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刀/メンヘラ本丸

ある日審神者が言いました。
「殺してほしい」
ああ、と刀は思います。

いいのか?
   何を言い出したの?

       どうしてそんなことを?
  何で自分に?

    本当に?

      そんなに辛いの?
  何があったの?     
今すぐでいいの?

審神者はメンヘラです。引きこもり、手首を切り、時に暴れ時に喚き時に倒れては、それでも本丸にしがみついていた人間です。

ある日審神者が言いました。

「殺してほしい」

いつもと変わりない、ある本丸での事でした。


****


加州清光 初期刀

二人きりの執務室。唐突に発せられた声に、初期刀はごくいつも通りの無表情に瞬きを二度繰り返してから、にんまりと笑って見せた。
「主」
「うん」
「今でいいの」
「うん」
「そっか」
「うん」
「主」
「うん?」
「愛してる」
「……」
赤玉の瞳が細まった瞼の奥でぎらぎらと光っている。燃え盛る炎のように、瞳孔がせわしなく収縮し光を見定める。はらりと紅い花弁が舞う。白い頬に血が昇り、息づいて上気する。
見るからに高揚した様子の初期刀に、審神者は口を噤んだままひそかに安堵した。
「愛してる主、ありがと。ほんとに約束守ってくれるんだ」
甘い声をしていた。
滅多に聞くことのない色音に審神者がうん、とこくり頷く。
「だって約束したじゃん」
「うん、した。約束した。俺と主は最期まで一緒だって!」
明るく、にこやかに、澄んだことば。
「でしょ。殺してね」
「うん!じゃあ、」
「折るね」
「はは!」
愛らしい上ずった笑いだった。普段であればなかなか機会のない、児戯にはしゃぐ幼子のような。
虚ろに冷えていた審神者の手を取り、初期刀が先を行く。
部屋を出て、玄関を抜け、門をくぐり、その先へ。
邪魔も茶茶もあってはいけない。もう何も必要はない。ただ掌の先の、温もりを、その時まで、果たし果てるまで。
「ふふ」
「あはは!」
ぜえと切れる息、よろついた足音、破裂しそうな心音。
しっかりと握られた手と手はすぐに離れるだろう、それでもそれも。何もかもがおかしくて、ふたりは無邪気に、笑い合っていた。


****


亀甲貞宗

「ご主人様」
きょとんと見開いた眼が審神者を真っ直ぐに見詰めていた。
「うん」
「申し訳ありません、もう一度お伺いしてもいいですか?」
「殺してほしい」
「殺す?」
「うん」
「命を奪うという意味であっているかな?」
「うん」
「ご主人様は本当にぼくに殺されたいんだね?」
「そう」
「本当に?」
「うん」
感情の読めないはがねいろの瞳が、レンズの向こうから審神者を見ている。
「…」
「…」
「…はぁ、」
「…」
どれほど経ったのか、詰めていた息を我慢ならない様子で吐き出した亀甲は、正座の膝へ行儀よく置いていた両手で自分を強く抱きしめて、ぶるぶると体を震わせ始めた。
「…っはぁ、はぁ、はぁあ…!ああ!ご主人様!ご主人様すごいよ!ああ!貴方は本当に、ああ…堪らないッ…!」
白皙の頬が紅潮し、怜悧な目元は感動に潤み、よじらせる身体は歓喜を露わにしているが、その声音だけがどこかに硬さを思わせる。
審神者はそれを先ほどと二人が立ち替わったようにじいと見つめ、亀甲の返事を待つ。
「ああ、ぼくが、ぼくがご主人様の命を絶つ…直々に仰って頂いて、ぼくが貴方を終わらせる…!?ああ、ひどい、こんなにもひどい、おかしくなってしまいそうさ、素晴らしい!ご主人様の才能を一身に受けられることを光栄に思います。貴方はぼくをこんなにも、こんなにも苦しくさせる!ああ!ああ!こんなにも貴方を慕うぼくに!」
それは慟哭とも、嬌声とも言えないようなもので。
「…で、やるの?出来ないの?」
「もちろんご命令通りに!」
見切りをつけ、愛しさ交じりに冷たく催促する声で、亀甲は恭しく立ち上がりながら鯉口を切った。


