姓は「矢代」で固定
第6話 信じるもの
混沌夢主用・名前のみ変更可能
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文久三年八月二十七日
「おまえら、見聞が終わるまで人を近づけるな」
昨晩、近所で火事が起こった。付け火のようで火の回りが早く、火消し組の指示で周りの家を倒壊へと巻き込みつつ消火され。陽も随分昇ってから、やっとこさ鎮火の宣言があったところだ。
もちろん弥月は火消し組を見たさに、監察部屋において順位が最も下になっている川島勝司を引きずって、早々に纏持ちを見学してきた。リアルめ組は半端なくカッチョ良い。
そして、鎮火宣言は丁度、弥月が斉藤と松原の組と巡察に出る頃であった。
「・・・あれ? 土方さんと山南さん、何してんだろ。
羽織着てないのは・・・えっと、あれは新見さんだっけ?」
「ほーだら。新見さんと、あれは永倉助勤の組の隊士だがや。なんや、あの家。新選組に関係あったきゃ?」
松原さんと一緒に首を捻る。
若いのに坊主頭の彼は、第一印象こそ、酔っ払って酒を強要してくる最悪の姿だったが。普段は親切者として名が高く、”試衛館組”からも信頼を得ているらしい。
けれど、その“輪”には入っていないようで、良い意味でちょっと浮いていて。他の組長よりも平隊士さんたちとの距離が近い。
「私、ちょっと訊いてきます」
「その必要はない」
そう言った斎藤は、些か厳しい表情で焼けた家屋を見る。
「斉藤さん、知ってるんですか?」
「・・・あそこは新見さんと山南さんが管理していた住居だった。そこが付け火にあった。それだけだ」
そう言って背を向けた彼は『これ以上探るな』と語っていた。残された二人は平隊士にも目配せをしつつ、追求してはいけないのだと頷き合った。
***
「私に客ぅ!?」
昼下がり。
そう弥月に伝えに来た門番の隊士は、あまりにも素っ頓狂な返事に、不思議そうな顔をした。
「あー…新選組に入ったこと、誰にも言ってないから…」
門番へは、ひとまず誤魔化すための言い訳を述べる。しかし、私からすれば、屯所外に知り合いなどいないわけで、訪ねてくる人がいるはずもない。
「その人、何て言ってました?」
「特に何も聞いてませんけど……ただ、“ここに金色の髪をした方はいるか”と訊いてきたくらいで・・・」
「えぇ……・え――・・・・オレオレ詐欺とか?
『オレこの前、金髪にぶつかったんやけど、ここに金髪おるよな。慰謝料くれるか~』とかいう感じの」
困った。金髪が悪いことをすれば、すべて私のせいになってしまう
「いえ、そのような感じではなくて・・・この辺に住んでいる女性って感じでしたけど」
「え? 女の人なの?」
「はい。まだ十五、六歳ってところですかね」
それが分かったところで、全く身に覚えが無い。
「・・・ま、とりあえず、会ってみよっか」
門番と一緒にトテトテと玄関へと向かうと。
「…あ」
「あ! 良かった、いやはった!」
そこにいたのは薄い鶯色の夏の着物をまとった少女。
記憶には、母親の怯えたような表情ばかりが頭に残っていたが、私が女の子の顔を間違えるはずが無い。
「えっと・・・香乃ちゃん・・・だよね?」
「えぇ、そうどす。この間はおおきに」
彼女はぺこりと頭を下げてから、申し訳なさそうな顔をした。
「すんまへん・・・あん時はお母はんがお侍はんにえろう失礼なこと言ってしもうて・・・
あれからも全然お母はんがうちの話聞いてくれへんくて・・・ほんまは一緒に来たかったのやけど・・・・・・ほんまに、えろうすんまへんどした」
再び彼女は頭を深々と下げる。
「いやいや!気にしてへんからええよ、大丈夫!!
