姓は「矢代」で固定
第5話 大切なもの
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文久三年八月二十一日
踏み鳴らされる力強い足音と、竹刀が激しく打ち合う音。そして前川邸内の端から端まで聞こえる、男たちの怒号と悲鳴。
そこに立ち入ることを許されたのは今朝のこと。土方さんから「是」をもぎ取ってきた。ついでに、彼の袴も一枚もぎとってきた。
弥月はひょいと入口から顔を覗かせる。
「おー、やってるやってる」
籠った熱気と汗のにおい。風の通る外の方が、暑さが幾倍もまし。
けれど、こんな匂いでも、懐かしく灌漑深く思ってしまう自分は可笑しい。汗臭さと男臭さが落ち着くなんて最悪だ。
「お! ついに来たか!」
「はーい! 呼ばれずとも飛び出ちゃいました!」
弥月に真っ先に気付いた新八が、指導の手を止めて、入口まで迎えに出てきた。それに気付いた、同じく今日の指南役の沖田も、彼らの声の聞こえる範囲にさり気なくやって来る。
「体調はいいのか?」
「はい、ピンシャンしてますよ。土方さんと山崎さんからも了解貰ってきました」
「そりゃ良かった! 今日から隊務に参加か?」
「いいえ。とりあえず長いこと竹刀振ってなかったから、鍛錬に三日猶予貰いました。良かったら混ぜてもらえません?」
「いいぜ!…って、言いてぇ所だが、まずは自己紹介からだな」
片目を瞑って親指で肩越しに指し示された先には、手を止めてこちらに注目している人達。おそらく皆さん新選組隊士なのだろう。
突然現れた金髪の男が、当たり前のように新八と話しているのに、全員が驚いていた。
だが中には、「おい、あれって噂の…」と言う者もいて、何人かは弥月を見かけたことのある者がいた。実のところ、幹部が金髪の異人を囲って、交代で夜な夜な伽をさせているという噂がちらほらあったのだが、弥月はそんなこと知る由もない。
一様に畏怖の目を向けてくる彼らに、弥月は苦く思いながらも、ゆったりと微笑んで見せた。
「はじめまして。今日から入隊します、矢代弥月と申します。齢は…数え十八です。
若輩者ですがどうぞ宜しくお願い致します」
流れるような動作でお辞儀をする。顔を上げて、一つ瞬きをしてから、ニカッと今度は元気に人懐こく笑って、視線を全体へ回した。
うん。我ながら、いい感じ
第一印象は1秒で決まると聞いたことがある。私はどうやら1秒目はあまり良くないらしい。
だから、その後の10秒で、それを補うだけの小技を磨いてきた。
弥月の確信は正しく、隊士たちからの奇妙なものを見るような眼は和らぎ、純粋に驚いたというような様子が窺えた。さしあたり、流暢な日本語を喋っていることに驚いたのだろうけれど。
「役職は副長補佐に就いていますが、各隊の補助用員として働くことも多いと思います。皆様の足を引っ張らないよう精一杯努めたいと思いますので、どうぞお見知りおき下さいませ」
もう一度深々とお辞儀する。
…
…
…あれ? 反応が微妙…
小声で「小姓ってことか?」「補充って?」と騒めく男たち。どうしたものかな、質問コーナー設けるべきかと考えたのだが、手前にいた一人がスッと手を挙げた。
「矢代さんは、異人の方ですか?」
いかにも緊張したという面持ちの、まだ若い部類に入るであろう青年。
助かる~こういう人!
