このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

ごこたいごふり(再録)/五虎退



喚ばれた、と感じたのは意識が宿ったその時で、だからその前の自分について、僕は何も知らない。

瞼を開く、という行為をする。床に立つ、という行為をする。吸気する、という行為をする。発声する、という行為をする。
言葉を吐く。何かを見る。期待をする。結ばれる。
顕現されたその場には、僕以外にも数振の姿があった。僕の目の前に立っているのが唯一の人間だと気配で判断して、つい先ほど成されたものが契約だったと理解する。果たして僕はその場にいた、本丸にとって二振り目である五振と共に、通称「二振り目部隊」として運用されることになった。


たがう。


「加州さん、加州さんが呼んでました」
図書館の端に併設されたサンルーム、白いアンティーク調のテーブルセットに目当ての方はいた。僕が声をかけると、大和守さんと何かを話していた二振り目の加州さんはわかった、と席を立つ。一言二言小声で断りを入れられた大和守さんは小さく頷いて、ひらひらと胸の前で手のひらを揺らした。
二振り目の加州さんは、僕の所属する二振り目部隊の隊長だ。その部隊は今日、全員が休みになっている。だけどこうやって加州さんが呼び出されることは珍しくない。一振り目の加州さんは主様の初期刀だし、主様は加州清光を殊更気に入っているからだ。
「ねえ、今暇?」
小間使いの用を終えて退室しようとしていた僕に、大和守さんが話しかけてくる。大和守さんは一振り目。あまり僕とは関わりがない。それが何の用だろうとは思ったが、特に用事もなかったので、断り文句が見つからなかった。
「まあ座りなよ、あいつの座ってたところで悪いけど」
今まで加州さんがいた場所を叩いて示されて、大人しく従う。椅子に置かれたクッションはふかふかで、まだどこにも加州さんの体温が残っていて生ぬるい。お茶淹れようか?訊かれてそれは断った。あまり長居する気はない。もう夕飯も済んだ自由時間なのだから、そろそろ寝支度を始めたいので。
「ねえ、複数顕現ってどんな感じ?」
「…どんな感じ、とは?」
くり、と大きな青い目が僕を見詰めていた。
薄く開いた唇が小さく戦慄いて、何でもないような口調で言葉が漏れる。
「あいつ、たまに急にいなくなったりするんだ。呼ばれたとか言って」
「…はあ」
だから、どうしたというのだろう。
「呼ばれたって言っても、側に居る僕には何も聞こえない。あいつは端末持ってないし、式が来てる訳でもない。
そういう時は大体一振り目の所に行ってるみたいだから、何か同位体同士でそういう特別なものがあるのかと思って」
「…加州さんは、特別じゃないですか?」
加州清光は、主様の肝煎の刀だから。主様は、あの刀に狂っているから。
呆れは隠せていただろうか。僕の言葉に、大和守さんは小さく頷いてほんのりと笑う。
「そうだね、僕もそれは分かってる。でも」
「そう…ですね、他の皆さん達よりは、行動の予測が付きやすいというか、考えてることが分かりやすい、というのはあると思います」
「それは、離れてても分かるものなの?」
「…少なくとも僕は分かりません。あくまでもなにがしかの状況に対して、五虎退という短刀としてどう思うか、予想が出来るという話でしかないです」
長引きそうな気がして、最初の質問に答えれば、透いた青に黒々とけぶる睫毛が影を落とす。
「…そう」
暗い声に、ぼくはどう続ければいいのか惑う。
「…僕はまだ、顕現して日も浅いですし、五振り目なので」
「ううん、清光が顕現したのも同じ日だし、同位体が沢山いた方がそういう力があるなら広まりやすいはずだろ。いいよ、大丈夫。ありがとう」
「…すみません」
「引きとめてごめん、もう行っていいよ。僕も片付けて部屋に戻る」
「じゃあ、失礼します」
僕が席を立っても、大和守さんは椅子に座ったまま手に包んだカップをぼんやり眺めたままだった。

部屋に戻れば、隅の寝床に屯っていた子虎たちが起きあがって足元を取り囲む。
二匹を抱き上げて、残りを軽く撫でてから行李から着替えを取り出した。少し遅くなってしまったが、湯殿はほぼ二四時間利用可能だから問題はない。二匹を抱き上げたまま部屋を出ようとすれば、残りの三匹はまた大人しく寝床に戻っていった。他の同位体のものより聞き分けがいい虎達は、扱いやすくて助かる。
「あ」
「ああ」
脱衣所に入ると、三振り目の僕と後藤兄さんがいた。
「よっ。今からか?」
「はい、ちょっと大和守さんとお話してたので」
二人はもう出てきたところらしい。着替えもそこそこに、わらわらと逃げ出そうとする五匹の濡れた子虎達を、手元でどうにか集めながら拭いていた。僕はそこから少し離れた棚籠に着替えを置き、自分の連れてきた二匹の子虎達を先に浴室に放す。洗い場や浴槽にはピーク時より少ないが、いくつかの影があったので大丈夫だろう。
「五虎、他の虎は?」
「今日は非番だったので、あの子たちだけで大丈夫です」
「そっか」
くしゅん、とはじける三振り目のくしゃみを聞きながら、自分の服を脱ぐ。効率は、大事だ。三振り目の僕も今日は非番だったはずだけれど、全頭洗う必要があるなんて庭で泥遊びでもしたのだろうか。ふと大和守さんとの会話を思い出したけれど、あの子虎達がなぜ丸洗いをされていたのかなんて、やっぱり微塵も分からなかった。

