現代義親子パロ

『おいてめぇら』
その一言で、空気が変わった。
言い合いをしていた男達が、一斉に動きを止めた。さっきまでの怒鳴り声が嘘みたいに場が静まり返る。室内に足音だけが響く。ゆっくりと入ってきた男は険しい顔で周囲を見渡した。
『呼ばれたから来てみりゃア、ただの子供の押し付け合いかよ?え?』
睨みつければ、誰かがひっ、と声を出す。その声には苛立ちというよりは、呆れに近いものが混ざっていた。部屋の隅、視線が集まる先には、小さな影がひとつ静かに座っている。誰も積極的に近づこうとせず、ただ距離だけが空いていた。
『めんどくせぇからって、大人の事情でたらいまわしにすんじゃねぇよ』
その言葉で、誰も何も言えなくなった。沈黙だけが残る。男は一度舌打ちをしてから、視線を落とす。
『おい、嬢ちゃん』
呼ばれた彼女は、ゆっくりと顔を上げる。濁った空色の瞳が、静かに男を映した。しばらく、そのまま見つめ合う時間があった。男は一瞬顔を顰めたが、やがてしゃがみ込み、視線を合わせる。声は先ほどとは違い、少しだけ落ち着いていた。
『良かったらだが、うちに来ねぇか』
問いかけは軽い。だが急かすものでも、試すものでもない。彼女はすぐには答えなかった。
ただ、もう一度男を見て──それから小さく頷いた。

朝を知らせる小さな鳥の声が、遠くの方で重なっている。カーテン越しの光は白く、熱を持たないまま部屋を照らした。寝ぼけながらも、起こさないように洗面台へ向かう。鳥の声と自身の足音以外しか聞こえない、静かすぎる朝だった。
顔を洗い、タオルで水気を拭いながら「あ」と少し掠れた声で呟く。
「そういやぁ、今日休みか」
昨日までの現場の空気が、まだ少しだけ体に残っている。あの事件は修羅場だったな、と遠い目をした。俺も斎藤も土方も、あの時ばかしは余裕がなかった。それでもどうにか乗り切って、全員で休暇届を出したのだった。前までだったら、ベッドに戻り二度寝するところだが、今はそれをする訳にも行かない。気配を感じ、ドアの方へ目線を向けた。
ポテポテと小さな足音が聞こえる。少しだけ洗面所のドアが開いた。
「⋯おはよう、ございます」
空色の瞳が静かに揺れた。
「おう、おはよう。桜花」
桜花は、まだ眠気の残る顔のままこちらを見つめていた。どうやら昨日は深く眠れたらしい。瞼が上手く開ききっていなかった。
その顔を見て、永倉は小さく表情を緩めかける。
「朝メシ食うか?」
桜花はゆっくりと頷いた。「じゃあ行くか」と言って、永倉は桜花を抱き上げた。永倉の腕の中でも、桜花は静かに身を預けていた。やはりまだ眠いようで、うとうとと船を漕いでいる。
「何食いたい」
問いかける声に、桜花はすぐには答えなかった。言葉を選ぶというより、それを口にしていいのか迷っているような沈黙だった。やがて、小さな声が落ちる。
「⋯⋯おにぎりが、たべたいです」
その言葉に、永倉は一瞬瞬きをし、それから小さく頷いた。
「分かった」
前に握ったおにぎりを、どうやら気に入っていたらしい。上手く握れずに不格好な形になってしまった為気にしていたが、そういえばあの時ほとんど無言で頬張っていたことを思い出す。あの時の桜花の顔が、少しだけ脳裏によぎった。
朝の光は、変わらず白いままカーテン越しに二人を照らし続けていた。

