姓は「矢代」で固定
第6話 信じるもの
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文久三年八月二十六日
初めての巡察から次の日。
結局、昨日は巡察の事後処理やら、土方からの事後指導やらで、弥月はとてもとても外出する気分などではなく。斎藤からもそれを見越してか声をかけられなかった。
そして今日、昼過ぎから出立した巡察は、夕方になる前に終わる。その後の隊士たちは各々稽古をしたり、外出したり色々だ。弥月と斉藤はまだ日のあるうちに外出した。
弥月の希望で鴨川へ行き、川縁で大きめの石に腰を掛ける。斉藤の提案で、不必要に目立つこともないだろうと、途中で買った深い藍染の手拭いを、弥月は頭に巻いた。
私に所持金がないことは言うまでもなく、斎藤さんは当然のように店へ入って購入してくれたのだ。
「本来隠す必要はないと思うのだが…」
「ぶっ…さっ斉藤さん、それ今日五回目ですから! 分かってます、そんなに気遣ってもらわなくても大丈夫ですから!! 買って頂いてありがとうございます!!」
屯所を出かける前、店に入る前、選んでいる時、店を出て直後に、少なくとも一回ずつは同じことを言っていた。明らかに本人より、よほど昨日のことを気にしている。
「そろそろ私がどれだけ図太い人間か、斉藤さんも分かってきてますよね?」
同意を求めて訊くと、斉藤さんは少し考える素振りをしてから、酷く真面目な顔をして言った。
「…あぁ、あんた程何事にも…臆面がない人間、は…なかなか他にいないのではないかと思う」
「……頑張って褒めようとして頂いてありがとうございます」
なんとか悪く言わないようにした努力を感じて苦笑いをすると、「あ、あんたのそれは悪くはないと思う…!」と、少し慌てたように付け足された。
斉藤さんの整った顔立ちに反比例するような、この朴訥さは彼の良さだ。
正直に答えてもらって悪い気はしないこと、本当のことなので気にしていないことを伝えると、「すまない…」と謝られてしまい、それに私はまた笑ってしまった。
「ところで…なにゆえ鴨川なのだ?」
「ここなら、もしかしたら変わらないかと思ったんですけどね……全く同じって訳にはいかないみたい……流石に150年も経てば…空襲もあった訳だし…」
段々と尻萎みに、最後は独り言のように呟く。
太平洋戦争では、大阪などに落とすはだった爆弾が京都に落とされて多数の死者を出したと聞く。今は綺麗な河原……未来には整備されて落ち着いているここも、間に暗い歴史を挟んだのだ。
「ここはここで、この時代の都会なはずなんだけどなぁ…こんなに綺麗な野っ原があって、魚が泳いでて、山は何処までも山で、道は舗装されてなくて…」
同じ川なのは間違いないのだが、面影があるからこそ、違うどこかへ来てしまったのだと感じることもあるのだと知った。
斉藤は同じように周りに目をやりながら、少しばかり残念そうに言う。
「そんなに変わってしまうのか…」
「そうですね…思ってるより、150年は長いのかもしれない」
特にここから始まる文明開化の後は、急速に世界が変わる。高度に技術革新した世界は、手塚さんや不二子さんが想像するような未来へ進んでいく。彼らの想像ほどに速くはなくても。
「だが、変わらないものもあるのだろう?」
「…変わらない、ね…」
全てのものは時と共に移ろい、良くなることもあれば、悪くもなることもある。 時にそれは表裏一体として存在し、変わらないものなんてない。風景然り、人然り。
少なくとも私はそう思う。
それをどう伝えようかと思ったその時、目の前にふわりと墜ちてきた小さな竹の棒に意識を奪われる。クルクルと回りながら緩やかに、それは弥月の足元へ落ちた。
…?
