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刀/メンヘラ本丸

夜中に目を覚ますことが増えた。半開きのまぶたの下、則宗は見えない天井を仰ぎながらそう思う。
目が覚めるのはたいていまだ夜中にあたる時分だろう。一々時刻を確かめはしないが、静まり返った廊下の様子や、すぐ寝直せばしばらく眠れる辺りだからおそらく合っている。閨をあてがわれる際、窓がない部屋を選んだから明るさではわからないが。
こういう時には往々にして体の芯に足りないものがあるような、心地があった。
のどの渇き。空腹感。寒さ。寝苦しさ。空気の乾燥。ふとした断眠の要因は、図書館で調べれば沢山あるらしいと知れた。どれもぴんとは来なかった。人の身は政府時代より緻に整えられよく動くようになったと確信しているし、部屋や床もまめで世話焼きな面々が他刃の分まで気を配って回っている。
だからこれは、己の心のせいだと則宗は分かっているが、知らないふりをする。
目覚めたときに。自分の手が隣に並ぶ熱を探すのも、余分な寝息が聞こえず静かすぎると思うのも、泥のように眠るには疲れが足りぬと感じるのも、どろりと己に混じる異種の神気がなく淋しいのも。

目を閉じる。

眼裏は部屋の闇とさほど変わらない闇色をしている。太刀の性能限界を越えた深さだ。
寝なければ明日が辛い。じじいじじいと自称はしても、早起きは好きでなかった。最近は朝食に顔を出さないと一家の輩がうるさいから、どうにか間に合う程度に起きている。配属すぐのころはそんなことも無かったのに、いつからか飯にしろ風呂にしろ、不精をすればすぐに声がかかるようになった。一挙一動が筒抜けでなんとも参る。これではどちらが観察している側なのか。ああ、おそらく初期刀殿に見咎められてから。

止めよう。

わざと寝返りを一つ。左側を下にすれば、髪が剥がれて露わになった目のあたりが寒い。ぴくりと瞼が痙攣した。
ぎょろぎょろと目玉を動かしても、瞑ったままの視界は変わりない。それでも頭にちらつく赤いひらめきのかけらから意識をそらすには多少貢献した。意識してしまっている時点で黒星なのは承知の上だ。負けばかりが込む。そうだ、勝てたことなど一度もない。たとえ経験値を、修行前の中では誰より積ませてもらっていても。
布団を鼻下まで引き上げ、被り直す。呼気が熱と湿り気を首元に伝えた。
眠れないなりに努力はしようと、めくるめく思考を無理矢理停めて羊を数えた。羊がいっぴき。羊がにひき。このやり方を教えてくれたのは、桃色のわたあめ頭をした短刀だ。
横から英語の方がいいらしいと合いの手を入れたのは亀連れの脇差で、自己暗示や催眠術のようなものだと解説を始めたのは眼鏡の元政府刀。
羊がさんびき。羊がよんひき。
わいわいと賑やかな思い出を頭の隅に眺めながら、座敷に並べられた、愛らしい羊の絵を思い返す。
とらくん達みたいに白くて。鵺みたいにもこもこで。きつねと違って好物は草で。
羊がごひき。羊がろっぴき。
通り掛かりの聞きかじりで、えっ何?ジンギスカンでもする?と言い出した審神者に、和気藹々とした空気が一瞬にして壊された。
羊がななひき。羊がはっぴき。
まあ、結局本当にその日の夕飯は羊肉が饗されたのだが。
羊がきゅう、
「菊」
ガタリと襖が揺れる音と同時に、大きくはないが遠慮もない声がかかる。
とすとす、軽い足音は淀みなく枕元へ近付いて、小さな衣擦れを伴い気配が降りてくる。
「寝て……ないな」
確信を持った声はそれでも独り言となる。
「……狸じじい」
急激に引きつりを起こしそうな目蓋を宥めながら、前髪と額を撫でられるのを耐えた。笑いを滲ませたからかいにも沈黙で返す。
枕に乗せていた頬を、掬い包まれて。横たえていた状態から強引に上を向かされた唇に、柔らかく肉と吐息が重なる。
乾いたはだの質感。
開くのも閉じるのもしなければ、舌先が歯列を割る。頬伝いに顎を掴んだ掌は力強く、噛み締める拒絶を許さない。ぬるりと垂れ入ってくる唾液が、湧いた唾液と混ざった。絶え間を寄越さぬまま舐め回しながらはみしだく動きに息の調子がとれず、鼻から上擦りが漏れる。いつの間にやら布団の中の手は敷布を握り締めていた。

ああ、暑い。

全身に回る熱と湿りけに恥入る。特段にくちがあつい。噛み砕いて終わりにしてしまいたい。溢れる体液をかいほうしたい。てつのにおいではない。塩辛さもない。ぬめるだけの体液。
目蓋の裏は闇色のままだが、きっと、薄い皮一枚向こうには真っ赤な宝玉がこちらを見据えている。それを厭うて、正直に言えば、とても怖くて、やはり瞳を覆わせたままにする。
ちゅうちゅうと、菓子のように玩具のようにねぶられて。腫れ上がるような気さえして。下唇を一段とひどく噛まれて敵の体温は離れる。
口の中に溜まった唾液は、息ができないほど。息が詰まり飲み下して、訳もなく罪悪感を覚えた。
「……おやすみ」
返答を待たずに犯人は去った。襖が閉じきり、混ぜっ返された空気の流れがまた静まってから、則宗は半乾きに引きつる生臭い口周りを寝間着で拭う。
それでも、咥内には自前でない分泌物の気配が主張する。
はあ、とぎこちない吐息を、口をひらいて吐いた。あつい。吸った息に相手の香りがした。
己は、加州清光に、勝てない。

いちねん。

観察官とは名ばかりの日々であった。
あっという間に手籠めにされ、いいように振り回されて。
本当に、負けばかりが込む。それでも肩書きは手放せない。
年月の残酷さを、人々の日進月歩を、負って自分は一文字則宗としてここにいる。求められた成果と、与えられた役割がある。だから、弱音を吐くわけにはいかない。唯々諾々とはいられない。
それでも、刀も六年、人真似をすればあれほど変わるのだと突きつけられて怯えないほど無垢ではない。既にひととせを本丸で過ごし、自身が変わった自覚もあった。
たとえば、延髄を撫でる他者の手を心底快く感じるようになったり。たとえば、ただの観葉植物の一株が枯れることを酷く惜しむようになったり。
ーーーー恋刀は笑うだろうが。

熱を沸かされた身体は徒労もあって重い。もう瞼は開こうにもあがらない。ねつれつれんあいだとかなんだとか、ばからしいせりふもあったようなきがしたが、だれがいったかおもいだすまえに、しこうはねむけに、ごまかしをまじえてのまれてきえた。


write2022/1/10
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