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刀/メンヘラ本丸

「その鉢どうすんの」
寒風まではいわずとも、風が肌から熱を奪う季節になっていた。行きがかったのは庭の隅、屋敷周りの玉砂利も尽きかけたところ。こんな端で何をしているのか。陽は照っているが風除けになるものも無い中、相変わらずの薄羽織と、裸足に下駄の足元が目に付いた。けれど加州はそれに言及せずに、しゃがみ込む則宗の手元を見やる。
白いプラスチックで出来た安っぽい植木鉢は中が空だ。そういえば、なんか育ててたんだっけ。鶏達から葉を守るため、騒いでいたのを見た気もする。確か今年の始めに、用済みになったものが歌仙から彼へいくつか譲られたのだ。顕現しだちならこういうのを嗜むのも大切だよと。思ったより素直に受け取ったのは見たが、もう一年ちかく、律儀に世話を続けていたのだなと思う。
「どうするかなあ」
問いの主には気付いた筈だ。それでも振り向かずに応えた刀は、手の中でくるりと一度鉢を回すと、地面へそうっと置いた。軽さからか、音はしない。薄汚れた容器のふちを、立ち上がりもしないまま則宗の手が撫でる。購入時についていた正月用の装飾は外して、野外で一年も経ったと思えばまあ、理解できなくもないボロさをしている。何が植わっていたのだったか。まとめてもう数鉢あったはずだが、今ここにあるのは置かれたそれ一つのようだった。
顔に似合わず皺深く筋張った指先へ貼りつく四角い爪は、平べったい。十枚のどれもが悉く真っ黒で、皮膚との間に詰まった土が汚らしい。翻って手の甲は白く、いつもと反転した色味で加州は馴染みの手袋が見当たらないことに漸く気付く。
「初期刀殿は何しに来た?」
訊き返されたのは沈黙を繋ぐためで、特に意味はないのだろうと思った。立ち去らない相手を無視出来ない彼の、ただの場つなぎでしかない言葉だ。
「俺は、主を探しに」
答えてあんたの為じゃないよと心中で付け足す。そんなこときっとどちらも知っていた。だから口には出さない。蛇足だ。
「主?どうして主を?」
次いだ質問にはやっと少しだけ意識が混ざっている。理由に心当たりがないと見えた。ポンコツ観察官めと脳裏で毒づく。
「図書館からいなくなっちゃったんだよね」
「なんだと」
首だけが振り向いた。なんで左側に振り向くのだろう。髪に埋もれて顔は見えないが、焦った声音をしている。
「ああ、大丈夫大丈夫。いつものことだから」
宥める態度がせせら笑いを含むのも仕方あるまい。則宗がここに来て、初めての事態な訳ではなかった。なんなら政府への報告書にだって載っているのではないか。
常に精神が胡乱な審神者は、基本的に縄張りである図書棟へ引きこもって生活しているものの、度々初期刀の目すらかいくぐり遁走を図った。頻度は高くなく本丸外に出ることもないが、塀の中だけでも敷地は広い。捕まえるのは純粋に骨が折れる。なぜかその凶行に行き遭わせがちな宗三が協力してくれればとっくに見つかっているのだろうが、彼は今日、兄弟水入らずで万屋へ出かけている。
いや、本当に捕まえなければまずい場合は短刀を放つなりこんのすけを使うなりやり方はあるのだ。所詮、審神者はただの人間だ。並よりも運動能力は低いし、術が出来る訳でもない。炙り出す方法も、誘き出す方法もいくらでもあった。しかし、今日とて審神者が為すべき急ぎの仕事はなく、今回もただ身を持て余した暇人が一人うろついているだけと収まる話。よって、加州はこれも傍迷惑なコミュニケーションと割り切り、本丸のどこかでうずくまっているだろう巨体を一人のんびり探していたところだった。
「……そうか。早く見付けてやるといい」
まだ僅かに心配の揺らぎを残し、はあと吐息と混ざった呟きが落ちる。結局顔は見えないまま、また頭は鉢の置かれた向きへ戻ってしまった。
緩く俯いた加減の首元から、一房髪を前へ流したうなじがほんの少しだけ見えた。
会話は終わる。風が一迅抜けていった。
「菊」
呼ぶと、ひくりと肩がはねた。
呼び方ひとつで彼の態度が変わるのは、加州がそう躾けたからだ。
戸惑いを滲ませ、緊張して固くなる背中につま先を向ける。まばらに落ちる玉石が、草履の下でジャリンと鳴る。両手で足りるくらいの歩数を踏みしめ躊躇わずに歩み寄り、浮いた尻と地面の間に足を差し込むようにして背後に密着し立つ。
数ヶ月で清しさを増した陽光に透かされる豊かな金色。その下には、まばゆく白い肌がある。
きらめく茂みから覗く、耳の裏側、首筋からこめかみ。緩い襟首の隙間から、ほんのりと背骨に沿う皮膚の隆起が服の中へ続いている。
「冷えるから、アンタもさっさと中に戻りなよ」
加州は己の巻いていたマフラーを外すと、さっと則宗の首へそれを巻き付けた。一巻きでは丈が余るが、襟足で蝶結びしてやれば端も地面に着かないだろう。迷いのない手捌きは断りの余地がない。あっという間で愛らしい布飾りが出来上がる。
先より濃く困惑する雰囲気に、なにやら一回り膨らんだ様子の金の毛束をワシャワシャ混ぜっ返してやると、黙っていた口元から慌てた単音が零れ出してくる。
反撃もしかね、逃げもしかね。甘やかしに目上ぶることもとっさにできないくらい、ヒトをすることが未だ下手くそな状態なのは、きっと政府から押し付けられるがままに務める、バカみたいな職務へしがみついているからだろうと決め付けて苛立ちを抱える。
「あした万屋にでも行く?」
「は」
空から覗き込んで。
額からつむじに掻き上げるように髪を撫でた動きに従い、小作りな顔が上を向く。惜しみなくふる光に一段明るく色を薄めた瞳は、きょとんと大きくまるくて幼い。音の形に半開きの唇から歯列が見えた。細いおとがいを掴んで、つんと筋の通る鼻先に歯を立てる。「あ!?」と一段高く上擦った悲鳴に可笑しさが込み上げた。追い討ちのリップ音はわざと。仕上げに舐めた肌はややかさついていて無味だ。かがめた腰を伸ばし、朝餉の後で玄関ね、と気付けを兼ね頬を叩いて覚えさせる。
バランスを崩して倒れのし掛かってきていた則宗の尻の下から足先を抜いて、加州は元の捜索ルートへ戻ることにする。ま、待て!と言われて待つ道理があるだろうか。ないな。と一人納得して無視した。
転倒の拍子に蹴り上げられた鉢はどこまで転がっただろうか。空だったし、軽い素材はさぞかしよく勢いづいただろう。そうだ、農具小屋に寄っていこうと脳内で道順を訂正した。明日選ぶのが種になるか苗になるかはわからない。どっちにしても土と肥料は本丸に馴染んだ備蓄を使った方がいい。そうすれば、他の花木と同じように、長く美しく育つだろう。
元々入っていたものをどうしたのかなんて知らないが、空の中身は埋めればいいのだ。古ぼけて頼りないあんなものでも、大事にしたいならすればいいと思った。

write2021/11/10
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