****


五虎退

言葉を理解するとともにじわりじわりと滲んだ涙は、すぐにそのまつげや頬や顎を濡らして滴った。
「っ……」
「…」
「い………ぃゃ、です…」
「…」
「いや、です…!嫌です!」
「…」
ひいと堪えた嗚咽の隙間に、どうにか言葉らしきものが乗る。五虎退の首が左右に振られる度に、地に水玉模様が増えていく。震える手が少し彷徨い、審神者の上着の裾を掴んだ。
「ぼっ…ぼく、僕は、あるじさっ、あるじさまを、こ…っころすのは嫌です…!!」
「…そっかあ」
存外にはっきりした拒絶だった。審神者は頷く。自身の服を握る手を優しく解して離させる。
「!はい!嫌です!だから、あるじさ「じゃあいいよ」
「え?」
「じゃあいいよ、ごめんね」
「あるじさま、」
審神者は、離させた手をゆっくりと遠ざけて、そのまま表情の読めない顔で五虎退に別れを告げる。
「ばいばい」
呆然とする彼の前から、ふらふらと審神者が消えていく。
そうしてもう二度と、五虎退の前に現れることはない。



あるじさまが死んだ。あるじさまは僕の知らないところで死んだ。あるじさまを殺したのが誰なのか僕は知らない。あるじさまの願いを叶えたのが誰なのか僕はわからない。わかるのは、僕は、僕には、かなえられなかったということ。
「ひっぐ…!」
あるじさまは、僕に「それでいい」と笑って、死んだ。


****


厚藤四郎

五虎退を置いて二つも角を曲がれば、そこに待ち構えるように厚はいた。
壁に寄りかかり俯いた表情は審神者に見えることはなく、ただそこをそのまま通してはくれないだろうことだけがわかる。
審神者は仕方なく立ち止まり、どうしたの、と声をかけた。
「大将も酷ぇなあ、あいつ泣くぞ」
「そうだねえ」
「なんで態々ごこに直接頼んだんだよ。俺たちだって良かっただろ?」
「ごめんねえ」
「ま、大将がごこを好きなのはよーく知ってるけどさ」
「うん」
「…あれ、俺にも頼む気あるか?」
「頼まれたい?」
「…どうかな」
厚がようやく顔を上げても、結局明りの乏しい場所で、人間の視覚しか持ち合わせない審神者には多くのものは見通せない。
少しだけ目蓋の陰に昏がった瞳と、寂寥を理解した声だけが届いていた。
「でも、ありがとな」
落ち窪んだ声だと感じた。虚のように、仕方がないほどにすかすかとした声だった。
それを咎める権利がないのを認めた審神者は、ただほんのりと笑って見せる。
「うん」
「あいつが断れるとは思わなかった」
「強くなったよねえ」
「うちで一番だからな」
「うん」
「…本当にいくのか?」
「うん」
「そっか…」
「ごめんね」
「オレはいいけど」
「…」
「チビどもが泣く」
「…ごめんね」
「オレは…」
揺れる瞳が目蓋の裏に隠れきり、途切れた声が残響を無くしたころ、審神者は静かに歩を再開した。
それを追うものは、もう何もなかった。


****


今剣 初鍛刀

珍しく人目を気にするようにして部屋を訪れた審神者に、車座で語らっていた三条の仲間が部屋を出る。一人名を呼び止められた今剣だけが、がらんと静まった部屋に審神者と膝を向かい合わせ座していた。
「ぼくでいいのですか」
「はい」
ささげられた願いに、いと冷たく、今剣は審神者に問う。躊躇うでもなく急くこともなく、審神者は頷き返す。
「かしゅうは」
「折りました」
「きっこうは」
「折りました」
「ごこたいは」
「解きました」
「…それでぼくですか」
「はい」
詰問といってもよかった。普段ならば曖昧模糊とした声が、今日ばかりは冷静に、やけにはっきりと返ってきた。
開け放したままの襖を抜けて、風が二人の間を吹き抜ける。揺れる髪が、ぶれない互いの眼光を僅かながらに陰ったように錯視させる。
「ふがいない。ほんとうにふがいないにんげんでしたね、あなたは」
冷たく、突き放すような声だった。
これまで含ませられていた、呆れ悩みながらもからかうような親しみなど、芥と断じて捨てたような声。
「はい」
「わかりました、ぼくがしまつをつけます」
「はい」
審神者は頭を下げる。お願いします。
床に額づく頭の裏側を見詰めながら、今剣は鞘を抜いた。



