姓は「矢代」で固定
第7話 わたしのために
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文久三年九月八日
斎藤組は午前の巡察から帰ってきたところで、永倉・原田の組と出会した。今日も何事もなく終えられたことに、お互い安堵し合う。
「あ、新八さん。後で鴨川で半時ほど付き合ってくれません?」
「鴨川? 何するんだ?」
「走る」
「……は?」
近くにいた永倉組と原田組の隊士達も「は?」と反応したが、斎藤組の隊士は「やれやれ。また変なこと言い出した」と、そのまま通り過ぎていった。
***
いつもは一往復するのだが、今日は久々だから出町柳へ出て、五条まで来たら終わりにしよう。そこから屯所まで歩いたら調度良い感じだろう。
「いやー、新八さんが付き合ってくれて良かった!!」
「弥月、オレもだろ!!」
「そうそう、平助も!」
「―ったく、なんでオレが……ブツブツ」
「いつまでもブチブチ言うなんて 、ブチ…ぶち………ブチ犬だよ平助!」
「意味わかんねえし!? 思いつかないなら言うなよ!」
『らんにんぐ』と言うらしい『ただ走る』という意味の分からない行動に、「本当にただ走るだけなのか?」と疑問を抱いた永倉は、快くつきあうと言ってくれた。
藤堂は永倉に「平助も行こうぜ!」と言われ、訳のわからぬまま付き合わされてきたのだ。
原田は「俺は遠慮しとくわ」の一言だった。
「やー! 体力落ちてるかと思ったけど、案外いけるもんだね!!」
さすが毎日腰に重いものを提げて、歩き回ってるだけのことはある。因みに三人とも、巡察で結構な距離を歩いた後ではあった。
後ろの二人は今も二本差しているから、腰がカチャカチャ鳴って重たそうで。だから『ランニング』というより単に急いでる人達の様だが。
そして、ほっかむりをして二人の先を走る自分は、逃亡中の泥棒みたいだ。道行く人々が道を開けてくれているのは、気のせいではないはず。
「なあ、弥月!これマジで走るだけなのか!?」
「だーかーら、そうだって言ってるじゃん!」
「競争とかでもねえのか!?」
「これは自分との闘いですよ、新八さん!」
そう言った弥月はキラキラした汗を顔に浮かばせていて、とても爽やかな笑顔だった。
スーハッハー
スッハッスッハッ
スーハーー
「…これ何が良いんだ?」
「走った後の爽快感に勝てるものはそうそうありませんよ! 時期的にも超走りやすいですし!」
夕方になれば大分涼しい時期になった。
彼岸花からススキへと景色が代わりゆくのに季節の境目を感じる。伏見の山野も赤や黄色に、少しずつ色づき始めていた。
「やー!やっぱ鴨川沿いサイコー!!エンジン全開ゴーオンジャーいえぇぇぃ!!」
タッタカタッタカと駆けていく弥月。それを追い掛ける二人。
「何が良いんだろうな…」
「わっかんねぇ…」
壬生寺から出町柳、そこから五条。距離にして二里半(10km)、時間は半時ほどで無事、五条橋に到着した。
「ごおぉぉぉる!」
結構疲れた。本日朝の巡察と合わせれば、結構な距離を移動したと思う。
ふくら脛がなんともいえない鈍い痛みを抱えている。調子にのって2往復した時の、脚がだるい感じがする。
藤堂らも荒くはないものの、乱れた息を整えていた。
「フー…地味に疲れたぜ。」
「ハァ…確かに達成感はあるな。」
……
「…あんまり疲れて無くないですか?」
「いや、そりゃ巡察後だし、疲れたっちゃ疲れたけどなあ、新八っさん?」
「おう。俺様の筋肉は、ちょっとやそっとのことじゃヘコタレねえぜ!」
…
……なんっかムカつく。負けた感
そもそも基礎体力が違うのは、巡察に行き始めて分かりきったことだった。
ランニングは趣味だが、実生活において主な移動手段は電車か自転車で、必要に駆られて歩く量は、彼らとは比べものにならないくらいに少ない。
最近まで監禁生活を送っていたことを考慮しても、彼らより明らかに疲労しやすい。
