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ごこたいごふり(再録)/五虎退

主様は五虎退が好きだ。

「主様」
内番の終了を告げに執務室へ入れば、主様はいなかった。入室の許可を出した加州さんがどうしたの、と用件を聞いてくれる。
「あ、朝の畑当番、終わりました」
「そ?ありがと」
爪紅を直していたらしく、反射的に僕の頭に伸ばそうと浮きかけた手は困ったような表情と一緒に机に戻された。あるじ、今日は多分出てこないよ。と伝達が通って、わかりましたと頷き返す。
「俺も今日は此処にいるから」
「はい、歌仙さんに伝えておきます」
ありがと。と再びお礼を貰って退室する。
歌仙さんに伝言しようと厨に向かう道すがら、二振目と三振目の僕とすれ違ったので先に周知をお願いした。頷いた僕たちは、目配せをして散っていく。

主様は五虎退が好きだ。
僕たちは本丸内で最多顕現の五振を数え、練度も皆優先して上げられる。
僕は本丸で初めて修行に出させてもらい、今は一番高練度の男士として事あるごとに先鋒を任される。
主様は五虎退という刀剣男士が好きだ。
けれど、主様の腹心は加州さんだ。

この本丸に喚ばれたのは六番目。
目の前に立つ主様は僕の挨拶を受け取ると、会話もそこそこにすぐに他の刀を喚んでいたのを覚えている。
僕がきちんと主様の視界に入るようになったのはそれから半年もしたころだ。主様は僕がまだその意識に名も残せていなかった半年、最初と途中に一度づつ複数の男士を顕現させて、それ以外の時間を全て加州さんと二人で過ごされていた。
半年の後、個人棟から出てきた主様はすぐに交流と任務をなさるようになったけれど、その空白期間の出来事を、いまだにお二人以外で知る者はいない。
主様が自室に籠られた後、僕たちをまず取り仕切ったのはいまつる君。途中の連続顕現あとから生活を形にしたのは歌仙さん。
戻られた主様が特の寵に選んだのが、僕を始めとした第一部隊の皆さんだ。
光栄なことだとは思っている。見合うように頑張るつもりもある。それでも、僕という短刀を特に重用する主様を奇特な人だと、思わない訳ではない。

厨で歌仙さんに加州さんからの報告を述べれば、端正な顔立ちがくしゃりと歪んで溜息が吐かれた。
「仕方ないね。それなら今日はこちらの編成で行こう。長谷部に拡大してもらって、掲示板にお願い出来るかい?」
「はい」
手渡された用紙を受け取って、長谷部さんはどこにいるかちょっとだけ思案する。もうすぐ朝餉の時間になる。洗面所か、自室か。昨日出された一覧では、長谷部さんは何の当番にもなっていなかった。ならどちらにせよそこまで探す場所は多くないと思う。
歌仙さんの後ろでてきぱきと準備をしている蜻蛉切さんとソハヤさんは手慣れた様子で、室内にはとってもいい匂いが充満していた。鯵の干物と、あのお味噌汁の中身は薩摩芋と小松菜だろうか。
「駄賃に蜻蛉切の玉子焼きを取っておいてあげるから、頼む」
少しぼうっとしていると、背中を叩いて促される。一礼して厨を辞せば、もう広間に数人が顔を出していた。
「おはよう五虎退」
「おはようございます。あの、長谷部さんを見ませんでしたか?」
「長谷部?うーん、見ていないかな」
いつも早起きして身嗜みもきちりと整えている蜂須賀さんは、皆の座布団を準備してくれていた。本当なら手伝いたい所だけれど、出来れば朝餉の前に掲示を済ませてしまいたい。
蜂須賀さんが僕の手にある編成表をちらりと見て、今日の主はお休みか、と呟く。透ける手蹟は歌仙さんの見事なものだから、主様の指示ではないとすぐ知れたのだろう。僕もただ頷いて肯定した。主様が籠られるのは珍しいことではない、特に僕たちのように初期の事を知っていれば特に。
「加州さんが執務室にいたので、何かあれば対応はして頂けると思います」
一応そう伝えれば、蜂須賀さんはそうか、とふんわり笑って作業に戻った。

