le fantôme de l'Opéra

 これは恋だと思っていた。
 今更だが、私は酔っていたと思う、愛という幻に、目の前の現実が見えなくなっていたのだと思う。
 世間知らずな若い娘に自分の知識を与えて、輝かせた挙げ句、彼女の性交は自分のおかげだと思い、過信した、だが、結局のところ、私は欺むかれたのだ。
 いや、彼女に、そんなつもりはなかったのかもしれない。
 だが、今となっては私の心は猜疑心で一杯だ、どうしても疑いの心で見てしまうのだ。
 大事にしてきたつもりだった、なのに、彼女の心は幼なじみの若い伯爵へと傾いていた。
 嫉妬で狂いそうだ、あの男を殺してしまいたいと思った、だが、そんなことをしたところで、どうなる、彼女は憎悪の眼差しで私を見るだけだろう。
 若くハンサムな容姿、街を、貴族のサロンの集まりに出れば誰もが注目し視線を集めるだろう、そんな男に私の勝ち目などない。
 彼女の心は若い子爵のものだ。
 だが、それでも私との逢瀬、レッスンをやプリマという座を手放したくないからだ。
 彼女のことを忘れ、切り離すことができたらと思ってしまう、だが、それができないのは自分の心が弱いせいだ。

 夕方になっても日が沈む気配はない、夜だというのに雨が降る気配もない、曇り空は、まるで自分の心、そのものだ。
 パンとハム、気晴らしにワインを買い込んだ紙袋を抱えて通りをあるいていると声をかけられた。 

 視線を向けると、ぼろを着た女だ、一瞬、娼婦かと思ったが、違った、占ってあげるよと言われてジプシーだと気づいた。
 「客がいなくてね、代金はいいよ」
 随分と気前がいいと驚いた、だが、カードを切り出した手を見て納得した、長い袖に隠れて分からなかったが、見たことのない石や宝石などの装飾品で飾り立てられていた。
 もしかしたら、ぼろを着て顔を隠しているのもわざとなのかと思ってしまう。
 「星の向きがよくないね」
 その言葉に、思わず苦笑した、幸福を感じていたのは少し前までだ。
 「幸運が舞い降りてくるような気配はあるかい」
 女のカードを切る手が止まった、皺だらけの指が、ごらんと目の前に一枚のカードを突きつけた。
 瞬間、私は肩を竦め、ふっと息を漏らした、有り得ないと小さく呟いた。
 
 ジプシー女と別れた後、私は足早にセーヌ川に向かった、雨が降り出してきたからだ。
 珍しい事もある、久しぶりだと思いながら抱えていた荷物を持つ手に力が入る。
 土手を降りて下水口の近くまで来たとき、まるで滝のように激しく雨が降り出してきた、こんなことは初めてだ。
 急いで下水道の中に入る、そのときだ。
 
 突然の悲鳴に驚いたのは私の方だ、持っていた紙袋を落としてしまった。
 「す、すみません」
 相手の声に驚いた、慌てて地面に落ちたものを拾おうと私は身を屈めた。
 地面に落ちたものを拾いながら、気配を感じて顔を上げるとリンゴや缶詰を手渡された。
 私はこのとき、初めて相手の姿を見た、シャツにズボンという格好で、思わず男かと思ったが、よく見ると女だ。
 「これで、全部ですよね」
 相手は地面を見ながら、声をかけてきたが、私は返事ができなかった。
 外国人が、何故、こんなところにと驚いたのだ。
 そういえば貴族の間では外国人、特に東洋人を愛玩用、ペットのように可愛がる可愛がることが流行っていると聞いたことがある。
 それも非合法なやり方でだ。
 「Merci」
 声が普段とは互い、少し震えていたかもしれない。
 今までクリスティーナやジリイ以外の女性と話すことなどなかったからだ、緊張していたのかもしれない。
 薄暗い地下道の中では相手の顔もよく見えない。
 私はリンゴを手に取ると差し出した、もし相手が受け取るなら顔を見ることができると思ったからだ。
 そして、これが私と彼女の出会いだった。
 

 「エリック」
 久しぶりの再会は悪いものではない、友人と呼べる男というのは私にはいないといってもいいからだ。
 だが、今回ばかりは違う、数日前から私の頭の中は言い訳ばかりを考えていた。
 だが、色々と考えて使いを出す前に、あちらのから来てしまった。
 パリの地下には迷路のようになっている下水道の中を隠れ家、住居にしている人間も少なくない。
 一般人ならいいのだ、だが、中には浮浪者、家を持たない貧民街の人間だけではない、犯罪者もいる。
 ペルシャでは警察長官という立場だった男、だが、あちらとパリでは違う、男だから犯罪に巻き込まれないと思ったら大間違いだ。
 
 その日、買い物に出かけた帰りだ。
 「エリックー」
 声をかけられた瞬間、すぐには振り返ることができなかった。
近づいてくる足音を聞き、頭の中で考えるも、どうやって、この場をやり過ごす、いや切り抜けるかと。
 「ここで会えるとは思わなかったよ、んっっ、買い物か」
 私が抱えた買い物袋を見た男の目が驚いていた。
 「かなりの荷物だな、手伝おう」
 伸ばしかけた相手の手から逃げるように私は後ずさった。
 「悪いが、予定が立て込んでいてね、しばらくは私の家、地下には来ないでほしいんだ」
 相手の表情を見て私は不安になった、何か気づいたかもしれない。
 「今、作曲中なんだ、オペラを作っている」
 「オペラ、そうか、ところでミス・ダーエ嬢に会ったかい」
 「どうかしたのか、彼女が」
 「最近、君のレッスン、休んでいるようだが体調が悪いのかと聞かれてね」
 その言葉に、内心、ほっとしながらも頭の中に疑問が湧いた。
 「色々と忙しくてね」
 相手は不満げな表情になったものの、分かったという返事に内心ほっとした。
 早く、この場から立ち去りたいという気持ちになった。
 何故なら、オペラ座の地下で待っているからだ、私の帰りを。
 
 (彼女が)
 
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