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化け猫

「っく、そ、ぁ゛ッ……!やめっッ」
蝋燭の昏い光の奥で、その声は響いた。畳の上で腰をよじらせ、まるで踊るように蠢くのは骨とみまごう痩躯。
はだけた襤褸から覗くのは、浮かび上がった肋骨と、筋張った首。その上に位置し、はっきりと震え罵声を吐くのは乾いた口唇で、それを持つのは骸骨ににた顔だった。四肢は、無い。
人と思い難くも、人に似たもの。お世辞にも美しいとは言えぬ容貌のヒトガタは、しかしながら頭上に獣の耳を付けていた。その三角形の器官は、突然横から伸びた白い指に引き擦られる。
「ってェッ!」
10畳ほどの部屋を端から端まで、しとしとと歩く嬌かしい脚の側で、白く長い指によって引き擦られつつ、汚い錆色の毛のそれは喚いた。
ふいに、その耳を摘み上げていた指が離れ、宙吊られていた錆色の頭はガツンと畳に打ち付けられる。
「アっ」
「――――喧しい玩具だねェ?」
コトリと、鈴のような声が罵った。
「誰の御蔭か、今日も無駄なチカラが要ったんだけどねぇ?誰の御蔭だったかねェ、筆星、ねぇ?」
尋ねる度に、白魚の爪先は錆色のそれ――筆星の腹を刔る。ぐりり、ぐりり、まるで何かを探すように、筆星の内臓は足先で掻き混ぜられる。
「止め、ッゃめや……れェ!」
「……」
「この……!!すッ、ず!清紫露(スズシロ)!!」
「気安く名を呼ぶでないよ」
ぐじゃ。
と。筆星の内臓が潰れる音がした。
「……!……!!」
こぽりと赤黒い血が筆星の口から漏れる。紫黒の毛色をした、やはり筆星と同じようなヒトガタ――清紫露は、踏み抜いた筆星の腹の中を、更に足先で掻き回した。
「……大丈夫さ、後で治してあげるからねぇ」
冷たい程美しい顔立ち。清紫露は、菩薩の様に優しく微笑むと、ついと何処からか取り出した煙管の種を傷口に放り込んだ。
じゅウ、と一瞬肉が焼けるが、火は血溜まりで消えてゆく。
「!がっ……ボ、」
叫びかけた筆星の喉は、込み上げる血によって塞がれ、声は声とならなかった。
「そうそう、そういう風に大人しくしていらっしゃいなァ」
清紫露の指が煙管を叩けば、ポトリ、ポトリと、どういう訳か種は絶えることなく筆星の腹に落ち続ける。詰め替える素振りは微塵もない。けれども、火種は赤く輝きながら、更なる深紅を晒す腹の中へと落ちていく。
「全く、狩りも売りもできないお前のような半端者が、どうしてワタシに盾突けると思うのだろうね。
何時も教えてるように、働けない野良は野垂れ死ぬべきなのさ?
そう毎日毎日、歩くにもワタシのチカラを無駄遣いするばかりのお前など、ねぇ?」
透き通るような瞳に、蝋燭が映りキラリと光る。楽しげに嬉しげに細まった目の奥は、肉を撒き散らしながらそれでも清紫露を睨み上げる筆星を見下して、闇を深めた。
「……このまま、お前、御魂を裂いてあげようか」
くちょりと清紫露の足が筆星の腹を出る。
「晴らせもしない怨みなんか、忘れさせてあげようか?」
筆星は、まだ血を吐きながら清紫露を見上げている。
「こんなにも下らない化猫でさえ、なくしてやろうか」
ねえ、と清紫露の指が筆星の頬を撫でた。

「……良い月夜だねぇ」
縁側の柱に寄り掛かって、清紫露は空を眺めて呟いた。
儚く突き刺さる月光に、俯せる形で縁側に転がされた筆星は、目だけで空を覗こうとして諦め、何も言わずに目を伏せる。
「明日は、お前、子守をなさいな」
煙管を燻らせながら、清紫露は筆星に目を遣る。
返事は返らないが、筆星に拒否権の無いことなど、互いに承知している。
腕も無く、足も無く、筆星はもぞりと小さく腰をよじり肩を揺らす。清紫露がつい、と指先を動かすと、芋虫のような体は仰向いた。
はだけた着物。腹の傷はない。血で溢れ返っていた口元も、もう血色の悪い皮膚しか見当たらない。筆星は月を見上げ、丸いな、と言った。清紫露の口唇から、煙がゆらり、空へ伸びた。
奥の和室には。生など微塵も見当たらないほどに盛大に、乾き切らぬ血肉が、散らばったまま温んでいた。

fin


2011/9/14
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