「……あるじさま」
「ぼくは、ぼくは、はじめて、あるじのはらを、かきました。ねえ、あるじさま、あるじさま。うまくできましたか。ぼくは、うまくできましたか。あなたがおしえてくれたでんせつのとおり。ぼくがきたいされたいわれのとおり。ぼくは、あるじさまを、ちゃんと、ちゃんところせましたか。あるじさま、…」


****


宗三左文字

行きすがりの廊下での言葉だった。
わざとらしく間を取りながら通り抜けようとしていた細長い体躯が、揺らぐように足を止める。
振り向いた顔の著し辛いこと。いつも雄弁なその表情が、何を示すべきか壊れたような、そんなおもてであったこと。
「…ああそうですか」
絞り出された、言葉の流暢で必死なざまであったこと。
「ああそうですか。わかりました。ええ、いいですよ。僕でいいんでしょう?でもこんななまくら刀に何を期待しているのか。
知りませんよ、もうこの刃はお飾りですからね。途中で斬り止まるかもしれません。ああやだ、貴方の脂で錆びるなんてぞっとしません。全く、何でよりにもよって僕に頼みますかね」
「なんですか。文句があるなら言えばいいでしょう。僕を選んだのは貴方ですからね。それを銘々忘れずに仰有ってみなさい。僕だって貴方がいなくなればただのがらくたに戻るんだから、愚痴の一つも言いたくなるでしょう。
は?ふざけないでください。また別の人間に仕えるなんて有り得ません。もう真っ平御免です。貴方がいなくなるならお暇ですよ。折角この僕が降りてあげていたというのに正気を疑います。今からでも医者を呼んだらどうですか?」
「大体僕を散々こき使っておいて、なんですか貴方。どうせ今朝の占いで最下位だったとかそんな理由でしょう。知ってます。貴方はそういう可愛らしい脳みそをしてますからね。仕方ありません、諦めましたよ。こんなことになるなら昨日の内番なんかサボるんでした。折角僕が馬の櫛梳りだってしてやったのに」
「本当にふざけてますね。ああ嫌だ。全く。ああそうだ兄さまや小夜には挨拶したんでしょうね。そのくらいの礼儀はあるでしょう。ない?してない?ハアァ?ふざけないでください。今から行きますよ。兄さまの無制限耐久説法コースが始まっても助けませんからね。小夜が泣いたら殺します。死ぬ前に殺します。」
「………………」
無遠慮に傷塗れの腕を素手で掴み上げ、ぐいと牽きかけた彼の動きが口惜しげに止まる。
「……なんで泣くんですか」
「止めなさい」
「泣くな」
「泣くんじゃない」
「……泣きたいのは僕だ」
「……本当に」
「…………」
「……わかりました」
「……わかりました……」










「あるじ、あるじ……ああ、主……バカですね、あなたは、本当にバカだ……ああ、僕を置いてどこに行くんです。去るくらいなら折っていけと言ったでしょう。……いいや、言ってなかったか。そうですね、ああ……。……そうだったなあ………」


****


へし切り長谷部

業務報告が終わった。何か新しい御用はないかと問う長谷部に、審神者はごく軽妙な風でそれを望む。
拝す刀はしゃんと背筋を伸ばした姿勢のまま、一拍思案してから恐れながら、と口を開く。
「……主、それは俺に頼んでいい仕事でしょうか。いえ、主が仰るならすぐさまそうする準備はありますが。
痛みもなく自覚する間もないくらい立ち処に主命を果たしてみせましょう」
にっこりと笑って見せた忠臣へ、審神者はなんとなく主命だから?と確認した。
笑顔はより一層深まり、本心ですと言わんばかりの慇懃な返答が続く。
「…ええ勿論、主命だからですよ、主。俺個人の望みなどではありません。違いますよ。ああ…でも一つ、そうですね伺っても?」
いいよ、と審神者は応えた。
「主の死体は、俺が貰ってもいいでしょうか?」
いいよ、と審神者は答えた。


