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刀/メンヘラ本丸

審神者の私室には窓がない。天井にシーリングライトが一つきりのどこか薄暗い部屋に、繋がる扉はふたつ。執務室と繋がる内鍵だけしかないドアと、近侍室から繋がる外鍵だけしかない扉。近侍室側の扉の鍵は、貴重品管理を受け持つ歌仙兼定ではなく、初期刀である加州清光だけが持っている。

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「珍しいな、現世か?」
玄関。上がり框に佇む中肉中背の青年に、刀は気安い声をかけた。いかにも量産品のカジュアルな服を身にまとい、短刀の気配を懐に忍ばせた青年は、良くも悪くも特徴のないぼやけた顔つきをしている。
刀の隣にいた新人は怪訝な顔で見知らぬ人間の姿をじろじろと眺めてくるが、青年は冷たい視線を気にすることなくうん、と穏やかに答える。
「護衛は?誰だ?」
「今日は加州にお願いしたよ」
「へえ、本当に珍しいな。もう帰ってこないのか?」
「まさか!夕方には戻るつもりだよ」
「そうか。じゃあお土産よろしくな」
「あはは、うん」
「あの……」
困惑しつつ、談笑する隣の刀の袖を引いた新人に、ああ、お前知らなかったっけ?これ、審神者だよ。と刀が指を指し、青年も朗らかにうん、審神者だよ。と気安く片手を上げてみせる。
本体を緩く開いた右手に呼び出すか迷っていた様子の新人は、その返答にひくりと瞼をひとつ震わせて、数秒口の中で言葉を選別したのち、慎重に声に乗せた。
「……随分と、変わりましたね?」
「現世に出るときはね、用心のために変装してるんだ」
「こいつ、頭おかしいだろ?だからまともな人間に迷惑がかからないように、御神刀とかが気をつけてくれてるんだよ」
「わあ、その通りなんだけど身も蓋もないなあ」
あはは、と笑う青年に、本丸内で時々見かける陰気をまとった人間の面影はない。善良そうで、凡庸を固めたようで、ごく一般的な人間に見えた。普段の審神者とは、縦にも横にも様変わりしすぎている。シャツの裾から覗く腕も、なめらかできれいな肌色をしていた。
新人は眉をしかめながらはあ、と生返事をもらす。確かに霊力だけは己の身を構築しているのと同じものと見えるが、いまいち信用に欠ける。
「あんまり迷惑かけるなよ」
「うん、ありがとう」
結局、あからさまな不信感さえ払いきられないまま、新人は刀に背を叩かれて場を離れた。青年はごく平静な顔のまま、同行者をその場で待ちぼうけている。

