姓は「矢代」で固定
第4話 預言者
混沌夢主用・名前のみ変更可能
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文久三年八月十九日
ほへほへ。
ほへほへしています。
それというのも解放されて2日目なのですが、暫く大人しくしとけという大多数の意見で、昨日までと同じように暢気に過ごしているからです。
変わった事と言えば、土方さんの所に昼間行ってみたのと、厠に独りで行くようになったことくらいか。
勿論、土方さんには「気が散る。他所行け」って追い返されたんだけど…
体調は徐々に回復の兆しをみせており、だるさは残るものの悪心等は無く、穏やかに過ごせている。逆に食べなさ過ぎてべん…とかは、関係ないので伏せておこう。
そんなわけで、昼間に少し屯所内をフラフラしてその帰り。
こんなに天気が良いのにそのまま納戸に戻る気が起きるはずもなく、今は幹部棟の縁側に座ってほへほへしている訳だ。すばらしき日向ぼっこ日和。時折聞こえてくる怒号と悲鳴が、小鳥たちのさえずりにすら聞こえる。
幕末、こんなんで良いの…?
夏の暑さが少し戻った、穏やかな初秋の昼下がり。
拝命があったのは昨日のこと。その晩、それはそれは壮大な酒盛りが屯所内で行われ、平隊士、幹部ともに屋敷か壊れるのではないかと思うほど暴れ回っていた。
「ふっ…あれは面白かったな…」
同時に弥月の解放が決まった日な訳だが、思わぬ事件が起きた。
***
夜になるのが待ちきれず、夕方から始まった酒宴は、日が変わろうと円も闌(たけなわ)などとなるはずもなく、賑々しく続いていた。
遠くで賑やかに聞こえる音を羨ましく思いつつも、当然、弥月は我関せず、眠りに就いた。
部屋移動初日というのもあって、何となく居づらかったのだが。烝さん達に勧められるまま、監察方の部屋で一人床に就いていた。
バタバタバタ、バタン…
バタン…バタン!
「あははははは!!なーに寝とんねん! こーんな目出度てぇ日に!!おまえも飲め飲め!!」
「たーけにゃあ! 倒れるにゃあ早いや!! まーだ夜は長ぎゃあて!ほら持ってちょう!!」
「……へ?」
なに…?
すでに微睡みはじめていた寝惚け眼のまま、グイグイと手に押し付けられた小さい物を受けとる。
「ほら、真っ直ぐ持て!」と手を支えられ、その中に並々と注がれていくもの。ぼんやりとした目と手で「お酒…」認識していたのだが、状況が分からなかった。
しかし、徐々に意識がハッキリしてきて。
…お酒!?
「あの私、お酒は…」
「なーに澄ました事言っとりゃあすか!」
「杯を交わしてこそ真の同士ってもんやろ!」
「いや、ほんまに…」
オロオロとしながら、手元からフッと顔を上げれば、
………誰!?
てっきり新八さん辺りかと思っていたのだが、目の前の二人組はどちらも知らぬ青年。それだけで大混乱なのだが、何故か二人は私に「一気!」「一気!」と捲し立てていて。
えぇぇぇぇ!?
どうしてもこの杯を空けなければ、逃がしてもらえない雰囲気。いや、空けたら空けたで、また次が注がれるのだろうが。
「ちょ…うわ…えっ…」
「おみゃー、儂(わし)の酒が飲めにゃあって言うかや?」
飲むしか無いようだ。
「…い、いかなきゃ駄目っすか?」
軽く持ち上げながら、彼らの最後の良心を願って訴える。なのに二人は「一緒に酒が飲めなくて、攘夷が語れるもんか!」とか訳の分からない雄叫びを上げる。
お、女は度胸だ!!
「――~~っ!ごめんなさ」
「あんた達、何をしている」
「「「!?」」」
仰ごうとした杯を両手に振り返ると。開けっ放しの障子の向こう、薄闇に立っていたのは斎藤さん。目の前の酔いどれ乱れまくりの隊士二人とは違い、いつも通りきちっとした佇まいでそこに立っていた。
だが、酒を強要されたと、本人たちを前に言える訳もなく、なんと状況を説明して良いか分からない。
「あの…えっと…お酒を飲もうと…」
「…あんたは病床の身ではなかったか?」
「いや、まぁ…そうなんですけども…」
察してください、斎藤さん
なんだか怒っているような声を出す彼に、「あはは…」と乾いた笑いを漏らす。それが彼の癪に触ったのか、その涼やかな目元を飾る整った眉がピクリと跳ねた。
けれど、そんな澱み始めた空気を、読めずに壊してくれる救世主が、今ここにはいた。
「なんや思ったら、さいとー助勤かや!」
「気づいたらおらへんから、どこ行ったんかと思ってましたよー」
「…安藤と林か」
「ほーじゃ!」
「なんや、沖田助勤が斎藤助勤に飲ましたら面白い言いはるんで、是非一献と思うて捜しとったんですよ!」
「そうか…少し飲みすぎた故、風に当たっていたのだ」
「ほーか!ほれで、さいとー助勤と捜しとったら、ここでこん男が素面のまま寝とりゃあしたから、一緒に誘っとったんだがや!」
そんな話だっけ!?
