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ツイステ

「げ」
「おや、」
狭くはない路地だが人混みのせいで真っ直ぐ進むのは困難なバザールのただなか、何となくすれ違ったものに目線を投げれば、向こうのそれとピッタリかち合った。
「ムシュー・タンポポ!」
「なぁ~んでこんなトコにいるんスかねぇ……?」
金の頭にしっくりと乗った帽子、つばの影の中で光る緑の瞳がキュッと愛嬌を滲ませる。
明るい呼びかけにげんなりした声が思わず漏れた。本当になんでここに。
ニコニコと笑う顔との関係は後ろ暗いものではないが、けして日常で出会いたい相手ではない。
すぐに流れに逆らうようにこちらへ身を翻そうとする向こうさんと、往来のど真ん中に立ち止まった自分へ周りからじろじろと視線が集まり始めていた。
一つぐしゃりと頭を掻く。
なんちゅう偶然があったものか。この露天群は市街からは離れているし、治安も悪い。なにより地元にほど近い。相互に気付いたからまだマシだったが、一方的に見付かって万一後を付けられでもしたらと思うとゾッとした。
思わず立ち止まらなければ逃げるチャンスもあっただろうが、生憎もう切れ長の目がこちらをがっちり捕捉している。背中を見せることは躊躇われ、迷って棒立ちのオレを避けた通りすがりの男からわざとらしく舌打ちをされた。
日常的に品の良くない言葉が飛び交い続けているような場所だ。何かあれば邪険にされるのは当然。排除されるべき名目を与えてしまえばストレス解消で袋叩きにされる可能性すらある。
目立ちたくはないが、人々を掻き分け遡行を試みている相手を見れば誤魔化すのは既に無理な話だと分かってしまう。仕方なく顎をしゃくり、脇に伸びる脇道へ誘った。

