姓は「矢代」で固定
第7話 わたしのために
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文久三年九月十日
弥月の監視がなくなって三週間。
夜の風が少し肌寒くなってきた今日この頃。お月見がてら、弥月は自室の縁側…というただの壁の穴…に腰掛けていた。
「うーん…あと一月のうちに塞ぐもの作らないと、夜中に凍え死ぬかもなぁ」
一畳分の幅は開いた壁に、簾(すだれ)を吊るしておけば、風通しが良く、虫さえ大目にみれば快適に過ごせた。幸い、雨もここ数日降っていない。
しかし、京都の冬は底冷えする寒さだ。暖房器具に慣れてしまっている自分は、ダウンジャケットもヒートテックもないここでは、一歩間違えれば寝てる間に凍死しかねない。
風にさわさわと揺れる木の枝を見ながらぼんやりと考える。
ホームセンターなんて無いから、木の調達方法は「拾う」かと思いきや、板屋さんなるものがあるそうだ。
今度は誰に頼もうかな…
外出したい時は、斎藤さん、新八さん、平助の三人の中の誰かに声をかけるが、誰に頼んでも快く受けてくれる。
「ちょっとそこまで」に付き合わせるのも申し訳ないが、買い物は物価が分からないから一人だと不安だ。
「明後日行けたら、ついでに月見団子買って、みんなでお月見とかどうだろう…」
先日、初めての給金が出た。
じっくりと考えてみたが、先月働いたのは実質六日で、平隊士さんの給金を踏まえるとどう考えても多い。斎藤さん曰く「実績に対する対価」だそうだから、土方さんに訊きに行ったりはしていないけれど。
そして、普通なら喜んで受けとるのだろうけれど、如何せん使う機会が少ない。
とりあえずの所、身の回りの品は足りている。
この前まで斎藤さんに一本刀を借りていたが、今は一本は竹光を持ち歩いているから要らない。
綺麗な着物も隊士達から浮いてしまうから、新調するのは憚られる。
そうすると、食玩を買うくらいしか思い付かない。 …それなら隊の食料代にでも足して、毎日少しでも美味しいご飯を食べたい。
「お店とかブラブラしたら、欲しいもの見つかるかなぁ…」
あったら便利なものを探してみようか…
「あー、まじ見張りとか超不便。買い物は一人でしたいんだよなぁ…」
いっそのこと今月分も同じ割合だったら、扱いきれなさに困っていることを伝えよう。この部屋の防犯の低さでは、おちおち貯蓄もできやしない。
その時、ザザッッと微かに摺(す)り足の音がしたので振り向けば、諸手で歩く厳つい顔がひとつ。
「あれ、芹沢さん? 何か用ですか?」
稽古にも参加するでもなければ、八木邸で暮らしている彼が、前川邸に来ることはあまり無い。しかも、こんな時間に屋敷の裏手で、私へ以外の用事がそうそうあるとも思えず、何気なくそう訊いた。
しかし、芹沢は「まぁな」と言っただけで、少しの間のあと外壁に背を預ける。
そして月を見上げるだけだった。
剣術講座のお誘いかと思ったんだけど、そうでもない感じ…?
彼の病気を知ったのは四日前。少し良くなったから体を動かしたいのかと思ったのだが。
「お茶でも淹れてくるので座ってて下さ…って、お酒にします?」
「…いや、茶を淹れろ」
おや、めずらしい…
そうは思うが、特に口には出さず弥月は勝手場に向かった。
「今日もこのお茶不味いなぁ…」と思いながら湯飲みを傾ける。
彼と二人でボーッとして四半時。自分の湯飲みは底をついた。
和みたいんなら、梅さんと和んどきゃいいのに…
美人で儚げなお妾さんがいるのに、自分が彼と和んでるのが何だか申し訳ない。…かといって、わざわざ私の所へ来たのも、彼なりの理由があってのことだろうし、嫌な訳ではないからつついたりはしない。
台風が今年は来ていないだとか他愛ない話をもちかけると、それなりに返事をくれるのでまあいいかくらいに思っている。
「貴様、先の世から来たと言ったな」
「はい。ざっと150年後ですね」
土方さんの規制もあるし、あまり大声で言えた話ではないが、バレちまったものはもう仕方ない。
芹沢さんにバレた事がバレたら、「ごめーん(笑)」で土方さんは許してくれるだろうか。
「…これからこの日ノ本はどうなる」
「………は?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
物理的な話ではなく、思想的な面で、”ここ”の人達は私の『未来』について尋ねることはあまりない。
私の存在を否定する訳ではないが、聞かされた未来なんて信じちゃいないのだ。
だからまさかその代表のような剛毅な彼が、そんな事を口にすると思わなかった。
ポカンとした表情で芹沢さんを見ていたのだが、どうやら聞き間違いではないらしい。彼はポツリポツリと話しだした。
「己は尊皇攘夷の志を持って、この浪士組を率いて上京したが……どうやら己が思っていたよりも早く、終わりが訪れるようだ。
…我ながら単純なものとは思うが……先の丗を…知れるものならばと、思わずにはいられんかった」
「ちょっ…ちょっと待っ……一体、どういうことですか?」
終わりって…
そんなに弱気になるほど彼の体調は芳しくないの?