「あー! にいはん、それとっとくれやす!!」
パッと声のする土手の上を見ると、四人の子どもがいて、その中の一人が土手を駆け降りてきていた。
あぁ、竹とんぼか
弥月は足元に墜ちてきたそれを取り、振り向きざま男の子に手渡してやる。
「追っかけてるうちに、土手から転げ落ちないようにね」
「……にいはん、おかしな頭しとんなぁ」
背中を向けていたときには気づかなかったらしい。縞柄の木綿を着た男子は、弥月の手拭いから覗く髪やら顔やらをまじまじと見ながら、ポカンとした表情で言った。
「生まれつきやわ。それと、こないな時は『綺麗なくし』…せめて『珍しい』て言うたら、角が立たちまへんえ。
…あんたはんも新しい玩具買うてもうたら、変なんやのうて、格好良ろしい言うてほしいやろ?」
少年は純粋な眼差しで弥月の小言を聞いた後、ニカッと笑って言うことには、
「…うん!にいはん男前やから、そのきれえな髪よう似合うとるえ!!」
弥月は彼の意外な返答に目をパチクリとしてから、くしゃりと顔を綻ばせる。
「ふふ…いっちょ前によう言う…ほな、気ぃつけてな」
「おおきに!!」
踵を返した彼が小さな体で必死に土手を登りきるのを見守ってから、斉藤さんに「さっきの話なんですけど…」と声をかける。
彼は少し何かに驚いたような顔をしたが、特に何事ということでもないようで、そのまま先を促した。
「…私、どっちかってと、性悪説派なんですよ。今のあの子が『ありがとう』って言えるのも、誰かが根気よく教えたことなんです。それでお互いが嬉しくなることを学習したんです。
『善悪』って、不変ではないと思うんです。人…は、学習する生き物で、社会は人が作ってます。全てのものは…絶え間なく変わっていくと…、私は思います」
たどたどしく話すそれを、斉藤は遮ることなく、だが頷くこともなく聴いた。弥月が自分を納得させるように、二三度頷くのを見てから疑問を返す。
「それは…時間を遡ってきたから言えることなのか?」
その問いに、暫し弥月は固まった。
『善悪』については、確かにそうだ。人が歴史を勉強することはそこに意味がある筈だ。歴史は哲学だと思う。
だけど、私がどうしてそう考えるのかと言われたら…
「……いえ、私が今まで17年生きてての…感想ですね。
未来と景色が違うどうのじゃなくて…私の価値観…というより、生活、が…ひっくり返ったことがあるので…」
「…そうか」
斎藤は弥月が先ほどより更に言葉を濁したことについて追及しなかった。それに弥月はホッとしたような、少し彼との距離を感じたような複雑な気持ちになる。
きっと折に触れて訊かれたら話せるだろうが、自分から言うには抵抗がある過去が幾つかある。
今の自分が、そういう昔の自分を哀れに思うのは、どうにもやるせない気持ちにもなる。自分のしてきた過(あやま)ちを悔いているからなのだろうか。
「…人に言い辛いことは、誰しもあるものだ」
…!
まるで見透かされたような言葉に一瞬狼狽えるが、彼は「俺もそうだ」と視線を合わせないまま言った。その心遣いに感謝の意を示すために軽く会釈をして、また川へと視線をやる。
斉藤さんといると不思議だ。話してはいけないと誓ったことだけでなく、他人にはそうそう話さないようなことですら、するりと口が滑ってしまいそうになる。
烝さんといる時とも違う、どんな話でもただ静かに聴いて、ありのままを受け入れてくれそうな雰囲気がある。
…何か…この感覚に似たのを知ってるんだけど…?
誰だか分からない。割といつも近くにいたような気がするのだが。
父さんも長兄も後から説教があるし、次男はもっとひねくれてるし…
パッと思い浮かばない。モヤモヤして気持ち悪く、うーんと頭を捻っていると、反対側の河川敷の動くものに目がいった。
…あ
「わかった!太朗だ!!」
ポンと手を打つ。
斉藤は当然ながら、突然叫んだ弥月が「何を」分かったのか皆目検討もつかないので、ただ怪訝な顔をする。
「…タロウ?」
「斉藤さんといると、太朗といるみたいな気がするんですよ!
