力を反らされた方向へ、クルンと体を捻って俺から離れるが、俺はすかさず脚を踏み出してそれを追随する。
形勢逆転、俺が突きを繰り出す番になった。
だが当たらない。こいつとの打ち合いで、突きを連打したところで、一度も当てれたことは無い。
稽古とは違い防具がない分、身軽に動けるのはお互いさまで。弥月のそれが、噂通り戦い辛いことを今、土方は身をもって知った。
自身の斬撃が段々と研ぎ澄まされていくのを感じるのに、相手の袖を僅かに掠るのみであることに、苛立ちを覚える。
型とやらには則ってはないが、それなりに剣技には自信がある。
同じく定型外の動きをする矢代に親近感は抱くものの、避けることしか重視しない彼の動きに振り回されるのには、なかなかに腹が立った。
「くそが…っ!」
突きのままに刀を横に薙ぐ。
いつも通りならばそれをも避けるかと思ったが、彼は自ら鍔迫り合いに持ち込んだ。
俺が少しそれに驚いていると、眼前でボソリと彼は言った。
「…殺す気なら、先にそう言ってもらえると助かります」
それはいつもの冗談半分で言ったのかと思ったが、
「殺気、異常ですよ」
木刀越しに見た矢代は、土方が今まで見た中で最も冷えた表情をしていた。
交わったままの木刀は一瞬の隙もなく、次の攻撃までの間を耐えている。
釣られるように口から挑発の言葉が滑り出た。
「…そうだと…殺す気だと、言ったら」
逃げるかと、あるいは殺気を強めるかと思った。
万全の状態である矢代の、本気を今度こそ見たかった。それで彼の人となりが分かるだろうと。
拮抗した力に圧されて、互いの木刀が音を出さずに鳴く。
矢代は俺から眼を逸らさない。何を見ているのか、何かが見えているのか。交わる木刀の陰から、ただ俺をじっと見ていた。
「…殺られる前に殺れ…」
…!
「土方さんがその腰の刀を抜くというのなら…」
そこで弥月は言葉を切る。
刹那、その金色の睫毛が伏せられた。そしてフッと笑うように零れた吐息とともに、彼の口角が僅かに上がる。
…!?
土方は何か奥の手があるのかと気色ばむ。
そして「やはり」という確信的な思いと、えもいわれぬ喪失感に苛(さいな)まれた。
ゆらりと湧き上がる怒りを殺気に変えて、得物を強く握る。
落としたはずの血の臭いを嗅いだ気がした
「本気で殺り合うか?」
「…何言ってるんですか」
その男は今度はクスクスと笑ってから、俺を見る。その色は、その姿は、人ならざる者に似ていた。
軟禁して対峙した時と全く異なるのは、ただ逃げる隙を作るための攻撃でなく、積極的に敵への一撃を狙う眼。
俺が本気で斬りかかることを、矢代はずっと警戒している。
「どうするも何も……全力で逃げるに決まってるじゃないですか?」
そう口元だけで楽しげに笑った表情から、俺は何も読み取ることができなかった。
***