香乃ちゃん悪ぅないさかいに、顔あげておくれやす!」
細身の肩に触れると、彼女は歪んだ表情をしながらも、「おおきに・・・」と口の端を緩めた。
「手は大丈夫やった? 他に怪我しいへんかった?」
「手だけやったし、ほら大丈夫どす。それより、あの・・・お侍はん、京の方おすか?」
「うん、まぁだいたい・・・やっぱり違和感あるやろか・・・?」
「ううん! なんや少うし近うなった気いして嬉しいわ!」
そう言った彼女はふんわりと笑って、先程まで緊張してか固まっていた表情が、少し溶け出したようだ。
う、わぁぁ…
和む。めっちゃ和む
決して自分は変態じゃない。数か月ぶりに可愛いものが目の前にあったら、和んで当然だろう。
全世界に明言しよう、女の子は絶対に可愛い。誰が何と言おうと、例外なく可愛い。客観的とか、比較的とかじゃなく、間違いなくみんな独立して可愛い。
「うちな、新選組って刀で人切るだけの、恐い人達や思うてたんどす。そやけど、お侍はんは全然そんな雰囲気あらへんくて…」
「・・・ま、お互い怪我はせん方がえぇから・・・できれば刀は抜きたぁないかな」
期待の籠った眼差しで見られるが、立場的に斬ることに関して否定はできなくて。苦笑いしながらそう言うと、香乃はチラと上目遣いに私を見た。
「あんな、これ・・・」
「・・・ん?」
最初から彼女が抱えていた臙脂色の風呂敷包み。てっきり鞄だと思っていたのだが。
「・・・えっと?」
「つまらへんものやけど、良かったら…」
香乃が抱え込むようにしたまま風呂敷を紐解くと、中身は二段の重箱。
意外な物の登場に弥月が目をパチクリさせていると、カパリと開けたそれの中から現れたのは、所狭しと並べられた、粒々の残る小豆色の塊。
「おはぎ!」
拳より二回りくらい小さいそれは、できたてなのか甘い匂いを漂わせる。
「お彼岸も終わってしもうてて、ちょっと間が抜けとるんやけど…」
「すごいすごい! もしかして全部、香乃ちゃんが作ったん!?」
「そうどす。あんまり味ないかもしれんのやけど、良かったら皆はんで食べとくれやす」
「え! 今、食べていい!?」
弥月がキラキラと目を輝かせながら言うと、彼女ははにかみながら「どうぞ」と控え目に重箱を差し出した。
「いただきまーす!」
角の一山に手を伸ばす。少し厚めのあんこが指に圧されて形を変えた。
「ちょっと待ちなよ」
「むぁ?」
その声は…
「ふぁんへふふぁ、ほひふぁはん」
思ったとおり、門の内側から現れて、私の後ろに立ったのは沖田さん。
「待てって言ったじゃない。何食べてるのさ」
モグモグモグモグ…ごっくん
「だって、もう口に入れちゃいましたもん。
ありがとう! めちゃくちゃ美味しい!」
安心したのか、「よかった」と花が綻ぶように笑う香乃ちゃんが尊い。
重箱の邪魔がなければ、間違いなく抱きついていた。もう一度言うが、変態じゃない。
「甘いのむちゃ好きやから、いくらでもいけそうなんやけど! もう一個えぇ?」
「はい! どうぞ…!」
「…僕を無視しないでくれる?」
「むひむひ。ほひふぁはんおい…できたてのおはぎ」
「あの…良ければ、お兄ぃはんもいかがおすか?」
「沖田さんも良ければどうぞ。あ、香乃ちゃん、中でお茶でもどう? なんや渋い茶しか出されへんのやけど」
甘いものが口に入っていれば、周囲への警戒心なんて薄れてしまうわけで。弥月は久々の女の子登場にすっかり気が弛み、縁側で茶でもしばきながら彼女と和む算段が頭を駆けていた。
だが少女が弥月に返事をする前に、沖田は眼光を鋭くして、彼女に問いかけた。
「君、誰?」
「えっと……香乃、言います」
沖田の穏やかでない様子に、彼女はたどたどしく答える。
「身元は?」
「み、もと?」
「どこから来たの? 家は?」
「木屋町で反物屋を…」
「ふぅん。これ、何でこんなに大量なの?」
「此処は人がたくさんおりはるし、作ったのをそのまんま渡したらよろしゅうおすと…」
「毒でも仕込んだ?」
「…!? そないなのっ!!」
