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ごこたいごふり(再録)/五虎退



「僕は、一振り目の僕が、たまに怖いです」
あの、五虎退をあるじさまに信頼させるに至った一振りが。
「三振り目の僕や四振り目の僕、五振り目の僕が怖いです」
僕を追い抜いていくかもしれない三振りが。
僕を薄める三振りが。
僕を下敷きに喚び出された三振りが。
「五虎退であることが、怖いです」
それだけが僕の価値かもしれないと思うから。
普通というのは難しいものだと思う。
怖がりで、泣き虫で、引っ込み思案で、あまり前に立って戦えるような雄々しい性格ではなくて。
それが普通だったとして。
でもこの閉じた空間で、僕と同じ「五虎退」が。
普通ではない「五虎退」が沢山いるとなったなら。
やっぱりおかしいのは、僕なんじゃないんだろうか。


岐路 白 おぼろ


「ッひっ…ぐ、」
止めようとしても喉を遡ってくるしゃくりは続いて、僕はぼろぼろと零れる涙で濡れてしまった顔を両手で覆う。暗く狭くなった視界を瞼を閉じもう一段階遮断した。どうして僕は、こんなにも、弱いんだろう。
自分の脚が震えているのが分かる。情けない泣き声が聞こえる。手のひらに収まらなくなった涙が腕を伝って落ちる。なんで、なんで、なんで。
悔しいのに溢れるものは止められなくて、しゃがみ込んでしまう僕の背中に優しい手が触れた。
「五虎退」
加州さんの声だった。
「あるじが心配してたよ。もどろ」
かけられる声は穏やかで、僕の目からさらに雫が落ちていく。立ち上がれず丸まったままの僕を抱え上げて、加州さんは迷いなく歩き出した。規則正しい足音と、呼応して僕の背を叩く掌。
「っく、う、うぅ…」
「あんまり泣くと手入れ部屋に入れられちゃうよ」
「うっ…、ふぐ、うぅ、っく、ひぐッ…」
「大丈夫だって、大丈夫」
僕を抱き締める体はあたたかくて、優しくて。
「ひぐっ…ふぇ、え……!」


もとはと言えば、僕が戦闘中に竦んでしまったせいだった。
政府の用意したいべんとは、新しい兄弟を迎えるためにも参加が必要で、いつもはあまり積極的に戦に向かわれない主様も僕達や兄弟に「頑張ろうね」と言ってくれていて。
だからその編成に、まだ練度も半端な僕が組み入れられることはおかしなことでもなかったのに。
「う、く、暗い…です」
「そうかあ?夜戦よりは明りもあるし、潜む場所も少ないから気楽だろ?」
「ああ、広さも問題ない。これなら俺も十分に腕を揮えるだろう」
ポロリと漏らした弱音が聞き咎められて、思わず腕の中にいる虎くんをぎゅうと抱きしめた。
掘削したままの土壁に支えの柱を組んで、ところどころに篝火を置いてあるだけの道中は、不安定な明るさがそこかしこに揺らぐ暗がりを作っているし、そこを通る僕達の影もずっとゆらゆらと伸び縮みして自分で動いているようだし、どこからか水滴が落ちる音やカラカラと土くれが崩れるような音が響いてくる。
道の先が、見えないとか。戦うのに、支障があるとかでは、ないんだけど。
「うう…」
隊長として、先頭で敵影を探すのに目をこらさなければいけないというのも、気が重くて、止まりそうになる足を後ろの皆の声に押し出されるようにして進む。
暗がりは黒を伸ばした粗い青色で、そこにふいに、赤くて重たい火が灯る。
「ッ敵です!」
潜めた声でも皆には良く伝わり、一気に戦闘態勢に入った。