****


髭切・膝丸

縁側に並ぶ二人へおやつを差し出した審神者が突拍子もなく願った言葉に、髭切は受け取ったまんじゅうを切り分けながらのんびりと首をかしげた。
「う~ん、僕はまあいいよ、頼まれちゃったらしかたがないし」
「…!」
「でもねえ」
「な、にを、」
「ぷんぷん丸が「何を言い出すのだ貴様は!!兄者に主の首をはねろと…!?そんなことは俺の目が黒いうちはまかりならん!!」
「ありゃあ」
激昂する膝丸はすぐ先ほどまで大人しく兄の隣に座っていたが、今は思わずといった様子で腰を浮かせかけていた。しかしそれをう~んと見遣る髭切に焦った様子はいつも通りない。あはは、と笑ってお茶を一口啜ると、新しいまんじゅうを口に放り込む。
「だめだって。どうする?」
「じゃあ貴方に」
審神者は髭切と向かい合わせていた顔をくりんと回すと、膝丸に差し向けた。
「えっ」
手にした盆を膝に置く審神者、まんじゅうをもぐもぐ咀嚼している髭切、憤懣の色をどこかに吹き飛ばし固まった膝丸。
ぎい、ときしむ音すら聞こえる動きで膝丸が口を開く。顔が蒼い。
「…」
「…」
音になっていない。
しばらく待つと、ようやく声が出た。
「…兄者が良いのではなかったのか」
「…弟さんでも大丈夫ですが」
「あ、兄者から鞍替えとはいい度胸だn「うんうん、そうだね!不服丸も僕に劣らぬ良い刀だから、すっぱりやってくれるさ、ねえ弟!」
「えっ」
取り直しかけた怒りは一瞬で霧散し、兄を驚愕の表情で見る弟を無視し審神者がよかったー!と安堵する。
「そうですよね!じゃあお願いします!」
「ちょ」
「頑張るんだよ、応援するからね」
そういう時の応援はこうやるんですよ。へえ?作法があるのかい?こうやって、こう。ふんふん、変わってるなあ。まあいいや、弟…ええと、唖然丸だっけ?ほらがんばれ♡がんばれ♡
話は膝丸が言葉を失った合間に勢いをつけて転がって、尊敬する兄者が両の握り拳を胸の前に掲げ、ニコニコと声援を投げるところまで行きついた。
もはや断れる雰囲気でもなく、疑いのない澄んだ目と小憎らしい計画通り、といった汚れた目に涙を飲みつつ膝丸はからくり人形のようにカクカクとおぼつかない動きで半端な高さでとどまっていた腰を上げる。
「さ、遠慮なくどうぞ」
「がんばれ~」
せかす能天気な声、麗らかな午後の楽しいおやつの時間がどうしてこうなった。全部審神者のせいだ。あれもこれも主が悪い。そうだよ、という声がした気がした。だから仕返し殺っちゃいなよ。と聞いた気がした。
息を止める。震える手を柄を強く握りしめて定める。
わざとらしいほど大振りで、ふりかぶって、四つの目玉が見詰める前で。

「よくやったねえ膝丸、さすがの切り口だったよ」
肩を上下させて荒く息をする弟を、兄は優しく抱き寄せた。
きゅうと軽く力を込めた腕は、呼吸を忘れて固まった弟の頭上に伸び、よしよし、とつややかな髪を撫でる。
「!?名まハg頭!!??」
謎の言語が膝丸の口から走り出て、白い顔が一気に茹だる。
「ありゃ、震えてるのかい?やっぱり僕がやった方が良かったかな?」
「いっいいいいいやそんなことはない!!!!!これは俺がやれて良かったと思って感激しているだけなのだ!!!!!!だから大丈夫!!!!!!」
「そうか~いいこだね~ぷるぷる丸」
思わず叫んだ弟に、兄はおめめをぱちくりさせたがすぐにふんわり微笑んだ。背に回された髭切の袖の端をそっと掴んで、膝丸は遺憾の意を噛みしめながら目を閉じる。
お互いの体温が交わる二枚の胸板の狭間で、血飛沫の残滓がにちゃりと音を立てた。
審神者は死んでいる。


****


鶯丸

涼やかな風が、薄手の上着を必要と思わせるような夕暮れで、どこかで虫が鳴き出して、夜気がひっそり紛れ込んで、花が眠る準備を始めている庭先で。
「…そうか」
「…」
「もう茶はいいか?」
「うん」
「そうか」
「うん」
「仕方無い」
「いいの?」
「良くはないな」
「そう」
「だがまあ、いいさ。主が選んだなら」
「…」
「…」
穏やかな沈黙で、真綿のような息苦しさで、決して引き留める訳ではなくて、諸手に賛するわけでもなくて。
「…」
「やはりもう一杯入れよう」
「ええ…」
「最期だ、俺にも付き合ってくれ」
「うん」
「野鳥に後戻りだ」
「ごめん」
「いいさ」
いつもの態度で、いつもの無関心で、いつもの見守る目をして、いつものわかりづらさで、丁寧な手つきで、ゆっくりと時間をかけて。
「飼われた鳥は野生に戻すと死ぬぞ」
「…」
「まあ俺は刀だからな、大丈夫さ」
出されたお茶は、甘くてひどく苦かった。