「偶然だねムシュー・タンポポ、君と会えるとは実に幸運だ!」
「ハハハ、気が合わないっスね!こっちは丁度ツイてないなって思ってた所ッス!」
道へ入るなり、驚くほど親しげに身を寄せてくるセンパイへ腕を突き出して距離をとる。体を傾げないとすれ違うのも難しいような狭い場所で、知人程度の男と身を絡ませる趣味はない。
きょとん、と丸い瞳がオレを見たが、過去の自分を振り返れ。ヒトの尻尾を勝手にイジるようなヤツには普通近付きたくないものだ。普通。……普通は!
「んで?こんな所に何しに来てんスか?」
身の危険を避けるため、雑談は端折って本題を切り出す。
似合わない格好までして、なんで下層の闇市まで?本当に問いたい文句は飲み込んだ。代わりにピン、とわざとらしくヨレヨレのシャツの襟を弾く。
履き古した靴、大きさの合わない吊りズボン、よれたシャツに古めかしいハンチング。
擬態のつもりだろうが、無駄なことだ。どれだけくたびれた格好をしていようが、そもそもこの辺りではこれほどしっかり目の詰まった生地も、ほつれのない縫製も、上から下まで欠けのないコーディネートなんてやつも、纏っているやつの方が少ないのだ。ここまで来る間に裸に剥かれていないのが幸運だろう。
服だけの問題ではない。白い肌も、濁りのない目も、荒れていない唇も。界隈のどんな女よりよっぽど整えられている。すれ違った時に感じた違和感は間違いなくそれだった。
こちらだって今は学内と比べ物にならない格好をしている。こんなところで、まさかあの名門の坊ちゃんたちに会うなど有り得ないと思っていた。今の自分を見て、一目でオレと気付くやつもまあいないだろうとも。
「ああ、少し欲しいものがあってね」
ニコニコ笑顔の返答は悪びれない。目の端に入れただけで普段着のオレを即座に呼び止めた男は、いつもと変わらない胡散臭さを纏ったまま暢気だ。のど奥で唸りそうになった警戒を鼻で笑うことで散らす。欲しいもの、ねえ。
「アンタならこんなトコ来なくても、市街地に行きゃもっと上質で所以もハッキリしたモノが買えるでしょうよ」
クツクツと鳴らす喉へ嫌みを込める。同国出身だというのは知っていたが、それだけだ。国境以外にだって隔たりは存在する。生まれたときから、死ぬそのときまで。オレはこちら、この男はあちらの人間だ。
「ノン!もちろん、そうした店で求める方がいいものもあるよ。だが、今日求めているのは違うのさ」
眩しげな視線は先ほどまで歩いていた露天の並びを見遣る。ざわざわと賑わう横の雑踏から、ここまで飛び抜けて届くのは下卑たスラング、訛り、罵倒に怒声。土ぼこりとどこか饐えた臭いの空気。澱んだ活気。行き交う彩りすら薄汚れたものばかり。
美しい、とは到底とおい。
「アンタのお眼鏡に叶うようなものが見付かるとは思えねえんスけどね」
この男の横にあった宝石みたいな男に敵うモンなんか、いや、それだと市街でもなかなかお目にはかかれないか。とにかく、こんなところに、ビだのウルワシだのそういった要素は求めるもんじゃない。
……それでもまだここは売買が成り立つほどモノとカネがあるだけマシというものだ。食うに困れば盗める豊かさがある。報復や捕り物をする元気がある。それすら叶わない場所を知っている。飢えと焦燥と絶望と、腐敗臭と蠅と呻き声と。
ノン!
力強い鳴き声が耳を叩く。
「そんなことはないさ。みんなありのままに、生き生きとしていて素晴らしい!輝く生命、それこそ私が愛する尊き美の一つだよ」
ぼやけた思考が止まる。今こいつは、何といった?求めているもの。みんな生き生きとしていて。輝く、生命、?
見上げた先で、ニッコリと、男が笑う。
「狩りの獲物は野生にあって、生きが良い方が好ましい」
だろう?ムシュー・タンポポ。
明るく同意を求める姿。
ああ、やはり。
この男は苦手だ。まるで悪意のない笑顔に、悍ましいほど邪気なく煌めいた瞳をしている。
もはや渋面になるのを堪えきれなかった。嫌みでもなく本心から吐かれた言葉。ありありと弾んだ声音が嫌悪感を膨らませる。
距離を取るために突き付け続けていた腕を下ろす。指先ひとつ間近に置くのもイヤになる。いざという時踏み切るための半歩分だけ身を引いた。妙ちきりんな渾名でオレを呼ばう男。こちらの縄張りに態と踏み込む人間。オレを含めて、慈しむ眼。
「あーハイハイ、そッスか。まあ狙わなくてもある程度むらがっては来るでしょうねえ。例えばアンタを追い剥ぎしようとするヤツとか、通りざま懐を狙ったヤツとか?」
「なんと…透視の魔法かい?」
「本当にいたんか」
茶化しながら渇いた喉を唾で潤す。惚けた返答は感心しきりと見えて呆れて息を吐いた。いやいや彼らには反省してもらっただけで済ませたけれど、と衒いなく返してくるところが厄介だ。過去にそんな目に遭いながらも今日ここに性懲りもなく無傷でいるということが、本当に。
「んで、今日のお目当ては」