今度は淡く微笑んで見せる。ただ、少し悲しげに。
自分が他人にどう見えるかなんて、物心つく前から考えてきた。どう歩けば人の目を引いてしまうか、どう話せば皆と同じに聞こえるか、どう笑えば他人に受け入れられるか。
「いいえ、この日の元で生まれ育ちました。…少々、見目が良くないかもしれませんが、生まれつきのものですのでご容赦ください」
語尾を消え入るように話すと、男は少し頬を赤らめながら慌てたように、「そんな…見目が悪いだなんて…っ」と。
ちょろっ
弥月がうっかり儚げな表情を崩しそうになるより先に、上から圧し掛かるようにガッシリと肩を組まれて。思わず「ぐえっ」と本性が出た。
「おうおう、弥月がちょっと可愛いからって騙されちゃいけねぇぜ?なんせ、腕は斎藤のお墨付きだからな!」
「斎藤助勤の!?」
途端、再びざわめく隊士達。また少し、彼らが弥月を見る眼が変わった。推し量るような眼、ただただ興味深々の眼、信じられないと言った眼。
「えへへ…斎藤さんに褒められてたんだ。嬉しいな」
「俺も弥月はなかなか筋がいいと思うぜ?」
「一人で木の枝振ってただけで?」
「はは! まぁそうだったな!!」
ぐしゃぐしゃと頭をなでられる。彼の豪快さは嫌いじゃない。頼れる兄貴分だ。
「ね、自己紹介はこれくらいで、手合わせお願いしてもいいですか?」
「おう! どうする、俺がするか?」
「うーん、ちょっと筋力落ちてるから、できれば組下さんの方が…」
再び彼らの方に目を向ければ、「あの!俺が!」と手を挙げたのは、さっき質問を投げてきた青年で。
すると、意外なところから承諾の声が飛んだ。
「君か。良いんじゃない?」
…?
沖田さんの言葉を訝しく思っていると、新八さんが耳打ちをしてきた。
「あいつ、総司んとこの組の奴でな。総司の次に強いぞ」
「へぇ…」
少し細身だが、しっかりと筋肉のついた男。確かに強そう。
「へぇって……大丈夫か?」
「大丈夫。ああいう人は嫌いじゃない」
「…は?」
ポカンとした新八を他所に、弥月は誰かに道具一式を貸してくれるように頼んだ。
***
「ル…試合形式は?」
「三本勝負、二本先取で勝ちだな」
「了解」
余っていた道具を借りて、道場の真ん中で、腰を据えてから面をつける。面格子の隙間から改めて相手を見やるが、体格差はないから力押しではこないだろう。
…なら、機はある
「…良いか?」
審判を務める新八に一つ頷くと、相手と一緒に立ち上がる。
正眼に構えた、手にした久しぶりの竹刀の感触に、不思議と少しホッとした。
長く息を吐きだす。室内を満たすほどよい緊張感。
いつもより防具が重たいけれど、踵が踏んでいるのはいつもと同じ冷たくて硬い木の板で。手に握るのはいつもより長くて重い竹刀だけど、不思議と使いにくくは感じなくて……長い間、この手はこの感触を求めていた。
勝てる
「…始め!!」
ダダ…パンッ
音はそれだけで、し…んと静まり返った。
風が通り抜けたようだった。
敵はおろか観客までもが呆気にとられる、刹那の動き。
疾風迅雷の進撃。
「いっ、一本!」
弥月はふっと息を吐く。相手の腰を打ち払った得物を戻し、足音なく元の位置へ着いた。それに気付いた相手も、慌てて竹刀を構えなおす。
一撃目は速攻。これは絶対に落とさない
剣道を始めたのは4歳、ひ弱な子供だった。頭角を見せたのは10歳になる頃、そこらの女の子じゃ相手にならなくなって、公の大会には出なかった。もっぱら家で兄弟子たちと剣を交えた8年間。
踏み込みの速さには、兄達も舌を巻いていた。
”女だから、力がないのを誤魔化してるだけ”……そう揶揄する他人もいたが、家族はそれを才能だと認めてくれた。
だから、絶対に落とせない
「…始め!」
敵は速攻を予測し、身構えていた。それを黙視して、ゆっくりと気を整える。
