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おとひめつづりのだいさくせん

ゴチクン・キンニクビルから少し離れた喫茶店。
ヒメはココアを。梓星ゆえはブラックコーヒーを注文した。
「甘いの苦手なんだ」
ウインクする梓星ゆえ。
「本当はマクドナルドに入りたかったんだけどね。人の目があるからそうもいかない。厄介な身分さ」
梓星ゆえはファストフードを好む。とりわけマクドナルドがお気に召すらしい。彼女個人の嗜好ではなく、地球の食べ物の中ではファストフードの類が、最もエルムアウリー人の味覚に合うのだという。

ヒメは気まずい思いをしていた。
盗み出す、という決断をした日、梓星ゆえはビデオチャット上で終始無言だった。それからは配信やら何やらで忙しく、対面でのチャットをしていない。肝心の彼女の意思をはっきりとした形では確認していなかった。

「…あの、ゆえちゃん」
「最初にありがとう、って言っておこうかな」
ゆえが微笑む。
魅力的な。でも相手をドキリとさせる王家の微笑だ。
「エルムアウリー王家を助けようとしてくれるのは、ありがたく思うよ。でもね、ここで止めておいて」
きっぱりと彼女は言った。
「どうして?」
「ヒメ。あなたはとてもいい子。いい子すぎて、いつも全部自分で背負おうとする」
ブラックコーヒーを口に運ぶ梓星ゆえ。
半眼になる。睫毛が長い。
「もし計画が失敗したら?梓星は外交上の不逮捕特権がある。ねねこは住所不明だし、きっと捕まらない。でもつづりちゃんは?どうなる?」
「二人に迷惑はかけないよ…」
伏し目がちにつぶやくヒメ。
梓星ゆえは優しく教え諭すように言った。
「それはだめ。もし立場が逆だったら?つづりちゃんは、自分のたかが宝石のために、梓星に迷惑をかけるかもしれない。ってなったらどう思う?…これは卑怯な言い方になるかな」
黙り込むヒメ。
「…人は常に他人に迷惑をかけながら生きるものさ。でも自分だけが善意の犠牲を払って、迷惑をかける役を他人に押し付けるのは、はたして良いことかな?」
沈黙。
長い長い何十分か、何分か、もしかしたら何秒かが過ぎた。
ヒメは冷めていくココアの表面を見つめていた。
「…なんだか子供みたいだね。ヒメ」
心の温度も下がっていく。
「大人なんてどこにもいないさ。大きな子供がいるだけ。でも時に大人にならなきゃならない時もある」
梓星ゆえが席を立ち、伝票を手に去っていく。

ヒメは一人店内に残された。

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店を出ると小雨が降り始めていた。
スマホに着信。
久寝ねねこからだった。

『おヒメ、よくやった。警備システムに侵入できたよ』
「あ、うん」
『なんか変なAIがいたけどよぉ。問題ないじゃろ』
「そうだね」
『…どしたのおヒメ?』
新宿の雨空。
ヒメはゴチクンビルに戻らなければならなかった。
アゲト社長が待ってる。
『おーい、おヒメ』
「ねねこちゃん」
『どした』
「ごめんね」
『ドッキリのことならゆるさん』
その時だった。
ヒメの目の前の歩道に、空から何かが落ちて来た。

光。

輝く黄金の壺。その壺から生えた輝く黄金の美肉体。手にはハンマー。神ともみまごう男。天を覆っていた雲が吹き飛び、虹が降り注いだ。

「な、なに…!!?」
ヒメはたじろいだ。

光。

その何かはまさしく黄金の鉄の塊だった。
わずかの無駄のない筋肉。凛々しい髭。永遠を見通すかのような眼差し。そして手にはハンマー。
「ま、まさか噂の地球の担当神…?」
『お兄ちゃん!!!!』
ヒメのスマホの画面の向こうで、両目を♡にした久寝ねねこが歓喜の声を上げた。
久寝ねねこの兄…?ということは、この男は…!?そう!!!!

あの!!
あの!!

