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死に節覗き(再録)

「カンストしてからさあ、主あんまり俺前線に出してくれないよね」
部屋の真ん中に置かれた折り畳み式の丸座卓、そこに頬杖をたてて茶菓子を頬張っていた加州清光は、特に何の感情も乗せずに話を振った。
「ん?あーそうだね、経験値もったいないからなあ」
加州の緩い視線を背に受けながら、審神者もふんわりとした口調で返答する。壁につけられた文机で書類処理を進める手の動きも緩慢だ。まあそうねー、と加州は自分から振ったにしては軽く同意して、指についたあられの粉を舐め取り、更にティッシュで綺麗に拭う。不透明に塗られた爪の裏側までしっかりと。しゅっと形の整った指先はいつだってつやりと美しく紅色に彩られている。艶やかで強く主張する、自慢の嗜み。
しかし薬指のそれにわずかな欠けを見つけて、加州はぷう、と頬を膨らませた。可愛くない。僅かな傷だが見つけてしまえば気になってくる。
そーだ、俺ネイルセット取ってくるねー。はーい、いってらっしゃーい。
軽快なやり取りで加州が一時退室し暫しの静寂が訪れた。部屋に響くのはカリカリと審神者が筆を動かす音のみで、部屋の外に隣接する図書館や裏庭の物音すら聞こえない。
だから、執務室へすたすたと足音が舞い戻って来るのは良く知れた。近侍部屋ではなく居住区の自室まで向かっていたらしく、加州が出て行ってからそれなりの時間が経っている。書類は特に進んでいない。お帰りを言おうと審神者は筆を置いて待ち構える。何やら騒がしさが増していた。
「五虎いたから連れてきた」
「し、失礼します……!」
「五虎ちゃん!!!!!!いらっしゃい!!!!!!!!」
「主うるさい」
「はう……」
「んんんごめん!!!!!」
ただいま~、と当然のように五虎退の手を取り引っ張ってきた加州は、自身が手にした大きめのマニキュア専用メイクボックスを自分の座布団の脇に置き、審神者にぎゅうぎゅう抱き締められている五虎退を放置した。退けたり避けようとすれば簡単なことなのだ。そうしないのならそれは同意。加州はそう五虎退にもう何度も伝えているので、元の席でじっくり左手の爪を眺め始めた。五虎退はしばしぎゅうぎゅうされた上、頭をしこたま撫でられてから漸く解放された。
「うう…」
じんわりと涙のにじむ目元や紅潮した頬を隠すように両手で髪を撫でつけ、彼は気を取り直し文机と逆の壁に設置された棚から、一抱えはあるシステムボックスを取り出す。この部屋に引き込まれることが多い幾人かは、五虎退の様に専用の私物入れを持っている。五虎退もその一人だ。
彼はそのまま少し考えて、加州の真向かいよりやや左寄りに座り込んだ。審神者は彼らに背を向け、加州も自分の爪に掛かりきりでふとした視線があうこともないが、一応。明確な意味のない、どんな反応が最適かわからない視線が苦手な五虎退は、時に相手の真正面に在ることを忌避したがった。
そんな五虎退の内心を知ってか知らずか、審神者は姿勢を直す一瞬だけ卓の方へ視線を向け、歓声を漏らした。
「おお、大分出来てきたね~」
「は、はい…!もう少し、かかりそうですけど……」
五虎退がシステムボックスから用意していたのは、作りかけのフェルト細工だ。自分の眷属を模しているのか、半分ほど柄の付け終わったそれはホワイトタイガーのように見える。足を崩して座っているポーズが愛らしい。
完成が楽しみだね。あの、出来たら、主様に差し上げます!えっ!!!!????あっ、そ、その、こんなのですけど、すみません…。やったあああああああうわあああああああ五虎ちゃんの手作りだあああああああ!!!!!!主仕事しなよ。アッハイ。
容赦なくくぎを刺された審神者が文机に向かい直すのを確認して、加州は除光液を浸したコットンで古くなったネイルを溶かし始めた。除光液の独特なにおいがふわりと室内に漂うが、他の二人が気にする様子はない。むしろ何故か審神者の筆の速度は上がったようだ。
加州は指先の色落ち具合をこまめに確認しながら、そっと五虎退がちまちまとフェルトを縫ったり刺したりするのを見守っていた。
