le fantôme de l'Opéra
男は理解できないといわんばかりに睨みつけるような視線で応えた。
突然、下された命令に驚いたからだ、無理もないパサージュに行けというのだ、だが、買い物をしてこいと上司に頼まれたわけではない。
ある婦人の護衛としてだ。
何故と説明を求めたのは当然だろう。
「自分はジャックを捕まえることが最優先の筈です、そう仰ったのは」
あなたでしょう、その視線に机の上の新聞と手紙を上司である男はちらりと見た。
「警護の仕事が、そんんなに嫌なのか」
「そんなことはありません、命令なら従います、どんなことでも」
「まさか荷が重いなどというわけじゃないだろうな」
男は首を振った。
アイリーナ・アドラーがパリのオペラ座に立つことが決まったのは数日前のことだ。
新聞に載っても不思議はない、スクープといってもいいぐらいだ。
だが、それは記事にはならなかった、寸前で押さえられたからだ。
「来日前にプリマドンナはパリに来る、勿論、日程は秘密だ、そのときの護衛を君に頼みたいんだ、ジャン、これは君にしか」
男は頭を下げた、それ以上は言わなくてもわかりますという無言の答えだ。
「待て」
背を向けて手で行こうとする男を上司は呼び止め、まだ公にはされていないがと言葉をきった。
「先日、殺された男は阿片を売買していた、その相手は一般人ではない」
貴族ですかと言いかけてジャンは言葉を飲み込んだ。
プリマドンナがオペラ座の舞台に立てば大勢の人間が来るだろう、一般人だけでない、貴族もだ。
「プリマドンナは」
歯切れの悪い言葉が何を言おうとしているのか、すぐにはわからなかった。
「常習ですか、もしくは」
馬鹿者っっ、即座に一喝された。
「プリマドンナは阿片、薬物に対して嫌悪している、それを嗜みだと豪語する人間も、だが、ここはパリだ」
取り込もうとする者がいるかもしれない、上司の言葉にあり得ないことではないと思った。
有名なプリマドンナともなれば金もあるだろう、そこを狙ってくるかもしれない。
オペラ座の支援者貴族の中に阿片に関わる者がいれば尚更だ。
「ジャベール」
上司に呼ばれた瞬間、男の表情が一変した、名前を呼ばれたからではない、まだ、なにかあると感じたからだ。
「先日、殺された娼婦だが、部屋から、あるものが見つかった」
嫌な予感がした。
「上物の阿片だ、私娼の稼ぎでは手が出せないほどのものだ」
予想もしない返事にジャン、いや、ジャベールは黙り込んでしまった。
女性のドレスを買うというのは簡単なことではない。
下町、平民の女性なら自分で仕立てたりするだろうが、身分のある女性ならサイズを測り、トルソー【型】を作る、それを元に仕立てるのだが、時間がかかる。
いや、問題はそれだけではない。
コルセットなど窮屈で締め付けるようなものはよくない。
体調を考えると動きやすいものがいいだろうと男は考えた。
パリの流行は気まぐれといってもいい、昨日まで話題になっていたものが、数日もすればがらりと変わる。 流行の先端を動かすのは有名人、金持ち、芸術家と様々だ。
以前は貴族か幅をきかせていたが、今はそうでもない商売人、国内だけではない外国からやってきた商人もだ。
彼らにはパリの貴族の威信や権威は関係ない、勿論、あからさまな態度はとらないが。
「マエストロ、私の見立て、満足してくださったのですね」
手紙が暖炉の中で完全に燃え尽きたのを見ると微笑んだ。
東洋、オリエンタルな小間物を見立ててほしいと連絡を受けたときは驚いた。
それも女性のものだ。
雨が降っても買い物のできる通りともなれば日や時間帯によっては混雑する。
自分がパリにいることは公にはなっていないので変装をして出かけた。
だが、一人ではない、パリ警察の腕利きと言われる男が護衛としてだ。
「Kann ich dich treffen?」
無理だとわかっていた。
だが、パリにいるのだ。
だから一度だけでもと願わずにはいられなかった。
アイリは子供の頃、親に売られた。 相手は金持ち、貴族たちに秘密でだ、食べるものには最低限、困ることはなかったが、玩具のような扱いだった。
綺麗なドレスを着せられ、鉄格子の檻の中に入れられ、まるで見世物小屋の動物のような扱いだった。 だが、そんな生活は長くは続かなかった。
玩具のような扱いをする金持ちたちは飽きるのも早かった。
ある日、格子の間から差し出されたマフィンを食べたとき、異変を感じた。
それまでにも少しおかしなことはあったのだ。
笑いながら自分を見る男たちの会話から薬が混ぜられていたことを知った。
「Combien de temps ça va durer ? いつまで持つかな」
「Parce que c'est un médicament puissant 強い薬だからな」
「Oups, j'ai vomi おおっっ、吐いたぞ」
「C'est sale, débarrassons-nous-en. 汚いな、始末させよう」
息が苦しくて涙も出ない、檻から引きずり出され、袋に入れられて自分はカタンコペに連れて行かれるのだと思った。
ひんやりとした空気を感じたとき、生きているのだと感じた。
「気がついたかい」
白い仮面が自分を見ていた。
「運が良かった、薬を飲まされたようだね」