あー、なるほどなるほど!!落ち着くはずだわ!スッキリス!!」
「…友人か?」
「もう10年来の家族! 黒の柴犬なんです!超可愛いんですよ!!」
なるほど、横にいたら口も軽くなるはずだ。賢い太朗はみんなに可愛いがられて、矢代家の中で一番の情報通である。
たとえ私が怒ってても泣いてても、彼の存在は揺れる感情を穏やかにしてくれた。
「犬か…」
「はい、犬です…って、あ。 …もしかしなくとも、めちゃくちゃ失礼でしたよね…?」
でもでも! 矢代家での太朗の順位は、末っ子達より上です!!
そんな言い訳を内心しながら、対岸にいる黒い犬を見ていた彼の様子を窺っていると。意外にも彼は思案した後、ふっと笑うように息を溢した。
「俺は上に立つような人間ではない。犬馬の心というからな……俺は犬くらいが丁度良いのかもしれぬ」
「…ケンバ?」
「犬と馬だ。あれは主人のために尽くす忠誠心が強いからな」
「…あぁ、なるほど。人に仕えて働くなら、そのくらいの忠誠心が良いってことですね」
自分には向いていないが、斉藤さんなら良い犬になることだろう。野心家でない、彼ならではの言葉だなあと思う。
また緩やかに流れる川を眺めて、のんびりした時間を過ごしていたが、日が傾くなってくるころになって、どちらともなく帰ろうということになった。
「そういえば…あんた、他に入用なものはないのか?」
「入用……んー……特にすぐには思いつかないので、無いのかも…」
よくよく考えてみれば、服だり椿油だり櫛だり何だり、監禁されている間に要求しまくったので、日常生活に必要なものはある程度揃っている。
手ぬぐいの件もあって、気を遣ってくれているのだろう。「大丈夫」と応えると、「困ったら相談すると良い」と言ってくれた。
「そういえば給金って出るんですよね、新撰組」
「あぁ、平隊士は月三両を頂いている」
「…すいません、その価値が全く分からないので、分かりやすく説明してほしいです」
そういうわけで帰りに、道々にある商店を例に物価について考えたわけだが。一両、一分、一朱と一文の単位変換から、現代とは物の価値が異なる相場まで一気に頭に入れるのは甚だ困難で。
ただ弥月が理解したことといえば、
小判一両=四分=十六朱=六〇〇〇文。
一分= 四朱=一五〇〇文。
一朱= 三七五文。
茶と団子は四文、風呂屋は八文、そば二十文。
人夫という日雇い労働的なものは、日給一朱と二〇〇文程度。長屋に住むには三朱あれば十分。
つまり、しずかちゃんのごとく一日三回風呂に入っても、月あたり七二〇文……二朱程度。だが、そもそも私が性別を偽る限り、風呂屋は不可能なことに最近気付いて、行き場のない怒りに涙が滲んだことは記憶に新しい。
ホームレスでも週休2日で真面目に働けば、二〇朱と一万文……二両二分三朱程度。もう、ホームレスである必要すらない。
驚いたのは米がまるでガソリンのように価格変動するようで、季節柄と情勢不安のために上昇傾向にあるらしい。てっきり安いから米を多く食べているのだと思っていたから、『なんであんたら米ばっか食ってるんだ』という疑問を発したが、どうやら時代としてそういうもののようだ。
ただ屯所の隣に畑があって、それをみんなで育てていることを鑑みるに、きっと生鮮食品は流通方法がないから高いのだろうとは思う。
それは兎も角、とりあえず、新撰組は活動費が支給されているため、食事と住居は個人費がない。
だから左之さんがやたらと酒を買って飲んでいたり、新八さんが「金欠」とは言いつつも定期的に島原に通ってるのも納得がいった。食費光熱費なく手取り三両はガチで多いのだ。
そういうわけで、弥月が三両貰えると分かって喜んだことといえば、新八さんから小耳にはさんだ夜鷹とやらの“一伽二十四文”の心配が無くなったことだった。