「では、生活をしようか」
あの日、歌仙さんがそういった時、僕たちはみんな首を傾げた。
鍛刀部屋から何となしに広間へ移動したのは当時本丸にいたほぼ全振りで、主様と加州さんはもう執務室の奥に姿を隠された後だった。それまでの数カ月であれば、あとは自己紹介だけして、各々好きなように過ごすだけの筈で。
あのころ自分が何をしていたのか、正直に言えば余り覚えていない。本身を揮う事もなく、誰に仕える訳でもなく。そんなあいまいな存在で、多分自我を持つ必要もまだなかったから。
けれど歌仙さんは、「生活をする」と言った。
きょとんとしている僕らに矢継ぎ早に齎されたのは、まるでヒトのような日常。身繕い、食事、睡眠、湯あみとそれに伴う準備、清掃、当番といった割り振り、習慣。
生活、というのは目紛しいものだというのが、最初の印象で、その次がなんだか楽しいという印象で。主様も加州さんもいない本丸は、けれどとても和やかで、出陣したいという人たちもいたけれど、僕はただヒトのような「暮らし」をそれなりに幸せに過ごしていた。

廊下に出て近場の洗面所を覗きながら居住棟まで小走りに移動する。朝餉の時間が近付いていることもあり、身支度をしていたり、広間へ向かう人たちも多かったけれど長谷部さんはいなかった。
沢山の襖や障子が並ぶ中、少し奥まった場所に長谷部さんの部屋がある。障子の桟を叩いて在室を問うと、入っていいぞと中から声がした。
「失礼します」
言われた通り戸を開けば調った服装で文机に向かう姿がすぐに目に入った。つやりとした机の上で、画面を睨んだまま盤を叩く指先の動きが鮮やかだ。
「歌仙さんから、拡大こぴーを頼まれました」
たん、と軽い音を最後に手が停まり、表情の薄い顔がこちらを向く。無言で差し出された掌に告げ書きを乗せればサッと一瞥ののち少し待て、と指示が出る。立ち上がり壁際に設置された据え置き機を動かし始める動きに迷いはない。
耳慣れない作動音がする中、僕は入り口近くに立ったままぼうっと長谷部さんが作業を進める背中を見ていた。
「主は本日どのような様子だった」
がーっ、ぴぴ。
機械が唸る手前で、長谷部さんがこちらを見ずに言う。僕は歌仙さんに応えたのと同じように返答し口を噤む。長谷部さんもそうか、と一言了承しただけで終わった。
「出来たぞ」
「ありがとう、ございます」
手渡された紙は刷り上がったばかりでほのかに温かい一枚だけで、僕は首を傾げる。
「原本は俺が提出してくる。お前はそれを掲示し終わったら朝餉に行っていい」
「あ、はい…」
繰り返し礼を言って、僕はそのまま部屋を出た。

長谷部さんは、主様達が部屋から出てきてすぐにやってきた刀だ。
生活については歌仙さんが取り仕切っていたけれど、任務や活動を始めるに従って増えた雑事を一手に引き受けて今も毎日忙しそうにしている。
ちょっとつっけんどんで規則に厳しい所はあるけれど、それでもそれ以上に職務という形で助けてくれて、気遣ってくれて、心配してくれるのを僕達は知っていた。だから、みんな長谷部さんを慕っていて。

玄関を入ってすぐ、広間に続く娯楽室の横に掲示板は設置されている。僕の胸のあたりまである棚の上にあるので、一人で貼り付けるためには棚に登る必要があった。
「おや、何をしているんですか?」
手にしていた紙を跳んだ拍子に握りつぶさないよう天板に置いていると、通りかかった二人組が足を止めて声をかけてくる。
すらりとした縦長い立ち姿は似ているけれど、宗三さんと太郎さんの並びは彩色差が際立つ、と詮無いことが頭を過った。今日の編成表です。端的に応えれば、ゆったりと近付いてきていた二人が巻紙を広げて中を覗く。
「おや、僕が隊長ですか」
「私は…ありませんね、それでは祈祷部屋の掃除でもしましょうか」
僕の頭の上で傘のように広げられた表の上から、声がのんびりと降ってくる。透けて見える反転した文字の中には、僕達のうち二振目と五振目だけが編成されているようだった。
「あの、それ。今から貼る所で…」
「ああ…なるほど。太郎、そちらの角に合わせてください。五虎退、留めピンはありますね?」
「え?」
「この辺りで良いでしょうか」
「もう少し下…その辺りで」
返してください、という前に、手に持っていた画鋲も攫われて仕事が終わった。ありがとうございます。投げた礼に、宗三さんは口元に袖を寄せ、気まぐれですよ。と目を撓めて僕の頭を撫でた。
「今日のメニューは何でしょうねえ」
「今朝は蜻蛉切殿が居たはずですが」
「おや、では急がなければ」
流れのままに背を押されて、三人で広間に入る。半数ほどが既に顔を見せていて、配膳の順路に伸びる列も、詰まりで進みがやや遅い。