簡単に身を清めて、部屋に虎を戻した。
もう日付も変わろうとしている時間では、居住棟は静けさに覆われている。
まだ広間の方には夕食からだらだらと飲み会に縺れ込んでいる方たちもいるだろうけれど、そちらに混ざる気はなかった。
一時まとっていた浴衣を脱いで、戦装束に着替える。
自分の本体もしっかりと腰に携えて、起きようとする子虎達を撫でて寝かしつけ直してから部屋を抜け出た。
通りかかった部屋の中からひそひそとはしゃぐ声が聞こえる。
いち兄と兄弟たちだ、と思い当って、一層気配を潜めてすり抜けた。いち兄に見つかると、すぐに一緒に寝ようと駄々をこねるから困るのだ。
居住区を抜けて、玄関ではなくウッドデッキから庭に下りる。シンと暗い夜闇と、風に揺らぐ草葉の音。その中をぬらりと泳ぐような気配を追い掛けて、「こんばんは」と声をかけた。
「ああ」
「やあ」
「今宵を僕と楽しみたいのかな?」
「歓迎するとも……夜警のことだよ?」
「はい、よろしくお願いします」
相似の二振りが、にっかりと僕を見て笑う。折りを見て眠りを求めない青江さん達と夜を明かすのが、僕のひそかな楽しみになったのは顕現からそう経たない頃だった。

「眠る、というのは、案外難しいものだよねえ」
月明かりも乏しい屋根の上は、奈落の海の上に立っているようだ。
「難しい、ですか」
「君は違ったかな?僕にはどうもやり方が上手く掴めなかったんだけど」
「ええと…別に、眠れない訳じゃないんです。お布団も、ぐっすり眠った後の気持ちよさも、好きですけど」
必要性があまり分からないだけだ、と続けるのは止めた。金色の目がじいと闇の奥、森の遠くを眺めているのを鑑賞する。僕が来たからと反対側を見に離れた方が、一振り目の青江さん。僕とお喋りをしてくれているのが、二振り目の青江さんだ。
最近一振り目の青江さんが修行に出るまでは酷く見分けがつきにくかった彼らも、今は一目で違いが分かる。
「…青江さん達は、テレパシー、使えそうですね」
「え?」
また頭をよぎったあの会話が、口からまろび出ていた。一つきりの金色が僕を見て、斜めに傾いだ緑に良く映えた赤が、ちらちらと髪の奥から困惑を伝える。
「大和守さんに聞かれたんです。複数顕現していると、お互いのことが離れていても伝わっているんじゃないかって」
「…そんな能力はないかなあ」
「はい、ですよね」
頷きながら、やっぱり無いのか、と少しだけ思った事には気付かないようにする。同じ主に仕えている者同士でも、他の本丸の同位体とでも起こらないように、同じ本丸の同位体であっても、そういう混線はないのだ。きっと。
「なんでそんな話になったんだい?」
青江さんの瞳はもう暗闇の方へ戻っていた。僕は件のやり取りをかいつまんで説明しながら、今度はその眼ではなく同じ景色の方に視線を向ける。昼間は誰かが駆けまわっていたり、木陰で昼寝をしていたりするまばらな木立しかない開けた空間だ。今はどこもが濃藍にうずもれて、黒く染まった影だけが見える。
「それで、君は、僕なら互いに繋がっていそうだと思ったのか」
喋り終えて口を噤んでいたら、青江さんがふうん、とポニーテールを揺らす。
「…はい。お二人は、本当によく似ていたので」
「そりゃあ、僕らは同じ刀だからねえ」
背後から溶け出すように出てきた一振り目の青江さんは、思わず僕が振り抜いた本身を難無く受け止めながらにっかりと笑った。
「す、すみません!」
「んふふ…思わず抜いちゃったんだろう?気にしなくていいよ」
「本体のことさ」
二人が何ともないかのように言ってくれるのが幸いで、けれど僕が自身を鞘に戻すまで、青江さんは自分の刀身を仕舞わない。こういう所が、好きだと思う。
「そんなにカタくして…力を抜いていいんだよ?肩のことだね。
別に責めてる訳じゃない、にっかり青江が一つであることは、特に間違ってはいないしね」
「そうそう、僕は僕でいるために、共有を欠かしていないだけだよ」
一振り目さんは二振り目の青江さんに凭れかかる。二つの黄色い目がしなりながら僕を見ている。まるで鏡のような、二振の一刀。
「…僕はあまり、他の僕達とは似ていないと思うんです」
「そうかい?」
「そうかな?」
さらりと、シンメトリーな動き。装束だけが違う相似の二振。
僕達とは違う、僕とは違う。
「同じ、五虎退ですけど。だから、もしかしたら、僕以外ならとか、思ったんです」
「…君は五虎退だよ」
「君も五虎退だ」
「違う事と間違う事は別さ」
「…そうでしょうか」
「君が間違ってる訳じゃない」
そうでしょうか。