「沖田さん!!」
しばらく様子見してはいたが、失礼にも程がある。
「だって怪しいじゃない。嫌われ者の人斬り集団に、『みなさんで』と言わんばかりの差し入れなんてさ。しかも…」
「『君に』だしね」と、彼は私の耳元に顔を近づけて、私にだけ聞こえるようにして鼻で笑った。 目の前にある翠の球を、苦い顔で睨み付ける。
「…そんなに言うなら、私が一人で全部食べますから、失礼なこと言わないでください」
「僕は事実を言っ」
襟元を掴み、グイと下へ引いて間を詰めた。それはお互いの息がかかる程の距離。
「それは貴方の勝手な妄想でしかない。彼女に謝れ」
「…」
そのまま二人は睨み合う。
沖田が謝る気配などみせる筈がないが、弥月もここを譲る気はさらさらない。違うと分かっていて、意図的に人を傷つける彼が許せない。
彼女が自分に親切にしたばかりに、不快な思いをさせてしまったことが何より悔しく、申し訳なかった。
「…」
「…」
「そんなに君、僕に斬られたいの?」
「…あなたがその姿勢を改めるなら、相手になりますよ」
「態度なら、君の方が見直した方が良いんじゃない? 何この手。年功序列って言葉知らないの? それに僕、副長助勤なんだけど」
「私は副長補佐です。あなたとは系統が違うので明確な上下はないです。
それに、どういう態度が必要か相手を見て判断するのは、人として自然なことと思いますけど?」
「……もういいよ。面倒くさい。
その厄災にしかならない髪、うっとおしいから切っちゃってくれない?」
「なんであんたに言われて切らなくちゃいけな」
ザッ
「おい、てめぇら何してやがる」
弥月がその声に驚き、振り向いた瞬間に、沖田はその手を振り払う。
「…なんで土方さんは、いつもこの折に現れるんですかね」
沖田が襟元を整えながら言う。
確かに言われてみれば、自分たちが喧嘩していると現れる気もする。
「偶然だ。まあ大概、そっちに用があるからな」
顎をしゃくって指されたのは私の方で、分が悪いことを知る。
所詮、よそ者でしかないのか…
分かっていたことだが、喧嘩も対等にできない自分の立場の弱さを口惜しく思う。
「…何の御用ですか」
「てめぇを訪ねてきた奴がいるって聞いたのと…」
そこで土方さんは言葉を止めたが、意図は分かった。このおどろおどろしい空気を読んだ門番が、彼に助けを求めに呼びにいったのだろう。
「…それはまた…随分と堂々とした密通ですね」
「まぁ一応だ。てめぇの素性を疑ってる奴もいるからな。これからは不審な訪問があったら、間に誰かを挟んどけ」
沖田との喧嘩の経緯を聞いていたのか、私が不機嫌な理由に気づいたのか。嫌味の返しが、身の振り方についての助言であるなら、溜息を吐くしかない。
「はぁ…分かりました。私が迂闊でした。
…こちら、木屋町の反物屋の香乃さん。この前の巡察の時、下手人に押し倒されてたので、怪我はないか声をかけたんです。今日はそのお礼に来てくれました」
「あぁ、その報告なら斉藤から受けてる。女の母親か誰かに罵られたんだって?」
斉藤さん、そんなことまで報告してるんですか…
それで落ち込んでいたのを知られてるなんて、決まりが悪いったらない。
「それはまあ……ちょっと誤解があるだけですし…」
「…まあ、ものは言い様だな」
土方はちらりと少女を見やる。
「おい、お前…何を惚けやがる」
「…ん? 香乃ちゃん?」
振り返ると、彼女は慌てたように目をパチパチ、「あの、その」と言いながら口をパクパクとさせている。
「ん? どないしたん?」
「あ、えっ…その、けったいな話なんやけど……あんまり皆はんがお綺麗やから、びっくりしてしもて…」
「すんまへん、男の方に…」と、赤くなってしまった彼女。弥月は横目でそこにいる男二人を見る。ものすごく嫌そうな顔で。
「あー…あっちの紫の人は、まあ…なんてか、口煩さとか色々あるけど、断トツ顔が良すぎて、総合的には可の物件だけど…
そっちの顔だけのクズは、土下座されても辞めときな」