一撃目は勝てるけれど、「速さに驕るな。先が短い」という祖父の言葉は正しく、歳を追うにつれて、頭打ちな感じが否めなかった。幼い頃は打ち負かせた一つ上の兄も、高校に上がる頃には五分五分になっていた。
スッと眼瞼を細めると、焦れた相手が踏みだすのが見えた。
パン…パンッ…
「やあぁ!!」
バシッ…
気合とともに振りおろされた竹刀を、受け止めずに流す。
何度か音を鳴らして打ち合った後、相手の竹刀に自分のそれを滑らす。
どうしたって力では勝てない
ならば技を磨け
一気に間を詰めた。息を吸う。
「覇ッ!!」
突然の咆哮驚いた敵の腕を、巻き上げるように掠め取り、相手の手から竹刀を落とす。そして、反応する間も与えない、頭部への一撃。
パンッ
「一本!勝者、矢代!!」
「…ありがとうございました!!」
面を取ると、久しぶりの爽快感。
見渡すと、未だに口をポカンと開けたままの隊士たちに笑ってしまった。
「すげぇ…」
誰かの呟くような一言が皮切りになって、道場内は大きな歓声に包まれる。
「すげぇ!!見たか最初の!」
「見たけどな!気付いたら終わってた!」
「さっきのも何だありゃ!永倉助勤のとも違うぞ!」
「こう…腕ごとグルグルって…!」
アレは剣道じゃないけどね…
きっとここなら何でもありだろうと踏んだのは、正解だったようだ。
「すげぇな、弥月。あそこまで速いとは思わなかったぜ!」
新八さんが、心底感心したといった風に言ってくれた。
「まぁまぁ思った通りに動けたんですけど、今体力ないし、早めに切り上げちゃわないと不味いかなーと思って……ちょっとズルかったですけど…」
「いやいや!あんな叫びくらいでビビったあいつが悪い。見事だった!」
「ありがとうございます!!」
手放しで褒められて嬉しくなる。考えてみれば、他人に裏表なく褒められたのは久しぶりかもしれない。
「お前まだ伸びるぜ!俺が稽古つけてやるよ!…いや、先に俺とも一本やっとくか?」
「…!はい!!お願いし」
「ねぇ、君。僕としようよ?」
いつの間にか音もなく近づいてきていた彼に、後ろから声をかけられた。
「遠慮しときます」
徐々に落ち付いてきていた周囲のざわめきが、少しまた多くなったことを感じながら、ゆっくりと振り返る。
「遠慮しなくても、彼じゃ物足りなかったみたいだから、僕が相手してあげるって言ってるんだけど?」
「嫌です」
誰かが…いや、誰もが息を呑んだ。
沖田さんは隊の中でもそういう立ち位置なのだと理解する。
新八さんから「おい、弥月…」という制止の声がかかるが、これはいい機会だろう。言うべきことは言わなきゃ気が収まらない。特に沖田さんの場合は。
「…稽古つけてあげようって言ってるんだけど?」
「ありがとうございます。けど、沖田さんとなんて、頼まれようとご遠慮願います」
「…斬られたいの?」
「ほら、そういうところ。私、沖田さんのそういうところが大嫌いです。暴力で脅して、他人にいうこと聞かそうと思ってるところが」
「壬生浪士組…新撰組なめてるの? 実力勝負でしょ。上司の言うことは素直に聞くものだよ。それを教えてあげる」
「あなたに頭を下げるくらいなら、その辺の犬にでも頼んだ方がマシです」
ヒュッ…パンッ
「…速さだけなら、沖田総司に引けを取るつもりはない」
下から顔をめがけて鋭く振りあげられた竹刀を、片腕で受け止めた。
「…ほんと生意気だね。死ななきゃ分からないみたいだ」
嫌い
「殺せるもんなら、殺してみなさ」
「矢代!総司! 何してやがる!!」
弥月はその怒鳴り声にビクリと肩を震わせて、恐る恐る戸口を振り返る。
「土方さん…」
「妙に騒がしいと思って様子を見に来れば…早々に問題起こしやがって!! ちょっとこっち来い!」
「…」
「…矢代!!」
「…はーい。新八さん、また今度よろしくー」
「お、おう…」という彼の返事を聞きながら、先ほどまで話していた相手には一瞥もくれず。荒い足音を立てて歩く土方さんに付いて、弥月はのろのろと文武館を後にした。
***