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刀/メンヘラ本丸

触れるなと望んだのは、その手が優しすぎるからだった。
件の手は、細い指をしている。シワのない薄いはだいろで、身体に対しては少しばかり大ぶりで、薄い掌からすらりと伸びる五本の枝は長い。指の先にある、短く切り詰められた五つの丸い爪は、いつも鮮やかに色付けられていてまるで花が咲いたようだ。
その赤い花から分かたれた花びらが、僕の記憶に日々降り積もる。
転寝をする僕の髪をわざと撫でていく指先が、通り掛かりの僕にまで茶を供してくれる指先が、目が合えば口端を上げて小さく踊らせられる指先が。
まいにち、まいにち。余りにも優しすぎて。取り留めなく舞う彩りから、ほんの僅かばかり、絶えず与えられるふれあいの揺らぎが、幾度も重なって心根に水紋を生み、消え失せぬ間に連なり、寄せては返す漣になる。
決して敬うでもない、まして阿るなどない、損得なく、好悪なく、ただ当たり前のごとくこの草臥れた隠居のじじいを、与えられる側に数える、あの美しい生命は、僕の深淵を騒がせてしまう。

「触れるな」
出した声はいかにも情けなく震えていた。僕ともあろうものが形無しじゃないかと、自嘲する余裕はない。頼むと付け足さなかっただけマシ。最早そちらを嗤う方が簡単だろう。すっかりと僕は疲れていた。
ひとり隠る閨に気まぐれにずかずか踏み込んでは、僕をさんざっぱら暴き荒らしていく清光は、冷たい態度と裏腹に手ばかりは優しくぬくい。二桁余りに上り身体を重ね、その度に僕は押し付けられるあたたかさと冷淡さを思い知り、飽きもせずひとり心惑って、いつの間にやら蔓延り消えない焦燥で胸を掻き毟りたくなってきた。
正気を失いそうだった。清光の若く遠慮のない仕打ちに付いて行けず軋む身体に呻くふりで、どうにか情の方から目を背けて、棚に上げ、気を逸らしてきたが、それももう辛かった。
僕は楽になりたかった。もう何も欲しくはなかった。
僕に組み付いた清光は、布団に転がる僕をじいと見下ろして何も言わない。薄暗い、有明行灯の火が揺れるだけの部屋で、今しがた拒絶を受けたにしては薄い表情をしていた。
触れるなと願う契機になった、頬に当てられたてのひらは退かない。ほのぼのとした熱が、冷える頬をふやかす。鼓動は段々と駆け出し耳に迫る。息が喉につっかえる。キシリと噛み締めた歯が鳴った。伝い響いただろうか、止まっていた動きが、人差し指だけ僅かに変わる。二度は言葉が出なかった。見上げた瞳が僕を見ていた。お願いだから触れるなとこころが軋む。何も言わない唇は笑みを描かない。やわいものを愛しむように、鮮やかに赤いはなびらが、隠したままの、濡れた左目のふちを撫でた。

write2021/5/20
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