「おい、矢代…」
「君って本当に失礼だよね」
抗議の声を無視して、彼女の両肩に手を置いて切に語る。これは人生の先輩として、彼女に伝えておかなければ。
「顔が良いやつに禄な男なんかいないから。男は優しさだよ。お金は大事だけど、多少貧乏でも良い。思いやりの気持ちがあるかどうか。
変な男に捕まらないように気をつけなよ。妾、ダメ、絶対」
「…矢代はんは?」
「え、私?」
そりゃあ、できれば、優しくて金持ちでユーモアがあって強くて頼りになるイケメン……だが、それもまた無縁な話である。
そうだなぁ…
「面白い人。山崎さんとか、斎藤さんとか、まじめ過ぎてちょっと変わってて面白い」
「まじめで面白い人…」
もし本人達に言ったら、全力で嫌がりそうなのがウケる
真剣な表情で頷く彼女。
「その山崎さんと斎藤はんというのは…」
「同僚というか? 上司というか? 意外と壬生狼にも優しくて良い人いっぱいいはるよ~」
斎藤さんなら上司でもいい。沖田さんは違う
新選組の良い男たちを宣伝しようとしたのだけれど。ものすごく複雑な表情をしている少女に気づいて、弥月は首を傾げる。
香乃は口を開きかけるが、息を吸っただけで、下唇を噛んでしまった。窺うように上目遣いで、何かを言いたげに弥月を見上げる。
「なに。君、衆道の気があったの?」
口を開いたのは沖田だった。
まだ居たんだと、僅かに思いながら弥月は彼を振り返る。
「シュ…って、何ですか、それ」
「うわ…自覚なしか…」
「何…? 分かんないから、訊いてるんですけど」
また険悪な雰囲気になる二人に、呆れたように応えたのは土方だった。
「…男色のことだ」
ダンショク…暖色…男色…断食、これはダンジキ。
男二人が変な顔をしていることを鑑みるに…
「男色って、男同士が愛の花園を織り成すアレですか?」
「……そうだ」
「イケメン同士ならまだ何とかですけど、それ以外だと見れたもんじゃないアレですか」
「……………そうだ」
「なんで私が、そんなものの気があることになるんですか」
他人の趣味嗜好に文句をつける気はないが、自分がそれかと言われると、果てしなく不快。しかも勝手に疑われて、勝手にヒかている。
「じゃあ今の…山崎君らには、どういう感情なのさ」
沖田が近づくのも嫌そうな顔で見る。違うというのに失礼極まる。
「感情って…好きとかそういうのですか? そりゃ好きだから名前が出たんだけど」
「男の…方ですよね…?」
「うん…って、なんで香乃ちゃんまで…」
「尊敬とか、敬愛とかそういう類のって話なんだろ」
「え…あ、はい、まあ…それもありますけど。そこまで重いやつじゃなくて、普通に一緒にいて面白いなぁ、良い男だなぁって…」
あ。
「あー!そういうこと!? 違うちがう! そういう話なら、リスペクト、尊敬、敬愛であってます!」
うっかり
なるほど。今、私は女友達に、男友達紹介している感覚だったのだ。私の友達としての好きに、彼らの「好き」は該当しない。
否定したのに、男共はまだヒいている。おい、離れるな、門番。
「…そやったら、矢代はんはその道の方とはちゃうの?」
「違うってば! それほぼ言いがかり!!」
だからとて、女の子を「love」で好きという訳ではないから、この状況で「女が好き」と叫ぶと、問題が複雑化しかねない。私は変態ではない。
あぁ、性別って面倒
「…なら、うちにも希望ある?」
「…?」
希望、とは?
「矢代はん、今好きおうてる方はいはらんの?」
「い、はらん…けど、も…」
その時、頭上に“?”を浮かべていた弥月の脳の中で、とある神経細胞がつながった。カッと目を見開く。
ちょ……このフラグは知ってるぞ…!!
末兄の部屋で読んだ、いかがわしい漫画。
牛のような乳を持つのに小さくて華奢という、実現不可能な美少女が、小悪魔的な可愛いらしい顔をして、溢れんばかりの谷間とともに上目遣いで似たような台詞を…
「ほんなら、うち、矢代はんのこと好いててもええ?」
ktkr……むしろナニコレ、誰得!?