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審神者私室の天井に張り付いたシーリングライトは、壁のダイヤルと付属のリモコンで無段階で光量の調節が出来るようになっており、そのほかボタン一つで最大と中くらい、ほぼ消灯に近いおやすみモードも選択出来るようになっている。
「あーるじ」
「……」
加州は扉の横のボタンで室内を中くらいの明るさに暴き出すと、壁と壁の合わさる隅っこに嵌まり込んでいる審神者へ近付き、まだ半乾きの血がぬめる腕にペチペチと指を叩きつけた。
「いたい……」
「痛いじゃないんだけど」
ぼそりと漏れた陰鬱な掠れ声にも、六年前から慣れきった初期刀は動じない。
「担当から帰還報告書出せって連絡来てるけどー?」
「……」
「黙んな」
仕事を催促するていではあるが、加州の言葉に強さはなかった。今回の外出で手に入れた至極ラフな私服を早速着込んでいる彼は、審神者の斜め前を陣取る形でぺたりと尻をおろすと、「ねー」と猫が鳴くような呼び掛けをこぼす。
「お昼のさ、あの店の米、まずかったね」
「……」
「でも肉は悪くなかったかも。値段の割にはね」
「……」
「あのメニュー、今度夕飯のおかずにできない?」
「……レシピと材料は用意しとく」
「うん。でも『雅じゃない』感じだったから、頼むならたぬきかなあ」
「ちゃたちゃんもうまそうだけど」
ぽつぽつと交わす雑談の間に、先だって加州の指先に移った血のぬかるみは、干乾びてカサカサと質感を変えている。
「最後に寄った店さ、宗三が好きそうだったよね」
「ん……」
「疲れた?」
「……うん」
漸く引き出した感想に、はは、と護衛刀は短く笑った。たった半日足らず、現世で仕事ですらなく物見遊山したに過ぎないだろうに。呆れと笑いを混ぜた瞳で、審神者を眺める加州は、「そんなんでいつか帰れるの」と自分の肌を汚している赤い粉末を、血より鮮やかに色づいている爪でこそぎ落とす。
「……しってるくせに」
「帰んないって?」
「約束したじゃん」
「あんなの、ここじゃなくても出来るでしょ」
「戻らないためにしたとこある」
「知ってる~」
「意地悪では?」
「性悪小悪魔嫌いじゃないでしょ?」
「むしろご褒美ですね」
「んふ」
軽快なやりとりには実がない。言葉はどこまでも、カラカラに乾いた無意味の味気なさを思い知るためだけに交わされていた。
「どうせ全部置いていくなら、帰っても一緒じゃない?」
「全部じゃないです。一つだけもらいます。はい、選ばれたひとー」
「ヒトじゃないけど、はーい」
「んふふ」
「ふふ」
視線も合わせず、だれた笑いを重ねる二人はそのまましばし会話を止め、淀んだ無音に耳を貸す。時計もないので、いくらそのまま口を噤んでいたのかは誰にも判らなかった。
浅く震えながら、息を吸い込んで審神者は呟いた。
「……もどりたくない」
「いいの?本当に?」
「いじわる」
「そーね。何回でも訊くけど」
「いじわる。すき」
「知ってる。本当に帰んなくていいの?」
「いいよ。……自分より、かしゅは置いていっていいの?」
「は?」
「かしゅのものも、できたでしょ」
「あー……」
濁しまくって示されたそれを思い浮かべ、加州は今一度指先をこすり合わせた。
もう床に落ちる付着物はなかったが、僅かに鉄の匂いが立つ。
「別に。というか、あれもあるじのじゃん」
「あげるよって言ったのに」
「あるじから貰ってもね」
「えっなにそれひどい」
思い浮かべたものは間違いなくお互い合致していた。ただ、珍しく加州は小さく溜め息を吐くと、滲むような悪意を混じらせて鼻で笑いをこぼす。
「あれが自分を差し出して俺達に懇願できるようになったら、折ってってやるくらいはしてもいいかな」
「こわ」
クツクツと暗く笑う初期刀に、素で感想を漏らしつつも審神者は表情をゆるませる。
「俺はねえ」
「なあに?」
「もっと仲良しなふたりを見たいから、まだこのままでいいかな」
「あっそう」
虚無に食い尽くされていた表情がニコニコと欲を取り戻したのを確認して、加州は表情をクールビューティーに整えると、消毒薬取ってくるねと腰を上げた。
明るいなあ、と今更ぼやく審神者に、部屋を見渡してみるが照明のリモコンの姿は行方不明だ。どうせ、荷の重なったどこかに埋もれているのだろう。
のろのろとうごめきだした部屋の主が自分で探し出すのが一番早そうだった。獣道が出来るレベルに雑然としすぎたこの空間で、審神者は普段から太刀以上では戸惑うような暗さのまま生活している。
「帰還報告書、書いといてよ」
執務室に続くドアの鍵を開けながら、加州は強めに釘を刺す。背後で動揺する気配がするが無視でいい。指先に起こす、カチャリと小さく錠の回る音で、扉の向こうがささやかにざわめくのを感じる。
おそらく、五虎退か誰かがまた様子伺いに来ているのだろう。
加州は部屋の灯りを消さないまま、薄く開けた隙間から素早く外へ細身を滑らせた。


《見せられるものは何もない》

write2021/6/2
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