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刀/メンヘラ本丸

「どこかに行きたいの?」
そう尋ねた声は酷くどうでもよさそうだった。

雪の白地に鮮やかな赤、艶りとした深緑。目に突き刺さる金色をして、咲き誇る寒椿。
そのただ中。上着は羽織ったとはいえごく室内着で立ち竦む背中へ、声が尋ねる。
「どこかに行きたいの?」
雪に埋もれた足先は裸足だった。この人間は、手足が覆われることをいやに避けたがる。
「どこに行きたいの」
雪がちらほらと舞い続けていた。
いつからこの寒空に晒されているのか、うっすらと濡れた上半身が、小刻みに震えている。
「どこに行きたいの」
廊下から、ふらりと下りてしまったのだろう。沓脱石もない処から、一条の足跡が続いている。ゆらゆらと、蛇行して、深く積もり自由を奪う雪に膝を折りながら、手を突きながら、身を沈めながら、ゆらゆらと、ゆらゆらゆらと。
「どこに行くの」
反響にも近い声は掠れていた。
「どこに行くの」
重たく灰色がかった空にも似て、けれどまっさらな雪にも似て。
「どこに行けるの」
ざく、と足元で音がして、刀は自分が一歩踏み出していたのを知った。
一歩、踏み出して、そのまま足を止めた。
「どこになら」
人間は、道も池も木も石も草も花も何もかもが覆い隠された果てを眺めて、ただ庭先数歩にまろびただけでも見咎められる己を理解して、何もかも棄てた挙げ句が今だと笑うように雲を吐いて、
「どこにならいてもいい?」
振り返ってけして追いかけてなどくれない、己の刀を見た。

雪の白さの肌に鮮やかな赤い瞳、艶めく緑の黒髪。耳に揺れる金色をして、咲き誇る寒椿。
背後に背負う館は、仄冥い空の下に陰を濃くしのばせる。
「主がいるべきは、ここだよ」
刀が、どうでもよさそうな声のまま、口端だけを歪めて笑う。人間は冷え固まった首を僅かに傾げ、視界の花を眺める。
「ここになら、いてもいいんじゃない」
気怠げに広げた腕が、だから戻れと人間を呼んだ。

《寒椿》


write2019/11/15
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