姓は「矢代」で固定
第7話 わたしのために
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文久三年九月六日
昨日は芹沢さんとすっかり話し込んでしまって、打ち合いの一つもしなかった。
そのためか珍しく二日続きでお呼ばれしたので、いろいろと緊張しつつも、今日こそあのデカイ図体を地面に伏せさせてやると意気込んできた。
そして、やはり芹沢はいつまでも話を蒸し返すような人ではなく、挨拶もそこそこに打ち合いが始まった。
なのに…
……?
一言でいえば、動きにキレがない。
弥月は芹沢に稽古をつけてもらう時は、"木刀のみ"を使って仕掛けるよう言われている。いつもは考える余裕もなく、斬撃を受け流すので精一杯だ。
しかし、今日はともすれば、咄嗟に剣術以外の方法で反撃したくなるほど、彼の動きに、いつもは無い隙がチラチラと見える。
芹沢の一閃を弾(はじ)いて、彼の攻撃範囲から一端外れる。
芹沢は弥月の闘う姿勢を嫌っていた。
『一に避ける、二に流す、三・四はなくて、五に逃げる』
いつか弥月が自分の姿をそう評価した日。それを厳しく誹(そし)ったのだが、今の芹沢は不快を顔で示すだけだった。
おかしい…
「芹沢さん、今日…どっか…調子悪いですか?」
「……貴様の頭ほどではないわ」
「…それ、今日だけですかね?」
明日も直らない私の頭の調子は置いておいて 。
灯籠の明かりのみで暗いから分からないが、もしかしたら彼の顔色は優れないのかもしれない。
「…今日はこれで終わりにしませんか?」
「己は貴様に気を遣われるほど柔ではない。己の体調くらい、己でみれるわ」
弥月が木刀を腰に戻そうとしたのに対して、彼は右手からそれを放さなかった。
確かに本人が「大丈夫」というのなら尊重すべきなのだろう。しかし同時に、そう私に感じ取らせたこと自体、彼の自尊心が許さないから、意固地になっているだけだろう。
明らかに様子がおかしい人に、稽古につきあわせるほど気を遣えない訳ではない。
弥月がどう芹沢を説得しようか悩んだところで、それを覚ったのか、彼は弥月に足音も立てずに近づいて、木刀を降り下ろしてきた。
「ぅおっと…」
思わず避けた。それから返し手で振り上げられた木刀を、両手で止めた。
早いこと一本とって、終わりにしよう…
この雰囲気なら、今日は一本くらいとれるだろう。
二三撃を流したところで、今度は弥月から斬りかかる。そして、切り結んだ。すかさず体重を乗せていくが、押し負けることを見越して、次の動作を考える。
「貴様、誰だっ!」
!?
カンッ
カランカラン
一瞬気が散った隙に、振るった木刀を弾き飛ばされたが、弥月にとってそれは大したことでは無かった。
それよりも芹沢さんが驚愕して自分を見ている。それも妖怪でも見るような目で。
それを不審に思いながら、ひとまず飛んでいった木刀を拾う。
「誰って…」
一応周囲を見て、ここには私しかいないのを確認する。
「矢代弥月ですけど…」
「狐…いや、妖かしの類いか。よく化けたものだ」
……
「……えっとー…」
困った
彼の態度というか、質問の意図が全く分からない。それに、狐や狸と間違われたのは生まれて初めてだ。
訳がわからない
「えーっと……何がですか?」
「何を訳のわからぬことを。己を化かそうなんぞ百年早いわ。さっさと正体を現せ」
そう言って木刀を握り直す彼。
えー…マジですか……
……
………
「…よし!今日はもう寝ましょう!!」
ダメだ、どうして良いか分からん!
元から終わらせたのだからと、割りきることにする。
「芹沢さんもお疲れなんですよ!
小さい頃から時々でもなく、他の人には見えないらしいそれらが見えてしまうほどお疲れなんです!! さ、帰りましょう!!」
ニッコリと笑ってから踵を返す。触らぬ芹沢に叩き無し。
ビュッ
「わっしょぅおい!!」
木刀が飛んできました!背後からビュンって!!
