姓は「矢代」で固定
第6話 信じるもの
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文久三年八月二十五日
軽い足取りで、宙を飛ぶ様に歩く。
「ふっふふーん♪」
青い空に自然と笑みが零れる。大気が澄んでいるのは気のせいではないだろう。
キョロキョロと辺りを見回しながら歩く、見慣れない京の街。
ついこの間まで見慣れたはずだった町並みが、ごっそり入れ替わっているのだから凄い。いや、正確に言えば、世界側は変わっていないのだけれど。
「ふふふふーん・・・あ! あれはなんですか?」
「茶屋だ」
「やっぱり!傘と椅子があるしね!! じゃあ、その隣は?」
「薬種問屋だ」
「ですよね! だって暖簾に書いてありますもん!!あはは!!」
斉藤は普段は隊の先頭を歩くところを、今日は末尾に付いて、童の様にはしゃぐ弥月の相手をしていた。
それと、斉藤の仕事は、時折、変な顔をして振り返る隊士を諌めること。屯所を出る前に「家からほとんど出たことが無い」と言い訳はしておいたが、それでも見るもの見るものに興味関心を示す彼の様子は異様でしか無い。
「おぉ!犬だ」
歩いている犬猫にまで感動する始末。
俺が宿屋で帳簿を検(あらた)めている後ろで、荷馬車が通り過ぎた時には、何が面白いのか付いて行きそうになっていた。隊士が気付いて引き戻してくれていて良かった。
「…矢代、もう少し大人しくできないのか」
「え、できません」
「・・・・・・」
「嘘!うそです、ごめんなさい!!大人しくします!!」
俺の視線に臆した矢代が未だにキョロキョロとしながら、それでも先程までよりは静かに歩くのを確認して、俺はこっそりと溜息を吐いた。
昨日、朝餉の後にと副長に呼ばれて訪室すると、頬を膨らませた矢代が先に座っていた。それを不思議に思いながらも、部屋主が気にしていない様子だったので、そのまま障子を閉める。
「お呼びですか」
「おぅ、すまねえな。非番なのに」
「問題ありません」
「まぁ、座れ」
「・・・彼は」
「良い・・・というより、矢代も関係している」
「・・・ってか、私のことだし」
唇を尖らせて、あからさまに“怒っている”を意思表示をする弥月を無視して、土方は話をつづけた。
それは弥月を当分の間、斉藤の組に入れて巡察させたいとのこと。
「それで・・・何故あんたは怒っているのだ。誰の組なら良かった」
副長が俺の組を選んだ理由は至極納得のいくものだった。
新八では、平隊士に余計な口が滑りそうで不安。
左之では、何か起こった時に・・・というより、自分から何か起こしそうで不安。
平助では、喧しい輩が倍になって平隊士の方が不憫。
総司は隊務に対する姿勢が模範的ではないし、そもそも矢代にとって論外。
源さんにコレを任せるのは申し訳なさすぎる。
・・・となれば、「斉藤、頼む」と副長が頭を下げるのも無理はない。
「斉藤さんとで、ぜーんぜん構わないんですけど。むしろ盛り上げ隊を希望している身としては万々歳・・・」
そう言いながらも、顔はそう言ってないわけで。
「・・・だって、今日から外出だって期待してたのに・・・」
・・・?
「はぁ・・・だから悪かったって言ってるだろ。斉藤が今日は非番だって気付いたのが、今朝だったんだ」
「だったら、気付いた時に言ってくれても良いじゃ無いですか」
「てめぇがのんびり飯食ったり道場行ったりして、訊きに来ねぇのが悪いんだろ」
「誰がのんびり!? 平隊士に捕まってたんやし!」
なんとなく状況は分かった。彼はただ単に拗ねているのだ。そういえば今朝も、矢代は文武館で平隊士の相手をしていた。
「明日の昼の巡察からということですか」
「そういうこった」
それが昨日のこと。
そして今日。
巡察は二組合同で行う。隊の先頭を松原組長に任せている状況だ。
弥月が通った後、道々振り返る、町人、商人、浪士その他諸々の人々の視線を気にしていないのか、慣れたものなのか。彼は物見遊山のごとく嬉々として歩いているのだが。
それは新撰組の羽織を着ているわけで。
また何かに気を取られて足が止まっていた矢代の、手首を掴んで、先を進んでいた隊の後ろへと戻る。
「隊務中だ。物珍しいのは分かるが、終わってからにしろ。その様だと他の隊士の迷惑だ。二度と連れて行かん」
「・・・はい」
やはり根は真面目なのだろう。先程まで楽しげに揺れていた髪が、落ち込んだ犬の尻尾が垂れるのを思わせる程、シュンとなってしまった。
これでしばらくは大人しくなるだろうと思って、ホッとしたのだが。
ザッ
ザザッ
ザッザッザッ
「・・・なにゆえ・・・・・・そこまで落ち込まなくとも・・・」
いくら先に進もうとも、いつもの元気さが復活することが無いと、些か心配にもなってくる訳で。
言い過ぎたか・・・?
斉藤が自分の発言を振り返ろうとした時、矢代は窺うように彼の方を見た。
「・・・また連れて出てくれます?」
斉藤は最初、『隊務に連れて行ってほしい』と言いたいのだと思ったのだが。
・・・そうか。一人では出歩けないのだったな
副長から”外出には同伴が必要”と言われていたからこそ、彼はこの四日間、遠慮して出歩けなかったことに気付いた。
「・・・そうだな、今後の隊務にも関わる。街の案内も必要か」
そう言ってやると、先程までの暗い顔がみるみるうちに輝き、「ありがとうございます!」と満面の笑みで言う。
「巡察後は空い」
「食い逃げだあぁぁ! 誰かそいつを捕まえてくれ!」
「後ろだ!」
俺が隊士の声に反射的に脚を踏み出す。だがそれより早く飛び出したものが、金の尾をたなびかせるのに目を見張る。
「矢代!!」
その背を追うように隊士とともに駆けだした。食い逃げ犯は道行く町人を押し倒しながら走り、矢代はそれによって開いた道を行く。
斉藤も懸命に走った。腰のものが音を立て、僅かに平隊士を引き離す。
・・・――っ速い!?