****


蜻蛉切

「どうしてもそうせねばならぬと仰るなら、致し方ありません。自分は命を貫けぬ不忠義者として責を負いましょう」
背筋を正して返された声に、審神者はだろうねえ、と浅くため息を吐いた。
そもそもこの実直な男が、審神者の単なる『ご乱心』を是とする訳がないのは明らかだった。
審神者はうんうん、とわざとらしく首肯して、忘れていいよと険しい顔のままの蜻蛉切の頭を撫でる。
「……主殿」
「無理してほしい訳じゃないし、言ってみただけだから気にしないで」
は、と短く了承を返し、しかし拭い切れない胸騒ぎに、蜻蛉切は主、と頭に乗せられていた手をそそと掴む。
「先ほどの言葉は、」
「あるじー、あ、ここにいた」
無遠慮に割り込んだ声に、審神者は振り返り、そのまま優しく手を振りほどくとごめん、と立ち去っていく。

いつもと違い、また後でね、とは言われなかったことを、蜻蛉切は解けるその間際思い出した。


****


御手杵

「ええ~俺がやるのか?刺すしか出来ねえけどいいの?」
後ろ頭を掻いて、御手杵が少し弾んだ声を出す。馬当番帰りの少し疲れた表情がどこか緩んだように思われた。
本当にこの槍は実直だ。
「駄目だったら頼まないでしょ」
審神者がそう答えれば、期待はあからさまに喜色へ変わる。それを誤魔化すように(一切誤魔化せてはいないが)鼻の頭を軽く擦り、彼は戦装束へと装備を転換させた。そのまま足元を何やら吟味する。
「ふーんじゃあまあいいけど…そしたらそうだなあ、そこら辺に立って、うん、脚踏ん張れよお。ずれちまうから」
「よろしくね」
「おう!刺すことだけは得意だからな!そしたらいくぞ!」
ニコニコと人懐こい笑みが、瞬間ゾッとするような鋭さを帯びる。恐怖を認識する前に、審神者の意識は失された。


「おっいいところに!たぬき~なあこの主の首切ってくれよ~俺これちょっと飾っときたい!!」


****


同田貫正国

ぱららと頭を振るに合わせて、よく磨きあげられた鍛練場の床へ汗が散る。担いだ木刀を軽く肩に跳ねさせ、同田貫は上がり框に佇む審神者を睥睨した。
「ああ?…ふん、わかった。やってやろうじゃねえか」
声音はひどく平常だった。まどいや焦りの一つも見せず、なんの特別でもないように手拭いで顔を一拭きしてから彼は片付けの作業に入る。
手伝うでもなくそれを眺めていた審神者のもとへ、ものの数分で出てきた同田貫は、一度だけ審神者の頭頂を掴んで表情を崩す。
「後から文句は言うなよ。ま、こんな頭くらい一発でぐちゃぐちゃになっちまうからな、どうせ言えねえだろうけどよ」
「頼もしい」
ふへ、と笑った審神者のぼさついた髪を刀が一つ掻き混ぜる。同じ手に、剛刀が喚び出された。


****


太郎太刀

「……はあ」
はためく敷布が目に白い、昼下がりの物干し場。優しく鼻をくすぐる洗剤の香りは馴染み深く、そこに不似合いに投げられたお願いに太郎太刀は一度空を見上げ、それから足元を見下ろした。
戻ってきたのは生返事にしか聞こえなかった。浅い反応に審神者が眉尻を下げようとした刹那、ザッと暴風が吹きぬける。重たいはずの体が遠く吹き飛んだ。
出し抜けな斬撃。刹那で振るわれた長大な刃。目にも留まらずぴたりと終わらせ、舞い千切れた下草と合わせて半円を描くように広がる赤の先で、驚いたような表情で転がるそれを見遣りつつ、太郎太刀が納刀した。
「これでよろしいか」
問うてみて、返事が戻りようもないことにはたと気付く。
辺りに散らばり、今もどくどくと垂れ流される血の香りが緩やかに鼻孔に上る。何気なくもう一度空を見上げてみて、太郎太刀はまず当番である洗濯物の取り込みを優先することに決めた。