格好良くは無くそれを避けた弥月に、眉根を寄せた彼は、聞いたこともないような低い声を出した。
「ここは、何処だ」
「…壬生寺ですが?」
「それは何処だ」
「……京都市中央区です…うそ!嘘です、京都です!ただの京都!!お願いですから、刀出さないで下さい!!」
芹沢は投げた木刀の代わりに抜いた刀を納めることなく、弥月に近づいてくる。
ゆらゆらと揺れる灯籠の火に照らされる彼は、この上なく恐い顔をしていて、得物は不気味に光を反射している。
え、逃げていい?…逃げていいよね!?
「去らば!」
「逃げるな!!」
ビクッと思わず止まる身体。ここ三回ほどの稽古で、彼の叱咤には素直に反応するように身体が出来てきていた。
背中で彼が砂利を踏んで近付く音を聞く。刺さるほどの殺気に身体が固まってしまって、振り向くこともできなかった。
あと二歩で彼の攻撃範囲内。
やばい死ぬ、ヤバイ死ぬ!死ぬって!!
動けよ、私の脚!!この大根脚!動け!!
ヒュッ
「――っ!」
ギリギリで前へ避けた。振り返り様、続く追撃をも交わす。
「ふん…避けたか」
「せ、芹沢さん!!」
情けない声が出た。
だって、どうしたら良いの!?何がなんだか!?
木刀のみしか持たない弥月は、抜き身の芹沢にとって丸腰同然。
「正気ですか!?」
「無論だ。安心しろ、状況を話せるくらいには生かしてやる」
状況!?
彼に何の状況を話せば納得してもらえるのかと考えてみれば、先ほどから彼が訊くのは場所や私のこと。
ここはどこ!あなたは誰!?己はジャイアンガキ大将!?
待って、何から何までを忘れてるの!?なんで忘れてるの!?
今の状況…!?
「芹沢さん!今いつか知ってますか!?」
「…何?」
「日付です!」
「……」
視線を彼方へやって、神妙な面持ちで考える彼に、弥月は確信した。
…記憶喪失、脳腫瘍とか脳血管、神経系の何か、アルツハイマー……状況的には後者!?
トリップしてきた私が言うのも何だが、 精霊がぶつかって記憶喪失なんてトリッキーな状況はそうそう起こらないだろう。
そして、原因を考えたところで治療できる訳でも、119番できる訳でもない。いや寧ろこの状況、110番したい。
どうすれば……!
「何をしている」
「――っ!」
ほぼ聞く耳持たずの彼を、何とか止めるしかない。無いよりはマシだろうと、木刀を構える。
頭への攻撃は避けて…けど戦闘不能にって……無理ゲー過ぎる!!!
嫌な汗が背を伝った。
自分の状態ばかりがやけに気になる。心臓はバクバク言っているし、呼吸も浅く小刻みに繰り返される。
チンッ
「……え?」
目の前の狂気の男は、突然刀を納めた。
なに…
「…この程度のことで怯むか…先が思いやられるわ」
……
「………はい?」
「今日は終いだ」
……
………
「…………………………………は?」
彼は先程まで全開だった殺気をすべて消して、私の横を通り越して歩いていく。
強制、終了
「ちょ……ちょっと待ったぁ!!」
壬生寺の門へと向かう彼を呼び止める。
流石の私も身内に殺されかけて、「終わり?じゃあ仕方ない」と思えるほどパープーではない。
なにより、変だ
「芹沢さん!私、誰か知ってますか!? 今いつですか!」
ズカズカと大股で歩いて、彼の横に付く。横から見た彼の険しい表情に一瞬躊躇ったが、勇気を振り絞って彼の羽織を掴んで止める。
「芹沢さん!」
「…鼠の名前など一々覚えておらん。今は文久三年長月の六日だ。手を離せ」
「………別にいいですけどね、鼠だろうが、狐だろうが!