前を走る彼に追いつかない。それどころか僅かずつ間が空いている。そして彼はすでに狙いに追いつこうとしていた。
「捕らえます!」
彼は振り返ること無く、しかしハッキリと聞こえる声で叫んだ。
弥月は後ろから抱き着くようにとびかかり、犯人とともに前のめりに転んだ。しかし、敵はすぐさま起き上がって、弥月の下から這い出ようとする。そう易々と逃すまいと、弥月は犯人の胴を両腕で抱え込んだ。
「ぅ…るあぁ!!」
ガンッ
「な・・・っ!」
なんだそれは!?
矢代は敵ごと、自身の体幹を反り返らせて、相手の頭頂部を地面へ叩きつけた。まるで橋のような体勢になった。
「・・・うわ!」
「!?」
「ちょっ・・・! ここからどうすれば良いか分かんない!誰かっ!!」
犯人はガクリと首が力なく傾けて、口も目も開けたまま気絶してしまっていた。
それに唖然として斉藤達の脚は止まってしまっていたが、弥月の助けを求める声に我に返って、彼の元へ再び駆け出す。
「矢代!」
「斉藤さん!助けて!」
・・・
「・・・それを置いて、退けば良いのでは無いか?」
「え!? あ、もしかして、この人もう落ちてる!?」
「あぁ、気絶している」
「なんだ、もう掴んで無くて良かったのか。・・・よっと」
矢代は一端、敵の下敷きになりながら、ゴソゴソと抜け出してくる。すとんと下手人の横に腰を下ろす彼。俺が膝をついて目の高さを合わせると、彼は「へへっ」と誇らしげに笑った。
「ひったくりとか、食い逃げ取り締まるのも新撰組のお仕事でしたよね?こんな感じで良いですか?」
・・・・・・「こんな感じ」と言われても、敵を掴んで投げる隊士など、前例にいるはずもないのだが
「・・・あぁ。捕まえた上に、自分にも怪我が無いなら何よりだ」
「よかった!一回これやってみたかったんですよね…・・って、あ!」
「今度は何だ」
俺が「忙しい奴だ」と思うと同時に、矢代は俺の肩越しに見つけた相手に駆け寄る。
恐らく食い逃げ犯に押し倒されたのであろう若い女子が、地に手をついていて。それを妙齢の女性が心配そうに屈んで介抱していた。
「大丈夫ですか!?」
「香乃はん、大丈夫おすか?」
矢代は膝をついて、彼女に手を差し出す。
「えぇ、おおきに・・・」
「あぁ、手、血が出てる…! とりあえず洗って手当をしましょう」
「ほんまやないの! すんまへん、お侍は・・・ひっ!」
パンッ
「さわらんといて!」
「!?」
「うちの子が穢れれたら、どないしてくれるん!」
女性にドンッと押されて、しりもちをついた矢代。唖然とした表情で、女性の顔を見ていた。
女は恐怖と嫌悪の色を隠さなかった。
「触らんといて、穢らわしい鬼子が!!」
「…!」
言葉を失って、血の気がひいた弥月。
それでも女の責苦は続く。
「鬼が血ぃ啜った体で近寄らんとい」
「それ以上、謂れの無いことでこいつを侮辱するなら、俺は許さん」
斉藤は弥月の一歩後ろから、明らかな怒気を漂わせる。
壬生狼、人斬り集団として咎められたならいざ知らず、彼の外見だけから判断して、汚い言葉を発するものを俺は許せなかった。
女は臆したのか、ばつが悪くなったのか、グッと口を退き結んでから娘の方へと振り返って、「えぇから構わんとって!」と金切り声で言った。
「・・・矢代。残りは松原さんに先に行ってもらう。俺たちはこいつを奉行所に届けに行くぞ」
彼が立ち上がった後、俺は踵を返して、隊士たちが下手人を捕縛したのを確認する。だが矢代の返事はない。
「矢代弥月」
「あ・・・はい。・・・分かりました」
こちらを振り返った彼は、まるで表情が抜け落ちたような顔をしていて。
平隊士が下手人を引きずり行くのを目に映しながら、横に立った矢代に言った。
「・・・町人に好かれるために、俺たちは巡察しているのではない。全ては大義を成すためだ」
「・・・はい」
気落ちした声。それは日頃の巡察で批難を浴びた時の隊士にも見られる姿だった。
けれど、今日のように悪行を成す不届きな輩を捕らえれば、京の街は平和になる。それが俺たちが今成すべき事で、いずれ実を結ぶだろうと信じている。
だが…
「・・・俺は綺麗だと思った」
「・・・?」
横を歩きながら、ゆっくりと視線を絡めた彼の瞳は、悲しげな色をしていて。
もし彼が”人と違う”ということを辛く感じているならば、俺がありのままを受け入れてもらえたように、矢代もそのままで良いのだということを伝えたかった。それがわずかでも慰めになればと。
「俺はあんたの髪が綺麗だと思った。確かに日に透ける珍しい色をしてはいるが、跳ぶ時や走っている時に揺れるその髪は、美しい獣の尾のようだと思っている」
立ち止った彼の目が見開かれる。同じように足を止めて、俺は視線を逸らさない。
彼はゆるやかに眉尻を下げた。
「ありがとうございます」と小さな声で言う彼に、俺は僅かな微笑みを返して見せた。