****


陸奥守吉行

俄かに背後よりパァンと凄まじい音が響き、審神者の身体はぐらりと前に崩れ落ちた。向かい合い、まことに乞われていた刀が息を飲む中、彼は転がる肉を見下ろしながら晴々しく笑う。
「これで仕舞いじゃ。誰がやっても結果は一緒、それならわしがやらせて貰うてもえいじゃろ」
心底に明るい声で、広がる血だまりに踏み込むと陸奥守はピクリとも動かない審神者の顔を覗き込み、虚ろに開いたままの瞼をめくり上げる。
じい、と淀んだ眼球をしばし凝視し、にっこりと微笑んで陸奥守は手にしていた拳銃をようやく仕舞った。
「心からできた唯一の奉公、喜んどうせ」
死に絶えた鼓膜に囁く声は、今まで交わした二人のどの会話よりも優しい色をしていた。


****


鶴丸国永

柱の陰から隠しきれない半身をはみ出させた状態で、きょとんと赤子のように眼を見開いた鳥の額から赤が垂れる。
また己で頭蓋を割ったのかと顔を顰める審神者をよそに、鶴丸国永は身体が弓反りになるほど大声で笑い出した。
「あっははは俺か?俺に頼むのか!ずっと無視してきただろう!こりゃ驚いた!!どういう了見だ!?イヤ可笑しい!ははははははは!!とち狂ったのか!加州清光はどうしたんだ!なんで俺に!?あはははははは、あは、はははははははははははは!!」
げらげらと笑う声に、近くにいたらしい男士たちが少し顔を見せては、ああアレか、と戻っていく。
ひとしきり笑い尽くして、誰からも反応が無くなった頃、白い顔を出血と上気で赤くして、鶴丸国永はいいぜ、と審神者の両頬を掌の合間に捕まえた。
「あ~あいいともいいとも、腕を振るってやろう!自分で練習した甲斐があったなあ!うんうん安心してくれ、特がついてからもう長らく戦場には出てないが、これでも刀だ!人の切り方くらい忘れちゃいないさ!
さあ、俺たちはお揃いだ!」


****


秋田藤四郎

まんまるに切り取られた空色から、ぼろりと滴が落ちる。ふっくらと桃色をしたくちびるをきゅうと噛みしめて、幼い現し身を小さくふるわせて息を飲んだ短刀が、それ以上の涙をこぼさないように耐えている。
「……」
「主君は、僕を折る気はないのですか?」
瞬きの要らないほど瞳を潤ませて、か細い声は、それでも凛としていた。
「僕は、主君には死んでほしくありません。僕は主君を守りたいし、もっと主君と遊びたいです。主君が大好きですし、この本丸も大好きです。
主君は僕たちを嫌いになったんですか?だから、ここからいなくなりたいとお考えなんでしょうか。もしかして、この前お菓子を買ってってねだりすぎたからですか?それとも、戦働きが足りなかったでしょうか。それなら謝ります。もっと頑張ります。だめですか?この本丸が嫌いになったんですか?」
波立ちながらも、真っ直ぐに審神者を見詰める眼は真剣だ。控えめにひそめられた眉の上、ふわりと綿菓子のような前髪が、じわりと滲んだ汗で額に張り付いている。
「僕は、主君を守って折れるなら怖くありません。……。本当は少し怖いけど、でも僕の務めですから、誉の中に散るのは怖くありません。
主君は僕たちと添い遂げる気であると、加州さんからお聞きしました。だからきっと、辞められるとか、黙って出ていかれるとか、なさらないんですよね?だからここで、殉職されるおつもりなんですよね?」
「僕にお声がけ頂いたのはなんでですか?なにか、お話もありましたか?僕が原因なのでしょうか?
……主君がもし僕をもう要らないと思うなら。……思うなら、悲しいですが、大丈夫です。僕は刀解してください。その方が少しでも資源として本丸のお役に立てます。だから、思い直しては頂けませんか?」
でもやっぱり、できるなら、叶うなら。僕は主君と一緒に、ここで生きていきたいです。みんな一緒に、頑張っていきたいです。
声は終いの方だけひどく小さく果敢無さを纏った。
「えっ…主君、しゅくん、なんで泣いてるんですか?どうしよう、どこか痛いですか?…!もしかしてご病気だったんですか!?た、大変だ、えっと、いち兄と、薬研兄さんを呼んできます!あと大典太さんも!」
慌てた声は、容易に純粋な心配に染め変わる。
「あああ主君、しっかりしてくださいね!大丈夫です、僕がそばにいます!ずっとそばに、」