あのですね!さっきのことって覚えてるんで」
キチッ
「他言すれば容赦せん」
再び間近で放たれた殺気と、眼光の鋭さに弥月は息を飲んだ。
「……」
「己が貴様に言ったことは忘れろ」
「…忘れろって…」
だって明らかにあれは病気の類いだ
だけど、それを知っていて、この人はそう言うのか
「手を離せ」
何も言えない。
彼の服を掴んでいる指先から力が抜けた。彼を掴まえていたところで、自分が何をしたいのかはっきりせず、どうして良いか分からない。
彼を止める?
そんなこと、私がするはずがない。
だから、命ぜられるのに反してまで、指先に力を入れることができなかった。
私は何か大切なものがすり抜けていく感覚に苛まれながら、ゆっくりと腕を下ろす。
「…自覚、あるんですね」
芹沢は答えなかった。
「覚えてないんですね…」
彼は病気だ
きっと、この時代では治せないような
「…分かりました。お訊きしませんし、誰にも言いません」
自分には何ができる
彼は私の秘密を知っていて、私は彼の秘密を知った。
彼は得にもならない約束を守り、何故かこうして稽古をつけてくれる。それは私のために他ならない。
自分には何ができる?彼に何を返せる?
遠ざかる足音。僅かに片側を引きずるような音に聞こえるのは、気のせいではないかもしれない。
「……」
何も分からない、何もできない…
……
…けど、何もしようとしないのとは違う
彼のために何かしたい、ただそれだけが弥月の中ではっきりとした。
芹沢はゆっくりと離れて行ってしまう。
どう言ったら伝わるか分からない。だけど、今、言わなきゃ
「そのままで…良い、です」
きっと彼は強がってる訳じゃない。
人に同情を買うなんてきっと嫌いで。その為なら、そう見せないように肩肘を張って、相手の中に格好良い自分が生きていることが大切で。
人が辛いと思うことも、「辛い」と言わないことが彼の信念で、彼の生き方。
それは紛うことなき彼の強さ。
だけど…
「けど……知ってるのに、知らないふりはできないんです。だから…」
あぁ、駄目だ
もっと彼の心を動かせるような言葉を選べれば良いのに
「私相手に…体調、偽らないで下さい。お互い生身の人間だから、調子の悪いときだってあります」
つっかえる様に話した言葉は、立ち止まって聞いてくれる彼に伝わっただろうか。
これがもっと身近な人なら声を大にして訴えた。「自分の身体を大切にしてほしい」と。
だけど押し付けがましいこの気持ちは、彼と私の間ではきっとこれで限界。
弥月は自分が発した言葉を反芻する。
彼の自尊心を傷つけなかったか
彼の生き方を否定しなかったか
自分の思いは言葉にできたか
弥月の胸にはつっかえたようなものがあるけれど、これが彼女にとって精一杯の、全てを内包した表現だった。
芹沢も弥月も、その場から動かなかった。
何度か呼吸を繰り返す。
「…貴様に頼る気など毛頭ない」
ポツリと芹沢から落とされた、聞こえるかどうかの声。
どうしてか泣きそうになってしまう。自分の過(あやま)ちにか、彼の言葉にか、無力を感じて悲しく思う自分がいた。
「…頼ってほしいなんて思ってな」
「今日は少し調子が良くないだけだ」
…!
紡がれた弱音。それはきっと本当の言葉。
「…はい……はい!」
胸のつっかえが外れるのと同時に、新たに柔らかな胸の締め付けを感じる。自分の思いが彼に届いていたことが嬉しかった。
頑なな彼に、少しばかりだが近づけたことが嬉しかった。
「お大事にしてください」
迷うこと無くスルリと出た言葉。
ただの定型文で状況にそぐわない陳腐な言葉だとは思うが、この言葉を芹沢さんにかける人間は、私だけなのかもしれない。
あなたを気遣う者がいるのだということが、ありきたりな一言でも伝われば良い。
それから芹沢は振り返ることも、返事をすることもなく、壬生寺の門をくぐった。
それを見送る 弥月の目には、彼の後ろ姿は、いつも通りの屈強な頼もしい男のように映った。