\\『 久 寝 デ ィ オ ゲ ネ ス 』//

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ここでもしかしているかもしれない、彼のことを知らない読者のために解説しておこう。あの10代にして8000m峰14座の無装備登山を成功させ、全世界をドン引きさせた脅威の伝説的登山家が!!

そう!!

\\『 久 寝 デ ィ オ ゲ ネ ス 』//


エレベスト登山RTA 2分切りを成功させ、人間の定義を塗り替えた男が!!!
そう!!

\\『 久 寝 デ ィ オ ゲ ネ ス 』//


その後、壺に下半身を収めハンマーで叩いて登頂するエクストリーム登山家に転身!
自身を操作できるゲームまで発売した男!
世界初の生身での宇宙到達を成し遂げた男!

それが!!

\\『 久 寝 デ ィ オ ゲ ネ ス 』//

久寝ねねこの実の兄である。

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「ふぅ。東京は久々だ。羽田からここまで25秒もかかってしまったよ」
腕で額をぬぐうディオゲネスお兄ちゃん。

「あ、あの、ねねこちゃんのお兄さん?」
「うむ。きみは乙姫つづりさんだね?」
ハンマーを置くディオゲネスお兄ちゃん。歩道がひび割れ、ずしんと地面が揺れた。
「ねねこから話は聞いているよ。ねねこの刎頸の友だと。ありがとう!!ねねこの友よ!!」
感極まって御落涙されるディオゲネスお兄ちゃん。
『お兄ちゃん!!』
スマホ画面から飛び出しそうなほどの勢いで、スマホ画面から頭を飛び出させる久寝ねねこ。
「ねねこ。元気そうでなによりだ。少しは体を動かしているか?」
『うん。毎日カップヘッドやったり卵運んだりしてるよ!』
「そうかそうか。えらいなねねこは」
『えへへ♡』
ねねこを撫でるディオゲネスお兄ちゃん。いったい何を見せられてるんだ。

「あ、あのー。ディオゲネスさん?」
「うむ。いかにも私が久寝ディオゲネスお兄ちゃんだ」
「そ、そうですか。ではまたいつか。さようなら」
「待ちたまえ」
立ち去ろうとするヒメ。
跳びあがってその頭上を越え、ヒメの正面に着地するディオゲネスお兄ちゃん。また歩道がひび割れる。衝撃でヒメは若干跳ね上がった。
「な、なにか」
「そう警戒しないでくれたまえ。私は君を助けに来たのだから」
「助けに?」
「そうだ。ゴチクン・キンニクビルの図面を見たところ、正攻法での突破が難しい箇所があることがわかったと、ねねこから連絡を受けてね」
「ちょっと待ってください。ねねこちゃんがビルの図面を手に入れたのはついさっきですよ」
「そうなのか?」
「ディオゲネスさんは偶然羽田にいたんですか?」
「いや?チベットにいたよ」
「羽田まではどうやってきたんです」
「飛んできたよ」
「チベットから羽田まで何時間か、かかるでしょう?」
「いや、飛んで来たのさ、これで」ハンマーをずいとヒメの前に出すディオゲネスお兄ちゃん。
この男はハンマーと壺を用いて、チベットから数分でここまで飛行して来たのか。噂には聞いていたが、あまりにも規格外だ。人の域を超えている。
「そうかな? やろうと思えば、君だってできるんじゃないかね?」
ディオゲネスお兄ちゃんが見透かしたように言った。ぎくり。ヒメは身を固くした。
「君は尋常ならざる力を持っているようだ。なんとなくこの世のものではないような気がするが……」
やはりこのお兄ちゃん、常人ではない。今ヒメの体にはLv.999勇者の力が宿っている。異世界から戻るときに、何かの役に立ちそうなのでそのままにしてもらったのだ。実際にはほとんど役に立ったことはないが。
「君のその力なら、ゴチクンビルの11階を十分に突破できるはずだ」
「あの」
「なんだね?」
「その話はもういいんです…もう、無くなりました」
『どーゆこと、おヒメ?』
スマホから突き出したねねこの頭が?マークを浮かべる。
「詳しく話を聞こうか」
ディオゲネスお兄ちゃんが、ヒメの肩に手を置いた。
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