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刀/メンヘラ本丸

「どうだ坊主?似合うか?」
「は…………」
爽やかな笑顔に爽やかな出で立ちで眼前に躍り出てきた則宗に、目と言葉と思考をすっかりと奪われて固まった加州は、手にしていたアイスの最後の一口が地面へと溶け落ちるのをギリギリ阻止できずに終わった。

軽装である。
「気軽な格好」ではなく、政府からそう銘打たれた有償の支給品だ。戦装束や内番着と同じく男士ごとに合わせて調整されている特別品。もちろん加州も誂えて貰っている。ねだる前に審神者から押し付けられた。
「なんだ、見惚れて言葉も出んか?」
「バッカ言うなじじい!」
縁側に腰掛ける加州に向かって、庭から沓脱石のそばへひょいひょいと歩み寄ってくる則宗はご機嫌らしい。憎たらしい軽口に、思わずハズレの棒を握ったままの右手を一度薙いだが当たるはずもない。上半身の動きだけでかわされ、カッと滾った怒りが確固たる苛つきに変わる。急激に、さっき肘まで垂れたミルク味がベタベタ鬱陶しくなった。
隣に座るでもなく、ニコニコ立ってこちらを見ている則宗を、加州は腕を舐めながら下から上まで見分する。
いつもの羽織りと似た、よりおおぶりでシンプルな柄の着物に、真逆の配色で落ち着いた雰囲気のたっぷりとしたストールとカンカン帽がハイカラで、ちらりと覗く裏地の赤がモノトーンへアクセントを加えていて色っぽい。かと思えば、菊の根付けと二連のブレスレットに遊び心が見えて全体の印象を軽くしているのも、おちゃめなじじいに良く合っていた。
暗い色合いに挟まれた顔は何時もよりもずっとその綺羅々々しさを引き立たせられ、ちらりと影に覗くはだいろの首元から、すっぽり覆い隠された上半身を下ると、しっかりと重量感のある腰が、それでも対比で細さを感じさせるのにグッとくる。普段隠された手首から指先までのゴツゴツした隆起も、なだらかに露わな尻からふくらはぎに掛けてのラインも、内番着とそうは変わらないはずの足先も、なかなか、正直、悔しいながら、嫌いじゃなかった。
「どうだ?」
則宗の声で、はっと押し黙ってしまっていたことに気付いて加州は引き結んでいた唇を開けた。開けた、が。口腔に入ってくる、昼間の熱を孕んだままの空気をはくりと食むばかりで言葉が上手く出てこない。
ちろりとまた姿をひとなめして、なんとなく乾いた歯を舌先で湿らせた。なんと言ってやればいいか。浮かんでは消える沸き立って落ち着かない感情を腹に留めて思案する。
丸くひらいた口を、緩く閉めたり震わせたりしながら、じっと則宗の目を見やる。見つめ返してくる目が、うつくしい。
いつもの読めない微笑を乗せていた則宗が、言葉を待って二度三度まばたきをし、それからはにかんだように視線をふわつかせると、おもむろに手を顎先に持ち上げてから「あっ」と顔を大きく背けた。
「えっ何?」
零された感嘆詞に加州は夢がさめるごとく声を取り戻した。則宗は小さく帽子のつばを下に引くと、肩をひょいと竦めてみせる。
「……なんでもない。いや、夕方でもまだ暑いな!中に入るか」
「あ、そーね……は?なんで?どこいくの」
「玄関から入るさ」
「え、そっち回りじゃ遠くない?ここから上がんなよ」
きびすを返し、背を見せた則宗に慌てて立ち上がった加州は、縁側のふちからぶら下げていた足を裸足のまま玉砂利に下ろして地面を蹴る。
ジャッと石が飛び散る音を立て、赤い指先がすぐきんいろの尾っぽを捕まえた。機動が違う、当然だ。
背後からの引力に、うわ、と傾ぎかけた身体を後ろからつっかえるように支え込んで、加州は宙に泳いだ則宗の腕を掴む。もしもその場に目撃者がいたならば、ダンスでもしているかに見えたことだろう。ただしここに在るのはふたりきり。則宗は慌てた拍子に下駄を片方数メートル先まですっ飛ばし、二人分の体重がかかり足の裏に焼けた白玉砂利が食い込んだ加州は、寸でで悲鳴を飲み込んだ。
「す、すまん」
「大丈夫?ちゃんと立って」
「ああ……」
肩を組むように支え合って体勢を整えたところで、履き物が吹っ飛んでいることに気付いて片脚立ちから身動きが取れなくなった則宗が、呆けていた顔をくしゃんと嫌そうに歪める。一連の表情があまりに素直で幼子のようだった。
それを振り仰いで見た加州は、はて、首を捻って則宗の頬に手のひらを当てた。
「赤いね」
パッと。弾けるように見開かれた縁取りも豪華な眼が加州を捉える。ふるりとまつげがゆれた。肌を通じて顎に力が入ったのを、火照っていた肌が更に熱を増していくのを感じて加州も悟る。
じゃり、と三本目の裸足のあしが、玉砂利に降りる音がしたが誰もそれを注視するものはいない。
「……ねえ、あのさあ」
「……お前さんが、じろじろ見るからだっ……」
また顎の高さまで半端に結んだ拳を持ち上げて、一瞬長い指をまごつかせてから平手で顔を覆う則宗に、ああ扇子がなかったのね、と加州はストンと理解した。案外、恥ずかしがり屋なのだこのじじいは。
「俺に見せに来たんじゃなかったの」
「気の利いた感想の一つも言えんやつに用はない」
「あんたがあんまりにも綺麗だったから」
「遅いぞ坊主、今更だ」
「なんで?まだいいでしょ。可愛いよ菊、似合ってる」
「もういいと言ってるだろう……!」
顔を隠したままじゃ突き放す文句にも説得力がない。さっきの揉み合いで乱れた髪から濃く色付いた耳がはみ出している。頬へ当てたままの手で目尻からこめかみ、耳朶をなぞって首筋まで撫でてやれば、ヒクンと肩があからさまに揺れた。汗ばんだ肌は、しっとりとやわい。
「それにしたって、なんで今日かな」
顎の下、おとがい、喉仏を擽ってから手を放す。溜め息が漏れた。待っててと帯の結びを叩いただけなのに怯えられるのはさすがに納得がいかない。それでも、下駄を拾って履かせてやる間も、則宗は大人しくしていた。
お面代わりを務めているのと逆側の手をとり、緩く引いてやれば付いてくるから愛らしい。
「あんたさ、今日何の日かわかってる?もしかして、わざと?俺に意地悪?」
しゃりしゃりと、二人分の足音が人気のない庭に響く。陽が急激に落ち始め、さっきまで明るかった空はもう半分以上を紺色に染めた。あそこで涼んでて良かった、と加州は思う。アイスは勿体なかったが、それ以上にいいものが食べられそうだ。ぼんやりと白く浮かび上がった則宗の、見慣れない輪郭を再度歩きながら確かめる。
「……何の話だ」
「今日、夏至だろ」
あんたを可愛がる時間が足りない。
いきなり座り込んだ則宗の腕に引っ張られて、今度こそ加州が転げた。

write2021/6/21
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