芹沢の次の言葉を弥月が待っていると、ゆっくりと彼は口を開いた。
「…俺はそう先は長くない」
「!?」
弥月は目を見開いて言葉を失う。
「貴様はその片鱗を見たな。あれは梅毒の末期の症状だ」
「末期…って……だって、芹沢さん……歩いてるし、喋ってるし、煙草吸ってるし…お酒だって飲んでるじゃないですか……そんなすぐ…」
梅毒ってなに……そんな病気知らない…
「理由はどうあれ、もう間もなくだろうな。
それに、そう驚くことでも無かろう。貴様にとって己達は過去の人間だ。いつか死ぬことは分かっていよう」
「……っだからって…」
そこまで言って言葉を切る。
…自分は何を言いたいのだろうか
「本当に…」
「貴様は、己がそのように些末な嘘をつくと言うのか?」
「いえ…」
そう。彼は情報を聞き出すために、狂言を言うような人ではない。それならば相手を痛めつけて吐かせるはずだ。
「…お医者さんが言ったんですか?」
「医師など必要あるまい。己はこの病気で死んだ奴を間近で見ていた。尽きるのは遠くない先の話だな」
「そんな…」
淡々と話す彼からは、それがどれ程重要なことかが分からないくらいで。度々厳しく稽古をつけてくれる彼が死期を覚っているなんて、信じられないとしか言えない。
「…知っているのか、貴様は。攘夷が成し得るのか」
唾液をクッと飲み込む。
気付いてしまった。
彼の訴えを理解して湧き上がったのは、『だからって、今こんなに元気そうにしてるのに』。
そして続く言葉は、『だからって、未来を教える訳にはいかない』。
彼の身を案じたことに偽りは無い。
けれど、「歴史が変わるのは、私が困る」という思いが先立っていた。
なんて偽善的で、エゴイストなんだろう
死期を悟った彼の、ただひとつの願いを……それは私にしか叶えられないというのに、私は自分のために叶えられない。
情けなさと申し訳なさに顔を歪める。
押し黙った彼女を、気骨な男は横目で見た。
「フン……独善的で醜いといったところか」
ビクッと弥月は肩を震わす。人に指摘されるほど居心地が悪いことは無い。
彼がこちらを見ているのは分かったが、顔を上げられなかった。
「…だから貴様は浅慮だと言ったのだ」
会う度に指摘されるその言葉。
嘲(そし)るようなその言葉が、今日は棘を感じないのは何故だろうか。
「誰も貴様を咎めたりはできんと、何故分からん」
それの意図するところが分からず、わずかに顔を上げる。
やり方が強引なところに目をつぶれば、彼の話はいつも筋が通っていて、弥月は彼の思いを理解できた。
しかし、今、なぜ自分が責められないのか分からない。
「せりざ」
「矢代」
…!
パッと戸を振り返る。閉まってはいるが、戸の向こうから声がしたのは間違いない。
応えようかどうしようかと逡巡する間もなく、芹沢は立ち上がって、
「まあ良いわ。貴様程度から得られる話では、何の腹の足しにもならんだろうからな」
そう言って、彼は弥月の部屋を後にした。
残された弥月は芹沢を引き留めることもできずに、状況にただ困惑していたのが、もう一度戸口から掛けられたことで我に返る。
慌てて返事をしてから、ガタガタと鳴る戸を開けた。
「山崎さん…」
「…起きているなら、少し話がしたいんだが…良いか」
「はい…狭いですが…どうぞ」
「いや、ここでいい」
薄暗いせいか、気が落ちているせいか。烝さんの表情はあまり読めなかった 。
もし、今、私の思考の大半を占めるそれと、烝さんの話が全く関係の無いものだったのなら、こんなにも彼の言葉が弥月の心に引っ掛かりはしなかっただろう。
「これは警告だ。必要以上にあの男と関わるな」
「警告…?あの男って、芹沢さんですか?」
山崎は弥月の問いに肯定も否定もせず、ただ同じ調子で話を続ける。
「君が悪意や策略を持って、彼らと接している訳ではないと俺は思っているが……君の行動は場合によっては、そう思われても仕方がないことばかりだ」
「……すみません、何のことを言っているのかよく…」
「死にたくなければ、何も知らぬ方が良い」
そう一方的に言って、「失礼する」と山崎は去っていく。
訳が分からないまま山崎の最後の言葉と、芹沢の思いがグルグルと頭を回って、弥月はただ呆然と立ち尽くした。ただ…
何かが動こうとしてる…
勘は当たる方ではないが、この不穏な空気に、大きな渦の中に自分が知らぬ間に巻き込まれつつあることを感じた。
弥月が用意した、片方の湯呑みの茶は、半分も飲まれないまま冷えてしまっていた。