そのまま夜を明かして、僕達は解散した。青江さん達は食事をとらないので多分このまま今日の仕事に移るのだろう。僕は夜風を落としに湯殿に寄って、内番着を着込んで朝食に向かう。
途中で三振り目の僕と、一振り目の亀甲さんに行き合って、なんとなく一緒に食堂まで移動する。
「お風呂に行ってたのかい?」
「はい、夕べは夜警についていたので」
「え。と、当番でしたか…?」
「違うんですけど、ちょっと、良く眠れなくって…」
「えっ!?あ、う、どうしましょう、今日、五振り目君、出陣になってたのに…!」
話のうちに慌てだした三振り目に、亀甲さんが首をひねった。僕も同じく傾げかけて、ああと気付く。
「大丈夫です、眠くもないですし、疲労もないですから」
え、とこちらを涙目で見詰めてくる三振り目の瞳は、昨夜見た金色よりもゆらゆらと淡い色をしていて、そこに映る自分が同じ刀なのか分からなくなりそうなほど情を訴える。大丈夫です。もう一度微笑みかけながら念を押して、僕達をぱちぱちと瞬きしながら見ていた亀甲さんの止まった足を促す。
「出陣、二振り目の方達とでしたか?」
まだ心配そうにチラチラとこちらを伺う視線をやんわりと逸らすように質問をした。はい、と頷く声は心配そうで、自分の中には微塵もないはずの懸念が移りそうになる。
僕が所属する二振り目部隊はまだ練度半ばであるから、今日もレベリングなのだろう。最近ようやく夜戦でも怪我が少なくなってきた所だ。部隊には短刀と打刀しかいないから、このまま練度が上がれば周回ももっと楽になってくるはずだ。
「…お休みできるよう、主様に頼みに行きますか?」
全くそんな気はない提案をされて、思わず眉をしかめた。
「大丈夫、ですから」
善意、臆病、優しさ、要らぬ世話、気遣い、同情。
同位体の潤んだ瞳がうるさくて、僕は足の周りでうろちょろしている彼の虎が途端に鬱陶しくなる。僕の虎は、部屋で大人しくしているのに。
大和守さん、青江さん。
やっぱり僕は。
「五虎退くん、五虎退くんはご主人様からご命令を頂戴したんだ。その名誉に応える邪魔をするのは良くないかな。大丈夫、ぼくらのご主人様は何か傷付くことがあればすぐに直してくれるし、君達に無茶をさせたりすることはないよ」
割って入ったのは、さっきまで静かに目を瞬かせていた亀甲さんだった。
「え、あの、でも」
「大丈夫。五虎退くんは五虎退くんが心配なんだね。優しいのはいいことさ。五虎退くんが夜警に励んでいた事実を報告するのは必要かもしれない。ご主人様が五虎退くんの状態を詳らかに存じ上げないままなのは怖いことだしね。
でも、五虎退くん。五虎退くんが頑張りたいと思っているなら、それを受け入れて応援してあげるのもまた優しさだよ。何よりご主人様がそうお望みなんだから!!」
僕の名前が多すぎて、ごちゃごちゃしているとどうでもいい所に思考が飛んだ。
三振り目の僕が、あ、う、とキラキラした笑顔で詰め寄る亀甲さんに気押されている。さっきまで僕に向けられていた涙目は、もうこちらを見ていない。
「あの」
僕が声をかければ、金と銀の二対が振り向く。
「ありがとう、ございます。僕、今から主様の所に行ってみます」
「…ひ、とりで大丈夫、ですか?」
「はい、平気です」
「歌仙君達には遅れるかもしれないと言伝ておくね」
「お願いします」
礼を一つして、僕によじ登ってきていた子虎を三振り目に返して、角を別れる。

僕が五虎退だ、と識ったのは意識が宿ったその時で、だから五虎退について、僕は何も知らなかった。

考える、という行為をする。戦う、という行為をする。言葉を紡ぐ、という行為をする。想いを交わす、という行為をする。
僕がいて、僕ではない僕がいて、並んで、同じで、比べて、違って。
顕現された本丸には、僕以外にも四振りの僕がいた。僕が彼らと同じ五虎退なのか、僕はたまに分からなくなる。
五虎退は甘えたで、五虎退は弱くて、五虎退は泣き虫で、五虎退はふわふわしていて、そんな、それは、僕で、僕ではなくて、僕は違うから。

僕は、分からない。

5/6ページ