****


次郎太刀

「…それを、アタシに頼むのかい?」
「うん」
夜の廊下は薄暗い。わざわざ近場の明かりを消して、より薄暗くした一角は月の光だけが視界の頼りだ。ほんのりと夜光する金色の瞳が、暗く影のみで浮かび上がる次郎太刀がそこにいることを示す。
「なんでアタシに頼もうと思った?」
「…」
「あるじ」
「…」
「言いたくない?言えない?」
「…」
固まる審神者から徳利を取り上げ、手酌で一杯、次郎は猪口を呷った。
湯上りに下ろしたままの黒髪がさらりと床でうねる。
「う~ん…別に、いいんだけどねえ、それで本当に後悔しないならさ!…ず~っと、苦しいと思ってたのはわかってるつもりだしね」
軽さをどこかに残したままの声音が、うつむいていた審神者の視線を引いた。その淀んだ眼に焦点を合わせ、次郎はことさらやわらかく、でもねえ…。と言い淀む。
「でもねえ…。…本当はもっと違うだろ?アンタ、ここまで耐えてきたのに、な~んにも言わないで終わっちゃうのは勿体ないじゃんか!」
くしゃりと、審神者が唇を歪める。ああこうして何も言わず、飲みこんで、そうして今晩が来たのだと、次郎はまた背を小さく丸める人の子に思う。
だけれど、それに気付いたとて所詮分かち合うことは出来ぬのだと、手にした猪口に酒を注いで震える審神者の前に掲げた。
「聞いててあげるからさあ、なんでもいいよ?次郎さんに言っちゃいな!ど~せ酔って寝ちゃえば明日には忘れちゃうからさ!!あっははははは!」
「……ね、夜は長いし、あったかくして、話しよう」


****


博多藤四郎

ぱちん、と算盤の弾きが終わった。
「生前整理はしたと?」
「えっ」
割り出した計をさらりと書き留めて、右横に座した審神者へ身体ごと向かい合った博多が眼鏡を煌めかせる。
「終活は大事ばい!折角蓄えとっても死んだら終わりやけん、使い切るならよかっちゃけどそげん用意はあっと?」
「えっなんも考えてなかったです」
「はあ~なんばしよっとね!?よか、俺が手伝うちゃるけん今からでも少し整理して、遺言くらい残しとかんね!」
「うええ」
「うええやなかと!おてにいみたいな声出しても何の得もならん!ほら、通帳とか、戦歴表出さんね!」
はあ~!と大仰にリアクションを披露して、博多は有無を言わさぬ勢いで、審神者の手を引き執務室へと歩き出す。
「こわい」
「ばってん主しゃんに計算能力は求めとらんけん、所有財産の一覧確認だけで構わんばい。そんかわり後出しのなかごつしっっっっかり見てもらうけん覚悟しんしゃい」
「つらい」
「普段から気を付けとかん主しゃんが悪か」
「ヒン…だって…」
「言い訳は見苦しかよ」
「だって…遺す相手もいないし…大事な財産とか皆くらいだし…でも皆は自分がいなくても大丈夫でしょ…」
短刀の機動に審神者の足は縺れる寸前、あわやとひやひやしながら漏らした言葉に、博多の足がいきなり止まった。
「…は、」
「…え?」
振り向いたレンズの奥の瞳が、驚愕しているように見えて審神者もまた息を飲む。ぎり、と歯ぎしりの音がした。
「なん、ば、言うかと思ったら。こん、馬鹿たれ…」
「え」
先ほどまでは気丈に明るかった声が、上擦り震え、激情を滲ませた。引こうとした身が繋いていた手で留められる。
「何っも、わかっとらん…!主はっ…主が俺たちにとって、どんだけ!っ俺やって、主しゃんがっ!…主が欲しがるなら、渡し賃の交渉、着いていきたかくらいには、おもっとうのに…!!」
ぎゅう、と強く握られている掌が痛みで軋む。審神者は思わず、ぼんやりと首をひねった。なんで、と二人の呟きが交差する。目の前で息を詰める短刀に、審神者は訳もわからず静かに終わりを立ち待ちていた。


