姓は「矢代」で固定
第6話 信じるもの
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文久三年八月二十九日
「雨…」
日が昇り始めているのに暗いのは、そのせいかと納得する。
雨戸に雨が当たる音で目を覚ました。ふだんより薄暗くて確信はないが、七つ半(5時)より前ではないだろうか。
横では、深夜に帰ってきた山崎さんと島田さんが、微かな寝息を立てている。林さんと川島はいない。
弥月が慣れないものの一つ、この時代の睡眠時間。
そりゃあ、私も体調悪かった時は、めちゃくちゃ寝てたけどさぁ…
学校のある平日は七時間、休日も八時間程度で規則正しく過ごしていた弥月にとって、毎日十時間も熟睡はそうそうできない。時計がないので正確には分からないが、少なくとも、みんなより早く一度目が覚める。
「…赤ちゃんか、あんたらは」
小声で意味もなく、横で寝ているベイビーフェイスに悪態をつく。
「あんたら間違いなく1日25時間だと思ってるだろ。サーカディアンリズムかこんにゃろう」
「ん…」
山崎さんが身動きした。流石にここで彼を起こすほど鬼ではない。
弥月は衝立の向こうでいそいそと着替える。
衝立は納戸にあったものを拾ってきた。全身火傷の痕云々の嘘は意外にも通用しているようで、それに関して咎められることはなかった。
なるべく音をたてないように障子を開けて、廊下へ出る。風が強いから、今日は雨戸を開けない方が良いかもしれない。
…いや、結構勢いよく降ってるし、午後には止むかも…
…そしたら今日も巡察かな……組長が率先して真面目だから、ポツポツ雨くらいなら行くだろうし…
そこまで考えてから、水を飲みに勝手場へと廊下を歩き出したが、気怠いような身体の重さを感じる。
昨日、身体に何となく違和感があったから確認したのだが、現代とは違って、月にウサギ現れるのは十五日の夜で、毎月一日は新月だそうだ。
「あ―…これは恒例のだな」
変な体質だが、満月の日あたりに生理が来る。それよりはマシだが、新月の日も身体が怠い。
先月はいきなり日付が変わったせいか、過度なストレスのせいか、その乙女の事情が全く来なかったのだが。二度目の新月が間近に迫った今日、身体の怠さだけはバッチリとこの身に訪れていた。
「あ゛ぁ、損。損だと思う。世界中の女は損だと思ってるはず。男よ、雌雄同体カタツムリになれ、そして子どもを産め」
明日が新月だと言っていたから、あと2日程の我慢。
グチグチ言ってはいるが、この現象とも彼是5年以上の付き合いだし、何てことない。なんとなく体が怠いだけだ。
「満月じゃない、新月だ。頑張れ、私」
自分を励ました。こればっかりは誰にも相談できないから仕方ない。
頑張れ、私
こんな日こそ精神統一に限ると、勝手場を後にした弥月は、裏口に行って草履を履く。蛇の目を広げて、文武館へ足を向けた。
ザーザーと激しく雨が降る中、パシャンと弥月が水たまりを踏んだ音が鳴る。
カチャ
…?
カチャ
何の音?
雨音に交じって、硬質な何かがぶつかっている音が近くでした。陶器か硝子の器同士がぶつかった時のような。
それ自体は問題ない。人が大勢暮らしているのだ。遅くまで寝てる人もいれば、早く起きる人もいるだろう。
問題なのは人の気配がないこと。屯所内で気配を殺して歩くような妙な輩は、監察方と幹部の一部。
二回聞こえた音からは、誰かが近づいてきている気がしたのだが。人の気配もなければ、姿も見えない。
…不審者じゃね?