大太刀の一薙ぎを潜ってかわし、折った足に力を込めて飛び込んだ胸に刃を突き刺す。骨に当たらないように、肉が巻く前に蹴り離れて空に出て、着地態勢を整えながら状況把握に目を渡らせる。脇差一振撃破、打刀二振中傷と重傷、槍はまだ、もう一振、何処に居る。剣戟の音はしている、誰かが戦ってくれている。ならばそちらは任せよう、目の端で大太刀が消えていくのが見える。降りたら踏み込んで次は槍を。速さならばここでは僕が一番優れているのだから。
踏み固めた土の感触を捉えて瞬時に跳ね、ぎらりとおぞましいそれに向き合う。振られる柄も、刃も見える。大丈夫。大丈夫僕はやれる。帽子の縁をかする淀んだ銀色はこの頭を射止められなかった、こちらの番。握り直した柄が温い、眉間、頤、首筋、胸元、どこでもいける。大丈夫。僕は、できる。
「五虎退!」
確実に。慎重に。狙い通りに刃を通した。間近になった焦点の分からない目が、それでも忌々しげに僕を睨んでいるのが分かって一瞬目を見張った。後ろからかけられた声は僕を呼んでいて、そちらを見るのも一瞬遅れた。いいや、振り向く必要はなかった、戦の途中に呼ばれる意味なんて限られている、考えるまでもなく避けることが必要で、僕の体は何故か強張ってそれが出来なかった。
「っちィ!」
キン、と弾く音と苛立った声と布が裂ける音は重なって聞こえて、振り抜いた本体を構え直す前に足の裏が地面につく。
「   !!」
誰かが誰かを呼ぶ声がして、その向こうで解ける敵がいて、慌てて走り寄る音と、霧散した緊迫感と、僕は怪我をしていないのに近くで血の臭いがしていた。もう赤い光はない、威嚇を止めた虎くんが足もとでキュウと鳴いて、僕は震え始めた手から本体を落とさないように握り直し息をのむ。
「ってェ…けど、大丈夫」
「良かった」
「ああ、なんてことはなさそうだ、行けるか?」
「当然!」
立ちあがったその脇腹に、血がにじんでいた。見てはいないけれど分かる。振り向いて見えた消えかけの脇差は僕が把握しきれなかった個体で、誰かに無責任に任せたつもりでいた敵で、それが僕を狙って、それを止めるために、僕の為に、僕のせいで!
「隊長、大丈夫か?」
「きっ…帰還、します」
「え?」
「帰還しますっ!あるじさま、帰城、呼びもどしてっ、くださいッ…!!」


「ごーこ、落ち着きな。ほら」
主様の部屋に着いても、僕はまだ涙を止められずにいた。
加州さんはそんな僕を腕の中に入れたまま、優しく背中を撫でてくれる。
ぼくの、せいで。
鋭く僕に届いた声と、裂けた服と、赤い血が真っ暗なはずの眼裏にちらついた。
軽傷にもなっていない、他の誰も怪我していない、皆まだいけると思っていて、僕だってそれは分かっていたのに。
僕のせい。
僕がちゃんと出来なかったせいで。
怪我も、撤退も、ぜんぶ、僕の。
「五虎退」
「っう、ぼ、ぼくがっ…うぅッ……」
「…よし、とりあえず隊長入れ替えてもう一回出陣させようか。ごこちゃん、もう手入れも皆済んだし、誰もごこちゃんのせいとか思ってないから。一人で二振りも倒して頑張ったね?誉だよ、大丈夫だから。
落ち着くまでゆっくりしてていいから。落ち着いたら、一応また報告と、時間あったら出陣もしてもらうと思うから、よろしくね。
かしゅ、よろしく。ちょっと伝えてくる」
待ってください、と言いたいのに僕の喉は詰まるばかり、出そうとした言葉はひときわ情けない泣き声になってしまって、主様の足音は遠ざかってしまった。
「うぅ、っふえ、えええ…うえ…ッうあああっ…!」
「…ごこ。ほら、もういいからさあ。んー、そろそろ水とか飲んでほしいんだけど…喉渇いたでしょ?」
加州さんの心遣いが辛かった。僕のせいなのに、僕はここで甘やかされていることが悲しくて、皆に迷惑をかけることしかできない自分が本当に嫌になってしまって、なのに、誰も僕を責めないから。
「…五虎?」
ああ、僕は、僕は弱くて、何も出来ない、お荷物になるばかりで、頑張ってみても、本当に、なんのお役にも、
「五虎退!」
ぱん、と乾いた音がして、真っ暗な世界が、真っ暗な意識にころんだ。