****


石切丸

祈祷部屋の前を掃き掃除する審神者を誉めたところ、思わぬ依頼が飛び込んできた石切丸は驚きで目を瞬かせた。
「ええ…本気かい?」
「うん」
「参ったなあ…どうしようか」
「…」
渋る様子の嘆息に、審神者の肩が僅かに強張る。
「私の刃だと多分上手く首だけ落としたり出来ないと思うんだけどな…」
「あっそこ」
「え?ああ骸がちょっと不恰好になっちゃっても構わないかい?」
「アッハイ大丈夫っすけど」
かくんと膝を折られたような心地のまま、審神者がナチュラルに事前確認を始めた石切丸にOKを出す。祈祷途中の内番着のまま、手に本身だけを召喚した青年は平時のにこにこと朗らかな表情のまま審神者との距離を測った。
「それならまあやってみようか!ああどきどきするなあ!
えーと…この辺りでいいのかな?こっちかな?まあ当たれば間違いなく落ちるとは思うんだけどね。微調整は苦手なものだから」
はにかんで見せる石切丸に、さすがに審神者が息を飲む。
「(やばい大丈夫かなこれ人選あかんかったかもしれん)」
あの、と一旦声をかけようとした刹那、黄緑の後ろからひょいと深緑が現れた。
「んっふふ、そこよりもう少し先っぽの方が良くイけると思うなあ」
いつの間にやってきたのか、背から頭を覗かせた脇差は飄々と読めない笑顔でもう少し向こうがいいんじゃないかい?などとアドバイスを飛ばす。
「おや見学かな?」
「そうだねえ、観ていこうか」
「気軽かよ…」
思わず審神者も突っ込みを入れる、まさか主を斬り殺すためのセッティングとは思えないようななごなごしい雰囲気のまま、
「では、送ろうか」
「安心しなよ、彼なら間違いなく天国に連れて行ってくれるさ」
「青江、天国ではなく彼岸だよ」
「アッハイ」
大きな刃が風を起こした。


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にっかり青江

夜警を務めるその背に呼びかければ、潜めた笑い声はいつもの色のまま振り向いた。
「…んっふふ、随分タつのが早いんだねえ…此岸の事だよ?」
あのさあ、と呆れる審神者に、冗談さ、と剽軽な肩竦めをしてみせた青江は、それで?と歩を詰め改めて訊ねる。
「僕とイキたいって?」
「どっちかっつーと、青江で逝きたいだけど」
そっちの方が酷いじゃないか、と腹を抱えた青江を、審神者はぼんやりと待ち呆ける。ざざあと庭の柳が夜風に揺れる音がして、それが止むと同じく顔を上げた青江は、目の前の頬を冷たい指先で優しく一撫でした。
「優しくしてね」
「酷くしてあげるよ」
にい、と笑い合ったとたんに、しろがねが一閃翻った。


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歌仙兼定

腕組みをして、項垂れる審神者を注視していた歌仙は、「…ふうん、それで?」とじいと手入れの行き届いていない後頭部を眺めたまま問うた。
「えっ」
「死にたいなら勝手に死ねばいい。なぜ僕が手を煩わされなきゃいけない」
「ええ…」
「第一、君みたいな怠惰で気狂いにしがみついているような輩に僕を振り下ろすなんて御免だよ。雅じゃない」
キッパリとした言葉に、えっひどない?主ぞ?我主ぞ?と審神者がうろたえて顔を上げる。その情けない面に対し皮肉げな笑みを湛えて、歌仙は一つ箴言をした。
「いいかい、僕に殺されたいならね、せめて嫉妬で狂えるものになれ」






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*奥付後書き


メンヘラ審神者の「●してほしい」

メンヘラがメンヘラしてるところが見たい第一弾(?)
加州とメンヘラの約束については他の本などでも繰り返し述べていたのですが、もし他の男士が話を持ちかけられたら?「殺してほしい」と言い出されることは、それだけメンヘラの中の整理と、相手への信頼が必要で、一生に一度の機会になる「お願い」を向けられた男士たちはどう行動するのか?というIF小話集です。
本当なら全振分やりた~い!とは思うのですが、メンヘラも前述のとおり、(一部を除き)あまり仲良くない刀に願うには至らず、といった感じで、なかなか偏った刃選になっています。
各刃のシチュは「殺してほしい」その言葉の直後から描かれます。あいまいなところも多いので、お好きにご想像ください。
大切で愛しい、誇らしくて敬うに値する、我らが男士たちの反応を楽しんで頂けましたら幸いです。





「やっと終わる、やっと終われる!!!」
「くるしいこと」
「ひどいこと」
「いたいこと」
「ちのにおい」
「いとしいもの」
「ぜんぶ、ぜんぶぜんぶさようなら!!!!!」
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