ここは裏口の前。向こうに門番が一人……って、おいおい寝てるよ。
こんな雨の日にどこから入ってきたかは知らないが、動きが無いことを鑑みるに、ここを通りたいけれど私がいるから通れないという所だろう。
「…」
隊士としては、捕まえて当然の場面なんだけど…
“過去にできるだけ干渉をしない“という姿勢を貫くためには、敢えて無視するべきだろう。彼が逃げてくれさえすれば、誰も何も見なかったことにできる。
だがしかし。
善因善果、悪因悪果…勧善懲悪……
…ここで見過ごしては矢代の名折れ!!
一つ頷いて、キッと顔を上げる。
悪と分かっていて見過ごすなど、後腐れ有りすぎる。盗品だろうか、何かを持っているようだし、後で騒ぎになることは目に見えている。罪のない誰かが疑われても嫌だし、そのときに黙っているような自分は嫌いになる。
「…そこ、誰かいますよね?」
建物の陰に向かって呼びかける。物陰に隠れているとしても、音のした方向的にもこっちのはずだ。
「殺しませんから、出てきてください」
こんな言葉がサラッと出てくる自分に吃驚したが、状況的には適切な説得の言葉だろうと、自分を納得させる。
「七ツの鐘が鳴ったら、早い人は起きてきます。その前に……盗った物、置いてってくれさえすれば…見なかったことに…します、から……門番も寝てますし…」
あんまり大きい声では言えないことだなぁと、段々小声になってしまったが。これで出てきてくれなかったら、捕まえるしかないと腹を括ったところで。
カチャ
「…一体、君は私を何と間違えているんだ。失礼極まりない」
「………へ?」
建物の陰から姿を現したのは、目つきの悪い、ちょっと危ない薬とかやってそうな悪人面…
「えっと…」
「…」
「…新見さん、ですよね」
「そうだが」
「…はじめまして」
「己は急いでいる。そこを退け」
「……たっ、たいへ、大っ変申し訳ありまっせんでしたぁ!!」
***
山崎side
早朝のうちに川島君と林君が戻ってきて、久しぶりに監察方全員揃っての朝餉となった。
そして、おそらく朝稽古に行っていたであろう矢代君が戻ってきて。同室者が口々に「おはよう」と言う光景に、彼が顔を綻ばせたところまでは良かったのだが。
なぜか一瞬のうちに笑顔が崩壊して、島田君が茶碗に白米をよそっているところに泣きついた。
「もう朝から気力も、体力も使い切りましたぁぁぁ!」
「今日も早くから稽古お疲れ様です。今日の指南役は斎藤さんあたりですか?」
「そう、そうなんです。斎藤さんがしつこいんです…! こっちは避けるので精一杯だってのに、打ち込めとかどんな無茶振り!!」
その嘆きを聞いて、すでに膳の前に坐していた川島と、着替え中の林が感心する。
「ほんま矢代はんって器用どすなぁ。あの斎藤はんの突きをひょいひょいっと避けはるんやから。
あて、監察なる前に稽古つけてもろうたことあるけど、なんも見えへんし、死んでまう気しかしぃへんかったわ」
「川島、それ器用じゃなくて『すばしっこい』が正しいとちゃうか?
オレ、前々から思ってたんやけどさ、矢代は監察方に向いてると思うねんなぁ」
「あ、それ、あても思うとった。ここも人手足りてんのやし、なんやよう分からん副長補佐?やのうて、こっち回してくれたらええのに。
なあ、矢代はん、監察せん?」
「矢代君は駄目だ」
同じ監察方といえど、島田君と俺しか、矢代君の事情は知らない。
彼が監察に向いているのではないかということは自分も考えたし、山南さんからも「泳がせるついでに使ってみては」という案が一時浮上していた。けれど、それは彼を半月程観察していて判明した、とある理由で消滅した。
それを知らない川島は、山崎にポッキリと提案を折られたことに「えぇ」と不満げな顔をする。
「なんでやの、山崎はん。矢代はん、副長補佐や言いはるけど、特に変わった仕事してはるとかやありまへんのやろ?