「このごこたい、しりょぶかいのはいいですが、おもいこみやすいのがたまにきずですね」
「僕より周りを見るのが上手いので、もうちょっと落ち着けば、もっと練度も伸びると思うんですけど…」
目を開けると、ぼんやりと明るい天井が見えた。
「お?起きたみたいだぜ。大丈夫か?」
貞くんに顔を覗きこまれて慌てて起きる。起きる?僕はいつの間にか、布団に寝かされていたらしい。
僕の部屋ではなかったけれど、居住区の空き室らしいそこには数振の短刀が気ままに集まっているようで、起き上った僕におはよう、大丈夫?水飲むか?などと声をかけてくれた。
寝起きだからか頭が上手く回らない。口ごもる僕の手にコップを一つ握らせたのは二振目の僕で、僕に登ってくる虎くんを下ろしてくれているのは四振目の僕だった。
「と、とりあえず、お水です。飲んでください」
ちゃぷん、と揺れる水面を見れば、口の中がかさついているのが分かった。こくりと動かした喉がひきつって、渇いている、と理解する。常温にぬるんだグラスと、ただの水。それが胃に落ちていくのが気持ちいい。口の端から少し零れるのもそのままに渡された一杯を全て飲み干す。
「っふぁ…」
「落ち着きましたか?」
にこ、と小さく目を細めた二振目の僕は、頷く僕のグラスに動かさないでくださいね、ともう一杯中身を注いでくれた。それを半分ほど口に納めて、一息つく。
「おまえ、ようすをおかしくしてかしゅうにおとされたのはおぼえてますか?」
「い、いまつる君…」
二振目君の大きな虎の背に寝そべったいまつる君が、僕をじっと見て訊いた。
枕にされているのは四振目の僕の虎くんで、四振り目君は心配そうに僕とその虎くんを交互に見ている。
「…覚えて、ません」
「そう」
ひんやりとした声だと思った。叱られる、と感じた。だけど予想に反して、いまつる君はそれで言及を止めた。「みんな、そろそろへやにもどりなさい!」指示する声は僕に向いたものではなくて、僕は退出まぎわにそれぞれから貰う一言に頷くことに気がそれる。三振の僕達を残し、戸を閉めようとするいまつる君が、「ごこたい、おまえのかちは、おまえがきめるものではありません」と言うのがとりあえずの最後だった。

「…あるじさま、心配してました」
「うん、僕も、びっくりしました」
残った僕達は、お互い困ったように一度だけ視線を交わして、それぞれの虎くんを抱きしめて座り直す。
「す、すみません…」
「本当に、もう落ち着いた…みたいですね?」
「…僕のせいで、迷惑、でしたよね」
「う…あの、でも気にすること、ないと思います。大丈夫です」
「そう、かなあ…」
はあ、と溜息が出た。
おかしくなったというのがどういう意味なのかは本当に覚えていない。でも、加州さんに縋ってしまっていたのは覚えていて恥ずかしさがちりちりと胸を焼いている。
涙は止まった。落ち着いた、けど。思い返すたび、やっぱり嫌だな、と思ってしまう。怖がりなところも、泣き虫なところも、雄々しく戦うのには向かない性格であってしまうことも。それに、それで、誰かに迷惑をかけてしまう所が、何よりも。
「大丈夫、ですから」
困ったように僕を窺う二振りが、僕より上の練度なのを知っていた。僕と一緒に顕現された四振目君が、僕が苦手な隊長を難無くこなしていることも。僕と同じくらい泣き虫だってからかわれる二振目君が、それでも極めて一振目君を追い掛け続けていることも。
「僕は…」
寄り添ってくれる僕達が温かくて苦しい。励ましてくれる加州さん達が優しくて苦しい。上手くやれない自分が不甲斐なくて、悔しい。
大丈夫ですよ、と繰り返す声に、返事が出来なかった。
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