いや、ボケてる場合じゃ…不味い、まずい、マズイって!!
私がほぼ無意識でゴクッと喉を鳴らしたのに、彼女は気付かなかっただろうか。
予想外の展開に焦りつつ、弥月は打開策を練る。
女ですって言ったら騒がれるよね? てか、沖田さんらいるし…
え、でも男だから惚れられちゃったんだよね? 男は否定せず、女は恋愛対象外で、かといって男色でもなくて……じゃあおカマさんなら大丈夫!? 最強はLGBTQ?!
「いやぁね、もぉ! そんな調子良いこと言っちゃって!! だいたい貴女、そんなに可愛いんだから、男なんて選び放題でしょうに! こんなのに捕まったら人生オシマイよ!オシマイ!!」
「…」
違った、スベった! ヒかれて逆戻り……むしろ悪化した!
…
…そ、そうだ!
「ご、ゴメンナサイ、婚約者ガ故郷ニオリマシテ…」
名付けて『愛し合う二人を分かつことはできない』作戦
「え…」
「僕ニハ一生愛スルと誓った幼馴染ノ女性ガイルんだ」
「…あの、その方とは…」
「手紙のヤリ取りだけだケドネ……ドウモ最近彼女ノ容体は好くないミタイだ。帰ることもままならぬ身となったことヲ後悔しなかった日はない」
お、なんか調子でてきた
「…矢代はん京の方だったんと…」
「出稼ぎに出てきて彼是七、八年ってところかな。ごめんね、紛らわしい言い方をしてしまって」
「七年間ずっとその方のことだけを…?」
「彼女を愛しているから……裏切ることなんて僕にはできない。
…だけど、彼女もいつまで僕のことを待っていてくれるか…今も本当に待っているのか…」
儚げな笑みをつくった。
いや、なんかもう自分、完璧すぎて吃驚する。
「――っうち、二番でもええの! いつまででも待てるし!!」
!?
「…それでも、あかんなら…ここにいる間だけでも、傍においておくれやす…!」
絶句。
設定を懲りすぎて同情票を買ってしまったらしい。
先程までの少女の控え目そうな態度から一変。詰め寄って見上げる彼女は、そのうち『あなたの目になるから』とか言い出しかねない。
可愛い、可愛いのだが………だめだこいつ、早くなんとかしないと…!
「…ありがとう、香乃ちゃん」
すがり付くように弥月の上衣を掴んでいた香乃の手を、片手で優しく包み込む。少し首を傾けて、顔を近づける。
「…矢代さ」
空いた反対の手で、彼女の唇に触れる。それ以上は言わないでとばかりに、ゆっくりと首を横に振った。
彼女の引き結ばれた唇から指を離し、こわぱった頬に手を添えて、撫でるように指を滑らせる。視線を反らすことなく、顔をまた少し近づけた。
「君の気持ちは本当に嬉しいんだ。だけど、君にも、アイツにも僕は誠実でありたい。好きと言ってくれてありがとう……君を選べなくて…ごめんね」
彼女の綺麗な額にゆっくりと口付けを落とす。
彼女が上衣を握る力が一瞬強くなったが、徐々にそれは緩む。
少しの後、顔を上げた香乃は泣きたいような、でも笑おうとしているような表情だった。
「…えぇ男はお手付きなんやもん…悔しいわ」
「…香乃ちゃんもえぇ女やから、こんなんよりえぇ男見つかるよ。大丈夫 」
「うちは矢代はんで十分やったんやけど…って…ううん、困らせとうないから、もう言わへん」
「ごめ」
騙している申し訳なさに謝ろうとすると、彼女は私の唇へと指を当てた。
「ふふ…謝らんといて。だってうち、これからも矢代はんに避けられたぁないんよ
恋人は諦めるけど、お友達にならなってくれはる?」
可愛らしくコテンと首を傾けた彼女は、明るい表情をしていて。
少女ではなく女性だなぁと、小ざっぱりして潔い彼女に、弥月は笑みを返した。