根気と集中、器用さが必要な作業は、多くの兄弟や眷属の虎たちがいる彼にとって、入る者の限られたこの部屋でしか存分に楽しめない趣味のひとつだ。
だからこそこうして無理に引っ張られて来ても、文句も言わず大人しくしているのだろうと、審神者と加州はうっすらと感じている。
会話も険も見当たらない、静穏だけが過ぎていく。
たまに加州の扱うマニキュアの小瓶や、五虎退のフェルトの衣擦れが、カチャカチャ、かさかさ音を立てるが、それも邪魔に思われる音量には至らない。
それぞれが手元を動かしながら、同じ空間で、存在をただ許容する。

酷く静かに四半刻ほどが経ち、審神者が突如ああー!という間抜けた声をあげた。加州と五虎退の視線が集まった背中は、ばったりと後ろに倒れ伸びた。
文机の上は片付けられている。どうやら書類の処理が終わったようだ。
「お疲れ様~」
「お疲れ様です…!」
「ありがとー」
はーーー……と深く吐かれた息に短く労りの声をかければ、ほにゃほにゃとした審神者の応答があり、男士二人もまた微笑を浮かべた。
あれ、座布団使ってなかったの……!!!??あっ、大丈夫です、すみません!ありがとうございます。五虎ちゃんはかわいいなあ……。
弛緩しきったやり取りをしつつ、ひとつ大きく伸びをして起き上がった審神者は新しい座布団を二枚用意した。五虎退にひとつ。審神者にひとつ。加州は始めから座布団の上だ。彼専用の赤い座布団は、長く座っても大丈夫な様少し厚く、四隅の房近くには五虎退が練習がてら刺繍した、少し歪な加州の紋が入っている。
ともかく、三人は改めて円卓に加州基準の等間隔で座した。
先ほどまでの静寂が嘘のように、三者はお互いに目を向けて口を開く。
「やっと終わったよ~…」
「この前の外出報告書だっけ?」
「うん、買い物行った時の。
あー疲れた…お茶…お茶を淹れよう」
「あっ、あ僕が淹れます…!」
「ああん良いよお体固まってるから自分が立つよー」
「そうですか……?」
「ん゛ん゛ん゛かわいい」
「あるじー」
「加州が世界一かわいいよかしゅうーーーーーーー!!!!!!!!!」
「んっふふ……知ってる」
「ん゛ぅ゛しんぞういたい」
にっかり加州、と言いたくなる笑顔だろうが、審神者の評価には関係なかったらしい。よたよたと立ち上がり、五虎退が荷を出した棚の隣、ミニキッチン代わりの長机で、本丸の主は奇声を漏らしながら卓上湯沸し器にペットボトルの水を移してスイッチを入れた。
こぽこぽと気泡が上がるくぐもった音がする。さて、水が沸くまでに。審神者は先にティーバッグとティーポット、それぞれの個人専用マグを用意し、ついでに円卓に置かれていた菓子鉢へ、大袋から数種類茶請けを補充していく。
「紅茶だけどいいよね?」
「あっ、ぼく……」
「大丈夫わかってるよストレートは飲めなかったよね五虎ちゃん今日くりーぷと牛乳どっちがいい!!!????あっ生クリーム!!!????はちみつも入れる!!!????」
「く、くりーぷがいいですっ、はちみつも、大丈夫です……!」
「ん゛っ」
どうやら部屋の片隅にあるミニ冷蔵庫の出番は無いようだった。用意していた生クリームはそろそろ消費期限も近い。後で厨に寄付しよう、と審神者は頭に書き留める。
「あるじー俺ハチミツ入れてほしーなー」
「たっぷり????」
「たっぷり♡」
「可愛すぎか」
さらりとおねだりを繰り出す加州のマグに、秘蔵のお取り寄せハチミツをぶち込みつつ、審神者は天を仰いだ。にこりと微笑む加州が可愛すぎた。ハートマークはずるい……。
お湯はすぐ沸いた。一杯目、ざっくりと色がついたな、位でティーバッグは引き上げた。息抜きにだらだら飲むのであれば、そこまでしっかり淹れなくていい。なみなみと紅茶を注がれたマグが円卓へサーブされる。菓子鉢は円卓中央、元の場所へ。
鉢の横にはティーバッグを使いまわして淹れた二杯目の入ったポットが置かれて、更に更に湯沸し器はくたびれたティーバッグによってだいぶ薄くなるであろう三杯目用の、新しい水を温め始めた。
茶のことではあるが、気心の知れた者しかいない。細かい事は気にするな、と言ってもいいだろう。いいものだろうか。いいよね……?審神者はそっと部屋の入り口、障子の影を改める。大丈夫っぽい。紅茶だからか。