◇◇◇

リビングは相変わらず、音のない空間だけがゆっくりと形を持っているようだった。抱えている桜花を椅子に座らせテレビをつける。ちょうど天気予報の時間だった。
『今日は一日中晴れでしょう!そのため気分転換にお出かけなんておすすめですね!』
そんな声がテレビから聞こえてきた。まあニュースなんて面白くないだろうなと思い変えようとするが、桜花はテレビから目を離さなかった。どうやら興味があるらしい。中々渋い五歳児だなと思いつつ、台所へ向かった。
朝の光は、台所の隅にまで薄く入り込んでいた。包丁もまな板も淡く照らし続けている。
炊飯器の蓋を開けると、白い湯気がふわりと上がった。炊きたてのお米の匂いがやわらかく広がっていく。
手を洗ってから塩を馴染ませ、お米を手に乗せる。
「あっつ、あっち、あちち」
思わず声が漏れる。まだ熱の残る米は、手の中で形を変えながらまとまっていく。不格好でも崩れない程度に丸めていく。
握り終わったおにぎりに海苔をそっと当てようとするが、手にくっついて上手く巻けない。なんとか剥がして、海苔を指先で押さえる。ぱり、と小さな音がした。
皿に乗せて、次を作るためにまた塩を手に馴染ませた。今度は米を軽く広げ、中央に小さく鮭を落とす。上手く具が中に行くように握るが上手くいかない。結果、さっきより形が崩れたおにぎりが出来上がった。
「⋯下手すぎるだろ俺」
思わずぼそりと呟く。誤魔化しようがない気がするが、海苔を巻いて形を誤魔化しておく。またひとつ、またひとつとゆっくりと皿の上に並んでいった。
いつの間にかニュースを見るのをやめ、桜花がこちらをじっと見ていたが、永倉はその視線に気づきながらも手を止めなかった。
「⋯うっし!こんな感じでいいだろ!」
皿の上には、形が不格好なおにぎりが並んでいる。味は問題ないにしても、見た目で食べて貰えないがありそうで困るぐらいには形が崩れていた。
「⋯いいのか、これ」
我ながら不器用すぎる、ここに斎藤や原田あたりがいたら煽り散らかされていそうだ。自信を無くしながら、ちらりと桜花の方を見ると、じっとおにぎりのことを見続けていた。
(⋯問題なさそうだな)
普段ほとんど表情も動かさず、目も輝かせないその顔に、ほんのわずかだけ光が差している。その変化に、少しだけ肩の力が抜けた。皿を持ってリビングまで運ぶと、ポテポテと桜花は静かに席に戻った。小さな体が、ほんの少しだけ落ち着かないように揺れた。
「逃げねぇよ」
思わず笑いながらそう言うと、ぴくっと動きが止まる。可愛らしいやつだな、と思いながら皿を置いた。
「⋯いただきます」
桜花は、迷うことなくおにぎりを手に取った。
小さな手でしっかりと持ち、何の躊躇いもなく口へ運ぶ。ぱくり、と小さな音が落ちた。一口は小さい。しかし、確かに食べているという動きがそこにあった。
飲み込んだ後、もう一つを手に取る。
さっきと同じように、迷いもなく口へ運ぶ。咀嚼は静かで急ぐこともないが、止まることもない。
「美味いか」
思わずそう聞くと、桜花はもごもごと咀嚼を終えてから、小さく頷いた。
「おいしいです」
そう言ったあと、またおにぎりにかぶりつく。
「そうか」
なんだか気恥ずかしくなって、何でもないふりをするようにテレビに目線を逸らした。テレビでは、最近暖かくなってきたこともあって、公園特集が流れていた。
遊具の遊び方や、公園でできる遊び方。あとは四葉のクローバーの見つけ方まで紹介されている。
(懐かしいな四葉のクローバー。俺も探したなぁ)
「⋯きょうは、おしごとおやすみなんですか」
桜花に突然そんなことを尋ねられ、永倉はそちらに目線を向ける。そういえば、いつもならこの時間には現場に向かっている時間だった。
「まぁな」
短くそう答えると、桜花は小さく頷いた。
「そうですか」
それだけ言って、またおにぎりに手を伸ばす。
ただ、さっきよりほんの少しだけ食べる動きが軽いように見える。気のせいかもしれないがどこか嬉しそうに見えた。そういえば、今日は保育園も休みだったことを思い出す。この前運動会があったため、その行事の振替休日だ。
ふと、先程の天気予報が頭によぎる。