救われたと思った、それだけではない。
生まれ変わることができたのだ。
突然、下された命令に驚いたからだ、無理もないパサージュに行けというのだ、だが、買い物をしてこいと上司に頼まれたわけではない。
ある婦人の護衛としてだ。
何故と説明を求めたのは当然だろう。
「自分はジャックを捕まえることが最優先の筈です、そう仰ったのは」
あなたでしょう、その視線に机の上の新聞と手紙を上司である男はちらりと見た。
「警護の仕事が、そんんなに嫌なのか」
「そんなことはありません、命令なら従います、どんなことでも」
「まさか荷が重いなどというわけじゃないだろうな」
男は首を振った。
アイリーナ・アドラーがパリのオペラ座に立つことが決まったのは数日前のことだ。
新聞に載っても不思議はない、スクープといってもいいぐらいだ。
だが、それは記事にはならなかった、寸前で押さえられたからだ。
「来日前にプリマドンナはパリに来る、勿論、日程は秘密だ、そのときの護衛を君に頼みたいんだ、ジャン、これは君にしか」
男は頭を下げた、それ以上は言わなくてもわかりますという無言の答えだ。
「待て」
背を向けて手で行こうとする男を上司は呼び止め、まだ公にはされていないがと言葉をきった。
「先日、殺された男は阿片を売買していた、その相手は一般人ではない」
貴族ですかと言いかけてジャンは言葉を飲み込んだ。
プリマドンナがオペラ座の舞台に立てば大勢の人間が来るだろう、一般人だけでない、貴族もだ。
「プリマドンナは」
歯切れの悪い言葉が何を言おうとしているのか、すぐにはわからなかった。
「常習ですか、もしくは」
馬鹿者っっ、即座に一喝された。
「プリマドンナは阿片、薬物に対して嫌悪している、それを嗜みだと豪語する人間も、だが、ここはパリだ」
取り込もうとする者がいるかもしれない、上司の言葉にあり得ないことではないと思った。
有名なプリマドンナともなれば金もあるだろう、そこを狙ってくるかもしれない。
オペラ座の支援者貴族の中に阿片に関わる者がいれば尚更だ。
「ジャベール」
上司に呼ばれた瞬間、男の表情が一変した、名前を呼ばれたからではない、まだ、なにかあると感じたからだ。
「先日、殺された娼婦だが、部屋から、あるものが見つかった」
嫌な予感がした。
「上物の阿片だ、私娼の稼ぎでは手が出せないほどのものだ」
予想もしない返事にジャン、いや、ジャベールは黙り込んでしまった。
女性のドレスを買うというのは簡単なことではない。
下町、平民の女性なら自分で仕立てたりするだろうが、身分のある女性ならサイズを測り、トルソー【型】を作る、それを元に仕立てるのだが、時間がかかる。
いや、問題はそれだけではない。
コルセットなど窮屈で締め付けるようなものはよくない。
体調を考えると動きやすいものがいいだろうと男は考えた。
パリの流行は気まぐれといってもいい、昨日まで話題になっていたものが、数日もすればがらりと変わる。 流行の先端を動かすのは有名人、金持ち、芸術家と様々だ。
以前は貴族か幅をきかせていたが、今はそうでもない商売人、国内だけではない外国からやってきた商人もだ。
彼らにはパリの貴族の威信や権威は関係ない、勿論、あからさまな態度はとらないが。
「マエストロ、私の見立て、満足してくださったのですね」
手紙が暖炉の中で完全に燃え尽きたのを見ると微笑んだ。
東洋、オリエンタルな小間物を見立ててほしいと連絡を受けたときは驚いた。
それも女性のものだ。
雨が降っても買い物のできる通りともなれば日や時間帯によっては混雑する。
自分がパリにいることは公にはなっていないので変装をして出かけた。
だが、一人ではない、パリ警察の腕利きと言われる男が護衛としてだ。
「Kann ich dich treffen?」
無理だとわかっていた。
だが、パリにいるのだ。
だから一度だけでもと願わずにはいられなかった。
アイリは子供の頃、親に売られた。 相手は金持ち、貴族たちに秘密でだ、食べるものには最低限、困ることはなかったが、玩具のような扱いだった。
綺麗なドレスを着せられ、鉄格子の檻の中に入れられ、まるで見世物小屋の動物のような扱いだった。 だが、そんな生活は長くは続かなかった。
玩具のような扱いをする金持ちたちは飽きるのも早かった。
ある日、格子の間から差し出されたマフィンを食べたとき、異変を感じた。
それまでにも少しおかしなことはあったのだ。
笑いながら自分を見る男たちの会話から薬が混ぜられていたことを知った。
「Combien de temps ça va durer ? いつまで持つかな」
「Parce que c'est un médicament puissant 強い薬だからな」
「Oups, j'ai vomi おおっっ、吐いたぞ」
「C'est sale, débarrassons-nous-en. 汚いな、始末させよう」
息が苦しくて涙も出ない、檻から引きずり出され、袋に入れられて自分はカタンコペに連れて行かれるのだと思った。
ひんやりとした空気を感じたとき、生きているのだと感じた。
「気がついたかい」
白い仮面が自分を見ていた。
「運が良かった、薬を飲まされたようだね」
救われたと思った、それだけではない。
生まれ変わることができたのだ。