「あっありがとうございます主様……えへへ」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛」
そんな不審な動きをする主をものともせず、華奢な手指でマグを包み込んではにかむ五虎退に、審神者はいてもたってもいられず、気を切り替えて彼の頭に手を伸ばし撫で始めた。
五虎退まじ天使。世界の真理である。
暫く。落ち着く気配なくひたすらふわふわエンジェルキューティクルをかいぐりする審神者へ、加州から五虎飲めないじゃん、止めな?と咎めが入る。はい、と審神者はあっさりと手を引っ込めて、サッと卓に用意していたくりーぷのボトルから、五虎退のマグにカレースプーン山盛り二杯、粉を移した。
「よく混ぜてね」
「はいっ」
真剣な表情でマグを撹拌する五虎退に、審神者はでれでれと笑みこぼしながら、自分もマグの中に甘味足しの金平糖を二粒落とす。
カチャカチャ、ぐるぐる。
先に蜂蜜を垂らしてあった加州のマグも合わせて、三つの撹拌音が高く響く。除光液の匂いはもうなく、甘みをまとった紅茶の香りだけが部屋に充満していた。
「それでさ、俺、まだしばらく出番ないの?」
ハテ?と審神者と五虎退が同時に首を捻り、すぐに審神者だけがああ、と加州が部屋を出る前の会話と理解した。
そういえばそういう話もしていた。加州が戦に出たいんだって。審神者が五虎退に簡潔に説明する。
「早く極が来てくれたらなあー、無敵の一番隊長復活なんだけどね」
「そーだなあ、ああーいいな五虎退。俺も久しぶりに前線に出たい」
「僕も、一振目の僕みたいに…早く極、なりたいです……」
審神者が唸り、加州と二振り目の五虎退はぐっと目の色を深めて夢想する。この本丸内で唯一修行を終えた五虎退――現在部屋に座す二振り目の五虎退ではなく――すなわち、一振り目の五虎退は、こうして三者が車座に雑談する今も、一番隊の隊長として戦場にいた。向かうのは現時点での最難関、享延の江戸。資源備蓄や装備作成との兼ね合いで、毎日一度しか行われない、完全制圧を目標にした行軍だ。
大太刀でも重傷に陥るそこへ、極の修行を終え、表示される練度自体はガクリと落ちたものの、その強さは本丸の誰をも凌駕するようになった彼は、目下最優先で駆り出されていた。
「お喚び出来るうち初期から応えられた短刀の方々は、もう皆様極にもお応えなさったんだっけ?」
「だったと思うよ。小夜も待ってるから、俺も早く修行行きたいんだけどなあ」
「ほんそれな」
ずず、と溜息を留めるためにも審神者は紅茶を口に含む。空になりそうな加州のマグに気付いた五虎退が、さっと二杯目を注ぎ足していた。
話題に上がったこの本丸の小夜左文字は、このつい先日練度最高に至った。練度、つまり政府の観測した平均規定では、彼の能力はこれ以上上昇がないとされるため、本来ならば早く修行に出してやりたい所なのだが、
「お許し出さないの主でしょ」
「うん」
会話の通り、小夜の修行は審神者の一存によって、未だ延期されていた。
それは、何も小夜を無下にするためではない。この本丸では、現在のところ練度上限かつ修行に行けるのは小夜だけだ。しかし修行に出るだけなら数振りの短刀が、上限であればそれ以外の刀種が幾人も存在している。
小夜が修行に出ないのはひとえに審神者が『加州が極になれるまで他の誰も修行に出さない』と言い張って、必須である出立の許可を出さないからである。審神者は強情に、見かねた兄弟刀や普段取りまとめ役として動く刀、その他誰からの反論も受け入れなかった。
くりん、と小首を傾げ、加州は審神者を見詰める。
「……そんなに俺がいい?」
「うん、五虎退以外なら、加州が一番じゃないとやだ」
審神者はキッパリと言い切る。
追及を許さない断ち方をしたその人は、マグからグッと紅茶を飲み干し、改めて向き直った加州においでおいでと手招きをする。そして、すす、と近寄って来た自身より少し大きくてかなりその細い体を抱き締めて、いい子いい子と撫で倒す。向かい合って抱きしめ、肩に、耳元に口を寄せ、言い聞かせるように言葉を吐く。
「加州は誰よりも一番で、何よりも大事な最初の刀だから、絶対に唯一のうちの一番だから、加州のための本丸だから、加州が最初じゃないとやだ」
声は凪ぐ。