何でもないように探りを入れる。足元を確かめる。こちらを指さされた時には駆け出さなければならない。
「ああ、目星はつけてあるよ。あちらの方に……けれど詳しくは内緒さ」
君にとられては困ってしまうから。
細められた切れ長の目の奥が光る。夜光石じみてキラキラする瞳、頬の赤い火照り。恋するような熱を孕んだ声で囁き、吐息で笑う姿が様になる。
そうだ、こちらも目的は似たようなものだ。コイツは生き甲斐を。オレは日々の糧を。どちらも業に煽られてここにいる。
ソウイウ事をしていると、バレていたことには驚かなかった。血の臭い。肉の臭い。オレたちは学内でもそれを理解していた。ただの一度も口にしたことはなかったが。
だからこそ、今更会いたくなかったのだ。狩り場が一つにハンターが複数、争いになるのが本来だ。わざわざ声をかけるなんて狂ってる。分かっているだろうに飄々とした態度が憎らしい。
こちとら余計ないざこざ用の余裕を持てるほど贅沢な身分ではない。負けるのが決まっているのに噛み付くのは馬鹿がすることだ。
となれば、上手く躱さなきゃあいけない。
背筋を伸ばす、胸を張る。表情は横柄に。四肢はゆったりと抜け目なく。散々見てきたあの人の真似でいい。虚勢を張れ。
喚く代わりにクッと笑って横取りなんかしねぇッスよと宣言する。目星、と指さされた方向はオレの行く先とは真逆だった。まあそれもそうだ、でなければすれ違って出会うこともなかったのだ。運がいいやら悪いやら。こちらはこちらで、遊ぶ金もないのにわざわざここまで出てきた意味を失わずにすむかもしれない。
「アンタの狩りを邪魔する気はねえッス。こっちと狙いは被ってなさそうだし……けど、ヘタ打って問題を起こすのだけは勘弁してくださいね。今後やりづらくされちゃ堪らない……そっちと違ってこっちは死活問題なんスよ」
「安心してくれたまえ!見つからずに仕留めるのは狩りの基本さ」
君も知っているだろう?と続いた言葉に今度こそ当然だと笑い返す。覚らせない、気付いた時にはもう遅い。手傷を負わず致命傷を狙うために、上手く立ち回る本能であればこの種に生まれついた時から染み着いている。
「ここには良く来るのかい?」
「は?まあ、そッスね、ここいらはちょこちょこ甘いヤツもうろついてるんで」
「そうかい。しかしそれなら今まで出会ったことがなかったのも驚きだ。ひとの狩り痕が無かったから重宝していたのだけれど」
「シシシッ、痕ぉ?ある訳ないでしょ。オレが誰だか忘れたんスか?」
食らいついたら骨までペロリ、ッス。
牙を剥き、全力で笑いかけてやる。……威嚇したつもりだったが、目を丸くしただけで破顔された。トレビアン、なんて誉められる覚えはない。
「あーもう良いッス、はいはいじゃあサヨナラー。遊んでる暇はないんで」
気が抜けた。勝負の前だ、これ以上気を乱されるのはまっぴらごめんで諦める。とりあえず今のところは出会わなかったことにしたい。次からのことを考えると頭が痛いが、それも今日の食い扶持を稼がなければ続かない未来の話だ。
後ろを取らせるのもイヤなので先に行けシッシッと手を振れば、腕を捉え互いの指先を絡めてくる変人。
オイ。ちょっと。
掴まれた手のひらを指の腹でゆっくりなぞられて、ぞわりと背中のたてがみが逆立つ。
「なっ……にするんスか、アンタ」
「ふふ……実に惜しいなと思ってね」
「は?」
眇めればキロリと暗がりに緑が光る。
「私の工房には手製の《トロフィー》を集めた部屋があるのさ。ここに溢れる生とは違う、それもまた美しい姿だよ……今日でなければ是非、君も招待したかったけれど」
「っっっっ絶ッッッッ対ゴメンです、アンタの愛玩人形になる気なんかサラサラないんで!」
纏わりつく肌を振り解いて駆け出した。おや、詩的で良い表現だ。背中から聞こえてきた言葉が追いつかないうちに人に紛れる。ハイエナの鳥肌なんつーギャグにもならないものが止まらない。どうして今日に限ってあの曖昧で訳の分からん言葉を理解してしまったのか。あんなに悪趣味極まりない誘いは初めてだ。胃袋以外に獲物の行方があるなんて思いたくもない。ましてやオレがそうなるなんて!

ムカムカする気分を抱えてしばらく人ごみをふらつき、通りざま拝借した果物を一つ飲み込んだ。
多少気を取り直して進路を変える。
追い掛けて来なかったところからして本当にあっちはあっちで仕事に励んでいるのだろう。
コワイコワイ。
止まらない怖気を治すには満腹になるのが一番だ。胃が膨れれば心もまろむ。狙いの相手はすぐに見付かった。ふくふくとした肉。食いでのあるサイズ。喧しい声は食事の頃までに消え失せるから問題ない。
何食わぬ顔を装い、そうっと近くに足を運ぶ。オレの狩りは趣味ではない。土産を持って帰ると約束して出てきたのだ、アクシデントはあったけれど、失敗する予定はなかった。


《捕食者と狩人》


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