『今日は一日中晴れでしょう!そのため気分転換にお出かけなんておすすめですね!』

ピコン、と小さく何かが点いた気がした。
「出かけるか、桜花」
おにぎりを食べ進める手が止まり、きょとんとした顔で桜花はこちらを見つめていた。

◇◇◇

玄関を開けた瞬間、光がふっと広がった。まだ五月だというのに、少しだけ暑い。先程とは違い、温度のある光だった。風はまだやわらかく、頬をかすめていくだけで痛くはない。桜花の方を見ると、少し日差しが強いのか目を少しだけ細めていた。
しかし、お出かけ、という言葉が嬉しかったのか、歩く足は小さく弾んでいる。風に揺れる髪が、その度にふわりと動いた。
「どこにいくんですか」
「公園とかどうだ?」
「こうえん」と繰り返す声は、やはりどこか嬉しそうだった。迷子にならないように手をとると、桜花は一瞬だけ見上げてから、小さい手で永倉の手を握り返した。
公園へ向かう道は、思っていたよりも静かだった。住宅街を抜ける度に、生活の音が少しずつ遠ざかっていく。どこかの家から朝食の匂いがして、それが混ざってふっと消えた。
並んだ歩幅を合わせるように、永倉は自然と歩く速度を緩める。小さな手の動きに引かれるように、足音は一定のリズムを刻んでいた。歩くだけでも楽しいのか、ぴょこぴょこと動いている。
信号待ちの間も、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
「もうすぐで着くぞ」
そう言うと、桜花は永倉の方へ振り向く。目を瞬かせた後、すぐに前を向いた。
青信号に変わると、二人は揃って歩き出した。小さな足音と、大きな革靴の音が同じ速さで続いていった。
公園には、平日だからか人が少なく、思ったよりも少なかった。まだ午前の光が強すぎない時間で、遊具の影が薄く地面に落ちている。風でブランコがゆっくり揺れて、きぃ、と小さな音を立てた。遠くの方で小さな子供の声がするだけで、空間は広く感じられた。
桜花の視線はブランコに向いた。小さな手が、永倉の手を少しだけ引っ張る。
「ブランコか?」
永倉がそう返すと、桜花はこくりと頷いた。手を引かれるまま歩き、ブランコの前につく。鎖が風を受けて、かすかに揺れている。
「乗るか?」
もう一度聞くと、また頷いた。永倉は桜花を抱き上げて座らせる。小さな手が、すぐに鎖を握った。
「離すなよ」
軽く言って、後ろへ回る。背中に手を添えて、ゆっくりと押した。きぃ、と鉄の音がなり、ブランコは前へ出て、戻ってくる。その度に桜花の髪が揺れた。最初は緊張していたが、慣れたのか足をブランコと同じように動かしていた。一定のリズムで押していると、風の音が少しだけ変わる。
「楽しいか?」
背中越しに聞くと、小さな声が返ってくる。
「はい、たのしいです」
表情は変わっていなかったが、少しだけ声が高かった。それだけだったが、それだけで充分だと思った。
前までは、こうして気持ちをそのまま言葉にすることもなかった。永倉はそれ以上何も言わず、ただ同じ速さで押し続ける。ブランコの音だけが、静かな公園にやわらかく響いていた。

◇◇◇

永倉と桜花は、ひとしきり遊具で遊んだ後、ベンチで並んで、持ってきたサンドイッチを食べる。軽いパンの匂いがふんわりと広がった。
(そういやぁ、最近こうやってこいつと遊んでなかったな)
忙しさに追われ、気づけば日が過ぎていくばかりだった。こうしてゆっくり飯を食べる時間すら、しばらくできていなかった気がする。隣を見ると、桜花は小さな口で黙々とサンドイッチを頬張っていた。普段よりも表情はやわらかい。寂しかったかどうかは分からないが、少なくとも今は退屈している様子はなかった。
すると突然、桜花はベンチからぴょん、と降りた。
「桜花?」
永倉の呼ぶ声をスルーし、てこてこと小さな足音を立てながら草のある方へ向かっていく。しゃがみ込んで、何かを探すように地面を覗き込んでいた。
永倉はそれ以上追わず、ベンチから様子を見ていた。
しばらくして、桜花はゆっくりと立ち上がる。そして何かを大事そうに握ったまま、こちらへ走ってきた。永倉の前でぴたりと止まると、何も言わずに手を差し出した。
その小さな掌の中には、ひとつの緑があった。
──四葉のクローバー。
「お前、それ」
永倉は一瞬、それを見て動きを止める。見せている訳ではない。どうやら桜花はこれをくれるらしい。じっと永倉の方を見ていた。
そっと手を伸ばす。受け取った四葉は、思ったよりも軽い。
「⋯俺が貰っても、いいのか」
桜花は一瞬きょとんとした後、小さく頷いた。そういえば、と朝見ていたテレビを思い出す。遊具の遊び方や、公園でできる遊び方の他に、四葉のクローバーの見つけ方も紹介されていた。桜花はそれをさらっと見ていたのだ。
永倉は少しだけ息を吐いてから口元を緩めた。
「ありがとな」
四葉を潰さないように握りしめ、片方の手で桜花の頭を撫でた。桜花は気持ちよさそうに目を細める。
風が一度だけ公園を通り抜ける。公園の音は相変わらず静かで、二人の間だけが少しだけあたたかかった。

なお後日。別部署の沖田が「永倉さんに隠し子が!」と騒ぎ、それのせいでひと騒動に巻き込まれるが──それはまた別の話である。
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