「加州が居たから、審神者やってみようかなって思ったし、加州が好きだから、可愛いから、大事だから、ここにいる。
どの加州でもないうちの初期刀の加州清光、うちの可愛い加州が、可愛い可愛い加州が一番だから、他の子に我慢させたって、ごめんねって思えもしない。
本丸と一緒。加州が一番に頑張って、一番にただいまって言ってくれないと、他の子を笑顔で送れないから、加州には本丸の『一番』で笑っていてほしいから、誰より何より前を向いて先に行ってほしいから、かしゅうじゃなきゃダメ」
何度も、言ってるけどさ。
ぎゅうぎゅうと、ぎちぎちと音がしそうなほど加州を抱き締め、審神者は腕中の彼の熱を視る。
この本丸でいつだって求められていると知っている加州が、軽率に動揺を見せることはいまや少ない。
それでも。
審神者は高揚にあわせて、彼のヒトよりも低い体温がじわりと温くなるのを視逃さず堪能し、回した手で幾度か軽く薄い背を叩いて愛おしみ。数秒離れるのを惜しんでから、ゆっくりそろりと体を剥がした。
「清光」
「……なーに?」
返る相づちは不満と甘えの際を揺らぐ響きで、少しばかり赤らみしっとりとした目許は擽ったさをくゆらせる。審神者を覗き込む瞳は深く透き通って赤く、てらてらとぬめるほど眩い。
「早く修行に行けるといいねえ」
いいこ、と優しく加州の頭を撫でながら、審神者はまた口許だけでほんのり笑った。
「――――まあ俺より五虎の方がまた極になっちゃいそうだけどね」
「それな」
「ふぁっ!?」
いきなり話を振られた五虎退がびくんと体を揺らして固まった。
居心地悪く、成り行きをそおっと身を縮めて眺めていたらこの流れ、あわあわと焦って審神者と加州を交互に見る二振り目の五虎退は半ばパニックだ。
「五虎ちゃんもうすぐ80だったねえ」
「えっ!?あっ、はい!いえ!まだななじゅう寄りで、」
「月日が経つのはほんっと早いよねー。俺も短刀だったら良かったかなあ」
「ヒェっ!?」
「イヤッ加州が短刀だとただでさえ可愛いのにもう国どころか地球が更に傾くからダメだね!!!!地球存亡の危機!!!!!まず審神者が死ぬ!!!!!!」
「(笑)」
「う、うぇえええ……」
「短刀加州とか……あっやばい鼻血出てない?あるじ出血多量で死んでない?大丈夫?短パンの加州とかやばくない??けびーしさん怖いね??あるじ即捕まる自信あるよ???ちったいかしゅたんにもぐり込まれてハート持ってかれちゃう!!物理的に!比喩ではなく物理的に!!!!ありがとうございますご褒美です!!」
「それよりもうすぐ第一部隊帰ってくるんじゃない?」
「あっほんとだ、お迎え行こうか!」
「あっ、あ、」
「俺も~」
「五虎ちゃんも行こっか!」
「は!はい!!……?」
流れもくそもないぽんぽんと息の根の合った戯言はやはり唐突に終わり、審神者と加州は徐に席を立つ。
ぽかんとしていた五虎退も、扉に指を掛けて振り向いた審神者の手招きで慌ててフェルトニードルを置き立ち上がった。
執務室を出て図書室を抜け、坪庭を横目に見たあと玄関を出る。
「今日もいい天気だねえ」
「洗濯物がよく乾くね」
「そうだねえ」
最終的にすっかりと勢いすら無くした会話は、大変に薄っぺらい。五虎退は、相変わらず僕はまだ一緒にお話しできないなあ、と、胸の奥で嘆息した。
別にこんな応酬についていく必要はないのだが――、一振り目の五虎退は、長文でこそないが、適宜の相槌や返答を挟めるし、ずっと笑顔で視界の中に残れるのだ、この二人の間であっても。自分と同じ、五虎退だけれど。
どたどた、トコトコ、ぱたぱたと、三者三様、三つぶんの足音が庭先に響く。
第一部隊がそこまで酷い怪我でないのなら、次は二振り目の五虎退率いる第二部隊が出陣だ。共に出るのは古きも多い太刀のお方々。行き先こそ政府から指定された調査主体の場所であるが、深く調べるにつれ、敵は手強くなっている。
主様には、太刀層の強化ついでだし、日があるから無茶はしないで、と言われているけれど。
頑張ろう、と意気込む五虎退の斜め後ろ、前庭で遊んでいた虎たちが、いつの間にか駆け寄ろうとしていた。
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