……
「…もう一周いきますぅぬぁ!?」
「「あ!」」
つまづいた。転んだ。
「おーい、大丈夫か?」
「…痛い、けど、大丈夫…」
「なあ、もう今日は止めとこうぜ?」
「……うん」
情けない。
意地になって、自分の足が思ったより上がらなくなっているのに気付かなかった。
ただちゃんと咄嗟に手が出たから、掌を擦りむいただけで済んだ。
しかし、砂利にやられて、小さく皮が捲れて血が滲んでいた。
「なんだ。怪我してんじゃねえか」
「うわっ、地味に痛そー」
「うん…痛い」
思わずジッと手を見る。
こんなときに思い出すのは、石川啄木。
働けど働けど 猶我が生活 楽にならざ
「なにやってんだよ。ほら、砂入ってんの川で洗うぞ」
「わわっ…」
平助に肘のあたりを掴まれて、引きずられるように立ち上がる。
「いったたたたたたた!平助痛い!!」
「しゃーねぇだろ!ちょっと大人しくしてろって!」
「こするなぁ!私はきゅうりじゃない!もっと優しく!!いった、押すなぁ!」
「わがまま言うなよ!!砂粒入ってんだって!」
なぜか平助が洗ってくれている。それ自体は優しさなのだろうが、すこぶる荒い。
だが弥月も弥月で、呻(うな)りながらも手を引っ込めることはなく、大人しく洗われている。
それを立ったまま眺める新八。
「弥月もなんっかそそっかしいと言うか、落ち着きねぇって言うかだけどよー…
平助が他人の面倒見てやってるって、なんか違和感あるな」
「新八っさん、それどういう意味だよ!」
「いや、そのまんまだけどよ。でも、弥月も世話され慣れてる感じあるよな」
「あ、それは俺も思った。兄貴がいるんだっけ?」
「…兄が5人いる。下はいない」
「確かに末っ子っぽいな。男ばっかりなのか?」
「うん」
「はー……そういうのってこう…上に苛められたりして育つもんじゃないのか?」
「ハハハ…割と大事に育てられたかなー…」
曖昧に笑ってごまかす。一般的にはそうなのだろうから。
「新八っさん、見ろよ。弥月の手。剣ダコはあるけど、手荒れとか全っ然ねえの。
いったいどんだけ良い暮らししてたんだか」
「うぉ、ホントだな」
「腕も…って、案外痣できてるな」
「こら、めくるな。そして押すな」
手首回りの痣は、芹沢に叩かれたものが多い。
「筋肉はあるけどやっぱ細っこいな、弥月。ちゃんと食ってんのか…っていや、食ってはいるよな」
「うるさい、これ以上筋肉つかないんだよ。私だって齋藤さんの左腕が欲しいわ」
男女の差で、筋肉がついたところで限界値が違うのは知ったこと。
だがしかし、おかしいと思う。動物性タンパクの摂取量を考えると、絶対私の方が立派な筋肉を作れたはずだ。
となると、やっぱり鍛錬不足だろうか。こっちに来てから竹刀振ってる時間は増えているから、筋力も持久力も上がると信じている。
「ってか、弥月の手ってなんか肉付き良くて、なんかぉんんんムムムッ!?」
「いやあ、弥月って良家の子息とかなんじゃねえかって疑っちまうよな」
新八は素早い動きで、後ろから羽交い絞めにするように藤堂の口を両手で塞いでいた。
「…そうでもないけど…」
「むーー!?」
平助はベシベシと新八の手を叩くのだが、その手は外れることもなく。
何してんだろ、新八さん…
明らかに平助が何か言うのを止めたが、何か不味いことを言いかけたのだろうか。
それは私の首が飛んでしまうほどの重大なことだろうか。
…
……見なかったことにしよう。
きっと手を外したら「何すんだよ、新八っさん」という平助の怒りの声が上がる。
そんでペロッと言っちゃったりされても困るから、聞こえないフリをできる位置まで移動しよう。
「さ、帰りましょ!」
サクッとその場を離れたら、やっぱり平助の怒鳴り声が聞こえたが、すぐに収まったのでやはり聞かなくて良かったと思う。
「…そうだ、次は砂袋でも下げて走ろう」
河原にある石を眺めて、そんなことを思った。
自分でもそんなに鍛えてどうするのかともちょっと思った。