とんとんと進む話に驚いて、安藤と呼ばれた青年の顔をみるが、私が反論したいことなど露ほども気付かぬ様子。
元より、酔っぱらいの言うことは宛にならない。
「この者は体調が優れぬ故、ここで寝ていた。酒など与えてくれるな」
斎藤さん…!
しかし、私の歓喜空しく。救世主のように見えた斎藤さんに、林さんという方はニヤリと笑う。
「それなら、斎藤助勤お勧めのアレがあるやないですか!!」
「アレ…?」
「切り傷、打ち身、どんな痛みも飲みゃあピターッと治るは…?」
「…! そうか!石田散薬という手があったか!!」
「石田散薬…?」
オロナインみたいな薬だろうか? 信じればなんでも効く
「矢代、少し待っていろ。直ぐに部屋から持ってくる」
「え…あ、はい。ありがとうございます?」
バタバタと駆けていった彼は、すぐに手に白い袋を握って戻ってきた。バサバサと中から取り出された薬方紙の中には、黒っぽい粉が入っている。
「矢代、これを飲め」
「え? これ何の薬ですか?」
「石田散薬だ」
「へぇ、初めて見ました。漢方みたいなもんですかね。何に効くんですか?」
「石田散薬だからな、何にでも効く」
「…はい?」
何にでも? 何の痛みにでも効くということか?
「痛み止めですか?」
「いや、切り傷、打ち身、筋肉痛、骨折、打撲など何にでも効く。無論、痛み止めにもなるし、倦怠感も取れる。何でも治る」
「はぁ…」
万能薬ってこと…?
差し出された黒い粉。焦げたような少し苦い臭いがして……一言で言うなら美味しくなさそう、漢方ならそれも仕方ないが。
「安藤、酒を」
「合点承知!」
いつの間にか空になっていた猪口に、新たに並々と注がれる酒。
「お酒をどうするんですか?」
「これは熱燗で飲むのが正しいのだが、副長は酒なら何でも問題ないと仰っていた」
「…お酒で飲むんですか? これ…」
病人に酒を飲ませるような薬ってどうなの…
酒は百薬の長ともいうが、それは日頃からたしなむ話であって。今の場合、病人が薬を流し込むのに何故酒なんだという問題がある。
体調の悪い人は基本的に内臓も弱っている。だから下痢や腹痛が生じやすい。仮にこれが、それをも凌駕する薬だとしたら、令和の世まで続いているはず…
そうなってくると、万能薬と謳う薬の効果なんて果てしなく胡散臭い。
「副長が言っていたのだから、間違いない」
「…なぜ」
「石田散薬は副長の生家で作っている。それを売り歩いていた副長が言うのだから間違いない」
「…そうだ、子どもの頃、薬の行商してたって…」
さっき、酒なら何でも良いとか適当なこと言ったのは土方さんだったような…
握らされるように、手に乗せられてしまった薬包紙をじっと見る。その微小な黒い粉は、私の眼にはすでにシラミとか虫の糞にしか見えない。
「…お気持ちは嬉しいですけど、私はもう回復していますし、不要な物かと」
弥月は元通りときちんと畳んで、畳を滑らすようにお返しする。
しかし、相手は強敵だった。
「いや、これを飲んで、少しでも早く万全になってくれ!」
グッと薬方紙ごと手を握られる。
驚いて顔を上げ、真正面から視線がぶつかると、紫紺色の瞳に吸い込まれそうになって、思わず息を飲んだ。
いつも髪の毛で顔の右半分が見えていないのだけれど、今日は少し乱れていて。意志の強さを示す引き締められた口と、黒目がちな切れ長の眼が覗いていた。
引き寄せられるように目が離せなくなってしまった、彼の真摯な瞳からは、本当に私を気遣って、切にそれを願ってくれていることが伝わってきた。
あ…
心配、してくれてるんだ…
思えば、彼は一番先に私の体調に気遣ってくれた。吐き戻した2日日の朝、いつものお膳にお粥が出てきたことに驚いたら、斉藤さんが別で作ってくれたものだと、烝さんに教えて貰った。
倒れている5日と、土方さんの所にお邪魔した数日、斎藤さんと直接話す機会がなかった。けれど、少しでも食べられるようにと調節された椀の中身に、彼の優しさをずっと感じていた。
本気で思ってくれてるんだ…
胸が締め付けられるような、でも温かい気持ちになり。弥月はゆっくりとその手を握り返す。
「斎藤さん…いつもお気遣い頂きありがとうございます。お粥、とっても美味しかったです…」
自暴自棄になりかけていたけれど、毎日、毎食、彼の優しさがそこにあったから、私はいつもそれに手を伸ばして、生きようとしていた。
言葉はなくても、彼は私に「大丈夫か」と話しかけてくれていた。
ここで生きていいと
眼の奥が熱くなる。
握りあった手を見て、思うことは、
「斎藤さん…」
「…」
これは…
「…酔ってますね?」
熱い。手がものすごく熱い。そして浅く繰り返される呼気から酒の匂いがしている。
考えてみれば、この人も間違いなく酔っぱらいなのだ。星明かりのみでやり取りをしているので全く分からないのだが、今、斎藤さんの雪のように白い肌は、間違いないなく赤いはず。
ミイラ取りは最初からミイラだった。