宗三さんと太郎さんは、僕と同じ第一部隊に所属している。
基本的にお互い静かで周りを気にしない気性だからか、連れ立っている所を見ることはたまにあって、そこに小夜君や次郎さんが一緒に居ることも多い。
二人もまた、複数顕現されている刀の一部だ。
宗三さんは極めた後にもう一振、太郎さんは大太刀という戦力として他に二振。
第一部隊は、今全員が自身の二振目を顕現されている。

「お使い御苦労、ちゃんと掲示出来たかい?」
膳を取って列に並んでいれば、歌仙さんが声をかけてくれた。
優しく微笑む手には、先刻の約束通り蜻蛉切さんの作った玉子焼きが一皿用意されている。
「あの、お二人が手伝ってくれました」
僕と一緒に並んでいた宗三さんと太郎さんがこちらを見て、歌仙さんの持ち物に気付いて瞬きをした。
「五虎退」
ぱす、と少しだけ潜めた調子で頭に歌仙さんの手刀が落ちて、追いかけるように溜息も一つ。
「すみません…」
「仕方ない…そら、膳を出したまえ。一切れだけだからね」
少しだけ、わざと声に出した僕のお願い通り、いそいそと寄ってきていた二人にも玉子焼きが用意される。歌仙さんは優しいから、多分長谷部さんの分も玉子焼きを取り置いてくれているだろうと僕は思う。

歌仙さんと、長谷部さん、それといまつる君。
三人が、この本丸を取りまわしていることを知らない男士はいない。
主様はたびたび部屋から出てこなくなり、加州さんはそれを咎めることも他の人たちを動かすこともしない。
僕達の主様は確かにあの人ではあるけれど、あの人がいなくてもこの本丸は機能する。

膳と膳の合間を見つけて、席に着く。左隣は石切丸さんで、右隣は四振目の僕だった。
「おはようございます」
「おはようございます」
僕と同じ顔と挨拶をして、頂きますの号令まで少し話す。
今日は、僕達非番です。じゃあ畑を見に行こうかな。新しい苗が通販にあったらしいよ。そういえば、今月の新刊をまだ見てなかった。
パン、と大きな柏手が響いて、全員がそちらを向く。
歌仙さんが広間を見まわし、全員集まっていることを確認して連絡事項を告げ出した。

主様がいなくても機能するこの本丸は、きっと僕がいなくても、僕達がいなくても、第一部隊の全員がいなくても機能する。

お皿とお膳を片付けて、僕は図書館に繋がる扉をくぐる。
カウンターには日向君が座っていて、僕を見るとにこりと笑って手を振ってくれた。僕は会釈を返して、執務室に続く戸を開ける。
「あのう、五虎退です」
「入っていーよ」
中から加州さんの声がする。

今はもう大して思い出せないあの半年間、誰かがここに来たことはあったのだろうか。
主様がいなくても僕たちはずっと存在していたし、僕達が側にいなくても主様は何も言わなかった。
主様が愛でるのは僕達だけれど、主様が必要とするのは加州さんで、この本丸を動かしているのはいまつる君達で。
絶対に必要な結びつきというものが、何を指すのか僕にはわからない。

「何かあった?」
爪はもう乾いたらしい。僕の頭をくしゃりと撫でて、加州さんはじっと目を覗きこんでくる。
「あの」
「うん」
「…僕も、ここに居ていいですか」
ぱちぱちと、飴玉みたいに綺麗な赤い瞳が瞬きに見え隠れする。
「…さっきも言ったけど、あるじ、多分今日は出てこないから何もすることないよ?」
「い、いいんです。あの、僕も今日なにも当番に入ってないので、」
「…そう」
加州さんが、また僕の髪に指をくぐらせて、今度はぽんぽんと軽く叩くように触れる。
「いいよ、ごこも物好きだね。何か飲む?淹れたげる」
答えは優しい声をしていた。
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