こないに身軽な人、ただの巡察に使おてるやなんて勿体ない気ぃしまへんか?」
「…確かに彼の身軽さは類を見ないが………君は監察に必要な要素は何だと思う」
「…要素?」
「君は何故、自分が土方さんに諸子調役兼監察に選ばれたと思う」
「………まぁそこそこ腕もあって、小回りも効いて……口が堅いから?」
「そうだ。だが、俺達の仕事には潜入、潜伏捜査もあるだろう」
「オレや島田さんは殆どせぇへんけどね」
「えっ、なにそれ、面白そう!」
弥月がワクワクとした表情でそう言うため、島田は苦笑しながら頷き、林は箸の先をクルクルと回す。
「同じ監察って言っても、やっぱり適材適所なんよなぁ。
潜入って、世間の狭い京の中で、短期間とはいえあちこちでする訳やん? 行くとこ行くとこで顔覚えられたら面倒臭いわけよ。
まずもって、“新選組”って知られへんようには気ぃ付けてるけど、どこから漏れるか分かったもんやないし。結構、外出るの気遣うねんなぁ」
「なーるほど。確かに…島田さんは居るだけで目立ちますもんね。記憶に残るデカさ。転々とするのは向いてないか。
…ん? じゃあ林さんは何が得意なんですか?」
「お、よくぞ訊いてくれた。
聞いて驚け! 新選組における“林信太郎”とは世を忍ぶ仮の姿。
あっしは“島原のおりん”と呼ばれる引く手数多(あまた)の、流しの腕利き用心棒!!」
弥月は沢庵をポリポリさせる。
「へえ」
「反応、薄っ!!」
「で、結局、川島が持ってて、私にない要素って何です?」
林君が「おい!矢代!」と言うのを、矢代君は無視することに決めたらしい。
…本当に、ありのままというか……歯に衣着せぬというか………遠慮が無いというか…
まだ矢代君はこの部屋に来て十日ほどで。住人が揃っているのはほぼ初めてなのだが。
すっかり監察方の面子に慣れ親しんだ様子の彼に、山崎は安心すると同時に、内心苦笑いをする。
再び話の中心に戻った川島は、腕を組んで「要素」「うーん、要素」と首を上下左右に振りながら考え続けていたのだが。
とある一点を見つめて数秒の後、嫌そうな顔をして、口を半開きにした。
「…
……
………
…………顔が地味?」
「「「……」」」
一瞬、誰もが応えあぐねて時が止まった。
「「ぶっ!」」
「わ、笑うなぁ!!」
弥月と林は背を震わせるが、全く堪えれていない。
島田は「私も顔は地味なんですが…」と慰める。
山崎は沢庵をポリポリと鳴らした。
まあ、それは半分冗談だが
矢代君が監察方としては不適格として、わざとそうなるように会話を導いたとはいえ。川島君が考えに考えて出てきた答えが結局それなのは、同じく潜入捜査を得意とする自分としても辛いところである。
俺は味噌汁を一口啜ってから、口を開いた。
「まあ、見た目は置いておいたとしても。矢代君は口は堅いが、考えてることが顔に出る。声にも出る。何より問題なのは、独り言が驚くほど多い。
よって監察はまず向いていない」
「…烝さん。それ、軽く傷つきます」
「…すまない、事実だ」
「あてにも謝ってぇな! 軽うなく傷ついたわ!!」
「まあまあ、それぞれ良いとこあるやん? オレは専ら聞き込みだけど、川島は潜入も張り込みもめっちゃ上手だからさ!」
「それっ影薄いて言いたいんやろおぉぉぉ!!!」
「影の薄さなら俺も負けてない。潜入捜査なら俺は君より得意だ」
「山崎はんっ!詰(なじ)るか慰めるかどっちかにしておくれやす!!」
「まあまあ、それくらいにしておきましょう。ご飯が冷めてしまいますよ」
島田の一言で、皆は静かに箸を進めた。
監察方に必要なもの
この会話に付いてこれるノリと、切り替えの早さ
その日、土方の元には、いつもは静かな監察方の部屋が妙に騒がしいとの報告が入った。